作品タイトル不明
62. リュカの体調不良
リュカが保育園に通い出したら、そういったこともあると覚悟をしておくべきだった。
その日、僕は事務室でレミーと一緒に執務をしていた。
昼過ぎから取り組んでいたことが一区切りついたので、お茶でも飲んで少し休憩しようかな……というタイミングで、心配そうな表情をした執事のティエリーが、部屋にやってきたのだ。
「ルイ様、リュカ様の元気がなく、体調があまりよろしくないようなのです」
「ええっ! リュカが!?」
思っても見なかった一言に、僕は動揺して、注いでいたお茶を溢しそうになる。
リュカは、これまで特に大きな病気をしたことがなかった。
よく食べよく寝てよく笑う。超健康優良児だったのだ。
そんなリュカが体調が悪いとは、よっぽどのことではないか。
もし、リュカにまで何かあったらどうしよう。僕のたった一人の兄弟なのに。そんな気持ちが、ぐるぐると頭を回る。
「……はあ。仕方ありませんね。その調子では、どうせ気もそぞろで、仕事が手につかないでしょう。今日は仕舞いで構いません」
「レミー、ありがとう!」
レミーがそう言ってくれたので、僕はすぐさまティエリーを伴ってリュカの元へと向かう。
リュカは、すでに自室に寝かせているとのことだった。
焦る気持ちで自室に帰ると、ベッドにリュカが寝ていた。
枕元にひざまづいて、リュカのおでこに手を置く。熱い。
そのまま、ほっぺをするりと撫で、首元を触り、襟ぐりから脇に手を入れる。
「鑑定」
名前:リュカ・ヴァレー
年齢:4歳
性別:男
役職:なし
スキル:なし
賞罰:なし
状態:病
(『病』か……。風邪かな……?)
「にいにぃ、あちゅい……」
「クククー……」
リュカの青い目はとろんとして、少し呼吸が荒い。咳や鼻水はないけれど、熱が高かった。
メロディアは、サイドテーブルに立って、心配そうにリュカを覗き込んでいる。
「ルイ様、治療師はすでに下男に呼びに行かせています」
「ありがとう!あとは……水差しと桶を用意してくれる?」
「はい」
ティエリーに用意してもらった水差しに、 収納(ストレージ) から取り出した砂糖・塩・レモンの輪切りを入れて、即席の経口補水液を作る。
「リュカ、お水飲める?」
「おみじゅ……のむぅ」
リュカの背中を支えてゆっくり起こし、水を飲ませる。
ごくごくと喉を鳴らしているので、少しほっとした。
飲み終わって、また寝かせようとするけれど、いやいやとリュカは寝るのを拒否して、抱っこをねだる。
「にいに、だっこぉ。だっこ、ちて! う、うえええ〜ん」
熱が高くて、しんどくて、甘えたくて。リュカも、どうしたらいいのかわからないのだろう。
真っ赤なほっぺに大粒の涙をぼろぼろ流しながら、僕の裾をぎゅっと握る小さな手がいじらしくて、可哀想で、代われるものなら代わってあげたかった。
そんなリュカの様子に、僕はジャケットと靴を脱ぎ、リュカを抱きしめながら、ベッドに横になる。
「リュカ、大丈夫。大丈夫。にいにが一緒だよ。」
「くすん、くすん」
落ち着かせるように、ゆっくりおなかをぽんぽんする。
しばらく静かに寄り添っていると、リュカはやっと寝息を立て始めた。
リュカを起こさないように、汗ばんでいる額をそっと濡れタオルで拭いてあげながら、僕は「大したことがありませんように」と願うことしかできなかった。
♢
「知恵熱ですね」
「〜〜よかったあ」
もし何かの病気だったら、どうしようと心配したけれど。
家にやってきた旅の治療師のクレメントさんは、メガネをくいっと上げながら、あっさりとそう告げた。
ちなみに、クレメントさんは、今年もヴァレーに滞在するべく、早々に来ていたらしい。
僕は安堵で、へたり込みそうだった。
「治癒魔法をかけるまでもないので……水分と睡眠が摂れて意識もあるなら、このまま様子を見ましょう。念の為、熱冷ましを処方するので、食事が摂れたらその後に飲ませてください」
「はい。クレメントさん。ありがとうございます」
「いえいえ。小さなお子さんが急に熱を出すのは、よくあることです。あまり気にされないように」
「はい……」
僕と一緒に往診を見守っていたティエリーも、ほっとしたようだ。
おばあちゃんや侍女たちも、とても心配してくれているのだけれど、万が一を考えて、看病や見舞いは遠慮してもらっていた。
リュカは、まだぐっすり眠っている。このまま、今日は僕が看病する予定だ。
ティエリーは子守りに看病をさせましょうか、と申し出てくれたけれど。こうして、何かあったらすぐ治療師を呼んでもらえて、リュカの看病だけに専念できるだけで、僕は本当に十分だった。
何度か、トイレや水分補給で起きるリュカ。
夜になるにつれて、また少し熱が上がってきた。
調理人たちがすりおろし野菜スープを作ってくれたけれど、あんなに食欲旺盛だったリュカが数口食べただけで残してしまった。
薬も、そのなんとも言えない匂いにそっぽを向いて、「絶対飲まないぞ!」と口をかわいらしく結んでいる。
無理に飲ませることもできないので、そのままリュカを小脇に抱えて、また横になる。
僕の胸に顔を擦り付けて、うつらうつらとしているリュカが、何かをごにょごにょと喋った。
「ん? リュカ、なあに?」
「にぃに……。りゅーのぱっぱ、まんま、いにゃい……?」
パパとママ。リュカの口から漏れた言葉に、ドキッとする。
完全に不意打ちだった。
いつかリュカが父母の存在を疑問に思うことはあるだろうと思っていたけれど、今だとは思っていなかった。
「ぱっぱ、まんま……ぐすん」
どこでその存在を知ったのだろうと思ったけれど、そういえば、保育園でお友達がお父さんや、あるいはお母さんと一緒にいるところを見ている。
自分にはいない存在が、お友達にはいる。
リュカは幼いながらも、自分を取り巻く環境や周囲の状況を、不思議に思っていたのかもしれない。
(ずっと、リュカは、ぼくにはなんでパパとママがいないんだろうって、思ってたのかな……)
そう思うと、まだ幼いからわからないと思って、リュカに何も言わないでいた自分が情けなくなる。
目が熱くなるのをぐっと堪え、鼻を啜り上げて、僕はゆっくりと話し始めた。
「……リュカのパパとママは、ちゃんといるよ。パパはね、空や風やお星さまになって、リュカのことをずうっと見守ってくれているんだよ」
「ぱっぱ……」
「ママは、リュカのこのくまさんを作ってくれたんだよ。いまは頑張って、病気……おかぜを治してるんだ。いつか治って、元気になったら、また会えるからね」
「くましゃん」
そう言って、いつも枕元に置いてあるくまの人形を渡すと、リュカはぎゅっと抱えこんだ。
「パパとママは、そばにいられなくても、リュカのことが大好きだよ。もちろん、にいにも。リュカはにいにの、一番の宝物だ」
「えへへ……にぃに……」
そう言って、リュカのほっぺやおでこにキスをすると、リュカは安心したのか、すうっと眠ってしまった。
僕が父さんと母さんと過ごした十年を、リュカは持っていない。
だから、これからリュカの中に、父さんと母さんの記憶や思い出を残していくのは、兄である僕しかできないのだ。
そのことを噛み締めながら、僕はかわいい寝顔を、いつまでもいつまでも、眺めていた。
♢
翌朝。
僕は頬をべちんべちんと叩かれる感覚で目が覚めた。この感じ、いつかもあったような気がする。
「にいに、にいに、おっきしてー」
「ふわあ。……おはよう。リュカ。どうしたの」
あくびをしつつ、リュカのおでこや首を触る。今朝は特に熱くない。
顔色も良さそうだ。
「鑑定」
名前:リュカ・ヴァレー
年齢:4歳
性別:男
役職:なし
スキル:なし
賞罰:なし
状態:健康
(うん。状態も健康になってる。良かった……)
ぐぎゅぐぐるるる〜〜〜
……そう僕が安堵した瞬間、リュカのお腹から、怪獣の叫び声みたいな音がした。
「ふ……くっくっく。すごい音だ」
「あう〜〜〜。おにゃか、すいたぁ」
へにょんとした眉で、リュカは自分のお腹に手を当てた。
怪獣なリュカに急かされて、急いで身支度をして、食堂に行く。
すると、食卓には調理人たちが丹精込めた消化に良い……けれど美味しい朝食が並んでいた。
リュカは目を輝かせ、病み上がりなのに、さっそくもりもりと食べている。
あまりにも何度もおかわりをするので、そんなにいきなり食べて大丈夫なのかと、止める方が大変だった。
「ごはん、おいちい〜!」
食べかすをほっぺにつけたまま、リュカがご機嫌に言う。
おばあちゃんや、給仕の使用人たちもにこにこだ。調理人たちも、様子が気になったのか、扉の陰からこっそりとこちらを覗いてた。
(もうこれだけ食べられれば、大丈夫だな)
やっぱり、リュカはこうでないと。
食い意地が人一倍張っているけれど、みんなに愛されているリュカに、僕はつい声を出して笑ってしまった。