軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

信じる

蛇を象った金の指輪。

ライヌルの闇の力の根源となった、魔法具。

だが、いまやライヌルの制御を離れたその指輪からは、巨大な闇が膨れ上がっていた。

ものも言わずそちらに駆け出そうとしたアルマークが、つんのめるようにして地面に転がった。

「アルマーク!」

ウェンディが悲鳴を上げる。

「大丈夫」

アルマークは顔を上げ、地面に唾を吐いた。

「脚に力が入らない」

長剣を支えに上体を起こして、自分の足を掴む。

「……そうか」

以前、夜の森で闇の魔人ボラパを斬ったときもそうだった。

「魔法の効果が切れたのか」

脚に直接流し込まれた飛び足の術は、絶大な効果を発揮してアルマークに勝利をもたらしたが、その後で足の力を根こそぎ奪っていった。

アルマークはしばらくの間、立ち上がることさえできなかったのだ。

飛び足の術は今回もアルマークに勝利をもたらし、そしてそれと引き替えにアルマークの足の力を奪っていった。

ライヌルを倒すことに全てを注ぎ込んだのだ。次の何かが出てきてしまったのは、想定外だった。

めきめき、という鈍い音とともに、地面がきしんだ。

闇が、まるで巨大な龍の顎のように地面に食い込んでいた。この庭園それ自体を食い破らんとするような、無造作で圧倒的な暴力だった。

「まずい」

ライヌルが呻いた。

「あの闇は空中庭園を、いや、この異空間そのものを食い尽くす。君たちも、君たちの仲間も巻き込まれたらひとたまりもないぞ」

「なら、早くこの世界を閉じて」

ウェンディが叫ぶ。

「私たちをここから出して」

「ロデ夫人の魔鏡を」

ライヌルは魔法具の名を挙げた。

「この異空間を作っているのは、あの筒だ。あれを砕け」

「それはどこに」

「……あそこだ」

指差したのは、アルマークだった。

ライヌルのローブの切れ端とともに、小さな金属製の筒が地面の先に転がっていた。

だが、それはすでに闇に飲み込まれかけていた。

アルマークたちの目の前で、筒は闇の中にとぷんと沈んで消えた。

「くそ、同化された」

ライヌルが呻く。

「あとは、あの闇ごと消し飛ばすくらいしか方法はない」

そんなやり方は、方法があるとは言わない。

この場の誰にもそんなことができはしないことは分かっていた。

ただ一人を除いては。

「アルマーク」

ウェンディの声に、凛とした響きがあった。

「私がやるわ。もう一度、“門”を開ける」

驚きに振り向いたアルマークの目は、自分を見つめる強い瞳とぶつかった。

ああ、君は。

アルマークは心の底から感嘆する。

こんな時ですら、恐れはしないのか。

「アルマーク。マルスの杖を」

「だめだ」

アルマークは首を振った。

「これ以上、“門”を開くことはできない。君の身体が持たない」

先ほど、“門”を開いてあれほどの魔力を放ったばかりだ。ウェンディは話もできないほどに追い込まれていた。

さらに無理をさせるなんて、できるわけがなかった。

「その通りだ、ウェンディお嬢様」

ライヌルもしゃがれ声で言った。

「あなたの“門”の魔力は確かに凄い。だが、あれをもってしても、あの“喰らう闇”を一息に吹き飛ばすことはできないだろう。そして、それ以上の時間をかけるということは、あなたの肉体と精神の崩壊、すなわち“門”の崩壊を意味する」

ライヌルが話す間にも、闇がばきばきと音を立てて庭園を食んでいく。ライヌルの操っていた粘質の闇とはまるで違う、硬質の金属のような闇だった。

闇は、地面を食らうたびに大きくなっていく。

全てを呑み込んで吸収してしまう闇。

「ライヌル」

だが、ウェンディの声にはやはり怯えの響きはなかった。

「あなた、本気で思っているの?」

「……なに?」

「“門”の本当の力が、あの程度のものだと」

ウェンディとアルマークの視線が交錯する。

アルマークにも分かっていた。

“門”はまだ開く。

だが、それがウェンディの身体にどれだけの負荷をかけることになるのか、想像もつかなかった。

「だめだ」

答えの代わりに、アルマークは首を振った。

「こいつは僕が何とかする」

何とかできる算段など全くない。それでもアルマークは、杖代わりにしていた剣を持ち上げて、闇を睨んだ。

まだ、魔力はある。

僕とこの剣さえあれば。

不思議と、この剣があれば何とかできるような気がした。

「ありがとう、アルマーク」

ウェンディは言った。

「私の身体を気遣ってくれているのね。でも、大丈夫」

めしゃめしゃ、というこの世の終わりのような音を立てて、硬質の闇が膨れ上がる。空のほとんどを覆わんばかりに。

「私を信じて。アルマーク」

「ウェンディを信じてあげてね」

ウェンディの声と、あの少女の声が重なった。

アルマークはウェンディを見た。

その背後に、あの少女が立っていた。

闇に浮かび上がるような、白い肌。黒い髪は、もうすっかり夜の闇と同化してしまっていた。

「私は大丈夫。約束するわ」

ウェンディは言った。

「だから、“門”を開いて」

「信じることを、恐れないで」

少女が言った。少しだけ、哀しそうな顔で。

「お願い、アルマーク」

二人の声が重なった。

それに導かれるように、アルマークは背中のマルスの杖を抜いた。

信じろ、だって?

こんなにも傷ついた君にまだ頼らなきゃならないこと。

それを、僕は「信じる」なんて言葉で呼ばなければならないのか。

それでもアルマークは、ウェンディを“信じた”。

歯を食いしばり、よろけるようにして彼女に歩み寄ると、その胸にそっと杖を当てた。

ごめん、ウェンディ。

祈りにも似た魔力を、強く強く込める。

それに呼応するように、背後の少女がそっとウェンディの肩を抱いた。

「ありがとう」

それは、果たしてどちらの少女の声だったのか。

次の瞬間、ウェンディの身体に再び爆発的な魔力が宿った。

「これは」

ライヌルが呻く。

「これほどか。これほどのものなのか、“門”の少女の力とは」

先ほどの自分との戦いなど、比べものにならない。あれがまだ全力ではなかったということに、ライヌルは驚愕する。

人ならざる力だと分かってはいたが。

まさか、ここまで超越的だとは。

そのとき、アルマークたちの足元に地割れの大きなひびが入った。隙間から、遥か眼下の地上が垣間見える。

「やるのならば、急げ」

ライヌルは言った。

「もう、この空中庭園は限界だ」

ウェンディが真っ直ぐに両腕を突き出す。

迷いのない動き。

きれいだ、とアルマークは思った。

余分なもののない、シンプルな動き。腕を突き出すというたったそれだけの動作が、どうしてこんなにも美しいのか。どうしてこんなにも僕の心を震わせるのか。

ウェンディの腕から、溢れ出すように光が放たれた。

ライヌルとの戦いの比ではなかった。

地上にもう一つの太陽が生まれたかのようだった。

硬質の闇は、抵抗するようにその鎌首をもたげたが、“暗き淵の君”の無限の魔力の前ではそれはもはや何の意味も持たなかった。

闇が消し飛んでいく凄まじい爆発とともに、目に見えない異空間の壁が砕ける音がした。