軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

旋律

「歌か」

アルマークは腕を組んだ。

「僕は、歌ってものをまともに歌ったことがないからな」

「そうなの?」

リルティが不思議そうに言う。

「学院に来る前も?」

「うん」

アルマークは頷く。

「こっちに来るまでは、歌を歌うような環境じゃなかったからね」

その言葉にリルティは目を瞬かせる。

「歌のない環境」

それは楽師の両親を持つリルティには想像のつかないことなのだろう。

「でもそれじゃあ、授業で歌わせの術の練習をしたときはどうしたの」

「ペアになったモーゲンに歌ってもらったよ」

アルマークは答える。

「それを布に込めた」

「そうなんだ」

「ああ。魔唱の術の練習のときもネルソンの歌に魔力を乗せたんだ」

「そう。自分では歌わなかったのね」

リルティは少し考える素振りをした。

「人の歌に魔力を乗せるほうが簡単だし、魔法のコントロールに集中できるのはそのとおりなの。でも、自分の歌に魔力を乗せればもっと自在に歌に魔力を行き渡らせられるんだよ」

声は相変わらず小さいが、しっかりとした口調でリルティは言う。

「先生も授業でそう言っていたね」

アルマークは頷いた。

「でも、それは高度な技術だって」

「うん。歌いながら魔法を使うから。慣れないと大変なの」

リルティもそう答えて頷く。

「だけど他の人の歌声に魔力を乗せるほうが本当は高度だと思う。もちろん普通にやればある程度の魔力は乗るけど、本当の歌の力は、歌う人と魔力を乗せる人、二人のイメージがしっかりと一致していないと発揮できないから」

好きな音楽の話になると、リルティも饒舌になる。

「なるほど、そうか。その点、自分の歌なら」

「うん。魔力を乗せる時にイメージがずれることはないでしょ」

リルティは頷くと、アルマークに微笑んだ。

「じゃあ、まずは私が見本を見せるね」

「歌ってくれるのか」

アルマークも微笑んで、一歩脇へよける。

「君の歌は大好きだ」

リルティは照れたように首を振ってから、真剣な表情になって、すう、と息を吸った。

一瞬の後、リルティの口から美しい歌声が流れ出す。

アルマークは、ほう、と感嘆の息を吐いた。

それは、初夏の森林の風景を歌った歌だった。

アルマークが初めて耳にする歌だ。

だが、リルティの歌声とともに、アルマークの目の前に雄大な風景のイメージが広がる。

はるかかなたまで続く緑の大森林。

その中の、大きく枝を広げた巨木の根本に立って、葉擦れの音を聞いている。

歌いながら、リルティがちらりとアルマークを見た。

これから魔力を乗せるよ、という合図だった。

リルティの歌声が不思議な輝きを帯びる。

もちろん、声は目には見えない。

だが、リルティの歌声の変化は、輝きを増したとしか表現できないものだった。

それとともに、アルマークは自分の心が軽くなっていくのを感じた。

まるで今自分が、冬の夜の校舎裏の木陰ではなく、本当に初夏の木漏れ日の下にいるかのような感覚。

さわやかな風が吹き渡る。

歌が心を解放していく。

リルティが歌い終わると、アルマークは思わず拍手していた。

「すごいよ、リルティ。ただでさえ素晴らしい歌声なのに、魔力を乗せたらさらに」

「魔法の効果はどう?」

さっきまでの声量はどこへやら、リルティは消え入りそうな小さな声で尋ねる。

「私の歌を聴いて、何か変化があったでしょ?」

「心がすうっと軽くなったよ」

アルマークは答える。

「不安が消えていくっていうか」

「よかった」

リルティは微笑む。

「歌の力って、とても強いから。時々、こっちが予想していない効果を生むことがあるの」

「そうなのか」

アルマークは目を見張る。

「でも、僕には歌詞のとおりの、緑の森林が見えたよ」

「それは、素直に歌ったから」

リルティはぽつりと言った。

「歌詞はもちろん大事だけど、私は、歌って旋律だと思ってるの」

「え?」

「もう一度、歌うね」

戸惑うアルマークをよそに、リルティは再び口を開いた。

歌い始めたのは、さっきと同じ歌だ。けれど、何かが違う。

少しだけ曲調が物悲しさを帯びている。

そこにリルティが魔力を乗せた。

「あっ」

アルマークは思わず声を上げた。

リルティの歌声が、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを伴ってアルマークを包み込む。

その緊張感。

アルマークの脳裏に浮かんだのは、初夏の木漏れ日などではない。

心が凍りつくような、どこかの家庭の冷たい食卓。

厳しい顔つきの母親に見張られるようにして、男の子が恐る恐る食事に手を伸ばす。

会話はない。子供が何か食事の規則を犯したときだけ母親の振るう短い鞭の音だけが響く。

リルティが歌っているのは、さっきと同じ歌詞なのに。

見せられたのは、それとは全く別の風景。

アルマークの心に霧のように暗い気持ちが湧き上がる。

歌い終わったリルティを、アルマークは呆然と見た。

「言葉じゃないのか」

「うん」

リルティは頷く。

「旋律の力が、言葉の力を超えるの。その言葉の意味を、時には旋律が増幅させるし、時には蹂躙もする」

言葉が世界を広げてくれた。

それはノリシュの言葉だった。

アルマークにも不思議な新鮮さを伴って響いた言葉だった。

世界を広げるために、アルマークは自分の足で、腕で、自らの力で実際に世界を切り開いてきた。

けれど、想像のできないことではなかった。

アルマークだって、言葉の持つ力、その重要さは知っていた。

いろいろな人の言葉に、何度も救われてきた。

だから、とっさに感覚で理解はできなくとも、そういうこともあるだろうな、と頭で理解することができた。

だが今、リルティがアルマークに垣間見せてくれたもの。

音楽の力。

言葉の意味とまるで相反することを、旋律によって平然と描き出して見せた。

それはアルマークにはまだ想像もつかない世界だった。

「ノリシュはこれが苦手なの」

リルティはアルマークの心を読んだかのように言った。

「ノリシュは、言葉をすごく大事にするから。どうしても、歌詞の言葉の意味に縛られちゃう」

「君は、違うのかい」

アルマークは尋ねる。

「歌詞の意味に縛られずに歌っているのかい」

「歌詞の意味を尊重して歌うのが、私も一番好きだよ」

リルティは答えた。

「でも、歌詞をただの音として歌うこともできる」

「それって、歌としてどうなんだい」

「人によってはあまりいい感じはしないかもしれない。ノリシュみたいに言葉を大事にする人にとっては」

リルティは少し寂しそうに笑う。

「時と場合によるのかも。でも、歌詞を意味のある言葉としてじゃなくて、旋律を奏でるための単なる音だと捉えたら」

リルティの目が、不思議な力強さを持ってアルマークを見た。

「旋律の持つ力を最大限に引き出せるの」

「そうしたら、さっきみたいなこともできるのかい」

「うん」

リルティは頷く。

「魔法を使う時は魔力を自分が描いたイメージに乗せるでしょ。それと同じ。旋律を、イメージに乗せるの。それが歌詞の意味と近いなら乗せやすいし、遠ければ乗せづらい。だけど、どちらも不可能じゃない。ただ、それだけの話」

「すごい世界だ」

アルマークは首を振った。

「そんなこと考えたこともなかった。旋律それ自体が意味を持ってるなんて」

山のことを歌うなら山のことを、海のことを歌うなら海のことを考える。それが当たり前なのだろうと思っていた。

「考えたことはないかもしれないけど、あなたにも分かると思う」

リルティは言った。

「音楽堂であなたは音楽を聴いて涙を流したでしょ? あの音楽に歌詞はあった?」

「……なかった」

そうか。

その曲を耳にしただけで広がるイメージ。

僕はあの曲を聴いてすぐに、草原を疾駆する傭兵の一団を思い浮かべた。

それは旋律そのものがそういう意味、イメージを持っていたからだ。

「あの曲に、歌詞があったらどう?」

リルティはそう言って、アルマークを見る。

分からない。

アルマークは首を振る。

リルティはちらりと微笑むと、また歌い始めた。

『草原の傭兵』

それは、あの日アルマークが涙を流した北の曲だった。

一度聴いただけの曲の旋律を、リルティがこともなげに再現してみせたことにまず驚く。

その旋律に合わせて、リルティが歌う歌詞は、アルマークの想像とはかけ離れたものだった。

恋人同士の出会い。ほのかな恋心。

言葉の意味は、確かにそうだった。そしてリルティも決して手を抜いているわけではなく、情熱的に歌っている。

だが、アルマークの脳裏からは疾駆する傭兵たちの姿が消えなかった。恋人たちの姿は浮かんではこなかった。

「……どう?」

歌い終わると、リルティはアルマークを見た。

「すごい」

アルマークは素直に答えた。

「世界が変わったみたいだ」

「大げさだけど」

リルティは微笑む。

「でも音楽は、その人の世界を変えることがあるって」

それはきっとリルティの両親の言葉なのだろう。

「僕も歌ってみたくなった」

アルマークは言った。

「いいかな、リルティ」

「うん」

リルティは頷いた。

「私も聴いてみたい。アルマークの歌」