作品タイトル不明
白魔導師、の妙縁②
◇
ニヴィアの家族と共に、有り難く夕食を頂き、両親と姉……エレインが去ったのちに、お約束の時間となる。
事前に聞いていた宿泊の対価を払う時間だ。
俺たちのこれまでの冒険の話。自分で言うのもアレだが、なかなかに貴重で、他では聞けない話ではあると思う。思い返せば、三大国全ての大事に、俺は遭遇している。
しかも、割とその中心と言える場所に居合わせていた。俺にとってはどの一件も、凄く遠い世界の出来事のようで、凄く身近な話しである。
だからと言って何か、俺の存在が役に立てたわけではないが。
話の合間にと、食後にちょっとしたお菓子と飲み物が出される。
「では、あなた方のこれまでの冒険を聞かせていただけますか?」
ニヴィアの願いに、ユイが代表して答えてゆく。
旅の話はイシュタルの一件から始まる。
もっと正確に言えば、俺がアレン率いる勇者パーティーから追放され、無一文の無職となり、師匠に似た銅像前で黄昏ていたあの時から。
俺と、ユイたちの冒険が交わった瞬間から。
ダンジョン攻略の話では素直に驚き、そして楽しげな様子で耳を傾け、聖教国で起きたクラウンの一件となると苦い顔を見せる。
最後は帝都で起きたクラウンの一件で閉まる。
「へぇ、帝都でそんなことが」
魔王軍の四天王が二度も帝都を襲った。そんな話は、まだこの辺境までは伝わっていなかったようだ。
ニヴィアも帝国に住まう国民の一人。相当に驚いている様子だった。
目を見開くほど驚いてからと言うもの、何やら考え込んでいる。
余談だが、聖教国を裏で支配する……と自称している『マキナ』の件は省いた。ユイらにも軽く共有はしてあるが、唯一対面し、言葉を交わした俺自身詳しく知らないのだから、ユイに語れることなどないに等しい。そうでなくとも、あの一件は安易に話していいものではない気がする。
「ふむ……そうですか。三大国全てが魔導国からの攻撃を受けた……となると、いよいよ始まってしまうかも知れませんね」
「始まるって?」
「三大国と魔導国の戦争です」
その言葉を前に、俺たちは黙ってしまう。
他は知らないが、帝国でそんな空気が増してきているのは事実だった。
実際、俺たちはそんな声を帝都で聞いている。いつまでもやられっぱなしでいいのか、そんな声が国民から上がり始めている。
帝国がどう考えているかは知るところではないが。ニヴィアの指摘する可能性は、大いに有り得るものだった。
そんな未来を想像したユイが、顔を青くしながら呟く。
「もし、そんなことになったら……」
「大勢が死ぬでしょう。それこそ、何百、何千では済まない……大量の死者が」
ニヴィア曰く、長い歴史で見ても、魔導国と三大国が、どちらかを食い尽くさんとする勢いで戦ったことは未だないそう。
「王国、帝国、聖教国がまだ三大国と呼ばれる以前の、『魔工国』と呼ばれる大陸屈指の超大国があった時のことは定かではありませんが」
魔工国という大陸一とさえ称される超大国。存在したことは確かだが、どこを探してもその時代に関する詳しい情報は得られなかったらしい。
ニヴィアに分かるのは『たった一夜で滅んだ』ということだけ。
何故、滅んだのかも、何もかもが不明だと、ニヴィアは語った。
「 彼(・) 女(・) ならば、何か知っているかもしれませんが……」
俺たちには予想しようもない、含みのある言葉を吐きながら、ニヴィアは何か、遠くを眺めていた。
俺は彼女と聞き、マキナを連想したが、なぜか違う気がした。
何にせよ、戦争が始まれば、俺たちには予想もつかないほど大きな被害が生まれる。街が滅び、多くの命が失われる。
それもそのはずだ。どちらかが食い尽くされる、つまり国が滅ぶのだから。
「そう言えば、なんで魔導国と三大国は戦っているんだろう」
ユイがふとこぼした疑問。
戦う以上、理由はある……はずだ。しかし、言われてみいれば俺も、そしてダッガスらも、魔導国との因縁について詳しくは知らなかった。
過去に魔導国が何度も侵攻してきたという話くらいしか知らない。
かつて勇者だったアレンの元にいた時は、まだまだ魔導国の動きが活発でなく、モンスターの対処が主な仕事になっていた。
魔王無き魔導国より、モンスターの方がずっと脅威だった時代だ。そのため、各地に生息するとされる、凶悪なモンスターの情報なら把握しているが……。
俺が所属していた一年の間、魔導国が話題に上がることもそんなになかった。
ユイの真っ当で、純粋な疑問にニヴィアは慎重に言葉を選びながら答える。
「時代によりけり……魔導国に住まう魔族を思い、侵攻の道を選んだ魔王もいれば、野心家で、全てを手中に収めたいと言うだけの理由で、侵攻してきた魔王もいると聞きます」
「でも、三大国も魔導国も健在ってことは……」
「不思議と、小競り合いで終わっています」
両国に、国家の存続に関わるほど甚大な被害が及んだことは未だない。それこそ、奇跡と称したくなるほどに、大事には発展していなかった。これほどの確執があるにも関わらずだ。
その辺りのことを記した本が図書館の歴史のコーナーにあるため、興味があれば是非と勧められる。
「ニヴィアさんは、本当に物知りですね」
「冒険者業をしながら、大陸を飛び回ってしましたからね」
「えっ、ニヴィアさんも冒険者だったんですか!?」
旅をしていた……とは聞いてたが、冒険者だったのか。
まぁ、旅をするにはもってこいな職業なのは違いない。
「えぇ。冒険者プレートは燃やしてしまいましたから、もう活動で来ませんが……」
「燃やすって……」
せっかく積み上げた功績……記念として持っておく人は多い。
わざわざ捨てる人は珍しいのではなかろうか。
「どうして……」
「どうして、ですか。そうですね……未練を断つため、でしょうか」
姉や家族のこともうっすらと聞いている。彼女がこれだけ外に興味を向けながら、この集落に引き篭もる理由を。だから、それ以上踏み込む気にはなるはずもなかった。
俺たちが黙る中、ニヴィアは心中を察し、軽く笑みをこぼす。
「そんな気を使わなくて結構ですよ。何を聞いたか……おおよその想像はつきますが、決め手となった理由は姉ではありません」
「そ、そうなの?」
「えぇ」
ニヴィアの視線がスッとコップの水面に落ちる。
懐かしげに、過去に耽る瞳には、寂しさが宿っている。
「今のことは知りません、という前置きをして言います。今は色々と、起こっているようですし」
冷たいお茶を喉に流し込み、優しくコップを机に戻す。
「大賢者らが消息と経ってから、世界は一気につまらなくなった……それが、冒険者を辞めた理由です」
ニヴィアの言葉に、皆がポカンした表情を浮かべた。特に、大賢者のいた時代さえ詳しくは知らない俺には、理解できない話だった。
「そう、なのか?」
ただそう、問い返すことしかできない。
「だってそうでしょう? 大賢者が消えてから、あなた方がダンジョンを攻略するまで、十年以上もの間、誰もダンジョンを攻略できなかった」
「それは、そうらしいな」
ダンジョン攻略もそうだが、それに肩を並べるほどの事象は、ここ十数年起こらなかったそう。
それは不運や、偶然という話ではない。
ダンジョンは未だ大陸に点在し、場所もいくつかは判明している。望めば踏み入ることはできる。国家だって、腕のある冒険者の頼みとあれば解放するだろう。いつくかには、放置しているだけで害をばら撒くダンジョンもあると聞く。
つまり、運や確率の問題ではない。ただ単に、大賢者に並ぶ実力を持つものが現れなかった。
「伝説の冒険者が現役だった時代、多くの猛者は、彼女らに食らいつかんと、鎬を削った。帝国一と称されたスミレをリーダーとする冒険者パーティーが、帝国を代表する魔法使いクラウディアが、彼女らを超えんと己を高め、本気でぶつかり合った。あの時代には、そう言う猛者が大勢いました」
懐かしそうに、当時のことを話すニヴィア。
当時の勇者と大賢者の決闘。聖騎士学院に大賢者が殴り込み、未来の聖騎士団長とさえ謳われた主席を奪った。大賢者と魔将の魔法の腕比べ、などなど。
「確かに、大賢者、剣聖と並ぶ猛者はいなかったけれども、皆が皆、伝説を打ち立てんと意気込んでいました。討伐不可能とされたモンスターを無名のSランク冒険者が打ち破ったり、新たなモンスターが発見されたり。新たな魔法もいくつも発明されました。しかし、大賢者らが先代魔王との決戦の末、行方をくらまして以降……皆が彼女を超えられない伝説として語り、時代は停滞してしまった」
その言葉に、俺以外の四人は神妙な面持ちをする。まるで、心当たりがあると言わんばかりに。
「そう……かもしれないわね」
「そう、なのか?」
「えぇ、ロイドが勇者パーティーを追放されるまで、大賢者たちがいた時代のような大きな出来事はなかったし、冒険者の数は爆発的に増えたけど、大陸に大賢者や聖剣と並ぶほどに、名を轟かせる冒険者は現れなかったわ。みんな過去ばっかり……今の冒険者が話題に上がることはあんまりなかったかも」
ユイは「まぁ、私もそんな大衆の一人だったんだけどね」と自嘲気味に笑った。
「言われてみればそうだな……ロイドが現れてからだ。こんなにも、良くも悪くも世間を揺るがす事象が頻発し出したのは」
ダッガスの言葉を受け、皆の視線が俺へと刺さる。
「そんな、俺のせいみたいに言わないでくれ」
「あはは……わかってるって」
ユイは冗談だと笑ってくれたが、ダッガスだけは妙に確信を持った目で俺を見ていた。
ただ、一介の白魔導師が勇者パーティーを追われるくらいで、何かが動くことがあろうか。
きっと偶然だ。
「それにしても、時代が動き出したのは本当のようですね。あいにくと、喜ばしい意味ではなさそうですが」
大賢者の時代とは違い、良い意味で世の中が変わっているとは言い難い。素直に喜べる変化ではない。
だが、それでも話としては満足してくれたようで。
「何にせよ、面白い話が聞けました。これまた随分と、特殊な経験をしているようですし、想像以上に名のある冒険者方なようです。ひょっとするとダンジョン攻略も可能かもしれません」
そう言ってもらえて、悪い気はしなかった。
ユイたちも、背中を押す言葉に心なしか嬉しそうである。
「ニヴィアさんは、憑霊のダンジョンについて何かご存知ですか?」
ダンジョン攻略に挑んだ多くの冒険者がここを拠点としたと聞く。ひょっとすると、ニヴィアより前の代にもそういう方がいて、何か情報を得ているかも知れない。
「ヒョウレイのダンジョンについてですか。そうですね……すでにどこかで聞いているかも知れませんが、なんらかの精神に作用する要素があるそうです。そしてそれは、あらゆる魔法的手段で防ぎようがないとのことです」
かつて、腕の良い白魔導師を連れたパーテぃーが挑んだそう。白魔導師は入念に、精神を守る支援魔法……おそらく強化魔法の一種、状態異常耐性を鍛え上げ、挑んだが、失敗に終わったそうだ。彼女は一言、帰り際に「支援魔法じゃ防げない。全くの無意味だ」と呟くように、溢したらしい。
「どういう意味だ……」
少なくとも、俺がやろうとしていたことは意味をなさないと思った方がいいかも知れない。
「それと、寒さ対策をお忘れなく。地下は想像以上に冷えると聞いています」
防寒は必須と。
「ニヴィアさんはあのダンジョンに入ったことがあるの?」
「入り口付近なら何度か。ルシカもあるはずです」
「そんな、誰でも入れるような感じなの?」
放置していても害がない、ということはモンスターでごった返しているダンジョンではなさそうだが。
「まさか。この集落から山が見えたでしょう? その麓にダンジョンの入り口があります。ですが、距離といい、環境といい、子供がたどり着けるほど簡単なルートではありません。最もSランク冒険者には、簡単でしょうけど」
幼少期から並外れた身体能力があったルシカだからこそ、とのことらしい。ルシカの化け物じみた神童エピソードは馬車で十分に聞いている。
「油断は禁物ですが、ダンジョンまでは大丈夫だと思いますよ」
ユイがこれまでの長い旅路を話す間に、辺りはすっかり暗くなっていた。
この集落とその近辺は比較的安全で、夜に出歩いても問題ないとのことだが、出歩くだけのものはないそうで。旅で蓄積した疲れを早く取るためにも、俺たちは早めに就寝することにした。
二階の二部屋を貸してもらえたため、部屋わけは男女で決めた。
「夕飯、美味しかったです。ありがといございます」
最後に、そう礼を言い立ち去らんとするユイにニヴィアは問いかける。
「聖剣を持った勇者は強かったですか?」
唐突な問いかけに、ユイは首を傾げる。
アレンと戦い……奮闘するもするも敵わず、深傷を負った話をしたのはユイ自身だ。完膚なきまでに打ちのめされたと顔では笑いながら、そしてその瞳には悔しさを強く宿しながら、そう語った。
こう言ったユイの口から言うべき出来事が多かったのも、ユイに話させた理由でもある。
ニヴィアに問われ、ユイは改めて当時の情景を思い返す。
アレン自身はそこまででもない。ただ、聖剣を握る勇者は強かった。何故、聖剣を扱える勇者が、特別優遇されるのか、理解するには十分過ぎた。
それはそれとして、何故そんな問いかけをしたのか。ニヴィアがその話題に、強く関心を抱く理由が、そして尋ねる理由が、ユイには理解できなかった。
そんな疑問は抱きつつも、とりあえずニヴィアの言葉に本音で答える。
「強かった。あれから私はうんと強くなったけど。でも、悔しいけど、正直今でさえ、勝てる確証はないかな」
強く握りしめた拳を眺めるユイの瞳の奥に不安を見たニヴィアは、静かに言葉を紡ぐ。
「……一つ、アドバイスです」
「アドバイス?」
話の流れが理解できず、ただ尋ね返すことしかできない。
「勇者という肩書きに惑わされてはいけません。彼らは強い武具を扱えるだけ……無敵とは程遠い存在です。現に、勇者じゃなくとも何百、何千……いえ、何万というモンスターを屠ることはできる。勇者じゃなくとも、魔王を倒すことはできる」
――それこそ、大賢者がそうだったように。
そう語るニヴィアはまるで、勇者も大賢者も、ずっと深く知っているような口ぶりで。そしてそれが何故か、嘘や演技の類には見えなかった。
「もう一度言います。肩書きに惑わされてはいけません」
その言葉には、上手く言語化できない説得力があった。
◇
深夜、トイレで目が覚めた俺はダッガスとクロスを起こしてしまわないよう、静かに布団から体を起こし、廊下へと出た。一歩、また一歩と踏み出す度に、僅かに木の板が軋む音が響く。
静寂がそんな些細な音を大きく感じさせるが、これで起こしてしまうことはないだろう。
忍足で階段を下り、一階にあるトイレを目指す。
一階の廊下に出ると、書斎からほんのりと光が漏れ出ていることに気がついた。
特に理由はないが頭がぼんやりとしていたからか。理由のない好奇心に従い、眠たい目を擦りながら、ふらふらとした足取りで向かう。
背丈を優に超える本棚と本棚の間を進み、光源へと足を進める。
光源があるのは本を読むために設けられた一角にあるようで、灯りに近づくにつれ、少しずつだが脳が覚醒していく。
「誰かいたのか?」
机の上には魔道具のランタンの灯りに照らされ、数枚のレポートが置かれていた。誰かが消し忘れたのか、あるいは一時的に席を立っているのか。
まだまだ意識がはっきりとはしない今、レポートの内容にはさほど興味はわかず、誰か戻ってくる前にと……直様トイレへと向かおうとして、ふと足が止まった。
何故だか、そのレポートが懐かしく思えたからだ。
理由はすぐに分かった。
レポートの字だ。見覚えのある筆跡だった。
「これって師匠の……」
何度も何度も、嫌となるまで目にした師匠のものと良く似た字。
それを確かめるように、レポートを覗き込み凝視する。
やはり、似ている。
「どうかしましたか?」
慌てて振り返ると、そこにはニヴィアが立っていた。
意識がはっきりしていないせいか、声をかけられるまで気が付かなかった。
「あぁ、いや……灯りがついてたから、気になって。そしてら、このレポートの字が、俺の師匠の字にすごく似てるなぁ、なんて思って。それで立ち尽くしていたんだ」
「師匠、ですか?」
「魔法を教えてくれた師匠であり、親だ。血縁ではないらしいが」
血縁といえば、結局アイラはどうしたのだろう。帝都で別れた時にはすでにもう、何か予定が詰まっているようで、仕事を済ませたら聖教国に戻るとだけ教えてくれた。アイラの仕事となると、マキナ絡みであり、すなわち国家レベルのものだと推測できる。つまり、関わらないに越したことはない。そう結論づけ、深くは考えていないが、それでも元気かどうかはくらいは気になる。
「名前を聞いても?」
名前なんて聞いてどうするんだろう。と思いながらも、素直に答える。
「マーリンだ」
「……そうですか」
それだけ言い、ニヴィアは何故か考え始めてしまった。もはや、俺のことなど気にさえ留めていないほど、考えに耽っている。
まぁ、いいか。
俺は勝手にレポートを見たことを軽く詫び、目的であるトイレへと向かった。
その間も、ニヴィアは何かを考え込んでいる様子で、やはり俺のことなんて見えていないかのようだった。
◇
ロイドがトイレを出て、階段を登っていくことを音で確認したのち、ニヴィアは手元のレポートに視線を落とした。
そこには『古代魔法に関する調査』と書き記されている。
帝国が知れば血相を変えて取りに、そして聖教国が知れば全力で消しにかかってくるであろう、機密事項がつらつらと書き記されたレポート。
「ロイド……あぁ、そう言えばそんな名前でしたね」
十六年か、あるいはそれより少し前……大雨が吹き荒れる晩、訪れたマーリンの姿を思い返す。大切な人を失った彼女は酷く落ち込んでいて、見るに耐えない様子だった。ここに来るまでに酒でも浴びるように飲んだのか、酒臭い。
昔から酒癖は悪かったが、ここまでではなかったはずだ。
心配し声をかけるも「大丈夫だ」の一点張り。しかし、どう見ても大丈夫には見えないほど、彼女の顔はやつれていた。
すっかり変わり果てた彼女は、多くの書物やレポートを譲りに来たらしい。
どれも、世間に出れば騒ぎになるレベルの、ものによっては国家が動くレベルの内容だった。
「子供を育てることになった。だから、家には置けない。家には要らない」
ニヴィアは受け取った書物の一冊を手に取り、軽く目を通す。子供の目に触れるには、好ましくないものなのは確かだ。
でも、違和感があった。
前に会った……何度も冒険の旅に勧誘してきた彼女は、こんな人じゃなかった。むしろ、こんな内容の書物でさえ、子供に進んで読ませるくらいの人間だったはずだ。
少なくとも、子供の手から永遠に取り上げるようなことはしなかっただろう。
「私は、しばらく姿を消す。世間的には、死んだことにするつもりだ」
「……そう、ですか」
何故、は愚問だ。
理由は聞いてるし、その絶望は計り知れない。
「私にこれらを……」
「本当は燃やすべきなんだろうが……こんなものでも、思い出だ。私の手では、処分できそうにない」
ずらりと積み上げられた書類を、懐かしそうに見つめる。
「それに、こういうの好きだろ? それでいて、ニヴィアはここで知り得た知識を悪用しない。実践もしない。だから、信用できる」
知識には興味がある。しかし、マーリンやウィルとは大きく違い、自らで研究、追求し、さらに先へと理解を深めたいという熱意はない。知識を得たからといって、実践したいわけでもない。
あくまでも見るのが、知るのが好き。
それでいて、世界を一人で渡り歩くほどの『実力』はニヴィアにはある。
それに、
「ここにはあるだろ? こんなど田舎の図書館には見合わない、保管庫が」
先代が貴重な書籍を保管するために、名のある鍛治師と錬金術師に依頼し、作り上げた書庫がある。非常に頑丈なのみならず、不正に開けようとすれば、中身が焼却される。
「……扱いは任せる」
「ま、待って……」
そう叫びながら手を伸ばすが、伸ばしたその手は虚空を掴むだけ。
マーリンは、ふらふらとした足取りで暗闇の中へと姿を消した。
あれほど大きく見えた背中は、随分と小さく、頼りなく映った。
きっとその時だろう。
ニヴィアは、退屈な時代の幕開けを確信した。そんなマーリンの苦悩も知らず、英雄と褒め称え、越えようとさえしない有象無象に、嫌悪感さえ覚えた。
しかし、そんな退屈で、鬱屈とした時代は十数年の時を経て、幕を閉じたようだった。
それに、どこまであのロイドという青年が絡んでいるかは分からない。
それでも、
「少なくともロイドの追放が、伝説たちを再び動かすキッカケになったことは、間違い無いでしょう」
マーリンの後ろ姿を見た時とは違い、時代が大きく変わる気がする。
しかしそれは、不穏で、とても喜べそうにはないものだった。
嫌な予感が脳裏を過ぎる。激しい胸騒ぎがする。
そして残念なことに、不穏な魔の手が……魔王の毒牙が、この地にも迫ろうとしていた。