軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

書籍発売記念SS 紳士の純情

「つ、疲れた~」

今日も今日とて貴族学園教諭、ジュリアンは滅茶苦茶だった。

もう「歯車」は崩壊し、その後はこれといって復活の予兆もないというのに相変わらず研究塔に呼び出され、エヴァがエイドリアンの婚約者として正式に王宮に上がり未来の王太子妃として結婚式まで秒読みに入ったことで正式な公爵家の跡取りとしての地盤固めに入って忙しい身のヘンリーもそれに付き合ってくれて、二人そろってぐったりである。

「最近はもう「歯車」がどうこうより、単に私たちをからかって楽しんでいるだけな気がしてきました……」

「当らずとも遠からずだろうな。卒業したらしばらく本領に引きこもろう。三年もすれば流石に他に興味が移るだろう」

消極的だけれど、こちらが何をどう言っても最後は圧で押し通してくるジュリアンには、案外一番効果的な気がする。

モンターギュ家の本領は海沿いの素敵な街で、食べ物もものすごく美味しい。冬もまあまあ温暖だけど夏はからっとしていて過ごしやすいのだという。三年といわず永住しても全然構わないくらい、いいところだ。

「それするとひょっこり「来ちゃった」とかしませんかね、教諭の仕事もやめて」

「……怖いことを言わないでくれ」

常識人で紳士のヘンリーは、全く真逆の性質のジュリアンが苦手だし、防戦一方を強いられるばかりだ。卒業したら貴族の社交とは無縁に生きているジュリアンとは縁が切れると思っているからこそ、今を耐えられているんだろう。

しかしあの好奇心が強い上に謎に行動力のあるジュリアンである。追いかけようとすれば地の果てまで逃げても逃げ切れる気がしない。

「まあ、その時になってみないと分かりませんよね。さすがに仕事を捨ててまで追いかけてくるかは分からないですし」

やる時はやるだろうけれど、案外その前に他に面白い研究テーマを見つけたりするかもしれない。何事もなるようにしかならないだろう、多分。

「お二人とも、お疲れ様です」

シャーリーが新しいお茶と共にケーキを運んできてくれる。いつもなら即いただくところだけれど、今日はどうにも、研究塔で飲んだコーヒーに胸が負けている気がして中々フォークに手が伸びなかった。

つやつやの苺が載ったシンプルなショートケーキである。でもクリームはこっくりとしていてまろやかで、それでいてすうっと口の中で溶けるような軽い感じがするのだ。スポンジはふわふわで、間に挟まっているのはその日によって甘酸っぱいジャムだったりミルク味の薄いゼリーだったり、公爵家の料理人の気分によって変わるのが楽しい。

絶対に美味しい。間違いなく保証されている。

「君がケーキにむしゃぶりつかないなんて、珍しいな」

乙女に対して言う言葉だろうかと唇を尖らせると、ヘンリーは疲れている様子ながらくっくっと肩を揺らして笑った。

「自分で食べる元気がないなら、私があーんしてやろうか?」

これは本気ではなく、からかっているだけだ。

ヘンリーは紳士だし真面目だけれど、チャラ男だった頃の記憶がぶり返すのか、時々こういうことを言う。

当時のことはヘンリー的には黒歴史になっているらしいので私も普段はスルーしているけれど、いかんせん、今日はいつもよりちょっとだけ疲れていた。人間疲れると短気になるものだ。

ケーキのお皿を左手に持ち、右手に持ったフォークで少し大きめに掬いあげる。

「ヘンリー様、あーん」

「……っ、な!?」

「あーんしていいのは、あーんされる覚悟がある者だけですよ!」

大体、こういうのはするよりされる方が恥ずかしいのだ。

「はい、ヘンリー様! まさか乙女に恥をかかせるんですか?」

ぐい、とケーキを掬ったフォークを突きつけると、ヘンリーは唇をぎゅっと引き締めた後、思ったより冷静な顔で口を開き、ぱくりとケーキを口にした。

案外動揺しなかったなと思ったけれど、考えてみれば去年まで女生徒を侍らせまくっていたヘンリーである。こういうシチュエーションにも慣れているんだろう。

「美味しいですか?」

「……味がわからない」

「えっ!?」

公爵家の料理人の腕は確かで、肉料理も魚料理もスイーツも、いつだって最高に美味しい。今日だって見た目はシンプルなショートケーキながら、クリームは均一に塗られた後、僅かに色づけられたクリームで細やかな装飾が施されていて、その上に真っ赤でつやつやの苺が載せられ、見るからに美味しそうだ。

でもヘンリーは私に比べればはるかに舌が肥えているし、いつもと僅かに違うだけで味が違って感じるのかもしれない。

ひょいとケーキを掬い、ぱくりと口に入れる。

とたん、口の上にこっくりとしたクリームの柔らかな甘さと舌ざわりと生地に挟みこんだ苺のコンポートの酸味の刺激が交じり合う。すうっと鼻先にさわやかな香りが抜けたのは、クリームに練り込まれた何かの果汁の香りだろう。

私にはグルメ評論みたいなことはできないけれど、全部が計算されて最高に美味しくなるよう調整されているのがひしひしと伝わってくる、そんなひと口だ。

「普通に美味しいですよ。あ、もしかして味が分からないくらい疲れてるってことですか?」

ヘンリーは私より体力があるし、いつもしゃんとしていて疲労や動揺をあまり表に出そうとしないけれど、じっと見つめると確かにいつもより少し目が泳いでいるし、額に汗の玉が浮いている。

「君、そのフォーク」

「え、フォークがなんですか?」

握ったままのフォークに視線を移し、ついでにもうひと口、ケーキを食べる。

うん、やっぱり美味しい。公爵家のケーキが美味しいという前置きがあるから美味しい! で済んでいるけど、突然口に突っ込まれたら驚いてほっぺたが落ちそうな美味しさだ。

「あ、ヘンリー様ももうひと口いっときます?」

「……君、君、君なぁ!」

ヘンリーはみるみる顔を赤くして、すっくとソファから立ち上がると、大股で団欒室のドアに向かって歩いていく。

「ヘンリー様、ケーキは?」

「~~~君にやる!」

そう言い捨てると、あとは後ろも見ずに出て行ってしまった。くれるというならありがたくいただこうとヘンリーの分のケーキをそっと引き寄せる。

「あなたたち、わたくしがいるのを忘れていないかしら?」

少し呆れたように、けれど苦笑しながら扇をひらひらさせているエヴァに、へへっ、と笑う。

「久しぶりの帰宅だというのに、あてられてしまったわ。仲良くやっているのね」

「うーん、からかい過ぎましたかね?」

「放っておきなさい。あの子の自業自得よ」

「でも、あとで謝っておきます」

ヘンリーは真面目で紳士なのだ。ちょっとからかわれたからといってからかい返すのは私も大人げなかったかもしれない。

まあでも、それはケーキを食べたあとでもいいだろう。

「エヴァは、王宮での暮らしはどう? 殿下とうまくやってる?」

「まあ、今のところ問題なくやっているわ。時々煩わしいこともあるけれど、どうということもないわね。結婚式の準備でそれどころではないし」

それはそうだろう、エヴァが誰かに負けるところなど想像もつかない。

「エヴァの花嫁姿、綺麗だろうなあ」

「ブーケを投げるわけにはいかないけれど、式典が終わったらソニア、あなたにあげるわ」

「ほんと? 嬉しい」

エヴァの――王太子妃であり次期王妃のためのブーケなんて絶対豪華で素敵だろう。

雑談を交わしつつ一口分を引いたケーキふたつを完食すると、疲労感も和らいで、元気が出てきた。

「じゃ、ちょっとヘンリー様に謝って連れ戻してきますね。折角エヴァが戻ってるのに、拗ねたままじゃもったいないですし」

「そうね、今頃やきもきしているでしょうから、行ってあげるといいわ」

鷹揚に微笑んだエヴァにすぐ戻りますと告げて、私も団欒室を後にする。

こういう時、ヘンリーは自室ではなく図書室か庭にいる。多分今日は庭のほうかな。私のこういう勘はなかなかのものなのだ。

「ふん、ふーん」

美味しいケーキを食べて機嫌よく、公爵家の広い廊下を突き進むのだった。

* * *

元気で可愛いソニアが出ていくと、急に団欒室は静かになった。以前はこれが当たり前だったけれど、今はなんだか物足りなく感じるから不思議なものだ。

「――さすがにヘンリー様に、少し同情します」

無口で、普段はあまり自分の意見を口にしないシャーリーが、ぽつりとこぼす。

ソニアはどうも、ヘンリーが女性に囲まれていた頃の印象が強いらしく、多少の接触や、まして間接キスなどで動揺するとはこれっぽっちも思っていないらしい。

もっとも、弟にそんな純情があるなど、エヴァリーン自身、ソニアに出会うまで知らなかったのだけれど。

シャーリーが淹れ直してくれたお茶を傾けながら、ふっと笑う。

「いいのよ」

まったく、弟が幸せそうで、なによりである。

「あの子はああやって、振り回されるのが好きなのだから」