軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第45話 転んだあとの杖 6歳 秋

太陽が傾く頃になっても、ニシン処理の現場は殺気立っている。

頭を落とし腹を割き腸を捨てる。一連動作を、加工担当の女性陣はもはや無言で手とナイフを動かし続けている。一方で、周囲の調達し後処理をする組は男も女も子供も、声を荒げていた。

「浜のニシンはもうないよ!全部拾った!浜のニシンは終わり!」

「ゴミ捨ての穴はもう埋まっちゃったよ!どこに捨てるの!」

「生ゴミは土で埋めたほうがいいの?臭いが凄いよ!狼とか熊が臭いで寄ってこない?カモメとカラスがたくさん来てほじってるよ!」

「もっと樽はないの!他の樽は!ニシン詰める樽が来てないよ!」

「もうなくなったよ!麦酒絵の仕込み用の樽までからっけつだ!」

なんともまあ。ニシンの塩漬けのための樽のほうが、塩より先に足りなくなったようだ。今年の麦酒や蜂蜜酒の仕込みのことは、嵐を乗り切った後で考えようかね。

お酒を飲みたい大人達が何とかするだろう。

「樽はなしか…すると、燻製にするしかないか…それとも風乾にする?」

「風乾は避けたいねえ。秋に干すと風が強くないと腐っちまうよ」

タラは脂が少ないし、冬場の冷たく乾燥した風に晒すから風乾でもカラカラな干し魚にできるんだけど、脂の多いニシンは風乾には向いてない。

「燻製にするにせよなんにせよ、海水につけとくよ!桶をもってきて!」

樽の代わりに、今度は村中から桶が持ち出されてきた。

高価な樽よりも、桶は生活の道具なだけあって、どの家にもある。

桶に汲んだ海水に処理済みのニシンが漬けられ、そこに塩が足されていく。

海水だけでは塩分濃度が足りないからだ。

「贅沢に塩を使うねえ…」

「とにかく、これで冬は越せそうね!」

燻製にするには、燻す前に一晩は漬けておきたいらしい。

あとは桶のニシンがカモメに攫われないよう、屋内に仕舞っておきたい。

でも、屋内と言ってもどこへ…?

ずらりと並んだニシン桶を前に、皆が途方に暮れた。

「燻製にするにしてもねえ…場所が足りないよね」

「うちの燻製設備は、そもそも冷燻用の実験施設で小さいんだよね」

桶一つ分ぐらい冷燻できるだろうけれど、全体の量から見れば焼け石に水だ

塩はあっても燻製小屋が足りないという事態は想定していなかったな。

僕達がどうすべきか迷っていると、村長婦人の指示が飛んだ。

「船小屋を臨時の燻製所にします。中の船を外へ出しなさい!」

素早く大胆な決断だ。

村の船小屋は、長船を収容できるぐらいだから、すごく大きく長く広い。

そこを臨時の燻製小屋にしようというのだ。

「船小屋がニシン臭くなっちまう…」

「何言ってるの!食べられる方が大事でしょうが!」

不平を零したのは男は船大工だったのだろうか。

妻君らしき女性に一喝されてしまい、周囲に笑い声が起きる。

それを切欠に、全員が動き始めた。

「急いで!太陽のあるうちに!」

そうだ。日が傾きかけてきてるんだ。

日のあるうちに仕事を終えないと。

「整備中の船は出しちまえ!、 中型船(スネッキア) はひっくり返しときゃ雨は大丈夫だ!帆柱は中に置いといても良い!隅に寄せとけ!帆は丸めて長屋式にまで運べ!」

「おう!そっち持て!運ぶぞ!」

男衆が集まって船の下に丸太のコロを敷き、するすると船体を小屋の外へ移動させていく。

女衆は丁寧に船の帆を丸めていく。なにしろ帆は高級品なので、取扱にも保管にも細心の注意を払わないといけない。

長船ほどのサイズではないにせよ、全体が天然羊毛で手織りの1枚布ですから。

子供達は、船小屋の中にあった船大工の道具などを運び出し、床を掃除する。

ニシン処理のときから感じていたけれど、妙に村の人達の連携が良くない?

うちの村って前からこうだったの?

僕がまごまごしている間にも、臨時の石炉を設けるために、男衆によって土の床は掘り下げられ、石や薪が運び込まれ、船小屋が臨時の燻製後夜へと仕立てられていく。

あとで臨時の火炉に薪をつんで火を付けて、扉を閉ざせば臨時の燻製小屋になる。

船小屋は木造だから、火事には気をつけて監視しないといけないが。

「本当なら、全部のニシンを 冷燻(コールドスモーク) にしたかったよなあ…」

冷燻の施設であれば、味の向上だけでなく、火元と煙を煙道トンネルを通すことで別にできるので、火災リスクを大幅に減らすこともできたのだ。

それでも、燻製施設が全く足りない。

実のところ、船小屋を燻製小屋に転用する、という荒業までやっても、まだ燻製にする場所が足りないのだ。

なんとなれば、次に大物のクジラ2頭が控えている。

「このあとにクジラを解体して燻製にもするんだよね…どこに干すの?」

「そうだねえ…船小屋で燻す分は、短期間だけ燻製にして、先に食べちゃうしかないかねえ…できたら保存を考えてサウナ2回分の期間ぐらいは燻しておきたいけど…」

僕も母ちゃんも考え込んでしまう。

「うーん…あとは家々のサウナ小屋で燻すとか?」

「そりゃあできなくはないだろうけど、その家の人間が食っちまわないかい?」

「そこはまあ、食べた分は配る数から減らすとかして」

いよいよとなれば、家々のサウナ室も燻製小屋に転用する必要があるかもしれない。

その為には、どこの家にどれだけの数のニシンを運んだか、記録しておかないといけない。こっそり食べちゃった分は、あとの配分から引かないといけないし。

これも僕が数えるのか…数えるんだろうな…。

僕は暗澹としつつ、アラビア数字の解禁を検討し始めていた。

さすがに、0の概念と掛算の禁止縛り算数は、厳しすぎる。

黒板にこっそり書くぐらいはいいだろう。

それにしても、村ではこれまで、どうやって魚の在庫を管理していたんだろう?

長屋敷に全ての在庫をまとめていれば、出入りの管理だけで済むから記録の必要がなかったのかもしれないね。

◯ ◯ ◯ ◯ ◯

船小屋を燻製後夜に仕立て上げ、桶に入れられたニシンを中に運び込んでいる間に日が暮れてきた。

「今日の処理はここまでだな。鯨はやめようか、危ない」

「夜中に解体は危ないよなあ」

と、男衆から声が上がる。

たしかに、大勢が刃物を扱う仕事を夜に行うのは危なすぎる。

今日の作業はここまでだろう。

ニシンの襲来、追いかけてきた鯨、帰ってきた交易船…。

朝からいろいろなことがあり過ぎた。

僕の6歳の体は、もうクタクタだ。

「明日だな。明日の朝からだ」

「そうだな。血抜きと腸抜きだけはやっといた。大丈夫だろう」

なんと血抜きをした男衆が、腹を割いて内臓処理だけは済ませてくれたらしい。

もともと、この辺りでは、クジラは数日かけて解体するものらしい。

正確には技術や労働力の問題があって1日では解体しきれないのだとか。

「あれだけ大きかったら、カモメにも食べられないよね」

「えー!熊とか狼とか来るかもしれないじゃん!」

エリン姉はお肉が心配みたいだけれど、さすがに、これだけ大勢の刃物を持った人がうろついて焚き火をしている所へは、熊や狼も来ないんじゃないかな。

山の実りが一番大きい時期でもあるし。

日も暮れそうな時間帯だというのに、巣に帰ることもなく、ニシンの頭とクジラの内臓を捨てたゴミ捨て場には、時なら大量の食料を嗅ぎつけた様々な大きさと種類のカモメたちが、わあっと集っている。

「…あれを仕留めたら冬の布団にならないかな」

高級な羽毛布団に適した水鳥がいるのかもしれないけれど、カモメのような海鳥でも当面の用は足りるだろう。不出来でも、ないよりは何倍もマシだ。

「でも今は無理。手が足りない。疲れた…」

そのうち巣を見つけて、卵をとるぐらいで勘弁してやろう。

僕が座り込んでぼうっとしていると、海岸の多くの箇所で焚き火に 三脚吊(トライポッド) が設置され、大きな鍋が吊り下げられて料理の準備が始まった。

今夜の集まりは、そのまま 海の銀(ニシン) と 神の恵み(ニョルス) に感謝する臨時の祭りへと移行するらしい。

みんな元気過ぎる。帰って寝たい。