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それは、最低の求婚だった。

作者: あんど もあ

本文

それは、最低の求婚だった。

18歳と16歳の子爵令嬢の姉妹に「どちらでもいいから」と 傲岸不遜(ごうがんふそん) に申し込まれた縁談は、今は息子に爵位を譲って隠居して孫もいるという48歳の元伯爵の後妻という不遇な縁組。

本来ならば「 侮(あなど) られた!」と怒り、断って当然の縁談なのだが、多額の支度金が支払われ持参金も不要という好条件に子爵家は飛び付いた。

嫁ぐのはもちろん、地味な容姿の姉娘だ。

姉娘は文句も言わずに縁談を受け入れ、ほとんど嫁入り道具も用意されないまま嫁いで行った。

ペトラが哀れな姉に再会したのは、数ヶ月後の夜会でだった。

「あら! 三十歳も年上のおじ様に嫁いだお姉様! 結婚生活はいかが?」

周りが注目するくらいの声量で挨拶する妹に、姉のルイーゼはおっとりと答える。

「とても幸せにやっているわ。こんなに幸せでいいのかと思うくらい」

その笑顔が嘘では無いと語っている。

繊細なレースが影を落とすドレスの裾を少し持ち上げて

「新しいドレスなんて五年ぶりなの。いつもあなたやお母様のお下がりを着ていたでしょう?」

と、ルイーゼは体を揺らしてなめらかな衣擦れの音を楽しむ。

ルイーゼのためのドレスを仕立てるために、夫と夫の息子の嫁がああでも無いこうでも無いとデザイナーと打ち合わせている。ルイーゼは、その風景をまるで夢を見ているように傍観していた。

「もう! お義母様のドレスなんですよ?」

と、年上の義理の娘に叱られても夢の中のようで嬉しい。

このドレスはルイーゼの幸せの象徴だった。

ルイーゼのドレスが自分のドレスよりずっと高級品だと、さんざんドレスを買ってきたペトラにはすぐ分かった。帰ったらもっといいドレスを仕立てよう。

そしてルイーゼも、ペトラが対抗心を持つだろうと分かっていた。でも、もう 諫(いさ) めたり我慢するようには言わない。

自分はもう子爵家に関係無いのだから。

ルイーゼの苦労は、自称「世の中の流れを読む才能がある」投資好きの父と、浪費を浪費と思っていない母と妹に囲まれた事だった。

唯一経済観念のあるルイーゼは、必然的に執事と一緒に子爵家のやり繰りに頭を痛める事になる。使用人を減らすために、自分の事は自分でやった。

たまに入ってくる父の投資の配当と、次々と届く母と妹の買い物の請求書。子爵家の経済は、いつも綱渡りのようだった。

そんなある日、買い物かごを下げて買い物に出掛けたルイーゼの前を歩いていた男性が、馬車の車輪が弾いた泥水を外套に浴びた。

思わず駆け寄って自分のハンカチを外套に当てて泥水を吸い込ませるルイーゼ。

お礼を言う男性にルイーゼは、

「このまま乾かしてから洗濯に出して下さいね」

と、言って泥だらけになったハンカチを持って買い物に去った。

翌週、人の良さそうな丸顔の中年男性に声を掛けられた時には、ルイーゼはそんな事があったのを忘れていた。

汚したハンカチの代わりのハンカチを、と用意された物がどう見ても高級品店の包装紙なので戸惑っているルイーゼに、男性は先代のベルフラン伯爵だと名乗った。

なるほどそれなら、とルイーゼも名乗ってありがたく受け取った。

だが、ルイーゼの名に、子爵令嬢なのに侍女も付けずに自ら買い物に来ているのか?と、ベルフランは不審に思ったのだろう。

お礼にと近くのカフェでのお茶とケーキのご馳走を提案し、ルイーゼも子爵家では口に出来ないケーキの誘惑に勝てなかった。

そして、その後も“たまたま”二人は出会う事があり、その度にルイーゼはお茶とケーキに誘われた。

ルイーゼの話から、少しずつベルフランはルイーゼの置かれた状況を理解して行く。

ある日、ベルフランは「大切な話がある」とルイーゼをカフェの個室に案内した。

「君は、あの家から離れた方がいいと思うんだ」

「はい、私も離れたいです。でも、どうやったらいいのか……」

いくら節約しても、あの三人が散財する限り綱渡りは終わらない。無事に支払いが済んでほっとしたらまた請求書が届き、少し余裕が出来たと思ったら父が投資にぶち込んでしまう。

「君に仕事を紹介する事も考えた。だが、そうしたら彼らは今度は君の給料を当てにするだろう」

「……はい。きっとそうですね」

「なので、結婚して家を離れるのが一番だと思うんだ」

「それはそうですが、そもそも相手が……。うちの経済事情じゃ持参金もろくに用意出来ませんし」

自慢では無いが、家に縁談が来た事すら無い。

「私が相手ではどうだろう」

ルイーゼは驚いてベルフランを見る。

「てっきり奥様がいるとばかり……」

息子に伯爵位を譲って隠居した、と聞いていたので当然妻がいるのだと思っていた。五年前に亡くなってると初めて知った。

「もちろん、これは君が家から逃れるための偽装結婚、いや、契約結婚だ。君には指一本触れないよ」

「え……? それでは私にしかメリットが無いのでは?」

「私には、三十歳も若い嫁をもらったという名誉が与えられる。きっと全貴族男性から羨ましいと思われるぞ」

愉快そうに言われても、やはり申し訳ない。

でも、今まで一人で必死に 足掻(あが) いていた自分には、誰かに守ってもらえる人生なんて夢のようだ。

「いずれ、君が本当に好きな人と結ばれる日が来るよ」

その言葉に、自分はこの人に妻として見られる対象では無いのだと、少し寂しく思ったルイーゼだった。

ベルフラン家に嫁いでからは驚きの連続だった。

ベルフランの息子夫婦に 蔑(さげす) まれる事を覚悟していたのに、二人はルイーゼを歓迎し、離れを新婚の二人の新居に準備していて、中にはちゃんとルイーゼの部屋が用意されていた。

息子夫婦は、普段は「ルイーゼさん」と呼ぶが、人前ではわざと「お義母さん」と呼んでルイーゼを尊重している事を周りに見せつけてくれる。

息子夫婦の幼い娘と息子も、新しく出来たお姉さんに懐いた。

食事は、朝食と昼食は毎回本邸から離れに運ばれてきて、夕食は本邸で皆と一緒に食べていたのだが、朝食と昼食をわざわざ運んでもらうのが申し訳ないとルイーゼが離れのキッチンで作る事にした。

もうルイーゼが買い物に行く必要はないのだが、時々ベルフランと街に買いに行ってカフェでお茶とケーキを楽しむ。

昼食には時々息子夫妻の子供たちが招待され、凝った料理では無いが、動物の形に盛り付けられたり、花や星の形に切られた野菜に大喜びの子供達と食卓を囲む。

お菓子作りに挑戦を始めたルイーゼは、「これは夫のつとめです」と 歪(いびつ) に膨らんだり固すぎた失敗作をベルフランに食べさせて笑い合った。

ここには、支払いに心をすり減らす事のない、ルイーゼが欲しかった穏やかな日々があった。

幸せに微笑むルイーゼと納得していない顔のペトラとの間に、ベルフランによく似た丸顔の青年が割り込んで来た。

「義母上。父が悪友たちに捕まって『若い後妻をもらった』ともみくちゃにされてますよ」

ベルフランの息子、ラルフだ。

「まあ! 若い後妻としては助けに行かないと」

ラルフは既に爵位を継いで、妻も子供もいる。なので逆に、父が再婚して子供が出来ても後継者争いなど起きる事はないので再婚を祝福した。

母を亡くしてから気力を失った父が最近よく出かけるようになったとは気づいていたが、実は彼女と“偶然”出会うためで、彼女を後添えにもらいたいと思っていると言われた時は、五年目にしてやっと気力が戻ったかと安心したものだ。それが三十歳年下の令嬢で、さらに契約結婚と聞いた時はさすがに驚いたが。

それでも、父が自分の生きる意義を見つけてくれたのは嬉しい。

既に家を出ている弟と妹には、

「不遇な令嬢を助けたいと思っているうちに愛になったそうだ」

とだけ伝えた。「あの父なら」と納得したようだ。

さすがに妻は自分よりも年下の義母が出来る事に最初 躊躇(ためら) っていたが、父がルイーゼと出会った時にルイーゼが二枚しか持っていないハンカチの一枚をドロドロにしてくれた、と聞いて「今すぐ契約結婚して、ハンカチすら与えない家から逃がしましょう!」といきり立った。

息子どころか孫までいる屋敷ではなく離れを新居にすべきと言って、はりきって部屋を整えだす。

そして嫁いできたルイーゼは、父が目をかけるのも納得の好感の持てる少女で、自分を救った父に誠実に尽くしてくれる。

自分の娘も息子も、すぐにルイーゼお姉さんに懐いた。

契約結婚は好調で、二人が一緒に食材を買いに行く姿をよく見かけるが仲睦まじそうだ。

妻と「本当の夫婦の愛情が芽生えているのでは」と話してるが、それは当人たちの問題なので口は出さない。

ペトラをちらりと見て、これが浪費家の妹か、という内心は表に出さずにエスコートのためルイーゼに手を伸ばす。

笑顔で手をとったルイーゼは、最後にペトラに言い残した。

「私、あの家を出られて本当に嬉しいの。もう、あの家が破産しても私が娼館に売られる心配は無いのよ」

長い長い悪夢から、やっと解放された。

以前は、自分が住んでいる家だから、この家にすがるしか無いから破滅しないように必死だったのだ。家を出られた今なら、もうあの家の行く末を心配などしない。

嫁ぐ時、密かに執事に旦那様から預かった慰労金を渡し、もう無理だと思ったらこれを持ってこの家を出ていいと伝えておいた事は内緒だ。

ラルフと共に立ち去ったルイーゼは、顔色を変えたペトラを一度も振り返る事は無かった。

それは、最低の求婚だった。

18歳と16歳の子爵令嬢の姉妹に「どちらでもいいから」と傲岸不遜に申し込まれた縁談は、今は息子に爵位を譲って隠居して孫もいるという48歳の元伯爵の後妻という不遇な縁組。

ルイーゼは、「ルイーゼを希望していると知ったら、あの親は支度金の上乗せを言い出すから」と、わざとこんな風に求婚してくれと頼んだ。

本当は、いつか子爵家が没落した時、妹が「あの時に、姉ではなく自分が嫁いでいれば」と後悔するだろうと思っての事だった。

元から妹を娶る可能性など無いのだけど、そんな事は知らずに逃がした幸運をずっと悔やみ続けるように。

それが、ルイーゼの復讐だった。

ルイーゼを「心優しい」と信じている旦那様には決して言えないのだけれど。