軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

魔女と約束の惚れ薬 15

「お待たせ致しました。お約束の薬が完成致しました」

事務的な声色と顔つきで、ロゼは深々と頭を下げた。

自分でドアを開けるようになったハリージュが、ドアノブを持ったまま、玄関で足を止める。

「こちらがご依頼いただいておりました、惚れ薬です。ご確認をお願い致します」

ローブの隙間から、小さな瓶を取り出した。

真っ白な両手に載せ、すいと突き出す。

「伝統的な方法にしたがい、特別な調合で、確実な魔法によって作られました。心と体に強く刺激を与えるため、性的欲求を高める効果もございます」

後ろ手でドアを閉め、眉をつり上げたハリージュに、慎重に言葉を続ける。

「とはいえ勿論、媚薬効果は副産物です。惚れ薬を飲まされた相手は半日の間、飲ませた相手を愛しく思います。心の底から、骨の髄から、魂の根幹から愛した結果、人間が本来持つ欲求が膨れ上がり、性欲の抑制欠如――」

「わかった、わかった。それ以上その話題はいい」

ハリージュはどこか焦りつつ、ロゼの差し出していた薬を受け取ると、いつもの席に腰を下ろす。

今日も持ってきていた手荷物を、遠慮無くテーブルの上に置く。

「半日と言ったな。期間はそれほどに短いのか」

待ち望んだ薬が手に入るというのに、ハリージュはさほど喜んだ顔ではなかった。

効能がお気に召さなかったのだろうか。確認しもせず、こんな高価な薬を頼むからだ。ロゼはこっそりとへそを曲げた。

「先ほど言ったとおり、半日の間、使用されたものは使用したものを、世界中の誰よりも愛します。恋い焦がれた憧れの君よりも、長年連れ添ったパートナーよりも、血を分けた兄弟よりも、日夜教えを請うた師よりも、乳を含ませている我が子よりも――そんな記憶が、永遠に残ります。心に、体に、一生消えない染みとなり、存在し、成長し続けるのです」

「なるほど……使用方法は?」

「惚れ薬を、使用者の体液と摂取させてください。自分が口を付けたグラスに薬を落とし、相手に飲ませる方法が一般的ですね」

「わかった。今後、誰かから差し出されたグラスは、絶対に受け取らないことにする」

ハリージュが冗談を言って笑った。

今日初めて見られた笑顔だったので、ロゼは臍を曲げていたこともコロッと忘れて、嬉しくなった。

だって、ハリージュと会えるのは、今日で最後なのだ。

この四年、一度だって偶然街で出会うことはなかった。

ならばこれからだって、もう二度と偶然街で会うことは無いだろう。

ロゼは彼との決別の覚悟を持って、ここに立っている。

きゅっと唇を引き結んで気合いを入れると、ロゼは戸棚をごそごそと漁る。

「もし効能がご心配でしたら、砂時計一回分だけ効く、こちらのお試し用のサンプルで……」

「なんだ。飲んでくれるのか」

「え?! 私が飲むんですか?!」

あまりにも驚きすぎて、ロゼはローブを踏んづけてつんのめりそうになった。持っていた極小の小瓶をぎゅっと握りしめる。

「俺が飲むはずがなかろう」

さも当然のように言われる。確かに、これから誰かを惚れさせようとしている人間が、試しに他の誰かに恋をするのは変だ。

さすがに、心に作用する薬の被験者になれと言われたのは初めてだった。

ロゼが嘘をついていては、薬の効能を確かめられないからだ。

確かに、ロゼが嘘をつけないと知っているハリージュにしか、確かめられない方法だろう。

「まぁ、いいですけど……。どうせ私には、あまり意味もないですし」

既にハリージュを好きなロゼが、ハリージュを好きになる薬を飲んだところで痛手はない。むしろ、薬を飲んだロゼを見て、効能を確信できればいいのだがと、不安になる始末だ。

「なんだ。魔女の秘薬は、魔女には効き目がないのか?」

そういうわけではないので、ロゼは薬を用意する振りをして返事をしなかった。

カップを用意するロゼの手先を、ハリージュも興味深そうにしげしげと見つめている。

いつもの手順なのに、緊張から手元が狂いそうになる。

ようやく淹れ終わった紅茶を、ハリージュに渡すと、彼は一瞬訳がわからないと言った風に小首を傾げた。

「なんだ?」

なんだと言われても。惚れ薬の使用方法は説明していたはずである。

「唾液を摂取させていただかないと……」

ロゼが気まずそうに告げると、ハリージュはやっと事の次第に思い至ったようだった。どうやら、ロゼが惚れ薬を試飲した場合、惚れられるのが自分だとは思っていなかったようだ。

「なるほど」

ハリージュはカップを受け取り、さして迷いも無く、くいっと飲んだ。

このお貴族様にとって、年頃の少女に惚れられることなど、日常茶飯事なのだろう。全く女の敵である。

対して、照れたのはロゼだった。ロゼの手に戻ってきたのは、好きな人が口付けたカップ。

これは早く終わらせてしまわねば、無表情を貫くことが厳しくなってくるだろう。

惚れ薬を二滴だけ飲みかけのカップに入れる。

砂時計を無造作にひっくり返すと、ロゼは無心で紅茶を飲み干した。

自分の失敗に気付いたのは、カップの底を見た瞬間だった。

「魔女殿?」

ハリージュの声がする。

低くて、甘いその声は、耳の産毛までもを撫でるようだった。

自分の手腕を、魔女の秘薬を、舐めていたわけではなかった。

ただ、既に恋をしている相手に、これほどの恋情をさらに募らせるなんて、思ってもいなかったのだ。

――なんて、素敵な人なんだろう。

抑えていた気持ちが溢れる。

――魔女なんかを気に掛けて、いつも優しくしてくれて。

いつもなら、心に蓋をしていた気持ちだ。彼の前では見て見ぬ振りをしていて、一人の時にこっそりと思い返しては、淡い片思いに満足する。

そんな気持ちを、今は薬のせいで剥き出しにされてしまっている。

「どうした」

ロゼに変化が無いことを不審がっているようだった。

だが、そんな声さえロゼを溶かす。

愛しさに頬が緩みそうになるのを、抑えられない。

薬は買って貰わなくてもかまわないが、駄目な魔女という烙印だけは押されたくない。

彼に、魔女であることを見損なわれたくなかった。

「こちらを向け」

向けるはずが無い。

こんなの、隠しようが無い。

薬が効いてることをわかってもらわねばならないのに、顔を見ることが出来なかった。ロゼはフードを深く被り直すと、端を持ってぎゅっと顎までひっぱる。

――好きだなんて、絶対に言いたくない。

望みの無い恋を伝えられるほど、ロゼは無邪気でも、若くも無かった。

ただ傷つかないように、自分を必死に守ることしかできない。

――薬のせいだと開き直ればいいのに、そんな度胸もない。だって、本当に好きだから。

「向けと言っているのに、隠れるな」

「い、いやです」

無様なほどに、声は掠れ、震えていた。

その声に驚いたのだろう。無理矢理顔を上げさせようとしていた、ハリージュの手がピタリと止まった。

「あー……そうか」

酷い沈黙だった。あまりにも無残な時間が流れる。砂時計の砂が流れる、微かな音さえ聞こえてしまうほどの静寂だった。

ロゼは顔どころか、耳まで真っ赤になっていることが、火照った体からわかっていた。じっとりと、全身が汗ばむ。少し動くだけで、お腹の奥が物欲しげに疼く。

「というと、今の魔女殿は、その。俺の事が好きなのか?」

――なんてことを聞くんだ。

信じられなかった。馬鹿か? 馬鹿なのか? いいや、馬と鹿に申し訳ないほどに、彼は最低のクソ野郎に違いなかった。

ほんの少しの時間とは言え、自分のことを好きになった女の子にかける言葉ではない。特に、ロゼに限っては長年片思いしていた相手だ。

なんてデリカシーのない大クソ虫野郎なんだと心で毒を吐き続けても、ロゼの出せた答えはこれだけだった。

「……はい」

四年間の片思いを伝えるには値しない、なんて情けない返事。

弱々しいその声は、静寂に負けて、消えてしまいそうだった。

けれども、悔しさと愛しさを抑え込んで、精一杯振り絞った返事は、ハリージュまで届いたらしい。

彼が息を呑む気配を感じた。

こんな馬鹿な質問をするくらいなのだから、彼もいつになく、動揺しているのかもしれない。

いや、ハリージュにとっては効果の程が大事なのだ。

ロゼが彼を好きかどうかは、何を置いても確認したいことだろう。

いいや、それでも。やっぱり大クソ虫ウンコ野郎だとロゼは叫びたい。

しばしの沈黙の後、ハリージュがそっと声をかけてきた。

「触れるのは、嫌か?」

とても声を出せる質問ではなかったので、ロゼは首を大きく横に振って答えた。その予感だけで肌が粟立ち、彼の指先を今か今かと待ち望んでいる。

ロゼの答えを確認すると、ハリージュは一国の王女に触れるかのように慎重に、ロゼの腕に触れた。

そして優しくリードして、ロゼを椅子に座らせる。

ロゼが戸惑っていると、両手をフードの端からそっと外される。触れられた場所が痺れるように疼いた。口が渇き、無意識に舌先で唇を舐める。

ずっと強く握り込んでいたせいで、手の筋肉が痺れるように震えていた。

「すまない。この薬を飲んだことで、体に負担はあるのか?」

かじかんだ手を見て、ロゼはようやく自分が酷い緊張状態にいたことを知った。そしてそれを、ハリージュが案じていたことも。

「……ありません。ただ、切ないだけ」

「切ない?」

今まで聞いたハリージュの声の中で、一番優しい声だった。

泣いている子供を慰めるような、手のかかる妹の我が儘を聞くような、そんな愛に満ちた声に感じる。

背筋が震えた。快楽ともいえる甘やかさが流れ込んでくる。

嬉しさと切なさがロゼを貫き、あまりの衝動にロゼは涙をぽろりとこぼした。

「貴方には、好きな人がいるから」

堪えていた言葉は、涙と共にぽろぽろとこぼれ落ちる。一度堰を切ると、もうダメだった。あぁ、好きだ、好きだ、好きだ、好き。

涙に隠れて、我慢していた愛が溢れ出る。

ハリージュが、慌ててハンカチを取り出す。

「どうしてそう思う」

「だって、惚れ薬を買いに来たでしょう?」

ぎゅっと目頭に力を入れる。泣いているせいで鼻声になり、まるで甘えているような声だった。

こんな自分を見せたいわけじゃなかった。

唇をぎゅっと噛む。嗚咽が、唇の隙間から漏れていく。

途方に暮れたような顔をして、ハリージュはロゼの涙をハンカチで拭った。

優しい腕に縋り付きたい、ただ本能のままに彼に抱きつきたい、少しの隙間だって埋めたい。

触れて欲しい、抱きしめて欲しい、口付けて欲しい。

だけど、そんなこと、言えるはず無い。

精一杯の自制心で堪えたロゼは、大きく首を振る。

「やだ、やめて。優しくしないで。期待させないで」

「なんっ……! だいたい、この薬は――」

ハリージュは言葉を止めると、ぐっと歯を食いしばった。

握り拳を作って何かに耐え、真剣な面持ちでロゼを見つめる。

「わかってほしい。これは、俺が使うものではない」

ロゼは心から驚いて顔を上げた。

林檎よりも赤くなった頬が露わになる。涙に濡れた瞳は、ただ見つめるだけでも、熱くとろけた眼差しだ。

身のうちを焦がす恋を閉じ込めた視線を送られたハリージュは、息を呑んだ。

「そ、うなの?」

きょとんとしたまん丸な目から、涙が転がる。

濡れたロゼの目に映ったハリージュが、苦笑した。

「そうだ」

心が乱れているロゼにしっかりとわからせるためか、ハリージュが強く頷く。

いつの間にかハリージュが、ハンカチを持っていない方の手で、ロゼの頬を覆っていた。手の平が触れている場所が、じんじんと熱を送る。鼻腔をくすぐるのは、嗅ぎ慣れないハリージュの香り。

ロゼの心のもっと奥が、ずくりと疼く。

ハリージュの太くしなやかな親指が、ロゼの目から流れる涙を拭った。

言いようのない喜びが、波打つようにロゼに押し寄せてくる。

「……嬉しい」

ハリージュを見上げながら、ロゼはふにゃりと笑った。

赤らんだ頬が、形を変える。

体重をハリージュの手の平に載せると、その手を掴んで、唇を寄せた。心から溢れ出る喜びのままに、ちぅと小さく吸う。

あたたまりきった唇は柔らかく、涙で濡れてしっとりと潤っていた。唾液が滑る感触が面白くて、唇の内側の柔らかい場所で、ハリージュの手を味わう。

ハリージュの手の甲に歯を当てる。何かが少し満足したかのように、ロゼの中が震える。

ロゼが、弄んでいたハリージュの手から顔を離した。名残惜しげにハリージュの手を指先で撫でながら、潤んだ瞳で見上げる。

ハリージュは何処か、呆然としてこちらを見ていた。

「ハリージュ様」

彼の体が緊張に固まる。

「どうか、一度だけでも。ロゼ、と」

長年の訓練を思わせるハリージュの硬い手が、愛おしい。ロゼは目尻を彼の手に擦り付けながら、懇願した。

信じられないほどに、自分の声が甘くとろけていた。こんなはしたない真似をと思うのに、自分の意思ではもう抑えられない。

「……呼んでも、いいのか」

ハリージュの喉仏が上下する。

欲望の望むままに、ロゼは微かに頷いた。

密着したハリージュの手に、ロゼの肯定が伝わる。

「――ロゼ」

「はい」

「ロゼ」

「はい」

吐息だけの笑みがこぼれる。目尻はすっかり、とろりと溶けきっている。

恍惚とした表情でロゼが見上げていると、ハリージュの体がふいに動いた。

ハリージュは、ロゼが抱き込んでいた手の向きを変え、ロゼの顔を持ち上げる。また頬に触れられ、ロゼが喜びから、細く震えた息を吐き出す。

甘やかな心地を甘受しているロゼに、ハリージュがゆっくりと顔を寄せた。

濡れた吐息が重なる。

お互いの唇が触れ合いそうになる、その時――

「ご満足いただけましたか」

ハリージュの唇を、ロゼの手の平が覆っていた。

いつもの、無表情を貼り付けたロゼの、冷静な声が庵に響く。

砂時計の最後の一粒が、そっと下に流れ落ちていた。