作品タイトル不明
105. 竜鱗湖と船上レストラン(前)
後ろ髪をたっぷりひかれながらテルマエ・デタントを出発した僕たち一行は、その日のうちに次の宿泊地であるエカイユ村に到着した。
エカイユ村は、アグリ国一広大と言われている 竜鱗湖(りゅうりんこ) に面している。
竜鱗湖はタツノオトシゴを真横に傾けたような、複雑な形をした湖だ。エカイユ村は右端、ちょうど尻尾部分の場所にあたるらしい。
以前、僕とリュカが訪れたことがある湖が 藍紫(シアン) なら、この竜鱗湖は 翠玉(エメラルド) に例えられるのだそうだ。
「わあ……。すごく綺麗な湖……」
「おみず、きらきら〜!」
「クククク〜!」
エカイユ村の宿に一泊した、翌日の朝。
さっそく僕たちは、たくさんの人で賑わう湖のほとりを散策することにした。おじいちゃんとおばあちゃん、それと数名の護衛も一緒だ。
切り立った険しい山々に丸く囲まれた湖は、朝の光を弾いて 煌(きら) めいていた。
ちゃぷんちゃぷんと穏やかな音を立てる水面はどこまでも透き通っていて、岸から離れるにつれて 翠色(すいしょく) が深く濃くなっている。
さらに、湖を囲うようにりんごの樹が植っていて、ぽつぽつと咲いている白い花がよく映えた。素晴らしい春だ。
(天国みたいな絶景だなあ……)
僕はあまりにも美しく澄んだ湖の色を不思議に思って、ひょいっと浅瀬を 覗(のぞ) き込む。
すると、ごつごつした岩や石に紛れて、翠色の砂やシーグラスのような半透明のかけらがたくさん沈んでいた。
(なんで破片がこんなに水底に……?)
この量からして、ガラスではないはずだ。一体なんだろうかと考えていると、散策路にずらっと並んだ露天商の一つから声をかけられた。
「そこの旦那様! 奥方にエカイユ村名物の竜鱗アクセサリーはいかがですかい? このイヤリングなら、気品溢れる奥方が、さらに光り輝くこと間違いなし!」
「ほう……。アクセサリーか」
「あらあら。気品溢れるなんて、恥ずかしいですわ。ほほほほ」
喧騒(けんそう) に負けず、真っ直ぐ届いた露天商の陽気な掛け声に、おじいちゃんが足を止める。
熱心に勧めるだけあって、露天商が差し出したイヤリングはとても見事なものだった。
竜鱗と呼ばれた薄い魚の鱗のような素材を、花の形に加工した三連のイヤリングだ。淡い濃淡を描いた繊細な花々が、風にしゃらしゃらと揺れる。
「よく似合うぞ、イネス」
「おおー……」
「ばあば、かわいい!」
白髪に銀に近い瞳のおばあちゃんが翠色を 纏(まと) うと、ぱっと雰囲気が華やぐ。
僕たちがベタ褒めすると、おばあちゃんも満更ではないようだ。
結局、イヤリングだけではなく、ネックレス・ブレスレット・指輪と、同じデザインのアクセサリー一式をおじいちゃんが 剛毅(ごうき) にも買い上げて、おばあちゃんにプレゼントしていた。
「毎度、ありがとうございましたー!」
(あの竜鱗って、もしかして湖の底に沈んでるのと同じやつかな?)
そんなことを思いつつ再び歩き出すと、僕たちの買い物の様子を見ていた周りの露店からも、しきりに声がかかる。
アクセサリー以外にも、竜鱗を使った工芸品や武器・防具なんかがあって、良い鴨だとは分かっていても、ついふらふらと引き寄せられてしまった。
一目で気に入ったステンドグラス風のキャンドルホルダーは、自分用に。
ほかにも、留守を守ってくれている家人たちに、根付けのような小さなアミュレットをたくさん買う。
アミュレットに使われている竜鱗は、色も形もどれもみんな違うので、きっと選ぶ楽しさがあるはずだ。
「お可愛らしい坊っちゃま方。世にも珍しい翠色の薔薇はいかがですか?」
「ほわ〜〜〜。きれ〜〜〜」
「ククク〜」
しばらく買い物を楽しんでいると、ひときわ 煌(きら) びやかな露天商の前で、リュカがぴたっと立ち止まった。
露天商が 恭(うやうや) しく布包みを広げてみせた薔薇のバレッタに、うっとりと 魅入(みい) っている。
(前世だと貝殻の輝く部分を使った…… 螺鈿(らでん) ? だったかな? そんな感じの髪飾りがたくさんだ)
このバレッタも、木を薔薇の形に彫刻し、おそらく貝殻の代わりに細かく砕いた竜鱗を貼ったものなのだろう。
中央には大ぶりな薔薇が、その左右には少し小ぶりの薔薇が配置されていて、それはもう繊細かつ熟練の職人仕事だとわかる一品だった。
ちらっ、ちらっ。ちらっ、ちらっ。
何度となく、リュカとメロディアの視線を感じる。なにを言いたいかは、それだけでわかった。
露天商がにんまりと笑ってこちらを見ているのが、 癪(しゃく) に触る。
「にいに〜……。ぼく、これ、ほしい〜」
「クク〜」
(やっぱりかあ〜〜〜)
どう見ても、薔薇のバレッタは工芸品を超えてもはや美術品。髪飾りとして使うよりも、観賞用として飾っておきたいくらいだ。
「……このバレッタ、いくらですか」
「こちらはつい先日、見習いから一人前の職人として認められた者が、最初に手がけた品でして。今でしたら特別価格、金貨一枚でお売りしています」
「金貨一枚……!」
(げえええ。たっか!)
金額を聞いて、僕の目ん玉が飛び出そうになる。いくら旅先でお金を使うことが推奨されていても、こんな高級品、五歳児には過ぎた代物だ。
そう思って僕がもう少し手頃な値段のものを勧めても、リュカは薔薇のバレッタから視線を外してくれない。
「竜鱗は軽くて薄い素材ではありますが、見かけによらず 頑丈(がんじょう) でして。ちょっとやそっとでは、欠けることはありません。よろしければ、髪に飾って確かめてみてください」
露天商は人の良さそうな顔でそう言うと、一つに結んだリュカの髪にさっさとバレッタをつけてしまった。
「にいに、じいじ、ばあば。ぼく、にあう?」
「おお。似合うぞ」
「ええ、ええ。とっても可愛いわ!」
「……よく似合ってるよ、リュカ」
リュカはおしゃまに、くるんと回ってみせる。
悔しいけれど、五歳になっても女の子のように見えるリュカの 風貌(ふうぼう) と 榛(はしばみ) 色の髪に、焦茶の木目がちらっと見える翠色の薔薇はよく似合っていた。
「はあ……。そのバレッタ、買います……。リュカ、大切にするんだよ?」
「うんっ! ぼくの、たからものにする! にいに、ありがとっ!」
「どういたしまして」
僕が買わなくても、リュカにはことさら甘いおじいちゃんたちが買ってしまいそうだ。そんな雰囲気に折れて、購入を申し出る。
買ってもらえるとわかったリュカは、ぱあーっと顔を輝かせて大喜びだった。
「クク〜ン! クク~ン!」
リュカの肩からいつの間にか僕の肩に乗り移っていたメロディアが、服をちょいちょいと引っ張って甘い鳴き声をあげる。
こんな時にだけ、小さな両手をすりすりする仕草に、僕の口からまたため息が漏れた。
「……このバレッタの薔薇と似たような、小さな飾りがついたアクセサリーってありますか?」
僕のその言葉に、揉み手をしていた露天商が 収納(ストレージ) からいくつか木箱を取り出した。
「坊っちゃまはそのお年でお目が高い! 同じ職人の物で、ブローチやペンダントもございますよ。こちらのペンダントトップでしたら、少しお時間をいただければ、鎖の長さを調整することもできます」
「では、それで」
「かしこまりました」
露店であっても、その場で微調整は当たり前なのだろう。
商人の後ろに控えていた年若い男性が、メロディアの首に巻いているリボンに合わせて、工具片手に鎖を短く調整してくれている。
(弟とペットに 貢(みつ) いでる僕って……)
なんだか深く考えると、ドツボにハマりそうだ。
僕は先にバレッタとペンダント、それに残ったブローチも会計を済ませてしまう。
(……いつ渡せるかは、わからないけれど)
もし、もう一度、母さんと会える日が来たら。その時に、このブローチを渡そう。
リュカとお揃いだと分かれば、きっと喜んでくれる。そう思った僕は、こっそりとブローチを自分の 収納(ストレージ) の奥底にしまった。
「……そういえば竜鱗って、なんの生き物の鱗なんですか?」
「おや。そう聞かれると言うことは、坊っちゃま方はこの村は初めていらっしゃるんですね」
調整が終わるのを待つ間、僕は露天商に雑談がてら気になっていたことを質問してみる。
にこにこと愛想良く笑う露天商の口は、ずいぶんと滑らかなようだ。
「この湖一帯に 棲(す) む、 湖竜(こりゅう) の鱗でございますよ。わたくしどもは昔から、自然と 剥(は) がれ落ちた鱗を水底から引き 揚(あ) げて、こうして装飾品や工芸品などに加工しているのです」
「湖竜!?」
「ええ。そろそろ、朝一の船が着く頃合いです。……ああ、噂をすればなんとやら。あれが湖竜ですよ。ほら」
露天商が、湖の奥を指差した。
ここからだと豆粒のようだった船は、結構な勢いでぐんぐんと港へと近づいてくる。
(えええ……! なに、あれ……!)
近づくにつれて、水面から顔を出した生物二匹が、縄の繋がった 馬銜(はみ) を噛んで船を 曳(ひ) いていることがわかった。
「「ぴっぎゃーーーん!」」
可愛らしい鳴き声をあげたその生物は……ヒレ耳に青みがかった翠色の鱗を持った未確認生物、だった。