作品タイトル不明
試練
「ああ、その棒……」
アルマークは目を見張った。
夏期休暇中に、マイアからもらった棒。
「この棒、一体何なんですか」
そう言いながら、アルマークは右手で棒を握る。
やはり、手にしっくりと馴染む。
「マイアさんが、たまたまくれた棒なんです」
「たまたま、というのが重要だったということだな」
ヨーログが言う。
「それは、運命と言い換えることもできる」
「えっ」
「運命だ」
ヨーログは力を込めてもう一度言った。
「その棒は、たまたまとか偶然などということで誰かの所有物になることは、決してない」
「どういうことですか」
アルマークは尋ねる。
不意に、手の中の棒が重さを増したような錯覚を覚える。
「君は、その棒に所有者として選ばれたのだよ」
ヨーログは重々しく宣言した。
「その棒の正式な名は、マルスの杖。遥か昔から伝わる伝説に近い魔法具だ」
「この棒が」
アルマークは、手の中の棒を見る。
見た目には何の変哲もない、ただの頑丈そうな棒だ。
「マルスの杖は所有者と共に成長する」
ヨーログは言う。
「所有者次第で魔術師の杖にもなるし、君が寮で敵を倒した時のように打撃武器にもなる。所有者の意を汲み、それに適した力を発揮する。君次第で何にでもなる杖だ」
「何にでもなる、杖」
「そうだ」
ヨーログが頷くと、イルミスが眉をひそめてちらりとその顔を見た。
アルマークは困惑を隠さず、ヨーログに尋ねる。
「なぜ、僕が選ばれたんですか」
「それは私にも分からない」
ヨーログは首を振る。
「君の中の何かが、この杖に共鳴したのだろう」
「共鳴……ですか」
この、使い慣れた長剣のように手に馴染む感じ。
これを、共鳴と呼ぶのだろうか。
そんな単純なことで、伝説の魔法具を手に入れることができるのか。
運がいいのか、悪いのか。
しかし、とヨーログが続ける。
「ひとたび闇の勢力がその杖を手に入れれば、杖は闇の力を自在に増幅させることができるようになるだろう。それは大災厄、とまではいかなくても大きな災いを呼ぶことを意味する」
「闇の勢力」
アルマークはヨーログの顔を見る。
「それが僕にはよく分かりません。なんとなく悪いやつらだということは分かるんですが」
「“暗き淵の君”に連なる者たちだ」
ヨーログは言った。
「この世界の事象を司る小なる16の一つ、暗き淵を支配する君主の眷族」
「小なる16」
それは、この学院に来て初めて受けたフィーアの授業で聞いた言葉だった。
この世界を作った大なる4と、その間を埋めた中なる8、そこから派生した小なる16。
「小なる、といっても、我々人間などとは比べるべくもない、神、と呼ばれる存在に等しい遥か高次元の存在だ。闇の故郷、暗き淵の君主。それを信奉する者たちが、いわゆる闇の勢力だ」
急にひどく大きな話をされ、アルマークは戸惑う。
「ええと、つまり僕の持っていたこの棒は、その暗き淵の君に連なる闇の勢力に狙われているということですか」
「そうだ」
ヨーログは頷く。
「マルスの杖の所有者が君と定まった以上、彼らはその杖に手出しすることはできない。だからこそ、銅貨の魔術師なんぞを用意してその膨大な魔力と引き換えに杖の記憶を上書きしようとした。所有者を上書きしようとしたのだ」
アルマークは、自分の部屋でこの棒に魔力を注ぎ込んでいた銅貨の魔術師の姿を思い出す。
そういえば銀貨の魔術師も、自分ではこの棒に触れないと言っていた。
「しかし連中にも、君がこの杖の所有者だということが分かった。だから次に狙うのは、君の命だ」
「僕の命」
アルマークは繰り返す。
「それでは、僕はどうすればいいんですか」
アルマークの問いに、ヨーログは厳しい顔を向ける。
「アルマーク。君には酷な話だが、君がその杖の所有者に選ばれてしまった以上、今後も試練が襲いかかってくることは避けられん」
そう言って、アルマークの持つマルスの杖に目を向ける。
「だから、君はその杖とともに強くならなければならない。試練は、この学院の中に隠された罠かもしれぬ。外からやって来る新たな脅威かもしれぬ。いずれにせよ、君はその杖とともに、試練に立ち向かい、闇の勢力に負けない力を身に付けねばならんのだ」
もちろん、とヨーログは付け加える。
「我々も出来る限りの援助は惜しまない。君の身に最悪の危険が及ばぬよう……」
「強くなれるんですね」
ヨーログの言葉をアルマークが遮った。
ヨーログがアルマークの顔を見る。
「このマルスの杖と一緒に試練をくぐり抜けていけば、僕は強くなれるんですね」
「ああ、そうだ。君も、杖も成長する」
「それならよかった」
アルマークは微笑んだ。
エルデインとの戦いで、自分の非力さをまた痛感したところだった。
剣を振るい、魔法を操っても、闇の魔獣一匹満足に倒すことができなかった。
目が覚めたあとのウェンディの涙を見て、冬の屋敷でバーハーブ家の執事、ウォードと交わした約束をアルマークは改めて思い出していた。
僕は、弱い。
力も、知恵も、僕には何もかもが足りない。
「僕は強くなりたいんです」
アルマークはヨーログに言った。
「早く。出来るだけ早く」
ほう、とヨーログが応じる。
「それはなぜかね」
「守りたい人がいるんです」
アルマークの答えにヨーログは虚を衝かれた顔をした。
「守りたい人?」
「はい。僕には、守りたい人がいるんです。その人を守ると約束したんです。早く、その人を守れるだけの力を身に付けたい」
ウォードから受けた信頼。
自分が北の傭兵の息子だと知っても、なお自分の一番大事なものを託してくれた。
僕への信頼。
それを裏切ることは北の傭兵の、父さんの息子であることをやめることだ。
受けた恩は返す。
天の神々に恥じぬ自分。
だからこそ、傭兵たちはことあるごとに口にする。
天の神々も照覧あれ、と。
ウェンディを守る。
その言葉に込められた意味。
その言葉を口にするとき、アルマークの中にはウォードとの約束以上に強く沸き起こる感情があったが、彼はあえてそれに気付かない振りをした。
アルマークは、ヨーログの目をまっすぐに見て、言い切った。
「僕は命の危険には慣れています。だから、向こうから試練が来てくれるならそれに越したことはない。僕を強くしてくれる試練なら大歓迎です。強くなれるなら、何度死にかけたって構わない」
ヨーログは無言で頷き、しばらくアルマークの顔を見つめた後で、苦笑混じりに呟いた。
「君には何度も驚かされる。君の前では、運命という言葉も陳腐に聞こえるな」
ヨーログはアルマークに、謎の少女の正体については分からないということ、そして今回の件と前回の件が宮廷魔術師ライヌルによるものだとは断定できないということを話した。
「何せ相手は王太子付きの魔術師だ。証拠も何もない。ことは慎重を要する」
ヨーログの言葉に、傍らのイルミスは思案顔で沈黙している。
「しかし十分気を付けねばならない。君ももし学院で怪しいものを見付けた時は、今回のように学生だけで対処しようとは思わないことだ。必ず先生に報告しなさい」
「分かりました」
アルマークは頷いた。
自分はともかく、クラスメイトたちを今回のフィッケやアインのように危険に晒すわけにはいかない。
「マルスの杖はまた君に預けよう。君とともに成長する杖だからね。こちらで新たに強い守りの術を施しておいたので、この間のようなことはもう起きないはずだ」
「ありがとうございます」
アルマークは改めてその杖を握り直す。
マルスの杖。
伝説の魔法具。
僕次第でどのようにも成長する杖。
「君にはまだ杖の扱い方は教えていない」
イルミスがアルマークの心を見透かしたように言う。
「私が教えるまでは、マルスの杖を通して魔法を使ったりしないように」
「わかっています」
慌ててアルマークは頷いた。
それからもう一度、杖を見た。
この杖とともに、強くなる。
強くなって、ウェンディを守る。
それが、父さんの望んだ、立派な魔術師になることにもつながるはずだ。
アルマークが去ったあとの学院長室。
すっかり暗くなった室内で、ランプの灯りもともさず、ヨーログとイルミスはしばらく無言でそれぞれの思索に耽っていた。
やがて、沈黙を破ってイルミスが口を開いた。
「学院長に深いお考えがあるのは承知の上で、お尋ねしますが」
意識して感情を出さないよう努めているのだろうが、どうしても非難めいた口調になってしまうのを隠せない。
「構わんよ」
ヨーログが頷いて続きを促す。
イルミスは一呼吸おいて、疑問を学院長にぶつけた。
「なぜ、アルマークに真実を告げないのです」
その言葉に、ヨーログはちらりとイルミスを見る。
「真実」
「はい」
イルミスは頷く。
「アルマークに言っておられましたね。マルスの杖は何にでもなる杖だと。その説明はあまりに一面的過ぎます」
イルミスは首を振る。
「なぜ、きちんと伝えないのです。マルスの杖の本質はそんなところにはなく、あれは」
「まだ、その時期ではないからだよ」
ヨーログはイルミスの言葉を遮った。
「彼は強い。とても強い子だけれども、それでも背負えるものと背負いきれぬものがある」
ヨーログは、指を折りながら呟く。
「誇り。勇気。仲間。絆。恋。感謝。誓い。……闇に立ち向かうには強さだけでは足りない。彼にも、まだ時間が必要だ」
それから、ふと柔和な顔になってイルミスを見る。
「君たちのおかげで、子供たちは正しい方向へと向かっている。ありがとう。イルミス先生」
「……いえ」
「自分でも分かる。私はろくな死に方はせんだろう」
ヨーログは自嘲めいた笑みを浮かべたあと、首を振った。
「それでもまだ彼には告げられんよ。マルスの杖が、“門”を開ける“鍵”であるということは」