軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第43話 海の銀 6歳 秋

僕が、今後の 労働強度(ブラック) に関する絶望的な見通しを噛み締めていると、にわかに 長屋敷(ロングハウス) の中が騒がしくなった。

衝立(ついたて) の向こうで人々が叫び、走り回る音がする。

「なにか!」

村長婦人が威厳のある声で問いただすと、郎党の1人がおずおずと衝立の向こうから顔を見せて報告をした。

「奥様、海の銀です、ニシンの群れです!」

「海の銀!大きな群れなの?」

「それはもう!その目でご覧になってください!」

村長婦人が席を立ち早足で外へ向かった。僕と母ちゃんも遅れないようついて行く。

村長宅の長屋敷はフィヨルドの奥まった高台にあり、外に出れば湾内を一望できるのだ。

「うわぁ…すごい」

フィヨルドの狭く青い湾の中を、太陽を反射しキラキラと輝きながら銀色の塊が大波のように押し寄せて来ているのが見えた。

「角笛の合図をなさい!」

村長婦人の指示で、郎党がすごく大きくて長い角笛を持ち出し、ブォ――ン、ブォ――ン、と重く低く警戒の音を響き渡らせた。

高台からは、フィヨルド内に点在する家々から男達が一斉に槍と網を持ち出し、女たちはナイフと籠を持って浜へと駆け出して行くのが小さく見える。

「母ちゃん、僕達も行かないと!」

「そうね。それでは失礼します」

僕達は村長婦人が「夫はどこへ行ったの!?」とか「大鍋を浜へ出しなさい!」と矢継ぎ早の指示を飛ばす声を背にして、家へと足早に向かった。

「母ちゃん、ニシンの群れって凄いね。海の銀って呼ばれるのがよくわかったよ」

「ニシンの群れが来たのなら、この冬は越せたようなものよ。私達も漁に参加するわよ。ほら、走って!」

「うん!」

家につくと、母ちゃんは他所行きの服から普段着に素早く着替え、ナイフと沢山の籠を引っ張り出してきた。

「エリン、籠を持つのを手伝いなさい。トール、あなたは西風路に火を入れて」

「え?僕は漁に行かなくていいの?網を引くとか…」

「ニシンを網で獲るには海に浸かるから、みんな凍えるでしょ?お湯を沸かして、それから燻製にもしないと」

「うん!わかった」

直接に漁を手伝えないのは悔しいけど、体が小さいうちは仕方ない。

僕は僕で一番村に役立つことをしよう。

西風炉は海際にあるから、みんなが波打ち際でニシンを獲る様子も眺められるしね。

先に浜に来て大鍋を設置している郎党がいたので、火種を借りて素早く西風炉の火をつける。冷たかった石の床暖房とベンチが温まり始め、燻製炉からは薄く煙が上がった。

「冬の終わりの掃除はしたけど、本格稼働前にもう一度掃除をした方がいいかなあ」

去年と比較して、ちょっと煙突の煙の出が弱い気がする。

普段は塩を作っている炉には、水の入った鍋をかけた。

お湯で脂がつき切れ味の落ちたナイフを洗ったりするためだ。

僕が火の番をしている間にもフィヨルドの浜辺には波と一緒にニシンが押し寄せ続け、男集は漁網を持って腰まで波に浸かり、女衆は男衆が追い込んだニシンを籠や笊に掬い、子供達はこぼれたニシンを拾う。

その数は数百、数千。あるいは数万匹もいるだろうか。

皆、海の銀の恵みを一尾でも多く手にしようと懸命だ。

浅瀬はすでに銀の魚で埋まり、それでも後から後から押し寄せる。

「…ちょっと打ち上げられすぎじゃない?そういうもの?」

ニシンの群れが波打ち際に迫るだけでなく、陸に自ら飛び込んで、ピチピチと跳ねている光景が浜の各所に見られる。産卵のたえというよりは、恐慌に陥っているような…。

「なんだ?」

一体何が起きているのだろう?

その異変の原因は、男衆の叫びで、すぐに明らかになった。

「クジラだーっ!クジラが出たぞ―っ!」

「くそっ!ニシンの群れを狙ってやがるんだ!」

「ニシンを追い込んだのはこいつか!」

海から押し寄せる銀の塊の向こう側に、黒い背中が複数、波間に盛り上がるのが見えた。

「クジラ…大きくはない、か?大きくはないけど…大きい…!」

小型のクジラ類なのだろう。ミンククジラあたりだろうか?

体長は10メートルもないように見える。

それでも、木の小舟と槍しか持っていない僕達の村の漁師には、大きすぎる脅威だ。

「海の銀が食われちまう!」

「船だ!船を出して浅瀬に追い込んじまえ!陸に打ち上げろ!」

「ようし!やるぞ!」

勇ましい男衆が、何隻も小舟を出してクジラの後ろ側に回り込み、海面を櫂や槍で叩いて追い立て始めた。

当初はニシンに夢中で人間の船を相手にしていなかったクジラも、男衆が次第に蛮勇を発揮し、接近して槍を浅く突き立て、直接に櫂で叩いたことで脅威を自覚したのか、ぐるりと向きを変える。

「来るぞーっ!逃がすなよ!」

「くそっ!大きい、速い!」

小さな船の数こそ多いものの、クジラは大きく速く賢い。

船の包囲網の穴から、何頭ものクジラが逃れていく。

「ああっ。逃げられちゃうーっ!食い逃げ―っ!ニシン返せ―っ!」

浜で叫んでいるのはエリン姉だろうか。

子供特有の高い声が潮風を割いてよく響く。

そこに、別の警告の声が重なった。

「なんだあれは!船か!?」

「船だ!長船だ!帰ってきたのか!」

「いや、2隻いるぞ!村から出したのは1隻だけだぞ!」

「まさか襲撃か!?」

沖合の水平線から、不意に2隻の長船が姿を表した。

折からの西風を受けて、ぐんぐんと湾の中へ進んでくる。

その進路は、包囲を抜けたクジラの行く手を巧みに遮った。

「援軍…なのか?」

クジラが出口を見いだせず逡巡している間に、体勢を立て直した小舟達は、また包囲網を組み直すことができた。

こうなれば、こちらのものだ。

網や槍、櫂を巧みに使い、男達は逃げ遅れたクジラを浅瀬へと追い込んでいく。

数時間に渡る格闘の末、二頭の小型のクジラが打ち上げられた。

陸に打ち上げられた姿は、とてつもなく大きい。

一頭のクジラは七つの村を潤す、なんて諺があるけれど、小型とはいえクジラを2頭も得てしまったのだ。

村にとって、この先何十年も語られるに足る恵みになるだろう。

だけど僕の視線は、村に富をもたらすであろうクジラからはすぐに離れて、別の姿を捉えた。

突如姿を表して、クジラの包囲に協力した二隻の長船。

その一隻の上に、よく見知った姿がある。

逞しい男達の中でも、一際背が高く逞しい。

「父ちゃんっ…!」

僕は銀の魚で埋まった海岸を走った。

バチャバチャと波打ち際を駆け、足が冷たい海水で濡れるのも構わず走り寄った。

「父ちゃぁーんっ!!」

「おおっ、トール!大きくなったなあ!」

そんなわけないだろう、という言葉は声にならなった。

船から降り立った父ちゃんに抱きつくと、父ちゃんは僕を思い切り抱き上げてくれた。

「遅いよ…父ちゃん」

「ははは、すまんすまん。いろいろ有ってなあ」

「うん」

父ちゃんに尋ねたいことはいっぱい有ったけど、それは後で聞けば良い。

父ちゃんが帰ってきて、家族が揃った。今はそれだけでいい。

母ちゃんとエリン姉も駆け寄ってきて、強く抱き合う。

船旅で長期間体を洗えていなかったのか、父ちゃんはちょっと臭かった。