軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ひとり

ぱきゃっ、と乾いた音を立てて、小壜が地面で粉々に砕け散った。

「ああっ」

ライヌルは呻く。

「何ということを」

小壜から一瞬、しゅうっと煙のようなものが上がる。

せっかく封じ込めたはずのアルマークの魂が、その身体へと戻っていく。

「……ふむ」

暗い剣士の目をしたアルマークは、わずかに首を捻った。

「今まさに魂を抜かれたばかりだからか、それとも貴様の魔法が未熟だからか」

そう言って、自分の手を握ったり開いたりする。

「元の魂が身体に馴染むのに、もうしばらくかかりそうだな」

「お前は……何者だ」

ライヌルはもう一度尋ねた。

「なぜその少年の中にいる。聞いたことがないぞ、鍵の護り手がふたつの魂を持っているなどという話は」

「先ほども言ったはずだがな。我が名はアルマーク」

アルマークは答えた。

「今がいつの時代かは分からぬが、かつてガイベル王国において随一の剣士と称された男だ」

「ガイベルなどという古王国の剣士が、なぜ」

「そうか。やはりガイベルはもうないのか」

ライヌルの言葉にアルマークは頷く。

「まあそれは薄々分かっていた。結局のところ、この少年が真剣に相手を思いやった末に生まれたのが俺なのだから」

「分からない」

ライヌルは首を振った。

「お前の言っていることは、何一つ分からない」

「まあ、そうであろうな」

アルマークはさらりと言って、背後を振り返る。

「ウェンディ」

ライヌルに対するのとはうって変わった優しい声色で、アルマークはウェンディに呼びかけた。

「分かるぞ。お前もそこにいるのだな」

「な、なに」

ライヌルはうろたえた。

「そっちにも誰かいるというのか」

「ああ、そうか」

虚ろなウェンディの目を見て、アルマークは少し哀しそうな顔をする。

「お前の身体には、俺のほうよりもう少し上等な魔法がかけられているのか。だから俺のようには動けぬか」

アルマークは頷き、ライヌルに向き直った。

「ならばこの身体を動かせるうちに、お前に薄汚い魔法をかけた魔術師を打ち据えておくとするか」

「イルミスか」

ライヌルは言った。

「イルミスが君の身体に何か小賢しい護りの魔法をかけていたということか。私の襲撃を予期して」

「誰だ、その男は」

アルマークは微かに眉根を寄せてそう答えた。

「そんなことよりも、いいのか」

「何」

ライヌルは目を見開く。

「何がだ」

「こんな間合いでいいのかと言ってるんだ」

アルマークがそう言った瞬間、マルスの杖が空を切り裂いた。

一切情け容赦のない、縦横無尽の打撃がライヌルを襲う。

自分でも何度打たれたのか分からないほど無数の打撃を受けて、ライヌルはその場に崩れ落ちた。

「ここは騎士と剣士の間合いだ」

アルマークは闇の魔術師を見下ろし、乾いた声で言った。

「魔術師ならば、もう少し離れたほうが良かろう」

「ぐふうっ」

地面に這いつくばり、ライヌルは血を吐いた。と思ったが、口からこぼれてきたのは汚泥のような闇だけだった。

「こんなところで、わけの分からぬ輩に邪魔をされて」

ライヌルは両手を地面に突いて、唸るように声を絞り出す。

「積み上げてきた遠大な計画が、わけも分からぬままに失敗するというのか」

許せん、とライヌルは呟いた。

「何があっても、最後に立っているのは私でなければならない」

どぼどぼと闇が地面にこぼれた。

それを見たアルマークが顔をしかめる。

許せん、とライヌルはもう一度呟く。

「私だ。最後に立っているのは、この私だ」

自分に言い聞かせるように言いながら、ライヌルは立ち上がった。

「人の形をした闇か」

アルマークは言った。

「己をそこまでさせるほどの渇望が、お前にはあったということだな」

「分かったようなことを」

ライヌルの灰色のローブはもはや、汚泥のような闇に包まれてほとんど見えなかった。

「マルスの杖はもういい。お前を殺せば私が新たな所有者になれるかもしれぬ」

その目に狂気を宿らせ、ライヌルが叫ぶ。

「あわれ」

アルマークは言った。

「光を求めることを諦めて自ら目を閉じた者に、太陽の光は決して届かぬぞ」

「ほざけ」

ライヌルが右手を振り上げた。

闇に包まれた腕の先に、金色の蛇の指輪だけがいまだに鈍い光を放っていた。

地中から突如湧き出した闇を、アルマークは飛び退いてかわす。

そのままアルマークは振り返ると、ウェンディの手を引いて走り出した。

「ばかめ、逃がすか!」

ライヌルは跳んだ。

両足に人ならざる力が満ちて、ライヌルは走る二人のすぐ背後に着地した。

激情にかられ、もはや魔法を使うことも忘れたかのようにライヌルが黒き腕を振るう。

「一人ではだめだ、闇の魔術師よ」

それを軽やかにかわし、アルマークは言った。

「一人では、道を誤る」

その言葉とともに振るわれたマルスの杖が、ライヌルの腕を打つ。闇に覆われているはずの腕に鋭い痛みが走った。

「この俺のようにな」

「ぬうっ」

ライヌルの攻撃をひらりとかわし、アルマークはウェンディを庇うように距離を取ると微笑んだ。

「そろそろ時間だ、魔術師」

アルマークは言った。

「後の決着は、この少年と付けよ」

その言葉と同時にアルマークの目から、剣士の暗い荒々しさが消えた。

代わりに戻ってきたのは、先ほどまでの北の少年の目の輝きだった。

ありがとう、剣士アルマーク。

アルマークはまだ心の中のどこかにいるのであろう、その剣士に感謝した。

全てを糧とせよ、と言ったのはイルミスだった。

アルマークはまたその言葉を思い返していた。

そうだ。僕は全てを糧として、ここに立っている。

魔術祭のあの舞台さえも、生き残るために必要なことだったんだ。

この学院での生活に、無駄なことなど一つもなかった。

そして。

アルマークはウェンディの横顔を見た。

やっと、ここまで来たよ。ウェンディ。

目の前でライヌルが苦しそうに喘いでいた。

「ああ、くそ。闇が」

ライヌルは呻いた。

「思考が鈍る。まだ早い」

ライヌルは何かを振り切るように頭を振る。そのたびに油のような闇が舞った。

「こんなところで闇に呑まれている場合ではない」

肩で息をしながら、ライヌルは呼吸を整える。

アルマークはそれを静かに見つめた。

やがてライヌルは目を閉じて、ひとつ大きな深呼吸をした。

闇が身体の中へと引いていき、灰色のローブが再び露わになる。

首も、左手も、アルマークに受けた全ての傷がすっかり消え失せていた。

「見苦しいところを見せたね、アルマーク君」

ライヌルは穏やかな声で言った。

「君の力が予想外過ぎたせいで、私としたことが少し取り乱してしまったよ」

アルマークは答えない。

「私が落ち着くまで待ってくれてありがとう」

ライヌルは言った。

「君が突然古代の剣士に身体を貸したりするものだから、驚いてしまったんだ。だが思ったよりも持続時間の短い魔法だったね」

そう言って、口元にまた笑みを浮かべる。

「それも学院長かイルミスの小賢しい策なんだろう。私が自分の身体に魔法を仕込んでおいたように、彼らが君の身体に魔法を仕込んでいた。魂を抜かれそうになったら発動する魔法をね。そうなんだろう」

「ライヌル」

アルマークは静かに言った。

「これは魔法じゃない。強いて言うなら、僕とウェンディの絆の証だ」

「何だって」

ライヌルの笑みが引きつった。

「言葉は人に分かるように使うものだよ、アルマーク君。魔法でなく絆? いったい何を言ってるんだ」

「あなたには説明しても分からない」

アルマークは答えた。

「だってあなたは、独りだから」

「それもイルミスの教えかね」

ライヌルは吐き捨てた。

「仲間がどうとか友情がどうとか。そんな甘いことを言っていたあの男は今、向こうで無様に転がっているよ。あんな負け犬よりも私の言葉にこそ真実があると、なぜそう思わないのかね」

アルマークは無言で首を振る。

ライヌルは鼻を鳴らした。

「ふん、まあいいさ。だがアルマーク君。いろいろあったが、これでまた振り出しだよ」

ライヌルは両腕を広げた。

「ウェンディお嬢様の魂の入った小壜は変わらずあの台座の上にある。そして私はまだ君の前にこうして立ちはだかっている。君の乾坤一擲の一撃も、謎の剣士の登場も、みな無駄になってしまったよ」

そう言って、楽しくて仕方ないというように笑う。

「さあ、今度こそ魔術師同士の勝負をしようじゃないか。野蛮な傭兵やら剣士やらの戦いじゃなくてね。きちんと評価してあげるよ。君の魔法のいいところ、悪いところを。その上で君の意識を根こそぎ刈り取って、杖ごとその身体を持ち帰らせてもらうとするよ」

ライヌルの身体の中で魔力が膨れ上がる。

だがアルマークは動じなかった。

アルマークは、この庭園に登ってくるときに金髪のクラス委員が掛けてくれた言葉を思い出していた。

忘れるな、アルマーク。君は一人じゃないからな。

およそウォリスらしくない言葉。

あのウォリスが、君は一人じゃない、僕らがついてるぞ、なんて優しい言葉をアルマークに掛けるわけがない。

だからそれは、言葉通りの意味だった。

「ライヌル。張り切っているところを悪いんだけど」

アルマークは言った。

「この勝負はもう終わっているんだ。僕らの勝ちなんだ」

「なに」

「あなたはやっぱりイルミス先生に遠く及ばない。だってイルミス先生なら絶対に気付くはずだから」

アルマークは今日までの学院生活を思い出す。

目立つ生徒。目立たない生徒。優秀な生徒。落ちこぼれそうな生徒。

イルミスはいつでも全ての生徒にきちんと目を向けてくれた。

学院の理念が平等だというのなら、アルマークにとってイルミスこそがその象徴だった。

「彼がいないじゃないかってことに」

アルマークがライヌルの背後に目を向ける。ライヌルは弾かれたように振り向いた。

台座の前に、見覚えのない少年がいた。

学院のローブをまとった、取り立てて特徴のない顔の生徒。

その少年が、ウェンディの魂の入った小壜を手に持っていた。

「僕は、あなたの注意をこっちに引き付けるだけでよかった」

アルマークは言った。

それすらも命懸けではあったけれど。

「誰だ」

呆然と、ライヌルが呟く。

「どうしてここに、ほかの生徒が」

「初等部三年二組随一の、姿消しの名手を紹介するよ」

アルマークは言った。

「ピルマン」

その声にピルマンは微笑むと、小壜の蓋を開けた。