軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ついうっかり

コルネリアの家族は、両親と年の離れた三人の兄。

母と兄たちは領地の本邸に、父とコルネリアだけが王都のタウンハウスに住んでいる。

物心ついた時からそうで、コルネリアには領地に行った記憶がない。

────全っ然しゃべんないけどね。父親。

多忙すぎてあまり顔を合わせない父は、コルネリアにも当然遠い存在だったが、結子にとってはほぼ知らないおっさんである。

呼び出された執務室に足を踏み入れてから、ああこんな顔だったっけ。と思ったくらいだ。

金髪碧眼、王子様顔というのか、とにかく美形。眉間には皺の後、目の下はクマ。

若いのに苦労してんのかな。

生前、五十八まで生きた結子は、ちょっとばかり同情した。

目の前の男性は、まだ三十代くらいに見えるのに、なんだか疲労が全面に出ている。

「公爵」

呼ぶと、眉間を揉んでいた美丈夫がちらっとこちらを見る。

「お疲れですか?」

「…………何を急に。子供が気にすることではない」

ふむ。

声にも張りがないし、何より否定されなかった。

結子は、ルネにお湯とタオル、そして厨房からある薬草を取って来るよう頼む。

珍しい注文に戸惑いつつも、ルネは足早に去って行った。

「公爵。お話があると聞いております。その後、わたくしにも少しお時間をください」

「……構わんが」

控えめで大人しく、ほとんど自己主張をしないのがコルネリアだが、結子はそういう淑やかな振る舞いはできない。

ゴリゴリ働いて子供たちを叱りつけ一緒に走り回り、大声で笑うような生き方しかしてない。

とりあえず言質は取れたので、『話の腰を折って申し訳ありません』と引き下がると、父は首を傾げつつソファを勧めた。

一緒に座りませんか、と手を引いて、向かい合って座る。

「あー……話というのは、おまえの婚約のことだ」

ああ。確かコルネリアの婚約者は、侯爵家の嫡男だったか。

名前を思い出そうと記憶を辿る結子に、父は訝しげにしつつも。

「社交デビューしたばかりだが、釣書が山ほどあってな」

父の視線を追うと、なるほど、机に積まれていたのは釣書だったらしい。

眉間の皺が深くなったところを見ると、精査するのが大変なのだろう。面倒をかけて申し訳ない。

「私の方で決めてしまうつもりだったが……希望はあるか?」

問われて、ぱかりと口を開けてしまった。慌てて手で抑える。

記憶の中の父は、希少動物並みに会えない同居人で、お互い無口なせいで会話もない。

おまけに、両親どちらにも似ていない見目のコルネリアは、実子ではないのではとずっと囁かれてきた。

だから、まさか希望を聞かれるなんて、思ってもみなかった。

慎重に、でも少しの興味を持って、結子は父を見る。

「公爵から見て、これだと思うものはございましたか?」

「そうだな……第三王子か、侯爵家嫡男か、といったところか」

第三王子! まさか、コルネリアへの釣書の中に、王子のものがあったとは驚きだ。

「えっ。あの、王子からの申し出を、断れるのですか?」

「いい。王家からではなく、個人で来たからな」

「いいのですね……さすが公爵です」

正直、コルネリアほど淑やかになど振る舞えないのに王子との婚約なんて、恐れ多すぎて震える。

やはり記憶の通り侯爵家嫡男にするか。いやでも、産後の記憶で子を抱いていた見知らぬ女が気にかかる。

うんうんと悩む結子に、ふ、と吐息で笑った父が眉を上げた。

「どうした。今日はずいぶんしゃべるな」

「公爵こそ」

反射的に言い返して、しまったと口を抑える。

ちらりと様子を伺うと、怒った様子はなく、むしろ面白いものを見たとでも言いたげに口の端が上がった。

「人形よりはマシだ」

「……」

人形のように育てたのは、いったい誰だと思っているのか。

曖昧に笑いながら、心の中で独り言ちる。

「あれのように、苛烈にはなってくれるな」

父の言う〝あれ〟に思い当たり、思わず苦笑した。

コルネリアの母は、少々独特な価値観を持っており『家にわたくし以外の女はいらない』と堂々と宣う困ったさんだ。

政略結婚した父にはさして興味も持たず、三人の兄だけを溺愛している。

そして、コルネリアのことは視界にすら入れないし、コルネリアが父や兄を呼称することも、その逆も許さない。

父を『公爵』と呼んでいるのはそのせいだ。

あんたが産んだんだろと言いたくなるが、母の中でそれは正義であり、譲れない価値観なのだ。

結子は『子供っぽい人だなあ』と思うだけだが、コルネリアが傷ついていることを知っている。

当たり前だ。産みの親に存在を無にされて、傷つかないわけがない。

苛烈といえば苛烈。

結子に言わせれば、大人になれないまま母になった人。あるいは、ならざるを得なかった人。

四人もの子をもうけているのだから、父との相性がとてつもなく悪いということはないだろう。

ただ、互いに無関心というか、他人行儀というか。

長い結婚生活を送った結子には、夫婦の形は夫婦の数だけあるというのは、なんとなくわかるけれども。

「希望がないのなら、私の方で決めるが」

「はい。公爵のいいように」

「……そうか」

コルネリアも結子も、第三王子にも侯爵家嫡男にも特に興味はない。

当主の決定に従うのが令嬢の役割で、今のところ手がかりもないので仕方ない。

話がひと区切りついたのを待っていたのか、いいタイミングでルネが桶とタオルを持ってきた。

お礼を言い、しかめっ面をしている父を気にせず薬草を湯に揉み入れ、タオルを浸して絞る。

「公爵、背もたれに身体を預けて、首ももたれてください」

「何をするんだ」

「こうですよ、こう。それで、目を閉じてください」

「おい。説明を」

「タオルが冷めてしまいます!」

また温めればいいのだけれど、ぐだぐだ言っている父の額に触れて、眉間の皺を撫でつつグググと後ろに押す。

めっちゃ抵抗するじゃん。無言の力比べをして軽く睨み合う。

「上を向いて目を閉じてください。怖いことはしませんから」

「嫌だ」

「お父様!」

つい口をついて出た呼称に、慌てて謝罪する。

いや、別に父から呼ぶなと言われたことはないのだが、呼んだことはなかったので。

一瞬目を見開いた父は、沈黙したまま、素直に瞼を下ろした。

ほっとしつつ、蒸したタオルを額から目までを覆うように乗せる。

思わずといったふうに、父の口から息が漏れた。

「目を酷使しているようだったので、気休めですが。お忙しいと思いますので、ほんの少しの時間でも」

「ああ」

返事は、吐息のようだった。

しばらく静かに見守っていると、やがて小さな寝息が聞こえる。

壁際で空気になっていた執事に目をやると、頷きが帰ってきたので、薬草の名前と効能を伝えて執務室を出た。

「ルネ」

自室へ戻る足が、自然と早足になる。心臓がバクバクと痛いほど暴れている。

「はい、お嬢様」

「…………お怒りになったと思う?」

つい、本当についうっかり、呼んでしまっただけなのだ。

コルネリアはいつも心の中だけでこっそり呼んでいたのに、結子ときたら。

「……いいえ、お嬢様。きっと怒ってなどいらっしゃいません」

「そうよね。公爵は、わたくしには興味ないものね。助かった、危なかったわ」

「……」

忙しなく歩を進める結子は、ルネの無表情が揺らいでいたことには気づかなかった。