軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9.勝利の褒美(後)(完)

心臓がドキドキと鳴る。息が詰まるほど胸が苦しいのに、それがちっともいやではない。バーナードの温もりを感じる。愛しくて幸せで、ずっとこうしていたい。

お互いに言葉はないまま、心地よい静けさと、服越しに伝わる温もりに浸る。

春の夜風が可憐な花々を揺らしていく。ささやかに鳴る葉擦れの音は、星空の下で開かれる演奏会のようだった。

わたしはひとしきり彼の温もりを堪能して、それからふと気づいて、至近距離にある面差しを見上げた。

「そういえば、バーナード。あなたにはまだ褒美の権利が残っていますよ?」

「あれは謝罪に使わせていただきましたから」

「謝罪は不要です。ですので未使用です」

きっぱりと告げてから、女神の真似をするようにおもむろに右の手のひらを夜空へ向けた。

「───さあ、勝利を掴みし気高き騎士よ。何でも願い事を一ついうのです。このアメリアが叶えて差し上げましょう」

芝居がかった口調でいうと、バーナードがくつくつと笑った。

「では、殿下に休みを取っていただきたいですね」

「正直な願い事をいうのです騎士よ」

「もっと休んでほしいし無茶と無理を重ねることはやめてほしいと?」

「わたしの休みから離れてください。そうではなくてですね……!」

もぞもぞとバーナードの腕の中から出て、彼と向き合う。

バーナードは名残惜しそうにしていたけれど、わたしが真剣に見つめると、彼も表情を改めた。

わたしはゴホンと咳払いをして、重々しく告げる。

「あっ、あなたの希望とあればですね。このアメリア、人を誘惑する悪魔のような、いっ、色香の漂う装いにも挑戦したいと思っているのですよっ」

声がうわずってしまった。残念ながら、重々しくはなかっただろう。

だけど、いうと決めたことはいえたのだ。心臓が叩きつけられる鐘のような音を立てているけれど、爽快感もある。わたしは両手でこぶしを握り締めつつ、晴れ晴れとした気分でバーナードを見つめた。

彼は無言だった。

眼を見開いた顔のまま瞬きもせず、表情が作られるそぶりすらない。まるで実際に悪魔が現れるところに遭遇してしまったかのような、非現実的な光景を前に固まる人のようだった。

やがてバーナードは片手で顔を覆った。そのまましばらく身じろぎもせずにいたけれど、やがてギギギッと軋む音がしそうな固い動きで天を仰いだ。

どうしたのだろう? あまり嬉しそうに見えない。もしかして、わたしの着こなしに不安があるのだろうか? なんてことだろう、その可能性は高い。

わたしは肩を落としていった。

「ごめんなさい、バーナード。早とちりしてしまって……。そんな装いは見たくなかったですよね」

「見たいですよ!!! 死ぬほど見たいですけど俺の限界がですね!!!」

バーナードが唐突に叫んだ。

びっくりして目を丸くすると、彼はこちらに向き直って、爛々と瞳孔の開いた瞳でいった。

「すみません殿下、突然大声を出してしまって驚かせましたよね。でもさすがにこれに関しては姫様もどうかと思うんだがな!? あなたは! 俺に! 安心しすぎです!!! 警戒心を持て!!!!!」

「えぇ……、そういわれましても」

「そういわれましても、じゃない!! 俺の理性を永眠させるんじゃありませんよ!! 焼き尽くすな!! 焼け野原で灰のまま安らかな眠りについてもいい気がしただろうが!! 姫様、あんたな、男を見たらケダモノだと思えっていうだろ!?」

「まあ、バーナード。わたしだって男性に対する警戒心はありますよ。でも、あなたは別でしょう? あなたはわたしを傷つけませんもの」

「くそっ、姫様の俺に対する絶対的な信頼が嬉しくて誇らしくて今この瞬間だけ憎い……!」

彼は肩をぶるぶると震わせた。

そして、自身を落ち着かせるようにふーっと深く深く息を吐き出す。

次にわたしを見つめたときには、夜色に染まった瞳には、明らかに危険な兆候が宿っていた。これは意地の悪いときのバーナードの顔だ。

つい身を引いたけれど、彼の大きな手はなだめるようにわたしの頬に触れた。

その温かさと頼もしさにたちまち安心してしまう。心地よくて、わたしは自ら彼の手に頬を寄せていった。

すると今度は、その硬い指先がするりと頬から首筋まで撫でていく。

……それは、ぞくりと身体が震えてしまうような動きで。

思わず助けを求めるようにバーナードを見る。

彼はにやと楽しげに笑って、今度はわたしの髪を一房、指先で持ち上げた。

「殿下」

陽の下では金色の長い髪が、節くれだった指に運ばれる。

「それではぜひ、あなたの色香の漂う装いを俺に見せてください。どうか俺だけに」

そう囁くと、彼はまるで見せつけるように、ゆっくりとわたしの髪にキスを落とした。

「バーナード……!」

「ただし、今すぐにではなく、俺があなたの夫となったその後に。ええ、そのときには俺も……」

そこで彼は一度言葉を切ると、唇の両端をにいっと持ち上げて笑った。

「───俺も、容赦してあげませんからね、姫様」

ぞくぞくと背筋に震えが走る。

それが何を意味するのか、自分でもよくわからなかった。いやではないけれど、少し怖い気がした。だけど触れたくなるような、近づきたくなるような、そんな矛盾した心地だった。

わたしはひどく落ち着かない気持ちになって、視線をうろうろとさまよわせながら尋ねた。

「あの、なにか不穏な予告をされている気がするのですけど、ちがいますよね? 今のは褒美を受け取る時期を決めただけですよね? きっと衣装の準備期間を配慮してくれたのでしょう?」

「そうですねえ」

「不穏に感じるのは気のせいですよね?」

「ははっ、そうですねえ、気のせいだったらいいですねえ」

バーナードが、どこか凄みのある声で朗らかに笑う。

不穏なことは否定してくれないのですか? と視線で訴えても、夜色に染まった瞳は愉快そうにわたしを見下ろすだけだ。バーナードは世界で一番格好良い人だけど、たまに意地が悪い。

わたしは不満を込めてじーっと見つめたけど、近衛隊長の顔になった彼に「そろそろ戻りましょう。殿下は明日も公務の予定が詰まっているんですから」と促されてしまう。

しぶしぶと立ち上がって、春の夜の中を二人で並んで歩いた。

───褒美を叶えるといったのに不穏な予告をされるとはこれいかに……。バーナードだって見たいといってくれたのに……。

納得のいかない気持ちで考える。

───もしや誘惑経験が少ないことを危ぶまれているのでしょうか……? それでも『あなたをめろめろに誘惑してみせます! 頑張ります!』という心意気だけは万全ですのに。

バーナードならわたしのやる気を汲んでくれるはずだ。『さすが殿下、期待しています』という類の返答があってもよかったと思う。

───はっ、もしかして、これはバーナードからの宣戦布告なのではありませんか? 主導権を譲る気はないという宣言なのでしょうか!?

わたしは不意に落雷のごとき閃きを得て、隣を歩く婚約者を見上げた。

「バーナード、これはもしかして、未来の新婚生活において、どちらがより相手を誘惑できるかという戦いを挑まれているのでしょうか? すでに前哨戦が始まっているのですね?」

バーナードがなぜか何もないところで転びそうになった。

「おい待て姫様、何がどうしてそうなったんですか!? 挑んでない、何も挑んでないですからね!」

「負けませんよ、バーナード。いつもあなたにめろめろにされるばかりのわたしだと思わないでください。わたしだって立派に誘惑してみせます!」

「やめろ頼む、駄目なのに喜んでしまうでしょうがっ、天国と地獄に同時に突き落とすな! 何の勝負か知りませんが俺の負けでいいですから!」

「ふふふ、油断させようとしてもそうはいきません。これこそ世に聞く『夫婦生活における主導権争い』というものなのですね? 戦いはもう始まっていますね?」

「自分が何を口走っているか理解しておられませんね殿下!? いいですか、俺はもうすでにあなたに敗北してますから、頼むからこれ以上誘惑しないでください! ちくしょう、理性が満面の笑みで眠りについたまま起きてこない!」

わたしは『めろめろにしてみせます』という意気込みを込めた瞳でバーナードを見上げる。

最愛で最強の騎士のうめき声が、春の庭園に響き渡った。