作品タイトル不明
蛙
ラドマールが黒い小箱を開くと、箱の中に封じ込められていた腐臭が一気に広がる。
「なに、この臭い」
フィタが顔をしかめた。
「何かが腐ってるみたいだ」
ザップも言う。
「二人とも下がって」
ウェンディが鋭く叫んで、庇うように二人の前に立つ。
「これが僕の本当の力だ!」
ラドマールの声とともに、黒い影が躍った。
斬れない。
アルマークは剣の柄から手を離して後ろに飛びずさった。
大人くらいの大きさの不定形の黒い塊が、さっきまでアルマークのいた地面をえぐった。
「ちぃっ」
アルマークは舌打ちする。
また剣の通じない何かか。
「ラドマール、やめなさい!」
ウェンディが叫ぶ。
「そんなもの、その箱に早くしまって!」
「これが僕の力だ」
ラドマールはそう言って、その闇を誇らしげに見た。
ぶよぶよとした不定形の黒い塊が、地面でまるで呼吸するかのように収縮している。
ラドマールはアルマークたち全員をぐるりと見回す。
「お前たちは誰も使えないだろう、こんな力を。これが王族の、僕の本当の能力だ」
その間にアルマークは、ウェンディたち二人と素早く目で合図を交わしあっていた。
「さあ、よく見ろ」
ラドマールがそう言って右手をあげると、黒い塊が蛙のように跳ねた。
アルマークが再び飛びのき、塊が着地した地面が大きくえぐれる。
闇は、それ自体に何か衝撃力のようなものをまとっているようだった。
もし触れたら、生身ではひとたまりもないだろう。
「これが君の能力だって?」
アルマークはラドマールを見た。
「こんな、蛙みたいな醜いものが?」
ラドマールの顔が歪む。
「それじゃあ君はさしずめ、蛙の王様か」
「貴様!」
ラドマールが右手を大きく振った。
アルマークは身を翻して森の奥に走り出す。
「追え!」
ラドマールは血走った目で叫んだ。
「あいつが僕の敵だ! 殺せ!」
蛙のような黒い塊が、驚くほど俊敏にアルマークを追っていく。
アルマークはその攻撃をかわしながら、徐々にラドマールから離れていく。
「ちょこまかと逃げやがって」
ラドマールが余裕の笑みを見せる。
「それがお前にはお似合いだ。逃げ惑え」
だが、その瞬間ラドマールの小箱を持つ左手に何かが巻き付いた。
「あっ?」
ほぼ同時に右手と両足にも何かが巻き付く。
「アルマークにばかり気を取られすぎだよ」
モーゲンだった。
いつの間にか杖を構えて、四本のツタを同時に操っていた。
「は、離せ!」
モーゲンのツタくくりの術で、たちまちのうちに自由を奪われたラドマールの左手に握られた小箱が、突然、宙に浮く。
ウェンディの物体浮遊の術だ。
「やめろ、返せ!」
ラドマールが叫ぶ。
「返せません」
ウェンディはきっぱりと言うと、アルマークを振り返る。
「アルマーク、こっちは押さえたよ。そっちは大丈夫?」
「ありがとう、さすがだ」
言いながら、アルマークは動きを止めた黒い塊から距離をとる。
「ウェンディ、その箱には触らない方がいい。この黒いのも、このままでももう動かなそうだけど、これだけ闇の魔力を発散させればじきにイルミス先生たちも来ると思う。それまでは箱も浮かせたままにしておこう」
「分かった」
ウェンディが頷く。
「モーゲン、二人を少し離れたところに連れていってもらっていいかな」
「任せて」
モーゲンがザップとフィタを道の向こう、ラドマールの姿が見えない場所へと誘導していく。
「あれ、何?」
フィタが強ばった顔で尋ねるが、モーゲンは
「さあ、なんだろうね。僕は蛙に似てると思うけどフィタは何に見えた?」
などとふわりとごまかす。
アルマークは自分の右手にちらりと目をやって、首をかしげた。
「どうしたの、アルマーク」
「いや」
ウェンディに首を振り、アルマークはラドマールに向き直る。
「ラドマール、君は自分の本当の力を僕たちに見せると言ったね」
アルマークは静かに首を振る。
「その箱の力は、君の力ではないよ。それは闇の力だ」
その言葉にラドマールが目を剥く。
「誰からもらったのか知らないけど、自分の本当の力っていうのは、そんな簡単に人から与えてもらえるものじゃない」
「うるさい!」
ラドマールが叫ぶ。
「お前に何が分かる。お前のような人間に」
「分かるさ」
アルマークは静かに言う。
「今日の君を見ていれば、それだけでもある程度のことは分かる。今夜、君は何一つ挑戦をしなかった。何一つ感謝もしなかった」
「僕には、才能がある。お前らとは違う才能が」
ラドマールは言いながら、身をよじってツタを切ろうともがくが、モーゲンはラドマールの身体にツタを巻き付ける際に、きこりの使う自力ではほどけない結び目を作っていた。
「きっと君には才能がある」
アルマークはラドマールの言葉に頷く。
「今ここに君がいるのがその何よりの証拠だ。でも、磨かない才能に意味はない。実際に自分で挑戦してみなければ今の実力も分からない」
アルマークはラドマールの血走った目を見た。
「学ばなきゃダメだ。君には、ここで学ぶことがたくさんあるんだ、ラドマール。僕だってまだここに来たばかりだ。話を聞くよ」
話を聞く。
アルマークの意外な言葉にラドマールの動きが止まる。
「同じ学年に仲間がいないなら、僕たちが話を聞く」
アルマークはラドマールから目をそらさなかった。
「ラドマール。一緒に学ぼう」
「……僕は」
一瞬、ラドマールの目がアルマークに何かを訴えたように見えた。
しかし、その直後、アルマークたちの背後で闇の塊が蠢いた。
「くそっ」
ラドマールが歯軋りした。
表情が一変していた。
「殺してやる」
「よせ、ラドマール」
アルマークが鋭い声で警告する。
「負の感情に身を委ねちゃダメだ」
「うるさい!」
ラドマールは叫んだ。
「平民ごときに僕の何が分かる」
「ラドマール、落ち着いて。話を聞いて」
ウェンディが呼び掛ける。
ラドマールは血走った目をウェンディに向けた。
「よく見ておけ。王の力を」
ラドマールが大きく口を開けた。
叫んだ声は、人の声には思えなかった。
それによく似た声を、アルマークは知っていた。
闇の魔獣たちの鳴き声。
その声に合わせて、突如、動かなくなっていたはずの黒い塊が大きく跳んだ。
ラドマールの方へ。
「ラドマール!」
ウェンディが悲痛な叫びをあげる。
黒い塊がラドマールの口に吸い込まれていく。
「闇を、体内に」
ウェンディが絶句する。
ラドマールの身体に巻き付いていたツタが、ぶちぶちと音を立てて切れていく。
「ウェンディ、下がって」
アルマークがウェンディの前に出る。
闇を吸い込んでも、ラドマールの見た目は変わったようには見えなかった。
だが、その身体から感じる魔力の巨大さよ。
ツタを全て引きちぎり、自由を取り戻したラドマールは、にやりと笑った。
その表情だけは、邪悪なものに一変していた。
「殺してやるぞ、愚民ども」
何もしていなくても、ラドマールの身体の中に凄まじい魔力が渦巻いているのが分かる。
それは、闇の力を取り込んだせいだけではないだろう。
これが、ラドマールの能力。磨かれなかった才能。
「ウェンディ」
アルマークは剣を抜いた。
「一瞬で決めたい。協力してくれるかい」
「もちろん」
ウェンディは頷くと、魔法で浮かべていた黒い小箱を、そのままはるか後方に放り捨てる。
「でも、一瞬で?」
「殺してやるっていうのは、きっとラドマールの本心じゃない。闇に心を乗っ取られかけてるんだ」
アルマークはそう言って痛ましそうにラドマールを見る。
「僕はあの姿をイルミス先生たちに見せたくない。ラドマールにはまだ学院で学ぶべきことがある。先生が来る前に何とかしてやりたい」
「前から思っていたけど」
ウェンディは緊迫した中でわずかに口許を緩める。
「あなたって欲張りだと思う」
「そうかな」
「でも、そういうところが素敵だとも思う」
「ありがとう」
アルマークも一瞬だけ微笑む。
「僕が引き付ける。君は彼と闇を分離してほしい」
ウェンディにちらりと目を向ける。
「できるかい」
「足手まといにはならない」
ウェンディは答えた。
「頼って」
「分かった」
小さく頷き、アルマークが地面を蹴った。