軽量なろうリーダー

おいバカ、王子を賢くしてどうすんだ! ※コミカライズ準備中

作者: 猫の玉三郎

本文

アマンディーヌの父は恐ろしい人だった。

愛情代わりにもらったのは叱責と罰。幼いころより覚えさせられた勉強やマナーのおかげか、同年齢よりも淑やかで聡明だと謳われたアマンディーヌは第二王子の婚約者候補におさまった。候補であるのは、怪我や病気などで万が一があっては困るから。本格的に婚約が結ばれるのは女子の成人年齢である十六歳になってからと言われていた。

「あの無能な王子を傀儡とし、我がエリソンド家が宮中の覇権を握るのだ」

父は常々アマンディーヌにそう言い聞かせた。

ルシアン殿下は確かに聡明とは言い難い。

穏やかな国王夫妻にたっぷりと愛情を注がれ、家庭教師たちも懸命に授業をしたはずなのだ。それなのに。

「だーっはははっ! ここまで来てみろアマンディーヌ!」

鼻水をたらしたクソガキ――やんちゃな少年が中庭の木に登ってアマンディーヌを挑発する。

「追いかけっこするぞ、負けたら罰ゲームだ!」

木の枝を掲げながら鼻水をたらしたクソガキ――わんぱくな少年がアマンディーヌを振り回す。

「カッコいい方をおまえにやるよ」

大きな七色カブトムシを『半分こ』にした鼻たれサイコパスクソガキ――無敵な少年がアマンディーヌになにかを手渡す。

当時まだ十歳ではあるが、勉強やお稽古がいやで隙あらば脱走し、あっという間に泥まみれになる。そんなルシアン殿下を懐柔しろと命令されたのが同じく十歳のアマンディーヌだった。子どもにとって父の存在は絶対。言われた時はなんとしてでも父の期待に応えてみせると息巻いていたものの。

「いい加減になさいませルシアン殿下!」

無能は無能でも種類がちがう。

このタイプの無能はコントロールが不可能だ。最初こそ懸命に付き合ったり諭したり怒ったりとルシアン殿下に寄りそった。でも無理だ。こいつの調教は誰であろうと絶対に無理だ。

同じく婚約者や側近の候補として王子と年の近い少年少女たちが王城に呼ばれたが、王子の人柄に脱落者続出。結局残ったのは伯爵家次男のケビン、それと子爵家の三男レイモン、そして侯爵令嬢アマンディーヌの三人のみだった。しかしケビンとレイモンが残れたのはおそらく忍耐や忠誠よりも同類のクソガキ――無鉄砲メンタルで結びついた絆。

「いい加減になさいませルシアン殿下! ケビンとレイモンも、それ以上やったら騎士団長に言いつけますわよ!!」

小広間にあったテーブルクロスを頭からかぶり幽霊ごっこをする悪童三人。そんな彼らをがみがみ叱りつけるアマンディーヌに城の者たちが向ける視線は同情、あるいは感謝だ。おとなしい第一王子と違い、傍若無人なルシアン殿下に巻き込まれるのは使用人や教育係も同じだったのだ。彼らとはいつのまにか共同戦線をはる仲間のような心持ちになっていた。

ただ、それでも父の意向は変わらない。

「この調子でいけば近い将来おまえとバカ王子の婚約は整う。いいか、何があっても絶対にその座から離れるな。奪われるな」

年齢が上がるにつれ感じる恐ろしさ。

ルシアン殿下は確かにバカでアホで品性が野生化したダメ王子だ。しかし彼は第二王子であり、体があまり丈夫ではないとは言え継承権一位のマルセル殿下が健在である。

どうして父は覇権を取るなどと言うのだろう。

それが可能となるのは現在の国王と第一王子がいなくなる、つまりは身を儚くされた場合のみで――そこまで考えてアマンディーヌの全身から血の気が引いていく。

まさか。

いや考えすぎよ。

いくら父が野心を抱いているとしてもそこまでするほど身の程知らずではないはずだ。

「どうしたアマンディーヌ。最近あまり元気がないな。体調が悪いのか」

「……そんなことありませんわ殿下。ご心配ありがとうございます」

「腹が痛いのならすぐにトイレに行けよ。我慢は体に毒だからな。俺はさっき行ったぞ」

「……」

いつもなら怒る所ではあるけれど、最近のアマンディーヌにはもうそんな気力がなかった。だって十六にもなるのに王子は相変わらずだ。もう矯正など不可能。彼の両親である国王夫妻も次男に手を焼いているとは言え、無理やり何かさせるわけでもない。優秀な長男と困った次男、そこに満足している節があった。もう少しどうにかしてくれたっていいのに。一応、年齢を重ねて壊滅的なバカから多少目をつぶればなんとか程度のバカになったけれど。

いいえ、とアマンディーヌは心の内でつぶやく。

父は王子に賢くなってほしいわけではない。むしろ無能でバカなままでいてほしいはずだ。そうすれば彼の発言権をなくし権威だけを借りることができる。アマンディーヌが色々口出ししても治らないからいいものの、本来だったらバカを維持する動きをしなければならなかった。

木に登ったら「さすがですわ」

授業をサボったら「カッコいいですわ」

転んだとしても「男らしいですわ」

これくらい言わなければいけなかったのだ。

いつのまにか真っ当に育てなければと謎の老婆心が幅をきかせていた。ルシアン殿下は本当にバカでアホで王子としてはどうしようもないクソガキメンタルだ。けれど根は悪い人ではないし、見た目だってずいぶんマシになったから、中身を知らなければ美形な好青年に見えるだろう。

板挟みで心が悲鳴をあげる。

最近は憂うつな気分が続き、全てが億劫だった。

父のたくらみ。自分の役割。

着々と近づく婚約の日。

嫌でも迫りくる未来が怖い。

婚約者の座を絶対に手に入れろと念を押されているにも関わらず、アマンディーヌは王子に会うのを避けるようになった。

そんなアマンディーヌたちの仲に一石を投じたのが、男爵令嬢マリーというひとりの少女だった。

このマリーがとにかく可愛い。

千年に一度の逸材ではと言われるくらい完璧に整った容姿に愛嬌のある性格。少し小柄ではあるが、それがまた可愛いらしいと評判だった。

噂が噂を呼び、晴れて王城へ呼び出しとなったマリー。しかも遠路はるばると言うことで二週間ほどの王城滞在を予定されている。

突然現れたマリーにアマンディーヌの父親は焦った。三つ歳上の第一王子はすでに婚約されているが、第二王子はまだフリー。もう少しで十六歳になるアマンディーヌの誕生日を待っている状態だった。

もしマリーが短期間でルシアン殿下の心を射止めたら。

なんせバカで短絡的な男だ。十六歳というもっとも盛りのある年頃に極上の見た目を持つ少女が現れたら、あっという間に心を奪われるのではないか。父の焦りは当然だろう。

マリーはすでに十六となっている。

両者の合意があればすぐにでも婚約が可能。

父は怖い顔で念を押した。

「よいかアマンディーヌ、絶対にその女に取られるでないぞ。隙を見て蹴り落とせ。たかが男爵の小娘が侯爵令嬢に楯突くなどおこがましいと分からせてやれ。いいな!」

返事の仕方が気に入らなかったのだろう。

父は久しぶりに鞭をとり、アマンディーヌの背中を打った。

これでは背中の開いたドレスを着ることはできないなと、頭の中で今後の算段をつける。見えないからいいだろうと父は思っているかもしれないが、デイドレスはともかく、ナイトドレスは肌の露出が多くなる。あれはダメこれはやめておこうと考えながら、アマンディーヌは痛む背中に薬を塗ってもらった。

「おいたわしやお嬢さま……」

「大丈夫よ。ありがとう」

さて、噂の男爵令嬢マリーは本当に可愛い少女だった。ルシアン殿下のお目付け役として同席することになったアマンディーヌ。彼の隣に立ち謁見に参加していた。

「ほお、そちらが噂の令嬢か。なるほど本当に愛らしい。両親も鼻が高かろう」

付き添いは男爵領を包括するルグラン伯爵で、緊張するマリーの代わりに王からの質問に答えていた。アマンディーヌはその間に彼女をそっと観察する。見れば見るほど可愛らしい人だ。癖のない艶やかなピンクブロンドにビスクドールのような顔立ち。それがにこりと笑いかけてくるのだから心奪われる人が続出してもおかしくない。まあ見た目がどんなによかろうとルシアン殿下みたいに残念なこともあるかもしれないけれど。

そんなことを考えていた最中にルシアン殿下当人が顔を寄せて来た。

「アマンディーヌ、どうして最近城に来ないんだ」

「……少し忙しくしておりまして」

絶対今する話ではない。

というか謁見の最中だ。この雰囲気で話しかけるなどバカの所業が過ぎる。アマンディーヌがつんと言い返せば殿下はすぐに引き下がった。しかし数十秒後、なぜかまた話しかけてくる。

「そ、そのドレス、あまり見たことがないタイプだな」

「もうすぐ大人の仲間入りですから背伸びをしてみましたの」

しつこい。

早口で申し立てればまた殿下は口を閉じる。そしてまたなぜか無駄に話しかけてきた。

「今度久しぶりに釣りへ行かないか?」

「行きません。殿下、今は少しお静かに」

殿下の後ろからケビンとレイモンがひょこと首を伸ばす。

「なんだ、元気がないなアマンディーヌ嬢。緊張して腹でも痛いのか」

「いいから少し黙ってなさい」

苛つきに任せてピシャりと言ってしまった。いつもの軽口ではあるけれど、熱量の伴わないそれにケビンもレイモンも眉根を寄せる。言い方が冷たくなったの自覚はある。でも本当にいい加減にしてほしい。彼らはバカで頭もお花畑だからアマンディーヌが悪い物でも食べたのかと思っているだろう。そしてそれをすぐに口に出す。

だからアマンディーヌは小さく息をついて口を開いた。

「お願いだからこういう場では口を慎んで」

いつもと違うアマンディーヌの様子に、三人は顔を見合わせ、気まずそうに黙ったのだった。

彼らはバカではあるが仕方がない部分もある。アマンディーヌの父が手を回したのだろう、ルシアン殿下の勉強はだいぶペースが遅い。小さい頃本人が逃げ出していたのももちろんあるのだが、意図的に学びを控えさせている気配がある。教師陣も打つ手なしと匙を投げている人もいるので間違ったことをしても注意されない。

それがひどく寂しいと感じた。

アマンディーヌだって同じことをしているから責める資格なんてないのに。

その後は交流も兼ねて、立食形式の軽いパーティーが行われた。改めてドレスアップしたマリーに多くの人が目を奪われる。控えめな態度に楚々とした話し方。これは社交界を揺るがす傾国の美女誕生かと噂されていた、その矢先。

「わあ、このお菓子おらの好きなやつだあ!」

テーブルの片隅にあるデザートコーナーに目を奪われ、うっかり素が出たようだ。付き添いのグラン伯爵が慌てている。

マリーは王都からだいぶ離れた場所の生まれだからか、しゃべりに独特の訛りがあった。しかし、普通なら嘲笑されそうなところ彼女はそこすらも可愛いと思わせるからすごい。

そして訛ったマリーに食い付いたのが我らの第二王子、ルシアン殿下で。

「なんだその話し方は」

「あ、申し訳ありませんです。気を付けてはいるんですけど、都のしゃべり方はどうすても難しくて」

「おもしろいなおまえ。いいぞ、どんどん話せ」

「そうですかあ?」

ルシアン殿下がそう言うものだからマリーの被っていた皮は見事に剥がれ、人懐っこくも訛り倒した口調が全開になってしまった。あれは愛らしいが淑女ではない。愛され珍獣だ。グラン伯爵は天を仰いでいる。

「来いマリー、王宮を案内してやる」

「わあい嬉しいですう」

ケビンとレイモンもそれに続く。

もちろんおまえも来るだろうと殿下が期待した目を向けてきたが、アマンディーヌの表情を見て察したようだ。殿下がこほんとひとつ咳払いをする。

「ア、アマンディーヌも一緒に。おまえは俺の婚約者、候補だし」

お断りしますと言っていいだろうか。

するとアマンディーヌを見つけたマリーがぱっと表情を明るくした。

「わあ、なんてキレイで素敵な人だあ! おらこんな人初めて見ただ!」

みるみる頬を紅潮させるマリー。その眼差しがこそばゆくて視線をそらしたが、それも失敗だった。視線の先に父がいて、アマンディーヌを思いきり睨んでいたのだ。分かっているだろうなと険しい目が告げている。ここで下手を打てば家に帰ってから仕置きが待っているだろう。

アマンディーヌは小さくため息をつき、頭の中でどう罵倒しようと考える。マリーを牽制し、間違ってもルシアン殿下の婚約者にならないよう釘を刺さなければいけない。

マリーは分かりやすくアマンディーヌへ好意を抱いている。ならばまずはそこをへし折る所からだろう。

「……わたくし、バカで無能でマナーのなってない人は嫌いよ。一緒にいて恥ずかしいわ」

「へ?」

「立場に慢心して場をわきまえないのも見苦しくて嫌」

男爵令嬢の分際で王子の婚約者になろうなど千年早いと言った方が分かりやすかったかもしれない。失敗した。

ただ目論見通りショックを受けるマリーにほっとした。しかしなぜか隣にいるルシアン殿下まで驚愕し顔が青ざめている。心なしか後ろの二人も。もしかしてマリーに意地悪を言ったからだろうか。

「ど、どうしたらおらと仲良くしてくれますか」

「……それくらい自分でお考えなさい」

「うう、おらあんまり頭よくなくて」

「ならば周囲に助けてもらうのです。できない事に固執するより、思いきって人に頼るのも技量だわ。それが許される立場ならね」

マリーって意外と図太いわ、と認識を改めた。普通これだけ言った相手と仲良くしたいと思うだろうか。まさかルシアン殿下とは別系統のバカなのか。その可能性に気付いて少しゾッとする。ここはもう少し釘を刺しておいた方がいいのかもしれない。

「浅はかな人間って本当に面倒。今あなたの周囲に人がいるのはその人が優しいからよ。いくら外見がよくても無能で面倒な人からは自然と人が離れるわ。思い当たることがあるでしょう? 今のうちから覚悟しておくことね」

またもやルシアン殿下の様子のおかしい。どうしてそんなに泣きなそうな顔をしているんだろう。後ろのふたりが一生懸命励ましている。マリーへ言ったことにそんなにショックを受けるのなら、もしかしたら殿下はすっかりマリーを気に入ったのかもしれない。

「アドバイスありがとうございます! アマンディーヌ様ってお優しいんだなあ!」

「わたくしの優しさはもう擦り切れたわ」

言い捨ててマリーたちに背を向けて歩き出した。

その晩は体罰こそなかったものの、厳しい叱責を受けた。

それから三日後、なぜか城から呼び出された。

お茶会に参加してほしいと言われ会場に行くと、そこにはルシアン殿下とケビンにレイモン。そして城に滞在中の男爵令嬢マリーの姿が。

いつもよりお洒落に着飾った男三人組が今まで見たことないような澄まし顔をしている。いったいなんだ。なにが始まるんだ。緊張に苛まれながら、ルシアン殿下が引いてくれた椅子に腰を下ろした。男子たちがアマンディーヌの背後でハイタッチしているのが丸わかりだ。本当にいったいなんなんだ。

その後はいたって普通にみんなでお茶とお菓子を頂いた。状況が意味不明過ぎてまったく味がしない。罠にはめられているのかと思ったが、驚いたことに男子バカ三人組もきちんと作法にのっとり大人しくお茶を飲んでいる。ドヤ顔がなければ完璧と言っていい。

「どうですかアマンディーヌ様、みんなで練習したんです」

「練習……?」

四人はすっかり打ち解けたようだ。

そのことに一抹の寂しさを覚えた。

そのさらに三日後、また城に呼び出された。

今度は昼食を一緒に食べるらしい。あの四人と。しかも待ち合わせは中庭で、言われた通りの場所へ行くとマリーのみがそこにいた。男子バカ三人組は遅刻かと思いきやすぐさま現れてなぜかアマンディーヌをエスコートをするという。腕を差し出すのはルシアン殿下。こんなこと初めてだ。思わず殿下の顔を見ると、にこりと笑いかけてきた。

思わず息をのんでしまう。

上品な笑み。完璧な紳士。目の前の男は本当にあの鼻たれサイコパスクソガキの殿下なのだろうか。信じられず冷や汗が出てきた。

動揺をどうにかのみ込み、殿下の腕に軽く手を添えてふたり並んで歩きだす。こうしてみると大きくなったなと思った。昔は身長も変わらないくらいだったのに、いつのまにこんなに背が高くなったんだろう。腕だって硬くて、アマンディーヌのほっそりした腕と全然違う。ちらりと見上げたその横顔はまったく知らない男の人のように思えた。

どきどきと高鳴る胸の鼓動は無視してしまいたい。

食堂に連れられ、会話をはさみながら食事を頂く。

驚いたのは四人の口調だ。マリーはもちろん、男子バカ三人組の粗野で頭の悪さ全開だった話し方がまともになっていた。それこそ他所の人たちと無難に会食をこなせるくらいには。いったいなんの天変地異だ。

「四人で一生懸命練習しました」

「……そう」

それをアマンディーヌに言ってどうしてほしいのだろう。マリーは宣言通り仲良くしたいのかもしれない。でも他三人は? マリーに付き合っているのだとしたらずいぶん入れ込んでいると思う。

三人はともかく、マリーには労いの言葉をかけていいだろう。アマンディーヌだって鬼ではない。父が邪険にしていても個人的に憎いわけではないのだ。

「よく頑張ったわね。努力できる人は好きよ」

「はうう……っ!」

マリーが両手を頬に当てて照れている。可愛い。けれどどうして殿下も顔を赤くするのか。ケビンとレイモンがばしばし肩を叩いてて「やったな!」とか小声で言っているが関連がわからない。マリーが褒められて嬉しいんだとしたら、それは友愛や恋愛を超えて父性愛になってはいないだろうか。鼻たれサイコパスの考えることは分からないので考えるだけ無駄なのかもしれない。

その日の夜、父の機嫌は最悪だった。

「アマンディーヌよどういうことだ。あのバカ王子はマリーとかいう女と毎日会って仲良くしているそうだぞ。なぜおまえは城に行かない。どうしてあの女の接近を許す」

「……だってマリーはいい子ですもの」

容姿はもちろんだが、人に好かれる愛嬌もあり、目標のためなら努力できる子だ。彼女がそばにいてルシアン殿下がいい方向に変わるのだったらそっちがいいに決まっている。恐ろしい野心を抱く父を持ち、がみがみ叱るしか能のない女よりもよっぽど。

「ふざけるな!!」

頬を強く叩かれ、花瓶の水を頭からかけられたあと冷たい廊下にしばし立たされた。濡れた髪や服が体温を奪う。がちがちと歯が鳴るほど震えがくるが食いしばって耐えた。ここで泣きわめいても事態が好転することはない。無駄な体力を使うだけ。

そんなアマンディーヌを不憫に思って侍女が父にお願いしていたが、彼女も同じように頬を叩かれていた。

「ごめんなさい、わたくしのせいで痛い思いをさせたわね」

「いいえ、いいえ。力になれず申し訳ありません」

「あなたはいつだって良くしてくれるわ。十分よ」

アマンディーヌはその晩から高熱が出て寝込んでしまった。そのことを歯がゆく思った父にまた罵倒されたが、少しだけ胸がすく。父の望みはアマンディーヌの存在あってこそ。思い通りにならずどれだけ苛立ったところで父自身になす術は無いのだ。

だとしたらこのまま天へ旅立ってもいいのかもしれない。そうすればルシアン殿下を渦中に引き込むこともないだろう。お邪魔虫は退場し、殿下は愛らしいマリーと幸せに過ごす。そんな想像をしながらアマンディーヌは二日ほどベッドの住人となった。

そうして三日目はまたお城へ上がった。まだ万全とは言えないが父に無理やり送り出されたのだから仕方ない。

今日の四人のサプライズは一段と凝っていた。

わざわざ楽団を用意して小さな舞踏会を開いたのだ。メンバーはもちろんいつもの四人とアマンディーヌ。そして賑やかしのダンス要員に男女数名がいた。アマンディーヌの後ろには屋敷から一緒にきた侍女が控えている。体調が心配だといって着いてきてくれたのだ。正直ありがたい。

舞踏用に着飾った彼らがキラキラしてまぶしい。病み上がりにどんな拷問だろう。ここに座って見ていてと言われたので大人しく従うが、きっと殿下たちは昨日までアマンディーヌが高熱で意識朦朧としていたことは知らないだろう。知らなくていいけれど。

音楽に合わせて殿下とマリーが踊ってみせる。曲が変われば相手も変わり、マリーはケビンやレイモンとも踊っていた。彼らがこんな風に踊れるだなんて思ってもみなかった。ダンスなんて嫌だ恥ずかしいといって毎度逃げ回っていたのに。

(……え?)

なぜかルシアン殿下がアマンディーヌの前に跪き、ダンスの申し込みをしてきた。真剣な表情。うっすらと頬を染めて。マリーやケビンたちも期待した眼差しでアマンディーヌを見ている。わからない。勘違いしたくない。幼い頃からの見張り役に認めてもらおうという魂胆なのか。

「……申し訳ありません、体調が優れませんの。ダンスは無理ですわ」

断ったのは体調が悪いだけではない。

もう嫌なのだ。見せつけないでほしい。

アマンディーヌがいない幸せそうな未来など。

ルシアン殿下が顔を歪める。

今にも泣きだしそうに眉を下げて。

「それは俺が――私がバカだから、一緒にいるのが恥ずかしいから踊ってくれないのか」

「いいえ。でも今日はこれで失礼させてください」

「待て、待ってくれアマンディーヌ」

さっさと去ろうと立ち上がるが、急に動いたせいか目眩がした。視界が暗くなり四肢が思うように動かない。そのままくらりと体が傾く。

「お嬢さま!」

侍女の慌てた声。咄嗟に抱きとめたのはルシアン殿下。きっとすぐ近くにいたからだ。アマンディーヌの高い体温に驚いたのか、目を見開いている。

「熱があるのか?」

「……移してはいけませんから、手をお離しください」

一気に体調が悪くなってきた。ひどい頭痛がしてうまく考えることができない。

「発言をお許しください。お嬢さまはまだ体調が戻られていないのです。今朝だってまだ高い熱があったのに無理やり城へ――」

侍女と殿下が話しているのを遠くに感じながら、アマンディーヌはそっと意識を手放した。無意識にも、彼女の手はルシアンの服をぎゅっと握り締めていた。

ルシアン殿下並びにケビンとレイモンのバカ三人に振り回されるのは大変だったが、嫌なものではなかった。

確かに木に登ったり追いかけっこした挙句に罰ゲームを強要する悪童の相手は大変だった。しかし母を亡くした寂しさを感じずに済んだ時間でもあった。それにルシアン殿下はバカでアホだが、優しい面もきちんとある。

罰として手の平に受けた鞭のあとを「ころんだのか。ドジだなおまえ」と言い、見よう見まねの手当をしてくれた。下手だったけど嬉しかった。がさつでも毎年誕生日を祝ってくれた。走ったり笑ったり怒ったり、殿下といる時は年相応の子どもでいられた。

七色カブトムシ半分こ猟奇事件だって「カッコいい方をおまえにやる」との心遣いは嬉しかったのだ。心遣いは。

だからこそ父の企みが心底嫌で。

自分さえいなければ父の企みは潰える。ルシアン殿下は幸せになる。無能な王として傀儡になることもなく、成長させてくれる愛らしい人と一緒になれるのだ。

父の動向を伺っていたが、アマンディーヌの不甲斐なさをカバーするかのように不審な動きをしていた。夜な夜な似たような顔ぶれで集まり執務室で遅くまで話をしていたり、怪しげな商人と連絡をとったり。おそらく第二王子傀儡計画に邪魔な存在――現国王、第一王子、そして男爵令嬢マリーの排除に動いている。

未遂だとしても王族の命を狙ったとバレたら本人だけの命ではすまない。一族連座としてアマンディーヌの処刑は当然だろう。権威を守るため見せしめは必要だ。仮に助命を願いでたところで父親が謀反を企てた家の娘なんて厄介極まりない存在。ルシアン殿下との結婚なんてありえない。

アマンディーヌは現時点で詰んでいるのだ。

ルシアンと結ばれたら地獄。結ばれなければ長年の計画をダメにされたと父からなぶり殺されるだろう、つまりは地獄。父の企みを公にしてルシアンを守っても、アマンディーヌに待っているのは地獄。

(もしこの現状を打破できる人がいるとしたら……ものすごく頭の切れる人か……あるいは、人智を超えたバカね)

ふと瞼の裏に浮かぶのはルシアン殿下。

中庭で見上げた知らない横顔に胸がきゅっと締め付けられる。ありえないけれど、アマンディーヌの本心は殿下に助けてもらいたいと思っているようだ。だってあんな鼻水たらしていたクソガキでもアマンディーヌは好きだったから。エリソンド家という陰鬱な世界から助け出してくれるヒーローだったから。

好きだから陰謀に巻き込みたくなかった。けれど父親の意向は絶対で、恋心のぶんだけ板挟みに苦しんだ。だから恋慕を心の奥底に閉じ込めたのだ。

バカでどうしようもないけど優しい殿下。

どうかエリソンド家の悪意に絡めとられず幸せになってほしい。

(あの頃に戻りたいと思う日が来るなんて)

このままゆっくり空気に溶けて消えてしまえばいいのにな。そんなアマンディーヌの意識を引き戻したのはルシアンの声だった。

「アマンディーヌ……」

悲痛に満ちた声でルシアンが名を呼ぶ。

「おまえが初めてだったんだ。俺から目をそらさないで、悪いことしたら怒ってくれて、ずっと一緒にいてくれたのは」

枕元にいるのかぶつぶつと懺悔が聞こえてくる。もう二度と授業はさぼらないとか、かっこいい虫は二匹用意するとか、手当てをもっと上手くできるようになるとか、誰よりもアマンディーヌを大事にするとか。

「俺が悪かったアマンディーヌ……お願いだ、死なないでくれ」

バカだなあと思う。

こんな面倒くさい女、捨てたっていいだろうに。

「……気がついたのか、よかった……!」

だからアマンディーヌは教えてあげた。

自分の父の計画を。

もしかしたら国王や第一王子の命が危ないことも。

熱に浮かされながらの纏まらない話を殿下は一生懸命聞いてくれた。アマンディーヌの手を握りながら。

「……ごめんなさい殿下」

「いいや。絶対守る。待っていてくれ」

マリーの滞在期間が終わりを告げようとしていた。国王夫妻は小規模ながらも送別会を開くとして、王都周辺に住む貴族らを招待したらしい。

男爵令嬢としては破格の扱いだが、それほどマリーが王家に受け入れられたということだろう。第二王子の婚約者になるのではと密かに囁かれている。

奇しくもその日はアマンディーヌの誕生日でもあった。ルシアン殿下と婚約を結ぶはずだった日にマリー主役のパーティーとは、運命の皮肉を感じてしまう。

あれからすでに四日。ずっと体調が思わしくなく寝て過ごしていた。アマンディーヌは倒れてすぐ王城の客室に運ばれ、ずっとそこのお世話になっていた。一度も屋敷には帰っておらず父とも顔を合わせずに済んでいる。その間ルシアン殿下とも会っていない。

もしかしたら告げ口をしたのは夢での出来事だったのかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら侍女に手を引かれパーティー会場へと足を運んだ。

異変が起こったのはパーティーが始まって早々。

「エリソンド卿、貴様の悪だくみもここまでだ!」

突然ホールに響いたルシアン殿下の宣言。

エリソンド卿とはアマンディーヌの父だ。突然のことに困惑しているとケビンとレイモンが現れ、身を守るように側にいてくれる。

「いったいどういうことなのケビン」

「いいから見てて」

ケビンが視線で示す先にはルシアン殿下。そして彼に寄り添うマリーの姿があった。いや寄り添うというより共闘していると言った方が正しいかもしれない。

「エリソンド卿。そなたは我が親愛なる友人、男爵令嬢マリーを害そうとしたな。証拠は揃っている。言い逃れはできんぞ!」

「――は?」

それはそれはホールによく響く声だった。

そう、あのバカ王子は無駄に声が大きい。声音もいいし演説に向いている。父エリソンド卿の困惑した声もよく響いた。

「マリー嬢、証言を頼む」

「はい」

軽く自己紹介をしたあとマリーは言った。

「お城の廊下を歩いていたら、エリソンド卿にいきなり突き飛ばされたんです。痛かったですう……!」

ぽかんとしていたエリソンド卿だが、思い当たることがあったのか顔を真っ赤にして言い返した。

「ふ、ふざけるな! おまえが勝手に横へ飛んだんだ!」

「ひどいこといろいろ言われましたあ」

「その恥知らずな振る舞いを注意しただけだ!」

「お気に入りのバレッタも無理やり取られて」

「おまえが私に握らせただろう!」

「衣裳部屋にあったドレスもずたずたにされて」

「この私が婦女子の部屋に入るわけがない!!」

「それはエリソンド家の侍女さんがあなたに命令されたって白状してますう」

ひょこりと前へ出て頭を下げたのはアマンディーヌの侍女だった。いつの間に。そんなまさか。彼女はずっと付きっ切りで看病をしていてくれた。

「エリソンド卿、素直に罪を認めてくださあい」

「このような茶番は今すぐ止めろ! 誰か、誰かいないのか!」

激昂するエリソンド卿にマリーが瞳をうるませる。

「うう、そんなに睨まれたら怖い……」

マリーの怯える様子に会場全体の庇護欲が刺激される。こんな愛らしい少女にどうしてそんな事ができるのかと、非難の視線がエリソンド卿へ向けられた。

そんななか、壇上にいる殿下が一歩前へ出る。

「私とマリーの仲に嫉妬したのだろう。そなたの娘アマンディーヌは私の婚約者候補。マリーとの仲を邪推したあげく、殺害しようとするとはいくら親心だとて看過できるものではない! 衛兵、その者を捕えただちに牢へ入れよ!!」

びしいッと差した指の先にはわなわなと震える男がひとり。

「そんなバカな……!」

おそらくこの場にいた多くがそう思ったに違いない。そんなバカなと。アマンディーヌも思った。友人を傷つけた罪で投獄とは正気の沙汰ではない。しかし言ってのけたのがあのバカと名高い第二王子ルシアン殿下だ。宣言には妙な説得力があった。悪ふざけではなく真剣に友人を思って糾弾している。王族である彼が罪だというのなら、それは罪になりえるのかもしれない。

父エリソンド卿にとって痛手だったのはこの場に国王夫妻がいなかったことだ。一応あれでも表面上は従順な臣下の顔をしている。国王だって庇わないわけにはいかないだろう。だが実際は何をバカなことをと上から叱る者がおらず、王子の暴走を許している。

アマンディーヌにはこの場に国王夫妻がいないことが不思議に思えた。このパーティーの主催であるのに不在とはどういうことだ。

しかもエリソンド卿と同陣営の姿も見当たらない。まったくいないワケではないのだが、いるのは小物ばかりで、この場で異を唱えそうな豪傑は揃って席を外している。そういえば先ほど第一王子が幾人かを連れて遊戯室へ行ったような。

偶然というには不可解で出来過ぎている。

(いやいや、そんなまさか……)

衛兵が素直にルシアンの言うことを聞き、暴れるエリソンド卿を連れていった。会場は一気に騒然としたが、ルシアン殿下が「騒がせてすまなかった」とし会場を後にした。

アマンディーヌもケビンたちに連れられ、王城の一室で気持ちを落ち着かせている。

父エリソンド卿の罪は「マリーをいじめた」だが、事実関係を確認する上でより明確な罪があればそれで裁くことも可能だろう。もし国王暗殺などの証拠が出てきたら――

そんなアマンディーヌの心の内を知ってか知らずか、ケビンとレイモンが気遣うように言ってきた。

「殿下ね、兄上とお父上に頭を下げて頼まれたんだ。エリソンド卿は罰した上でアマンディーヌ様を守りたいって。その上でどうしたらいいか話し合いもたくさんして」

「俺ら元々がバカだし、バカやっても大目に見てもらえる。だからこんな事になっちゃったんだけど……」

「アマンディーヌ様が罪に問われることはないよ。殿下と結婚できないなんてこともない。だって表向きの罪状がマリー嬢のいじめだもん。裏でこっそり別の罪状で処罰されたとしても娘のアマンディーヌ様は関係ない」

にわかには信じられなかった。第一王子や国王の暗殺を企てた事実を知りながらもアマンディーヌを守ったということ? 大勢の前であんなバカみたいな断罪劇をして。バカの汚名を広げてまで。

ケビンとレイモンが深く頭を下げる。

「今まで手を煩わせて本当にすいませんでした。俺らも少しでもマシになるよう頑張ります。だからお願い、殿下を捨てないで」

「お願いしますアマンディーヌ様」

――コンコン。

扉が叩かれ、彼らへの返事はいったん保留となった。扉の先から顔を覗かせたのは殿下だ。

「ケビン、レイモン。ちょっと外してくれるか」

改めて顔を合わせると変な感じだ。

少し会わないうちにすっかり大人になったように見える。ふたりが部屋を出たのを確認し、アマンディーヌは立ち上がって淑女の礼をとった。

「……ありがとうございます、殿下」

「いや。あんな形になって申し訳ないというか、あれが精いっぱいで恰好つかないっていうか」

ルシアン殿下は居心地悪そうに首裏を掻いた。

聞くと、マリーをいじめた罪というのは半分でっち上げで半分は本当だった。ひどい言い掛かりをつけられたりドレスをダメにされたのは実際にあったらしい。侍女の証言に関しては、エリソンド家当主へ楯突く覚悟をした侍女の申し出を受け、演技を頼んだとのことだ。

その侍女が「どうかお嬢様をお助けください」と父エリソンド卿が行っていたアマンディーヌへの所業を聞き、マリーはとても怒ったという。ぜひとも協力させてほしいとも。

「もうきみがあの父親に振り回されることはない」

そして国王や第一王子まで巻き込みアマンディーヌを守るため動いたのが目の前のルシアン殿下。

「……今日はきみの誕生日で」

「はい」

「俺は――私は、ずっとこの日が待ち遠しくて」

「はい」

殿下が顔を上げまっすぐに見つめてくる。

「アマンディーヌ、誕生日おめでとう。これからも私と一緒にいてほしい。きみのいない人生なんて想像がつかないんだ」

そしてアマンディーヌの手を取り、懇願するようにきゅっと握りしめた。唯我独尊で周囲を振り回すことに定評があるこの男が、緊張で手を震わせて。

「私と婚約してほしい」

アマンディーヌの答えなんて決まっている。

「ええ、わたくしでよければ。喜んで」

目の端に涙を溜めながらにこりと笑顔を浮かべれば、つられて殿下も表情をぱあっと明るくする。見えない尻尾がぶんぶん振れているような気さえした。

「変なことをしたら容赦なく怒りますからね」

「……うん! うん!!」

マリーはその後、謎の才能を発揮して王国の内外を巡る外交官となったらしい。様々なイベントを開催しては恐ろしいほどの外貨を稼いでいると聞いた。マリーを含めた五人の交流はその後も長く続くことになる。

ケビンとレイモンも苦手な勉強をやり直し、側近と護衛になるべく研鑽を重ねている。ルシアン殿下も同様に様々なことを学んでいた。当主が不在となったエリソンド家に婿入りする為だ。

苦手に執着せず、得意な者に任せるのもまた才腕。その手の鼻が利くのかケビンもレイモンもルシアン殿下も、人材の発掘や登用が異様にうまかった。培った観察力なのか同種を嗅ぎ分けているのかは謎である。

誰かが言っていた。

あのバカ王子を賢くしてどうすんだと。しかしそれを言うのは決まって愚かな企みを抱いていた者。王子に賢くなってもらっては困る者だった。そんな奴らの言うことなど耳に入れる必要もない。

「まあルシアン様、今なんとおっしゃりましたの」

「あ、いや、そろそろ二人きりで外出とかって」

「まだ早いですわ。ルシアン様には今までサボった分の勉強がたくさんあるのですから」

「うう……わかった」

「ひと段落ついたらお出かけしてもいいですよ」

「アマンディーヌ!」

ふたりの仲にさほど進展はないものの。

前より柔らかいアマンディーヌの表情に、ルシアンは一層がんばった。

ルシアンの行った断罪劇はのちに広く民衆にまで知られ、おもしろおかしく語られていた。バカにする者もいれば親しみを持つ者もいるが総じて評判は悪くない。

しかし、いつからだろうか。

あれはルシアンがバカのフリをしていただけで、裏では渦めく陰謀から国を守ったのではないかと囁かれはじめた。あるいは兄君である現国王との王位争いを自ら降り、忠臣として国を支える表明だったのではと。

それは当のルシアンが家臣に恵まれた才気煥発な愛妻家と、もっぱらの評判だからかもしれない。