作品タイトル不明
指示
焦げ臭い匂いが辺り一面に漂っている。
架空の森。
だが、その匂いは間違いなく鼻腔の奥を衝いてくる。
ここは現実世界のどこかではないが、起こる現象は本物だ。
プラーを包んでいた炎は、その肉体の消滅とともにたちまち勢いを衰えさせ、じきに消えた。
そこに残ったのは、まるで先ほどまで炎の中にあったとは思えないほどに眩く輝く、深紅の宝玉。
「おお」
フィッケがおそるおそるそれに近付く。
「これが、プラーの正体か」
「気を付けろ、フィッケ」
同じく歩み寄ってきたエメリアが声をかける。
「まだ熱いかもしれないぞ」
「ああ」
フィッケは頷いて宝玉の前にしゃがみこんだ。
「見たところ、熱くはなさそうだけどな」
そう言って、おそるおそる手を伸ばす。
「おい、本当に気を付けろよ」
「分かってるって」
エメリアの警告にそう答えて、フィッケは指で、ちょん、と石の表面に触れた。
「お?」
眉を上げて、もう一度、今度は大胆に触れる。
「熱くない」
フィッケは顔を上げてエメリアを見た。
「熱くないぜ、エメリア」
そう言って、石を掴み上げる。
「ほら、アイン。この石持てる……」
フィッケの言葉が不自然に途切れた。
「アイン!」
フィッケの叫び声にエメリアがはっとアインを振り返った。
ちょうど、地面に座り込んだアインがずるずると倒れ込むところだった。
「しっかりしろ」
素早く駆け寄ったエメリアがその背中を支える。
アインの真っ青な汗まみれの顔を見て、エメリアは唇を噛んだ。
「少し横になれ」
そう言うと、アインの身体を丁寧に横たえ、自分の膝にその頭をそっと載せる。
「アイン」
泣きそうな顔で駆け寄ってきたフィッケも、アインの顔を覗き込んだ。
「しっかりしてくれよ」
「大丈夫だ」
アインは答えた。
「この程度、命を懸けたうちに入らない」
だが、先ほどプラーに掴まれた腕がじんじんと痛んでいた。
ああ。あんな風に意地を張るのは僕らしくなかったか。
アインは薄く笑った。
心配そうに眉を寄せるエメリアの顔の向こうに、青い空が見える。
アルマーク。
アインは、北からやって来た少年の顔を思い浮かべた。
前回は、君に頼りきりだった。命を懸ける戦いの何たるかも、まるで分かっていなかった。だから今回は自分なりに身体を張ってみたつもりだったが。
だが、似合わないことはしないに限るな。
命を懸けようとすればするほど、君の凄さばかりが分かった。
アインの視界が薄れ、ぼやけてくる。
「アイン」
エメリアの声が、すぐ上から降ってきた。
「あいつに掴まれた腕が、ひどいやけどだ。治癒術を使うぞ」
「すまない」
目を開けていることもできず、エメリアの膝に頭を預けたままでアインは答えた。
「頼む」
「俺は、血を止める」
フィッケの声がした。
「ローブを脱がすぞ」
そっちはかすり傷だと、さっきも言っただろう。
アインはそう言おうとしたが、もう身体がうまく動かなかった。
怪我ばかりのせいではない。
魔力を使いすぎた。
他の優秀な生徒たちに比べて、相対的に魔力の量が少ないことは、実はアインの隠れた引け目だった。だから、エルデイン戦のときのように感情に任せて大きな魔法を繰り出すような愚はさけたつもりだった。
それでも、最後の強風の術は、少し無理をしすぎた。
「返事してくれよ、アイン」
フィッケの声が歪む。
「アインがいなきゃだめなんだ。指示してくれよ、俺に。その通りに動くから」
「フィッケ」
エメリアが、彼女にしては穏やかな口調でたしなめた。
「アインに無理をさせるな」
「だってよ」
フィッケが悲痛な声で答える。
「アインがいなきゃ、次にどうしていいか分からねえ」
「治癒術を手分けしてかければいい」
諭すようにエメリアが言う。
「大丈夫だ。こいつはアインだぞ」
そうだ。僕はアインだ。
心の中でアインは頷く。
僕はアイン・ティムガバンだ。
1組の独裁者。全てを自分で決め、全ての責任も自分で負う。
その僕が、こんなところで。たかが一人の敵を相手に、一度命を懸けたくらいでこのざまとは。
「あ、ああ。そうだよな」
フィッケがアインの隣にしゃがみこむ音がした。
「そうだよ。アインだもんな」
フィッケの手がアインのローブに触れる。歯を食いしばって、アインは目を開けた。
僕は僕の仕事をする。
さっき別れる前に、アルマークにそう啖呵を切ったのは誰だ。
「フィッケ」
「アイン!」
叫んだフィッケは、目に涙を溜めていた。
「よかった。大丈夫か」
「大丈夫なわけがないだろ」
エメリアが口を挟む。
「無理するな。目を閉じていろ、アイン」
だがアインは首を上げ、フィッケを見た。
「フィッケ。僕の指示を出す」
「ああ」
崩れるようにフィッケが頷いた。
「出してくれ。何でもする」
「その石を」
アインは目だけを動かして、フィッケが手に持つ赤い宝玉を見た。
「大至急、ウェンディのもとへ」
その言葉に、フィッケの目から涙がこぼれる。
「アインを置いていけるかよ」
「石が一つでも戻れば、きっとウェンディの力になる」
そこまで言ったところで、もう首を上げていることができなくなった。
アインはエメリアの膝に頭を落とし、それでも言った。
「行け。フィッケ。1組のクラス委員の」
視界が霞む。くそ。情けない。
「アインの指示だ」
一瞬の沈黙の後、フィッケの立ち上がる気配があった。
「分かった。行くよ」
フィッケの声はもう歪んではいなかった。
「この宝玉を、ウェンディのところに届ける」
いいぞ。
アインは心の中で頷く。
それでこそ、僕のフィッケだ。
「その後で、またここに戻ってくるから。絶対、戻ってくるから!」
それはいらない。そう言おうとしたが、もうフィッケの気配は隣になかった。足音がたちまち遠ざかっていく。
「速いな」
呆れたように、エメリアが言った。
「意地っ張りだ。お前ら二人とも」
腕にエメリアの手が押し当てられる感触。
じわり、と痛みが鈍くなる。
ありがとう。エメリア。
心の中で、そう感謝する。
それにしても。
ああ、心配だ。
先ほど別れてきた1組の面々が、アインの心に次々に浮かんだ。
別れるとき、チェルシャは不安そうな顔をしていた。
ラープスやブレンズではうまくフォローできないだろう。広い視野で見られるのはムルカしかいない。ちゃんとまとめてくれているといいが。
コールとフレインはどうせこんな時でも競い合ってけんかするに決まっている。しばらくは周りを賑やかにしてくれるが、あまりそのままにしておいたら必ず大きな失敗をする。そうなる前に誰かが止めないと。
止められるのはカラーあたりだが、今はそんな余裕はないだろう。
カラーのあんな辛そうな表情を見るのは初めてだった。
支えてやらなければならない。アリアを傍にいさせるか。
男子にはどんどん仕事を回すんだ。不安なんか感じている暇もないくらいに。
ああ。やらなければならないことはたくさんあるのに。
1組は僕のクラスだ。僕がこんなところで寝ていてどうする。
情けない。
ウォリスなら、もっとうまくやるのだろうな。
……負け犬、か。
「どうせ、目を閉じていてもごちゃごちゃと考えてるんだろう」
エメリアの低い声が、頭上からした。
「しばらく何も考えるな」
ぶっきらぼうな、だがエメリアらしからぬ優しい声だった。
「大丈夫だ。私たちが何とかする」
君たちが何とかするだって?
アインは心の中で渋面を作る。
そんなことを言い出す方が、よほど心配だ。
考えることをやめたら、僕は僕ではなくなる。
意識を失う最後の最後まで考え続けるのが、僕だ。
ああ、心配だ。
腕が、じんわりと温かくなっていく。それとともに、痛みが少しずつ遠ざかる。
僕は、僕の仕事をする。
アインの意識は、そこで途切れた。
「剣を合わせテ」
青い体毛の猿が、獣訛りの言葉を喋った。
それに呼応するように、青い目、青い髪の男がゆっくりと剣を上げる。
男と対峙してその剣に自らの剣を合わせたのは、ポロイスだった。
「待て待て、待て!」
キリーブが頭を抱えて叫んだ。
「よせ、やめろ! 武術大会じゃないんだぞ」
「うるせえぞ、キリーブ」
腕を組んだコルエンが楽しそうに言った。
「始まるだろうが。静かにしろ」
「ばかか。お前ら全員狂ってるのか。何をしてるんだ」
キリーブは叫んだ。
「僕はこんなことやるなんて言ってないからな!」