軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

(閑話)銀の旋風

入ってきたのは、場末の荒くれ者たちが集まる酒場には似つかわしくない、身なりのいい男だった。

だが、その顔はやつれ、疲れきっているように見えた。

「どなたか。どなたでも構いません」

男は入ってくるなり、誰にともなく懇願するように言った。

「奥様を救ってくださる方はいらっしゃいませんか」

その言葉に、少なからず興味を覚えた酔客たちから、声があがる。

「なんだ、面白そうじゃねえか。こっちに来て詳しく話してみろ」

問われるがままに男が語ったのは、こんな話だった。

ある貴族の奥方が、敵方との密通の疑いをかけられた。

怒り狂う貴族に、奥方は懸命に身の潔白を訴えた。

貴族はその弁明を信じなかったが、奥方の必死さに折れて、最後にこう言った。

「そこまで言うのならば、よかろう。お前の言葉が真実ならば、お前には神々の助けがあることだろう。騎士オーグレーと決闘をして勝てる勇士を今日より30日以内に探してまいれ。その勇士がオーグレーに勝てば、お前を潔白と認めよう。ただし勇士を連れてこられなければお前の首をはねる。連れてきた勇士がオーグレーに勝てなければお前の胸を裂く」

騎士オーグレーはその貴族の配下で一番の勇士であるとともに、今回の件の告発者でもあった。

その密告は、自分の好意をすげなく撥ね付けた奥方に対する彼の復讐だというのが、奥方の主張だった。

奥方の味方は、嫁ぐ前から仕える忠実な従者ただ一人だった。

直ちにその従者を近隣の街へ遣わして勇士を募ったが、誰もがオーグレーの名を聞くだけで顔を伏せた。

意を決した従者は、オーグレーの名の届かぬ遠く離れたこの街へとやって来たのだ。

確かに、この酒場でオーグレーの名に怯える者はいなかった。

だが、誰もがその話を聞くと、鼻で笑って首を横に振った。

あからさまに罵る者もいた。

哀れな奥方は、オーグレーを破って自らの命を救ったという名誉以外には、その勇士に差し出せる何物をも持ち合わせていなかったのだ。

だから、その話を聞いたバルテが名乗り出たとき、従者は狂喜した。

隣で一緒に耳を傾けていた連れの少年が、バルテの服の裾を引っ張って止めたのも当然だろう。

「やめておけよ、バルテ。あんたに何の得もないじゃないか」

「剣の腕は立つが、やっぱりまだガキだな。アルマークは」

バルテはそう言って、少年の顔を覗き込んで笑った。

「お礼に金銀財宝でも積まれるってんなら、俺はこんな話は受けないさ。何も見返りがない。誰も手を出さない。だからいいんじゃないか」

旅の途中で一緒になったこの剣士のこういう性格は、アルマークにも、もう嫌というほど分かっていた。

騎士になることを夢見るバルテは、確かに剣の腕前はアルマークよりも遥かに上だったが、今までよく生き残ってこれたなとアルマークでも感心するほどのお人好しで、何の得にもならないような揉め事にちょくちょく首を突っ込んだ。

成り行き上それに付き合わされるアルマークは、たまったものではなかった。

「名誉と誇りがあればいい。それでこそ騎士だろう」

騎士でもなんでもない単なる旅の剣士バルテは、傭兵上がりのアルマーク少年のうんざり顔に向かっていつもそう嘯いた。

だから、バルテがこの従者の話に心を動かされ、疑いをかけられた奥方とやらにいたく同情したところで不思議はなかったのだが。

「相手が悪いだろう。騎士オーグレー。僕も名前くらいは聞いたことがあるぞ」

アルマークはそう忠告した。

戦場の情報に敏い傭兵ならではの知識がアルマークにはあった。

「ばかでかい斧を軽々と振り回すって話だ。あんたは確かに強いけど、何の報酬もなしで戦うような相手じゃない」

「ますます最高じゃないか」

バルテはアルマークの肩を叩いた。

「俺の騎士物語はここから始まるわけだ」

それに、とバルテは付け加えた。

「お前だってメノーバー海峡を渡るなら、どうせあそこは通り道だろう」

アルマークはぐっと詰まった。

確かにその貴族の領地はアルマークが南へ向かう道中で、通らなければならない土地だった。

結局、アルマークが折れた。

拝まんばかりに感謝する従者とともに、バルテとアルマークは旅路を急いだ。

その貴族の領地までは、徒歩で7日。

そして、貴族と奥方の約束の日もまた7日後だったからだ。

旅の途中、バルテはアルマークに語り続けた。

見返りのない場面で示す勇気こそが、真の勇気だ。

それを示せる勇士こそが、北の勇猛な神々の祝福を受けるに相応しい真の騎士なのだと。

傭兵の息子として生まれ、既にいくつもの戦場を経験していたアルマークにとっては、バルテの語る理想論は薄っぺらく聞こえた。

「いろいろ言ってるけど、結局、要はあんたも騎士として成功したいんだろ?」

アルマークの冷めた問いに、バルテは楽しそうに首を振ったものだ。

「確かに俺は騎士として成功したい。だが、それは多分お前が思ってる成功とは違うぜ、アルマーク」

7日後、その貴族が領主を務めている街に着いたとき、すでに広場には処刑台が設けられ、奥方は処刑人に引き出される寸前だった。

「お待ちください、どうかお待ちください」

従者は叫びながら、群衆を掻き分けて領主の前に進み出た。

「奥様の潔白を証明する勇士を連れてまいりました。どうか、お待ちを」

領主は驚いたように目を剥いた。

その傍らに控える巨漢が、騎士オーグレーだった。

「哀れな淑女の身と魂の潔白を証明するために」

群衆の背後から、バルテは堂々と声を張り上げた。

「騎士バルテ。参上仕った」

「勝手に騎士を名乗るなよ」

小さな声でアルマークが言うが、バルテはどこ吹く風だ。

「なあに。騎士と決闘するからには、もう俺は騎士だ」

「参れ。騎士バルテとやら」

領主が重々しく告げ、群衆の波が割れた。

アルマークたちの目にも、領主とオーグレー、それに処刑人に挟まれて跪く一人の女性が見えた。

「女神のようだ」

バルテは言った。

「そうかな」

アルマークは同意しなかった。

だが、やつれてはいるものの、その女性には奪うことのできない気高さが宿っているのはアルマークにも分かった。

「やるぜ、アルマーク。俺はあの奥方を救ってみせる」

バルテがそう言って、腰の剣の柄を握り締めた。

「ほどほどにやりなよ」

アルマークは言った。

処刑場となるはずだった広場は、一転して決闘場となった。

群衆が遠巻きに見守る中、バルテは騎士として堂々と領主の前で名乗りを上げ、次に奥方の前に跪き、厳かに名乗った。

バルテの従者という扱いでその後ろをついてまわったアルマークの耳にも、奥方がか細い声で、だがはっきりと、

「私は無実です」

と言うのが聞こえた。

「どうかお心を強くお持ちください」

バルテは言った。

「辛い時間はもう長くはありませんぞ」

「お頼み申しあげます。騎士バルテ様」

奥方がそう言った時、バルテに浮かんだ表情をなんと表現していいのか、アルマークには分からなかった。

決闘は、最初は音に聞こえた勇士であるオーグレーの猛攻から幕を開けた。

常人では持ち上げることさえ困難な巨大な斧を軽々と振り回し、オーグレーはバルテに迫った。

しかし、バルテはその苛烈な攻撃を、剣一本で全て受け流してみせる。

とらえどころのない、風のような剣捌き。

アルマークが何度かかっていっても敵わないバルテの剣技が、今日は特に冴えていた。

“銀の旋風”という、バルテが自称している二つ名はまるで世間に広まっていないが、それはともかく、その名に恥じない戦いぶりだった。

やがてオーグレーの疲労で、斧の勢いが弱まる。

その一瞬の隙をついて、バルテの剣がオーグレーの首元に突き付けられた。

オーグレーの顔が歪む。

バルテが剣をさらにぴたりと突き付けると、オーグレーは斧を地面に投げ出した。

勝利を確信して、バルテが剣をゆっくりと下ろした、その瞬間だった。

オーグレーが腰の短剣を素早く抜いた。

一瞬の出来事だった。

オーグレーの短剣がバルテの脇腹に深々と突き刺さっていた。

「バルテ!」

アルマークが叫んだが、バルテはうめき声一つ洩らさなかった。

短剣を持つオーグレーの手首を左手で掴むと、そのまま握り締めた。

オーグレーの顔が驚愕に歪んだ。

みしり、という骨の軋む音。

オーグレーが苦痛の叫びを上げた。

「言え」

バルテは言った。

「真実を」

オーグレーが首を振る。

その腕がばきり、と音を立て、オーグレーが絶叫してもバルテは手を離さなかった。

「それとも神の御前で真実を述べるか」

「分かった」

ついにオーグレーは認めた。

自分の告発は虚偽であった、と。

その後、潔白の証を立てた奥方がどうなったのか。

領主の前で虚偽の告発を認めたオーグレーがどうなったのか。

アルマークは知らない。

興味もなかった。

ただ、その日の夜遅く、バルテは死んだ。

最後までバルテは満足そうな笑みを浮かべていた。

「俺は満足だよ、アルマーク。淑女を救って、騎士として死ねるんだからな」

バルテは死の床でそう言った。

「俺の気持ちが分かるか、アルマーク」

「分からない」

アルマークは首を振った。

だが、面倒ごとに巻き込まれてもなお、この男と旅路をともにすることを選んだのは何故だったのか、その理由を思い出していた。

決して口に出すことはなかったが、北の人間には珍しいその打算のない生き方が、アルマークには不思議と眩しく見えたのだった。

今、こんなところでこの男を失うことがたまらなく悲しかった。

「あんたはバカなことをしたと僕は今でも思う」

アルマークは言った。

「見ず知らずの貴族の女のためにあんたが戦う必要なんて、これっぽっちもなかった。でも、なんでだろう。あんたが何かものすごく尊いことをやったんじゃないかって、そんな気もするんだ」

「お前にも分かるときが来るさ、いずれ」

バルテは優しい目で言った。

「俺の物語は、あの奥方と従者、それにお前が知っている。俺はそれで満足だ」

「忘れないよ」

もうバルテが助からないことはアルマークにも分かった。

「“旋風の騎士”。それとも“銀の騎士”。あんたの二つ名はどちらがいい」

そう尋ねると、バルテは、遠くを見るような目で微笑んだ。

「そうだな、俺は……」

それが最後だった。

バルテがアルマークの問いに答えることはもう永遠になかった。

翌朝早く、従者にバルテの埋葬を頼み、アルマークは街を発った。

打算なく、誰かの命を守ること。

その意味が、アルマークにはまだよく分からなかった。

だが悲しみを振り切るように旅路を急ぐ少年の脳裏には、銀の鎧をまとい、冷たい風に吹かれて微笑む勇敢な騎士の姿が浮かんでは消えた。