軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3−18

おそらく皇女殿下自身の中に眠っていた魔力が溢れ出し、彼女自身も制御出来ないのだろう。それでも、このまま放っておくことは出来ない。

「皇女殿下、どうか、どうか私の話を聞いてください」

懇願する声は、皇女殿下には届かない。

皇女殿下の魔力が漆黒の渦のように、彼女自身に纏わりつき、そこから突風が吹き荒れる。

それは、彼女を守ろうとしているのか、私が少しでもその黒いモヤに触れれば、それは忽ち鋭いナイフのように斬りつけてくる。

「痛っ」

黒いモヤと吹き荒ぶ突風により視界が悪く、近づけば近づくだけ、攻撃は鋭くなる。ドレスは所々に切り裂かれ、肌が出た手首に切り傷を作った。流れる血にも意識を払う余裕がない。

「もう全部終わらせたい」

荒々しい魔力とは別に、彼女の呟きはか弱く今にも消え去ってしまいそうだった。静かに涙を流しながら、手すりに手をかける。今の皇女殿下はまるで、今すぐにも飛び降りてしまいそうに見え、私は心臓が飛び出そうになり、驚きに声をあげる。

「皇女殿下! それ以上身を乗り出してはいけません! 今がどれだけ苦しくても、いつか……」

「いつか? そんないつかなんて可能性、私には存在しなかった。希望も未来も描けない、そんな場所しか私は知らなかったの。地獄を知らない人の理想論なんて、語られるだけで虫唾が走る」

「違います。生きてることの尊さを身を持って知っているから。……だから!」

必死の説得も虚しく、皇女殿下の魔力で作られた黒いモヤは形を変えて彼女を包み込む。そして、彼女の意に沿うように、皇女殿下を持ち上げると、手すりの上へ立たせた。その場所は少しでも風が彼女の体を押せば、体勢を崩して塔の下へと真っ逆様になるだろうことが容易に予想出来る。

「な、何をなさるつもりですか。さぁ、こちらに手を!」

焦って手すりに駆け寄ると、やはり皇女殿下の魔力は容赦なく攻撃の手を緩めない。それでも、私はそこらかしこに新しい切り傷が出来ているだろうことも構わず、ズキズキと痛む体を一刻も早く皇女殿下の元へと走らせた。

必死に手を伸ばす私の手が、一瞬皇女殿下の指に触れた瞬間、皇女殿下はハッとしたようにこちらを見た。

驚きに瞠目する皇女殿下の視線とかち合った瞬間、皇女殿下の赤紫色へと変化した瞳は、再びピンク色へと戻った。

だが、それも束の間。

「もう、私……頑張れないよ」

悲しそうに眉を下げながら、僅かに微笑んだ皇女殿下の瞳は、再び闇を纏う赤紫色へと戻る。天を仰いだ皇女殿下は、両手を広げて目を閉じる。

「皇女殿下!」

私の叫び声と同時に彼女は、空を飛ぶようにその身を投げ出した。

――そんなこと、させない!

これでもかという程手を伸ばす。どうか、届いて。間に合って――。

手すりを持った右手で自分の体を全て支えながら、可能な限り身を乗り出す。すると、パシンッと音を立てながら、私の手は皇女殿下の手を何とか掴むことが出来た。

それでも一切の油断は出来ない。手を握ったことで、皇女殿下の魔力はパチパチと身体中に雷が落ちてくるような強い衝撃を与えてくる。全身にダメージを負いながら、少女とはいえ一人の人間を持ち上げる程の力が私にあるのだろうか。

全身から汗が滴り、常に痛みを与えてくる黒いモヤに苦痛に顔を歪める。それでも、諦めるなんてことは出来ない。

「……何で」

想像していた衝撃が来なかったからだろう。皇女殿下は何が起きているのか分からないというように、呆然とした表情を浮かべた。

「ラシェル……?」

驚きに目を開けた皇女殿下は、恐怖と安堵そして苦痛の色を露わにした。そして、すぐにその顔は焦りへと変化する。

「な、何で……何で私を助けようとしてるの……」

「何でって、そんなの助けるに決まっているじゃないですか!」

「だっ、だって……私、私……あなたに酷いこと、沢山言った……」

「私だって、皇女殿下を……沢山苦しめてしまったのでしょう? ……だったら、おあいこ……です」

私の言葉に、皇女殿下は大きな目がこぼれ落ちてしまいそうな程に見開いた。

混乱したように「なぜ」「どうして」と繰り返す皇女殿下は、自分を助ける人がいるという事実にただただ驚いているようだった。

「あなたは、私が死なせません」

キッパリと言い放った私に、皇女殿下は唇を震わせた。

「どうして、ラシェルがそこまで……」

「理由なんていらない。……私が、今、あなたを助けないと、後悔するから。あなたは、大人しく……私に助けられて、ください」

握った手を更に強く握りしめると、皇女殿下の顔が歪み、涙が一粒流れ落ちた。

「手を離して。このままでは……あなたまで」

弱々しい力で私の手を逃れようとする皇女殿下は、額から汗が滴り落ち、苦痛を隠せない私の表情に焦りを見せた。

「苦しいまま……全てを、終わらせる……なんて、させません」

「ラシェル、ラシェル! 離さないと、あなたまで」

涙をポロポロと流し、こんな時でも私の心配を口にする皇女殿下は、きっと本来は誰よりも優しくて温かい人なのだろう。

「楽しいこと、嬉しいこと、もっともっと、あなたは経験する権利が……あります」

たった十二年。そのほとんどが辛く苦しい時間。自分の味方もほとんどおらず、暗く寂しい真っ暗闇にいたこの少女が、人生の全てを分かったように悟って自分の意思で生を諦めるだなんて。

そんなこと、あってはならない。

ゲーム通りにいかなかったから? 救世主が現れないから? だからといって、今後の未来に今の状況が一変する何かを見つけることが出来るかもしれない。

道はひとつしかないと思っているのだろう。けど、そんなはずは、ないのだから。

「皇帝陛下が……怖い、なら。……逃げれば、良い」

「逃げるって……どこに!」

ズシンと一層下へと引きづられる体を何とか支えながら、私は皇女殿下に微笑みかけた。きっと上手く笑えていないだろが、それでも少しでも彼女が安心出来るように。

「……どこでも。好きな……ところへ」

皇女殿下はこの国に留学して知っただろう。私がマルセル侯爵領で過ごした日々のように。自分が思っていた世界なんて、自分が信じる全てなんて、人も場所も国も違えば、真逆の価値観を持つのだと。

生まれた場所、地位が特殊であればあるだけ、世界は狭くなるものだ。だけど、その世界が全てではない。

信頼する恋人、友人……そんな人と笑い合い、泣き合い、沢山の経験をしてようやく本当の自分自身の人生を見ることが出来るのだと思う。

まだ夢を希望を持つ命があるのなら、辛い場所から逃げたって良い。他人の人生さえも背負おうとして人生を諦めたいと思うのなら、自分の幸せだけを信じて見れば良い。

――それに、少女の中の美しい記憶が、全て空想の中でしかないなんて……そんなの悲し過ぎる。

「それに、作られた恋物語だけじゃなく……本当の、あなたの、恋だって……始まるかもしれないじゃないですか!」

恋物語に胸をときめかすのも素敵だろう。だけど、私はいつかあなた自身が特別な人と出会い、愛する誰かが現れる奇跡を信じても良いのではないかと思ってしまう。

「全部やり切って……やり尽くしてから、ようやく終わりを見てください」

どうせ死ぬのなら、こんな場所じゃなく、温かいベッドの上が良い。理想を語るなら、愛する人や家族に見守られながら、幸せな記憶に浸りながらが良い。

どうせなら、ルイ様の温かい手を握り、彼に頭を撫でられてからが良い。よく頑張ったねって褒めてもらってからが良い。

もう二度と、あんな寒くて冷たくて、苦しい死に方なんてごめんなんだ。だから、だから。私も、皇女殿下も、死に場所がこんな場所で良いはずがない。死ぬ時がこんな……こんな……。

「今は、まだその時じゃない!」

「ごめんなさい……ごめん……」

力の入らない手で懸命に引っ張り上げる。だけど、なかなか上手くいかず、徐々に汗で手が滑り始める。皇女殿下も私の限界に気付いたのか、泣きじゃくりながら「お願い、お願い」と顔を歪めて懇願する。

「やだ、あなたまで死んじゃダメだよ」

――私は死なない。そして、あなたもこんな小さな命で、消えていいはずがない。

だけど、悔しいな。手の力がもう残ってない。ゆっくりゆっくりと重力は下へと下がっていく。同時に、皇女殿下の指が離れそうになる。

涙でぐしゃぐしゃになった皇女殿下の顔に、十二歳という幼い年齢で終わらせる訳にはいかないと失くなりそうな手の力を必死に込める。

だがその時、手すりに置いた二人分の体重を支えた手が、ガクンと一瞬の内に力が抜けた。と同時に、支えを失った私の体は、簡単に体勢を崩すとそのまま皇女殿下の体に引っ張られるように、塔の最上階から真っ逆様に落ちていく。

――そんなっ!

まずい。そう思った瞬間、世界がスローモーションのように見えた。驚愕に目を見開く皇女殿下の顔、それでも離すまいと皇女殿下の手を握りしめる私の手。そして、ここにはいないルイ様の笑顔。

もう二度と後悔を抱えた死など迎えない。そう思っていたのに、軽率な私の行動がルイ様を悲しませる結果になるなんて。

――いや、いや、いや! もう二度とルイ様に会えないなんて……そんなの嫌!

その瞬間、皇女殿下の手を握った私の左手首からパァッと眩い緑の光が溢れ出した。

その緑の光は一瞬の内に、純白の光を纏ったものへと変化すると、夜空に向かって立ち昇っていった。

だがすぐに、真っ白い巨大な私たち二人を飲み込むようにこちらへと急転換する。その勢いに思わず目を閉じると、真っ逆様に落ちていった私の体は、風を切るようにふわりと柔らかい布団に包まれる感覚がした。

そして、すぐに体が舞い、気づけば自分が空を飛んでいる感覚がする。

恐る恐る目を開けると、私は本当に空を飛んでいた。

「……ドラゴン? そんな、まさか……」

落ちるはずだった私と皇女殿下の体は、今大きな翼を広げた真っ白いドラゴンの背に乗り、夜空という海を泳いでいた。

私同様に、何が起きているのか混乱している皇女殿下は、必死に私の体にしがみ付きながら、パクパクと口を動かすのみで声を失っている。

ドラゴンは夜空を気持ちよさそうにぐるりと回ると、私たちが先程までいた塔の最上階に体を寄せた。

「ここで降りろということ?」

訳も分からぬまま、私は体に力が入らない様子の皇女殿下を支えながら、先程身を投げた塔の中へ転がるように落ちた。ガクガクと膝が震え、全身から一切の力が入らない。

それでも、ドクドクと心臓の音が耳まで聞こえてくるような激しい鼓動が、自分がまだ生きていることを知って、ようやく安堵のため息を吐いた。

「助かった……ということなのかしら。それにしても、このドラゴンは……」

再び空を自由に泳ぐドラゴンを塔の上から眺める。全長5メートル程だろうか。真っ白いドラゴンの体は、闇夜によく映える。

そっと左手のバングルに視線をやりそっと触る。すると、頑丈なはずのバングルに深い傷が出来ているのに気がつく。もしかしたら、皇女殿下の魔力に触れたことで傷がついたのだろうかと思ったのも束の間、バングルはボロボロと崩れ落ち光の屑になって空へと昇っていった。

光の行方を目で追うと、その先には自由な体を楽しむように悠然と空を舞うドラゴンの姿。

「ドラゴンは絶滅したはず。続編にだって、ドラゴンは存在しなかった」

未だ私の体に抱き着いたまま、呆然と空を見上げる皇女殿下の呟きに、私は再びドラゴンへと視線を移した。

「何が起きているの……」

「あのドラゴンは、過去の闇の聖女が封印していたものです。その封印を私が解いてしまったようなのですが」

「封印ですって! ドラゴンを?」

「……本当に皇女殿下はご存知なかったのですね。もしかしたら、皇女殿下とリュート様の留学は、私がドラゴンの封印を解いてしまったことを知り、それを調べる為かと思っていたのです」

皇女殿下の言葉を失った驚きの顔に、本当に彼女は私のバングルについてもドラゴンについても、何も気が付いていなかったことを知る。

――こうなってはどうしようもない。

おそらく、頭上に現れたドラゴンの存在をリュート様も見ただろう。間違いなく帝国に伝わってしまう。そう遠くない未来、トラティア皇帝が攻め入ってくる可能性がある。

「一刻も早く王宮に戻らなくては……」

ルイ様に報告し今後の対策を練らなくてはならない。塔から降りる為に階段へと向かおうと、私は皇女殿下の体を支えた。だが、皇女殿下はドラゴンから一切視線を外すことがない。

「あのドラゴン、様子がおかしい」

「えっ?」

「制御を失ったみたいな動きをしてる」

皇女殿下の呟きに、私は慌てて空を見上げた。すると、皇女殿下の言葉通り、ドラゴンは空中をグルグルと激しく回り、どこか苦しそうに激しく体をばたつかせている。

「あ、危ない!」

皇女殿下の叫びと同時に、ドラゴンはその大きな体から勢いよく炎を吐き出した。その威力はあっという間に、離宮周辺の木々を燃やし尽くす程だった。

それでもドラゴンの行動は止まらず、ドラゴンはグルルッと唸り声を上げながら何度か同じように炎を吐き出す。

あっという間に周囲は火の海になった。

夜だというのに、離宮を囲む森一体に炎が回ったことで、一気に周囲は明るくなる。塔の上から離宮全体を確認すると、その火は屋敷にも移っている。

「皇女殿下、あのドラゴンを止める術を何かご存知ありませんか。確か、龍人の血にはドラゴンを従える力があると」

「わ、私……知らない。でも……やってみる!」

皇女殿下は困惑した様子で首を横に振った。だが、キリッとした表情で顔を上げると、力一杯に立ち上がった。そして胸の前で手を組みながら、祈るように目を瞑る。

おそらく魔力を込めているのだろう。先程のように皇女殿下の周囲に黒いモヤが出現する。だが、そのモヤは先程とは違い、私を攻撃する鋭さはない。

「お、お願い! 止まって! 止めて! この場所を壊さないで。……私の大切な場所を……この国を壊さないで」

黒いモヤは空高くドラゴンの元へと荊のように伸びていく。だが、それに気が付いたドラゴンは体を捻らせて、尻尾をしならせてモヤを弾き飛ばす。

と同時に、ドラゴンの尾が塔の屋根にぶつかり、頑丈なはずの建物の上部はいともあっさりと崩れる。屋根部分の石が容赦なく私たち目掛けて降り落ちてくる。

「あっ、危ない! 皇女殿下、しっかり!」

皇女殿下の体を抱き寄せて、部屋の隅へと逃げる。すると、ドーンッと大きな音をたてながら、大きな瓦礫が無数にあたりに散らばった。先程私たちがいた場所には、大きな瓦礫が落ちており、あのままその場にいたらあれに潰されていたかもしれないと思うと血の気が失せる。

「けほっ、けほ……。ごめんなさい、力不足で」

未だドラゴンは鎮まる気配もなく、何度も何度も炎を吐き出している。ガタガタと震える皇女殿下は、周囲に充満する煙や瓦礫の舞った埃により咳き込んでいる。

「とにかくこの場から離れなければ。ここが崩れては危ないですから」

皇女殿下の体を支えながら、私は魔石の元へと向かった。これに魔力を込めれば、塔の外へ出ることが可能だ。まずは何よりこの場から逃げることが先決だ。

「やだっ……な、何でこんな時に限って魔石が壊れてるの」

壁の一部に埋め込まれた魔石に手を当てる。だが、何度魔力を込めても魔石は光ることなく、ただの石ころと同じ状態だ。皇女殿下も私の焦りに顔を青褪めさせた。

「そんな、どうすれば良い?」

もしかしたら先程の衝撃により魔石が壊れてしまったのかもしれない。だからといってこの場に止まることは出来ない。チラッと視線を向けた先は階段。どうやら階段は先程の衝撃にも耐えており、問題なさそうだ。

だからといって、この疲れ切った少女が長い階段を無事に降りることが出来るだろうか。

「……階段、降りれますか?」

「うん。折角ラシェルに助けてもらったんだもん。……頑張る」

皇女殿下のピンク色の目は、生気に溢れている。力強く頷く皇女殿下に、私は出来る限りにっこりと微笑むと皇女殿下の両手をギュッと握った。

「皇女殿下、必ず一緒に助かりましょう」

この選択がどうなるかは分からない。けれど、生きるために私たちは互いの体を支えながら冷たく細い螺旋状の階段を降り始めた。