作品タイトル不明
61 逃げ切った意味
「侯爵、申し訳ありません、妹をお願いできますか?」
アルチュールはユークリッドにイレーヌを預けると、ズンズンと足音を立ててエルフレッドに近づく。
走る姿さえ美しさを考えるアルチュールにしては雑な動きである。
ナーディアをエルフレッドから引き離すと、アルチュールは自分の腕に抱く。
「ここに婚約者がいるのに、兄とはいえ男の胸で泣くのは止めるべきだ」
ナーディアは涙が引込み、マジマジとアルチュールを見た。
何よりも自分の容姿が自慢で、美しくあることが最重要だったアルチュールは、ダルトン子爵邸での戦闘、ここで賊との交戦、返り血を浴び、髪は振り乱れ、衣服を気にする余裕もないようだ。
エルフレッドに至っては、妹を取られて放心したように見ている。
「深い親交があった訳では無いが、僕の聞いていたヴィスタル侯子とはいささか違うようだ」
「あんなお兄様しらない」
イレーヌは呟く。
第一、イレーヌを 叱咤(しった) することはあっても、さっきのように優しく抱擁された記憶はない。
アルチュールにしても無意識の行動だったらしく、はっとしてナーディアを抱き寄せる腕を離したが、ナーディアは離れたはずのアルチュールに 縋(すが) りついた。
「よかった、失敗したかと思ってた」
それはイレーヌも同じだったので、ユークリッドにケガはないかと確認をしている。
「あの男達は、侯爵閣下達が失敗して私達を捕まえに来たかと」
「たしかに、ナーディア達にはそう思える状況だったな」
エルフレッドが補足するように答えた。
「ダルトン子爵邸は完全に掌握した。第一部隊が監視している。そのうち後発隊も到着するだろう、
どうやらダルトン子爵がイレーヌ嬢を気に入って、攫うように指示をしていたらしい」
「ひっ」
両手で身体を守るようにしてイレーヌがひきつった声をあげた。
侯爵令嬢であるイレーヌにそんなことをする人間はいなかったから、考えもしなかった。
ユークリッドは屈んでイレーヌの目の高さになる。
「イレーヌ嬢はとても美しい。これは誰が見てもそう思うだろう。私の助手ということで、平民に思われたのかもしれない。貴族令嬢は助手なんてならないからね。
顔を知られている可能性のあるナーディアを隠す為に、イレーヌ嬢がダルトン子爵に対応したせいで狙われた。
これは、私の判断ミスだ。怖かったね。
だが、逃げてあそこに隠れたのは勇気がいったろう。よく頑張った」
はい、と涙をながして答えるイレーヌが震えていて、ユークリッドが思わすその手をとった。
守らないといけない存在、それがイレーヌとナーディアだ。
「ガビドーは? ジョンは?」
ナーディアが護衛の二人の名を呼んで、ユークリッドとエルフレッドに尋ねるが返事はない。
エルフレッドが、首を横に振った。
「いやぁあ」
ナーディアがその場に崩れ落ち、アルチュールに支えられる。
イレーヌもふらついた身体をユークリッドに抱えられ、自分では立てないようだった。
自分達が逃げる時間を作ってくれたと分かっていた。
けれど、生きていてと願っていた。