軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第4話 報告書を書く手

ダリウスの字は、角張っていて、大きかった。

便箋の上で文字がぶつかり合っている。行間が歪んで、端の方は紙からはみ出しかけている。五年間、報告書はジークが書いていた。ダリウス自身がペンを持つことは、署名以外にほとんどなかった。

ペンが小さい。いや、ペンは普通の大きさだ。自分の手が大きすぎるのだ。剣の柄と同じ握り方をしてしまう。力を抜け、とエーベルトは言うが、力の抜き方がわからない。戦場では力を抜いた瞬間に死ぬ。

書記官のエーベルトが書斎の隅に控えている。清書のためだ。ダリウスの字はそのままでは公文書に使えない。

「エーベルト。読めるか」

「……はい。おおむね」

おおむね。つまり一部は読めないということだ。エーベルトは眼鏡を押し上げて、便箋に顔を近づけた。三行目の「支」と「出」がくっついて一文字になっている。

ダリウスは便箋を睨んだ。孤児院の月次報告書。食事の回数、子供の人数、予算の執行状況。セレスティーヌが去った後、誰もまとめていなかった数字を、ダリウスが自分で集めて書いている。

不格好だった。数字の位が揃っていない。「名」の字が毎回微妙に形が違う。

でも、字は正確だった。数字に嘘がない。ジークの報告書は美しかったが、その中身は借り物だった。ダリウスの報告書は不格好だが、全部自分の目で確認した数字だ。

一行書くたびに、インクが乾くのを待つ。待てない時に指で触れて、紙が汚れる。右手の小指の側面がいつも黒くなっている。洗っても、翌日にはまた黒くなる。

エーベルトが遠慮がちに言った。

「旦那様。ここの数字ですが、孤児院の人数が先月と違います」

「増えた。先月末に二人入った」

「その子たちの名前は」

「トーマスとアンナ。トーマスは七歳、アンナは五歳。名前を書け」

エーベルトの眼鏡の奥の目が、一瞬だけ動いた。前任のジークの報告書に、孤児の名前が載ったことはなかった。数字だけだった。何人いるか。何食食べているか。名前のない数字。

ダリウスは知っている。名前を書かなくなることの意味を。戦場で覚えた。だからこそ、今は書く。

◇◇◇

午後。庭に出た。

空気が湿っている。昨夜の雨の名残だ。土が水を含んで、色が深い。足元から、泥と草の混じった匂いが立ち上る。

薬草園は、まだ灰色が多い。セレスティーヌが移植した苗が根づいた区画だけ、わずかに緑がある。銀木犀の根元に、小さな芽が出始めていた。芽未満の、兆し。三ヶ月前にセレスティーヌが見つけた精霊の残留が、少しずつ力を取り戻しているのかもしれない。

膝をついた。泥が軍服の膝に染みる。気にしなかった。芽を覗き込んだ。薄い緑。葉が巻いたまま、まだ開ききっていない。

庭師のヨハンが水をやっている。毎日、決まった時間に。日の出前と、午後三時。精霊がいた頃は水やりの頻度が半分で済んだのだと、最近になって知った。セレスティーヌの仕事がどれほど庭を支えていたか、いなくなって初めてわかることが、まだ増え続けている。

「旦那様」

ヨハンが手を止めた。如雨露から水滴が一つ、地面に落ちた。

「銀木犀の芽、少し大きくなりました」

「……そうか」

見た。確かに、三日前より一回り大きい。葉の色はまだ薄い。でも生きている。

名前を知らない芽だった。銀木犀の品種名も、成長の段階も知らない。セレスティーヌなら一目でわかるのだろう。あの人の業務ノートに、こういうことが全部書いてあったはずだ。燃やされた三冊のノートに。

拳を握った。爪が掌に食い込む。掌の古い傷跡が引きつれるように痛んだ。

怒りもある。ジークに対しても、自分自身に対しても。でもそれより強いのは、目の前の芽を正確に理解できない自分へのもどかしさだ。

◇◇◇

書斎に戻り、便箋を広げた。

インク壺の蓋を取る。黒いインク。セレスティーヌが使っていた鉄インクとは違う、普通の没食子インク。

王都の薬学ギルド宛て。セレスティーヌ・フローレンス宛てではない。ギルドの教育支援制度について、辺境伯として正式に受け入れの申請をする文書。

字は相変わらず不格好だった。でも一字ずつ、丁寧に書いた。読めるように。正しい字で。力を入れすぎないように。ペンを握る手の力を、少しだけ緩める。五枚目にしてようやく、紙が破れなくなった。

便箋の最後に署名した。ダリウス・フォン・シュテルン。

自分の名前を書いた。署名は慣れている。何千枚もの軍務書類に署名してきた。でも今日の署名は違う。教育のための文書。子供たちのための文書。こういう書類に自分の名前を書くのは、初めてだ。

エーベルトが便箋を受け取り、清書のために席を立った。扉が閉まる。書斎に一人。

窓から差す午後の光が、机の上を横切っている。光の中に埃が舞っている。静かだった。

◇◇◇

夕食は一人だった。

ジークがいた頃は三人だった。セレスティーヌがいた頃も三人だった。でも二人きりの食卓は一度もなかった。今は一人。長い食卓の端に座る。残りの椅子は全て空で、窓から入る夕日が空の席を橙色に染めている。

スープを啜った。後任の使用人頭ヒルダが作ったもの。マルタの味とは違う。少し塩が多い。でも温かい。温かさだけは、誰が作っても同じだ。匙の金属が唇に触れるたびに、冷たさと温かさが交互に来る。

窓の外を見た。辺境の空は広い。星が出始めている。

もう、あの人のことを「妻」として考える資格はない。

でも。

報告書に書いた孤児院の数字は、あの人が作った制度の上に載っている。食事が三食に戻ったのは、あの人が言い残した言葉のおかげだ。

ダリウスは空になったスープ皿をしばらく見つめて、それから立ち上がった。

書斎に戻る。明日の報告書の下書きがある。字の練習をしなければ。「支出」の「支」と「出」を離して書く練習。

廊下を歩く足音が、以前より静かだった。軍靴の音を殺す癖は抜けない。でも歩幅が少し短くなった。急がなくなったのだ。

走る理由が、戦場にはあった。

今は、歩く理由がここにある。