作品タイトル不明
第58話 最初の手紙
食堂メモワールでの出来事から数日後。
レスティーナ・フォン・グランテは、帝都の屋敷の書斎に座っていた。
机の上には数枚の紙。
羽根ペン。
そして封蝋。
窓の外では、帝都の朝がゆっくりと始まりつつある。
遠くで鐘が鳴り、馬車の音が通りを行き交っている。
レスティーナは紙を見つめながら、少しだけ悩んでいた。
「……どう書こうかしら」
机の上の紙には、すでに何度か書き直した跡があった。
インクを拭き取った痕。
新しい紙。
そしてまた書き直した文字。
その理由は単純だった。
これはただの手紙ではない。
**帝国第一皇子への手紙**なのだ。
しかも相手はアルヴェルト。
先日、城下町の食堂でデザートを食べながら、文通を提案してきた人物。
レスティーナは小さくため息をついた。
(まさか本当に書くことになるとは思わなかったわ)
(ググル先生)
『文通の提案は殿下からでした』
(知ってる)
レスティーナは椅子に背を預けた。
書きたいことはたくさんある。
北方領の開発。
町の成長。
農業の改善。
商会の拡大。
しかしそれをそのまま書くと――
**ただの報告書**になってしまう。
それでは文通とは言えない。
「難しいわね」
その時、扉がノックされた。
「お嬢様」
入ってきたのは侍女のエミリアだった。
「お茶をお持ちしました」
レスティーナは頷く。
「ありがとう」
エミリアは机の上の紙を見て首を傾げた。
「手紙ですか?」
「ええ」
レスティーナは曖昧に答えた。
エミリアは何気なく聞く。
「どなたに?」
レスティーナは少しだけ迷った。
だが隠しても仕方がない。
「第一皇子殿下よ」
エミリアの手が止まった。
「……え?」
レスティーナは淡々と言う。
「文通することになったの」
エミリアは完全に固まった。
「ぶ、文通……?」
「ええ」
「殿下から提案されたの」
侍女は数秒ほど沈黙した。
そして小さく呟く。
「……すごいことでは?」
レスティーナは肩をすくめる。
「領地の報告みたいなものよ」
エミリアはまだ驚いている。
「でも相手は皇子様ですよ?」
「ええ」
レスティーナは苦笑した。
確かに普通ではない。
だが断る理由もない。
むしろ領地にとっては利益がある。
エミリアは少し考えてから言った。
「それなら」
「北方領のことを書けばいいのでは?」
レスティーナは頷く。
「そうね」
エミリアは続ける。
「町の様子とか」
「人々の暮らしとか」
レスティーナは少し考えた。
確かにそれなら自然だ。
彼女は新しい紙を取り出した。
そして羽根ペンを持つ。
インクをつける。
ゆっくりと書き始めた。
――アルヴェルト殿下へ。
帝都の城下町ではお世話になりました。
メモワール商会と食堂を気に入っていただけたようで何よりです。
あの日の騒ぎのあと、店はしばらく大変でした。
皇子殿下が来店された店として噂が広まり、客が急に増えたのです。
店員たちは嬉しい悲鳴をあげています。
レスティーナはそこまで書いて、少し笑った。
実際、その通りだった。
メモワール商会も食堂も、客が倍以上になっている。
皇子効果。
恐ろしいほどの宣伝だった。
レスティーナは続きを書く。
北方領の町も少しずつ成長しています。
人口は六百人を超えました。
農地も増え、今年は麦の収穫が期待できそうです。
市場も賑わってきました。
パン屋や鍛冶屋も増え、以前より活気があります。
レスティーナはふと窓の外を見た。
帝都の街並み。
石造りの建物。
多くの人。
馬車。
大都市だ。
だが北方の町にも、少しずつ未来がある。
彼女は再びペンを走らせる。
殿下が仰っていた通り、町はまだ小さいですが、都市の芽が出始めています。
もし機会があれば、ぜひ一度ご覧になってください。
北方の料理もなかなか美味しいですよ。
もちろん、オムライスほどではありませんが。
レスティーナはそこで手を止めた。
「……少し砕けすぎたかしら」
エミリアが覗き込む。
「いいと思います」
レスティーナは少し考えた。
そして最後の一文を書いた。
また帝都でお会いできる日を楽しみにしています。
レスティーナ・フォン・グランテ。
ペンを置く。
レスティーナは手紙を読み返した。
「……まあ、こんなものね」
エミリアは頷く。
「とても良いと思います」
レスティーナは封筒に手紙を入れた。
そして封蝋を押す。
グランテ家の紋章。
こうして――
帝国第一皇子への**最初の手紙**が完成した。
レスティーナは侍女に渡す。
「宮廷へ届けて」
「かしこまりました」
エミリアは頭を下げて部屋を出ていった。
レスティーナは椅子に座り直す。
そして小さく呟いた。
「さて」
「殿下はどんな返事を書くのかしら」
その頃。
帝城の一室では――
アルヴェルト第一皇子が机に座っていた。
侍従が一通の手紙を持ってくる。
「殿下」
「北方領より書簡が届いております」
アルヴェルトはすぐに分かった。
「レスティーナからか」
「はい」
皇子は少し笑った。
「早いな」
封を切る。
手紙を読む。
しばらくして――
アルヴェルトは小さく笑った。
「……面白い」
侍従は不思議そうに聞く。
「殿下?」
アルヴェルトは手紙を見ながら言った。
「北方の話だ」
「町が育っているらしい」
侍従は頷いた。
「それは良いことです」
アルヴェルトは言った。
「いや」
「それだけじゃない」
彼は少し楽しそうに笑った。
「オムライスの話も書いてある」
侍従は困った顔をした。
「……料理の話ですか?」
アルヴェルトは頷く。
「そうだ」
そして言った。
「返事を書く」
侍従は驚いた。
「殿下が自ら?」
「当然だ」
アルヴェルトは笑う。
「これは文通だからな」
こうして。
北方領主レスティーナと、帝国第一皇子アルヴェルトの――
少し奇妙で、少し楽しげな**文通**が始まっていくのだった。