軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6.頬に一撃(完)

ライアンが打ちひしがれた顔をした。

いいすぎただろうかと思ったけれど、ライアンが、剣の腕はさほどであるということは、チェスターから聞いて知っている。裏の顔を持つ奥方に剣を振りかぶられたら、彼では勝てない可能性もある。バーナードのように、人生で一度も敵からの一撃を受けたことがないという人とはちがうのだ。

わたしは、そこでふと悪戯心を覚えて、長身の婚約者へ目を向けた。

「バーナード」

その呼びかけに、バーナードが扉の前を離れて、わたしのもとへやってくる。

こちらへ来てほしいと、言葉にする必要もない。わたしの声音だけで、バーナードは察してくれる。

「どうなさいましたか、殿下?」

わたしの傍に立ち、その背を軽く丸めて、落ち着いた眼差しが尋ねてくる。

内緒話でも望むかのように、わたしが腰を浮かせようとすると、それを制して、バーナードがさらに身を屈める。

わたしは、彼の耳に唇を寄せ、何事かを囁く ─── ような振りをして、人差し指で、ぺちと、彼の頬をつついた。

至近距離にあるこげ茶色の瞳が、ぱちぱちと瞬き、意味を問うようにこちらを見つめる。

わたしは、にんまりと、あくどく笑って告げた。

「一撃です、バーナード」

「……………………殿下」

長い沈黙の末に、バーナードは、深いため息を吐いていった。

「お戯れはほどほどになさってください。俺に馬鹿げた真似をさせたいのでなければ」

「ふふふ、あなたの初めてを奪ってしまいましたね。あなたに憧れる者たちに、妬まれてしまいそうです。ですが、これでわたしこそが、あなたに一撃を入れた初めての人間ですよ!」

頬にぺちですけど、と、笑い混じりに胸を張ってみせる。

バーナードは、じろりと、眼をすがめてわたしを見た。

「それほどお楽しみいただけたなら光栄ですよ、殿下」

「ええ、あなたの頬をつつくなんて初めてしまし ─── ……」

最後までいい終える前に、わたしは、自分で自分の言葉に戸惑って、声を途切れさせた。

ここは執務室だ。ライアンだって見ている。

……わたしはもしかして、とても恥ずかしい真似をしてしまったんじゃないだろうか? まるで、あからさまな、恋人同士のいちゃいちゃのような。

そう考えた途端、顔から火が出そうだった。いちゃいちゃしたいとは思っていたけれど、それは『よし! 今からやりますよ!』という心構えを持ってするものであって、こんな風に無意識に、うっかりと、零れ出るようにしてしまうものではなかったはずだ。

いえ、でも、待ってほしい。バーナードには、肩に担がれたことだってあるのだから、頬に触れるくらい、なんてことないことかもしれない。そうだと思いたい。わたしたちの長い付き合いにおいて、この程度のじゃれ合いは普通のことだ。きっとライアンだって何とも思っていないはずだ。お願いだからそうだといってほしい。

あぁ、でも、婚約者になる前は、人前でどんなふうに接していたのだったか、よく思い出せない。これは恐らく、動揺してしまっているせいだ。

─── だって、頬が、ひどく熱い。

わたしが、声も出せずに、うろたえていることに気づいたのだろう。

至近距離にあるこげ茶色の瞳が見開かれて、それからそっと、気恥ずかしそうにそらされた。彼の頬もまた、わずかに朱が滲んでいる。ずるい。そんな顔をされたら、わたしだってもう、自分を誤魔化しきれなくなってしまうのに。

わたしは、全身が真っ赤に染まってしまっているような錯覚を覚えながら、それでもどうにか、冷静を装っていった。

「もう、戻って、構いませんよ、バーナード」

「……はい、殿下」

バーナードが、扉の前の定位置に戻る。

わたしは、どきどきと、せわしなく動く心臓をなだめるように、何気ない素振りで、そっと胸に手をやった。

呼吸を落ち着かせるように、深呼吸を一つする。それから、いつの間にかすっかりと乾いていた喉を潤そうと、紅茶を一口飲んだ。

ちらりと、上目遣いに扉の前の彼を伺えば、バーナードはすでにいつも通りの冷静な表情に戻っていた。

ただ、彼にしては珍しく、わたしと目を合わせてくれなかったけれど。

そこに、バーナードの照れを感じて、わたしは嬉しくなってしまう。ふふふと唇だけで笑うと、バーナードが、今度は軽く咎めるようわたしを見た。

そうやって、わたしたちがようやく平常心を取り戻していた、そのときだ。

ライアンが、おそらくは彼自身にとっては潜めた声のつもりで、忠告のようにいった。

「隊長、真っ昼間からなだれ込みたいときは、事前にそういっておいてもらわないと困るんスよ。俺だって、出て行くタイミングが掴めないでしょ?」

バーナードが、ふっと笑った。

それは、秋の終わり程度には残っていた温度を、真冬の極寒まで下げてしまったかのごとき眼差しだった。

午後の柔らかな日差しの中で、ライアンの悲鳴が、空高く響き渡った。