軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

白魔導師、と獣王祭 4日目!(上)

四日目……トーナメント戦の最終日。

午前に準決勝が行われたのち、長時間の休憩を挟み午後の決勝戦が行われる。

選ばれし何十人といた参加者の中から勝ち進んだ四人は、猛者の中の猛者。彼ら、彼女らがどんな試合を繰り広げるのか、観客は昨日から胸を高鳴らせ、期待を募らせていた。

準決勝に勝ち上がった四人。

うち一人は、突如として現れた獣人……ガオン。彼女はこの何十日の間で全くの無名の状態から頭角を表した、今や最強と謳われるほどの戦士。

見るものを圧倒する覇気を纏わせ、どんな強者も薙ぎ倒す彼女に、心奪われた獣人は数知れない。今や、ファンクラブまで作られており、彼女に惹かれたが故に『帝国に残って欲しい』と、そのためにガオンの敗北を願う、拗れたファンも少なくはない。

次に、帝国の民であれば誰しもがその名を知る、五隊長の一角にして、剣の名家の出身の最強の剣士……刀将ムラサキ。帝国には他にも氷晶の勇者セリオンや魔将クラウディアという強者はいるものの、もし仮に魔法を封じた試合であれば、彼らがムラサキに勝つ事はほぼ不可能だろう。

そう言わしめるほどの強者。

相変わらずの凜とした、静かな美しさを纏う彼女からは、今日に限ってはそんなイメージには反する猛々しいオーラが抑えきれずに漏れ出ていた。

ガオンとムラサキ。二人の強者が準決勝まで残るのは、誰しもの予想通りといえよう。

妥当な結果だ。

そして残る二人は、二人とは異なり全くの予想外。

うち一人は昨日の試合で、五隊長の一角である弓将を打ち破った……つまり、五隊長と互角以上の力量を大衆の面前で示してみせた謎多き剣士ナナシ。

女性としては平均的な背丈だが、その堂々たる佇まいからは何故だか、相当な強者であることが窺える。

そしてやはり、そんな彼女を見て真っ先に目が行くのはその口元以外を隠すような特徴的な仮面だろう。

大会の進行の説明を信じるのであれば、決して怪しいものではないそうだが、実のところ五隊長らすら、正体を把握していないなんて噂もある人物だ。

そんなミステリアスな彼女だからこそ、ガオンを倒せるという期待を寄せる獣人も大勢いたり。

「あれが噂のナナシ……」

何故だろう。その見た目にはどこか懐かしさを覚える反面、彼女の纏う空気は俺の記憶の中にある誰とも一致しなかった。

強いて言えば、かつて……それこそもう十年以上も前に、感じたことがあるような、やっぱりないような、そんな奇異な感覚だけがある。

そしてもう一人。

サリーという、黒髪の細身な人間の女性が準決勝まで勝ち上がっていた。俺は彼女について見たことは勿論、聞いたこともなかったが、意外にも彼女はアイラの知り合いのようで、

「あの人か? 昨日、アイラが言ってた人って」

「うん……本当になんでこんなところにいるんだろ」

アイラにとってサリーは友人、といよりは同僚に近く、つまり聖教国と深い繋がりがあると推測できる。一応、アイラ曰く、彼女もそれなりに強くはあるそうだが。

彼女も彼女でまた、なんとも特徴的な雰囲気を纏っていた。

と言うのも、

「とろこで、なんであんな疲れ切った顔をしているんだ?」

「まぁ、彼女はなんというか……社畜だから。多分、これもマキナの無茶な仕事か何かなんだと」

せっかく整った顔立ちをしているのに、それ以上に、顔面にこびり付いて取れそうもない疲労に真っ先に目がいってしまう。他三名に比べると、覇気がなく、強者らしさはあまり見えない。

何故だか、嫌々参加しているような、そんな気さえすし、それがあながち勘違いには思えない。

街を歩けばしばしすれ違うことがある、疲れ切った社会人といった風貌の女性だ。

初見であれば、彼女がまさかこの大会で、準決勝まで進む猛者とは分かるまい。

しかし、今やそう思っているのは、昨日の試合を見ていない極小数のみ。彼女の強さを目の当たりにした面々には、もはや彼女の力量に疑いはなく、あの場に立つに相応しい人間であることを確信している。

「ぶっちゃけ、サリーがガオンに勝てるかって言われると微妙だけどね。あっ、でも、ガオンやムラサキ、あとナナシ相手なら、あーしより強いかな」

「そうなのか?」

「火力勝負ならあーしの圧勝なんだけどねぇ。この状況なら、いや……うーん」

それでも厳しいというのが、アイラの見解だそうだ。

「だから、もしガオンを倒せるんじゃないかって期待してるとすればナナシだね。ま、ガオンの優勝に賭けたあーしにとっては、ナナシが負けた方が好都合なんだけど」

アイラはそう分析しているようだが、あのガオンが負ける姿など、やはり想像はつかない。俺は一度……それはとても戦闘と呼べるようなものでさえなかったが、ガオンと戦ったことがあった。そしてその後、何度か戦場を共にしてきた。観客の誰よりもガオンの化け物じみた強さを体感している。

それ故、アイラの意見も、観客たちの評価も、どこか甘く見積り過ぎているように思えてならない。

「ナナシは、そこまでなの剣士だったのか?」

「うん、めちゃくちゃ強いし、一部噂じゃ伝説の『剣聖』なんじゃないかって噂も出てるみたい」

剣聖……クルムの家に行った時にも、聞いた名前だ。

伝説の冒険者の一人にして、最強の剣士。大賢者と肩を並べる強者でありながら、同時期にその姿を消し、未だ見つかったという報告は上がっていない。

「ってか、ロイドはガオンが負ける方に賭けたんでしょ? だったら応援しないと!」

「確かに、それはそうだな」

友人の敗北を願うという何とも不思議な感覚……敗北するほどの相手を望んで試合に挑んでいるガオンを思えば、それは何ら悪いことではないはずなのだが。

それにもう一つ。昨日、促され読んだ手紙の内容がふと頭を過った。

バイオレットの妹であるイリスという少女の、とても些細とは言い難い、切実な願いの込められた手紙を。

俺は決めなければならない。

ムラサキの暗殺を食い止めた先に迫られる決断を。

期限はそう長くはない。

複雑に入り乱れる感情に惑わされる中、試合の準備は黙々と進められていく。

試合の組み合わせは公平に、今からクジで決めるようで、机の上に中身の見えない四枚の封筒が並べられた。あえて箱型にしないのは、そこまでの人数じゃない、というのと、その公平さをアピールするためだろう。三人の順番は特に決まっていないが、最後の余った一枚がムラサキのものであることだけが確定されている。

適当に、ナナシ、ガオン、そしてサリーの順で一枚ずつ手に取り、最後の一つをムラサキが手にする。

封筒の中身を確認した四名の反応は様々で、ナナシは一瞬微笑み、ガオンは誰とあたろうと楽しみだった故、特に変わらず、ムラサキは少し残念そうに肩を落とした。

そしてサリーは、チラリと対戦相手を見て、ほっと安堵する。

職員が封筒を回収したのち、それは進行兼、実況の女性獣人に手渡される。

いったい、どの組み合わせになったのか。

その発表の言葉を前に、観客は固唾を飲む。

『それでは準決勝の組合わせを発表します! 準決勝第一試合は……帝国の英雄ガオンvs正体不明の剣豪ナナシ!』

最強の新星と正体不明の剣豪のマッチング……結果として、多くの観客が獣王祭の開催前から期待していたガオンとムラサキの決闘は、あり得たとしても決勝まで見送られたわけだが、それに肩を落とすものは、意外にもいなかった。

未知すぎる故に、誰にも想像のつかないこの試合の結末に、ワクワクしないような人はそもそも客席に座ってはいないだろう。

盛り上がる客席に包まれながら、試合の準備が進められる。

これまで以上の激戦が予想される今日、観客とは違い、職員たちの顔には緊張の色が浮かんでいた。

準備が終わるや否や、ガオンとナナシが入場する。

ガオンは例の鋼の手甲を、ナナシは一本の剣を腰に携えている。

ナナシの顔を……仮面を見たガオンは眉を顰める。

「仮面はつけたままなのか?」

開始の合図が始まる前に、ストレートに疑問をぶつけるガオン。

いくら口元が解放されているとはいえ、仮面が決闘において邪魔になることは明らかで、それはこれから本気の決闘を望むガオンからすれば、侮辱とも取れる行為だった。

それでも仮面を外すよう強要しないのは、そうせざるを得ない事情がある可能性を考慮してのことだ。

そんなガオンの気遣いを前にナナシは、

「気になるなら、取ってみれば?」

煽るように、早笑みをこぼす。

帝国を魔王軍四天王から守った英雄にして、最強とさえ謳われだしているガオン相手にハンデをつける……愚行でしかないナナシの言動にどよめく観客たち。

さらに、

「一応、優勝したらその時に外すつもりだけど」

つまり、試合中に外すつもりはない、と。

火を注ぐような発言を放り込むナナシ。

「あっそう」

ガオンの黄金の瞳に鋭い殺意に近いものが混じる。相対するナナシは、まるでこの展開を期待していたかのように微笑んだ。

『それでは、これより準決勝……ガオンvsナナシを始めたいと思います!』

試合開始の合図が鳴る。

開始と同時に、ナナシは剣を肩で構えるも、ガオンとの距離は安易に詰めない。構えたまま、じっとガオンを観察する。

その様子を見て、ガオンは考える。

ナナシを倒す上で、有効な手は何か。苛立ちはあるが、油断はしない。相手の人格がどうであれ、実力が確かである以上、油断は禁物。

しかし、こうして睨み合い続けるのは性に合わない。

とりあえず、カウンターを考慮しつつも、一撃を加えてナナシの反応を見る。

そう判断したガオンはナナシを目掛け、駆け出した。

右拳を握り締め、顎下目掛け突き出すように繰り出す。

そこで予想外の動きをナナシが見せた。

ナナシは剣先をその拳へと伸ばした。ガオンは鋼の装備を拳に纏っており、いくら剣先を向けたとて刺さるかは怪しい。

それを分かった上での突きに、ガオンは怯むことなく、拳を突っ込ませる。

拳を貫くつもりならば、その上から叩き潰すまで。ナナシの握る剣がよほど特殊なものでない限り、衝突した場合、折れるのはナナシの剣だ。

そんな、たった一撃で意識を刈り取る拳を、ナナシは器用に剣の腹を滑らせるように軌道を逸らし、綺麗に受け流した。

あまりにも芸術的な技に目を奪われるも、当然、その程度で勢い余って姿勢を崩すような初歩的なミスをするガオンではない。

もとより、この一撃は様子見……相手がどう動くかの確認のつもりだった。

しかし、ナナシの取った行動に危機を覚える。

ナナシは剣の腹で拳からの力を受け流しながら、体を回転させ、その勢いのまま剣を斜めに振り下ろした。

ガオン相手に僅か一瞬でも背を向ける、命知らずな行動の先に繰り出される、遠心力を加えた思い切った一振り。

「くっ!」

慌てて左手の手甲で受け止めるも、ジンジンとした激痛が腕全体へと走った。ガオンと異なり、体格に恵まれているわけでもない。それでもナナシから放たれた叩きつけるような一撃の威力は強力で、受け止め切らないと察したガオンは後ろへと飛び退いた。

そこでさらにガオンは驚愕する。

距離を詰めるでもなく、何もない空を前に横薙ぎをせんと構えるナナシの剣身が淡く緑色に輝いていたからだ。

魔法……それも無詠唱の魔法だ。

それに気がついた瞬間、頭よりも先に本能が警鐘を鳴らした。

ゾワっと身の毛がよだつ。

――そんなの、昨日は使ってなかったろ……。

ロイドという存在のせいで、その周囲はついつい感覚が麻痺しがちだが、本来無詠唱は高等技術。帝国でそれができるのは魔将や氷晶の勇者……あとは例外的なクレアだろう。

魔法と剣術を両方を高い技量で扱うムラサキでさえ、魔法の使用には詠唱を伴う。

しかし、ナナシはそんなムラサキでさえ、出来ないことをやってのけようとしていた。

だから、ガオンの次にナナシの特異さに気がついたのは、決勝で戦うであろう二人の試合をまじまじと観察していたムラサキだった。同じく五隊長である弓将ルシカが負けた……その時点で警戒はしていたつもりだった。

とは言え、ルシカは弓のプロだ……なんて認識があったのは確かで。

甘かった。

魔将クラウディアが剣聖の名を出してまで比較した理由を、今この瞬間にムラサキは理解する。そんなクラウディアもまた『彼女が剣聖ではない』ことを確信しているが故に、驚き目を見開いていた。

「あれって……」

奇しくも、ナナシの使わんとする技術に最も近しい技術を持つアイラだけが、別の驚きを見せる中、会場に突風が駆け抜けた。

皆が目を閉じ、一瞬、会場から目を離す。

そして目を開いた先で、衝撃的な光景を目の当たりにする。

ナナシの一撃をもろに受けたガオンはボロボロで、今までの試合であれば勝負がつくほどの負傷を負っていた。

そんなガオンを目の当たりにし、ナナシは苦い顔を 晒(・) し(・) た(・) 。

何せ、そんな負傷をおってもなお、ガオンは堂々たる態度で、そこに立っていたからだ。

ボロボロである身体であるにも関わらず、その顔は活力で溢れており、嬉々とした笑みを浮かべていたからだ。

止めるか否か、悩んだ審判はガオンのその顔を見た瞬間、口を閉ざした。

今までなら、ここで試合を強制的に終了させていた。

しかし、今の彼女を前に、そんな台詞を言えるはずがなかった。

口を出せるはずもなかった。

そんなことをすれば、自分がどうなるかわからない。

それからほんの少し後のことだ。

そんなガオンの異様さに引っ張られた大勢の観客は少し遅れて気がつく。

先ほどの強風で、彼女の仮面が剥がれていることに。

仮面の下の素顔が顕になっていることに。

その顔を見た瞬間、観客の一部と、特に特等席で呑気に試合を観戦していた白魔導師の男は驚愕した。

以前より少し伸びた桃色の髪を靡かせ、剣を構え直す彼女は、自身の着けていた仮面が外れていることに気がつくも、観客席の黒髪の男の、酷く驚く顔を見て満足した。もう、拾う必要もない。

「……初めましてよね? ガオン」

突然の語りかけに少し驚くガオンを前に、彼女は淡々を話を続ける。

「どうやら、うちのロイドが随分とお世話になってるようで」

「うちの?」

妙な言い回しに首を傾げる。

「あら? 聞いてないの? 私のこと」

そんな桃色髪の女性を観客席から眺めていた大男は「そりゃ名乗ってないから分からないだろ!」と、呆れた様子で、心のうちでツッコミを入れる。

その横には同じく呆れた顔の金髪の男と、そして困った笑みをこぼす女がいた。

長い付き合いゆえか、彼らの顔を一瞥しただけで心のツッコミを受け取った彼女は咳払いをし、名乗る。

「美少女剣士のユイよ、よろしく」

ユイ……その名には確かに聞き覚えがあった。

ロイドの仲間で、そしてかなり強いと。

常識から逸脱した技量を持つ彼が『強い』と評すのだから、それは相当なのだろうと期待していた。

しかし、それは間違いだった。

目の前の彼女は、ガオンの期待を超える存在だった。

「あぁ、聞いてるよ」

その『名前は聞いている』という意味で返したガオンの言葉に、ユイは少々困惑する。

――えっ、あいつ私のこと美少女剣士って紹介したの?

ポカンとした様相のユイを見て、微妙に噛み合わない会話の流れを察したダッガス、クロス、シリカは呆れ、ため息を溢した。

そんな噛み合わない会話の誤解は解けないまま、しかし、正しく続いていく。

「そうか……そうか。ロイドの仲間か。なるほどな……道理で強いはずだ」

まるで自分のこの何十年という人生は、そしてロイドとの旅は、この時のためにあったのではないか、そんな喜びが、彼女の鼓動を加速させる。

「本当に、最高だよ!」

ガオンの感情が爆発した瞬間、会場の温度が少し下がったような感覚を、その場にいた全員が感じていた。勿論、実際に気温が下がったなんてことはない。

その正体は寒気だ。

「テメェ相手なら、加減はいらないなぁ!!」

ガオンが今まで、相手を殺さないようにと無意識に押さえていた力が解放される。

観客の多くが、恐怖と歓喜と、好奇心でその場に釘付けになり、一歩も動けなくなる中、そう遠くない距離で相対するユイは笑う。

確かに目の前の獣人は強敵だ。あの時の、聖剣を手にしたアレンよりも強いと見える。

それでも、

彼女から放たれる空気を震わせるほどの威圧感も、本能に訴えかけてくる恐怖も、先生に比べれば、なんてことはない。

何より、目の前の彼女に勝って初めて、ユイはロイドを再び仲間と呼べると、彼を連れ戻す資格があると、そう覚悟していた。

「それじゃ、うちの 支援職(メンバー) 、返してもらおうかしら!」

ガオンが一歩踏み出した。

ただそれだけだというのに、地面には大きな亀裂は入り、地を震わせる。

たった一本の剣でどう防ぐのか、試合を見守るムラサキは思案する。いつくか案は浮かぶが、あのガオンを前にすると、どれも効かない気がしてならない。

そんな中、ユイは、

「上等じゃない!」

剣を地面に突き刺し、床の一部を抉り、ガオン目掛け投げつけた。

いくらガオンとて、この速度で岩にぶつかればダメージを負う。

そう考え、その拳で迫る岩を粉砕したところを……がっしりとユイに捕まれた。ほんの一瞬、岩で視界を遮った瞬間に一気に間合いを詰めたユイ。

剣士として鍛え続けたユイの握力はいくらガオンとてそう簡単に振り切れるものではない。

ガオンの体がふわりと宙を浮いた。

いくらガオンとて空中での攻撃は制限され、不安定な体勢ならば威力も大幅に落ちる。

ここでもし、ユイに誤算があったとすれば、それでもなお、ガオンの一撃は致命傷になりうるほどの威力だったということだろう。

片腕で振るったユイの剣はガオンの大幅に制限を受けた蹴りで呆気なく弾かれ、ただそれだけで腕に鈍い痛みが駆け抜ける。

肩が外れそうな勢いで、全身を引っ張られる。

油断はなかった。ただ、最大限に警戒していたユイの想定を、常識をガオンが超えただけだ。

「っ……」

痛みと僅かな麻痺により柄を手放しそうになった……その手に今一度力を込める。

地面に着地したガオンに対し、剣を正面に構えることで突進を牽制する。

互いに言葉を交わす余裕さえ消えた極限の緊張の中で、ガオンの纏う手甲とユイの握る剣が幾度となくぶつかり合う音のみが、しんと静まり返った闘技場内に響き渡り続ける。

必死だった。

ガオンから素早く、次々と繰り出される拳は、一撃一撃が致命傷になる威力。まるでジャブでも打つような感覚で振るう拳には、掠っただけでも致命的な攻撃力が乗っかっている。

当たったら終わり……そんな緊張感の中、絶対に当たらぬよう正確に、それでいてなるべく剣に負担がかからぬよう、丁寧に防ぎ続ける。

残る一回。先ほどガオンに浴びせた魔法を使える回数だ。正確に言えば、あれは魔法というにはあまりにも不完全で、故に魔力消費はすこぶる悪かった。事実、ユイは風属性魔法を使えると呼べる領域にはない。

ただがむしゃらに暴風を炸裂させるのみ。風属性魔法の暴発にも近い。

それを消費する魔力量で何となく制御しているだけだ。

必死だった。

ユイには自分とは違い、一撃一撃にはそこまでの威力はない。当人もそれを分かってか、無意味な攻撃はせずに防御に転じている。

一見するとガオンが圧倒的に有利な状況だ。しかし、次に大ぶりの攻撃を与える隙を与えれば、ガオンは敗北するだろう。だから、反撃の隙は与えないためにも、ガオン自身、大ぶりの動きは出来ない。

このまま素早い猛攻を叩き込み続け、ユイに限界が来るのを待つ。

二人の間でのみ、時間がゆっくりと流れる。

そんな中、痺れを切らしたユイの剣が淡く輝き出した。

何をするつもりなのか。

先ほどの魔法攻撃を打てるような構えではない。満足に剣を振るうことさえ叶わない状況。

誰しもがユイの思惑を理解しかねる中、真っ先にその解に辿り着いたガオンの顔から血の気が引く。

――まさか、こいつ!?

気がついたその時には、すでに遅く……二人の間で小さな暴風が炸裂した。

ガオンもユイも、強風に吹き飛ばされ、無理やり距離を取らされた。

すぐさま、拳を構えるガオンの視線の先には、先ほどと同様の構えを……あの強力な一撃を放たんと剣を構えるユイの姿が目に映った。

――間に合わない!

再び、闘技場内に暴風が吹き荒れる。

魔将クラウディアは今回は予想していたため、その風圧が観客席に入らぬよう、自身の魔法で余分な風圧を上空へと押し上げながら悪態を溢す。

「リリィめ……妙な技術を教えよって」

金髪の女の顔を思い浮かべながら出たクラウディアの呟きは風に乗り掻き消えた。

そうして向け直した視線の先では、

「……危なかった」

あの一瞬、ガオンはユイの一撃を食い止めることは諦め、代わりに闘技場内の床の一部を抉り、盾代わりにし防いでいた。

それだけでなく、抉れた地面に半身ほど潜めることで、魔法による攻撃のダメージを最小限に抑えていた。

咄嗟の機転で致命傷を回避したガオンは勝利を確信する。

ガオンは薄々勘付いていた。これでユイがしばらくは魔法の類を扱えないと。もうろくに魔力は残っていまい。

後は冷静に対処し、ユイにトドメを刺すだけ。

そう思い、岩の盾を退けた先にユイの姿はなかった。

「何……」

相手の魔力が切れた瞬間、何故、一瞬でも勝利を確信してしまったのか。

それは一言で言えば、ムラサキの存在のせいだった。ガオンは長い間、自分を倒せる可能性をムラサキに見出していた。

だから自然と魔力や魔法に注意が向いた。

しかし、ガオンには知る由もなかったが、ユイは元々、魔法なんて一切使わない……否、使えない純粋な剣士。そのインパクトのある魔法はあくまでも彼女がこの短期間で身につけた付け焼き刃であり、その本領は今なお、剣技である。

視界に映らない剣士に動揺する中、獣人の中でも極めて敏感なガオンの耳は、背後で何かが地面を擦るような、微かな音を拾った。

瞬時に振り返ろうとしたガオンの首に、冷たい感触が触れる。

その冷たさが紛れもない現実のものだと気がついた時に、ガオンは両手を上げた。

「初めてだよ。敗北したのも、こんなに満足したのも」

そう語るガオンは、敗北したにしてはあまりにも清々しく、晴々とした顔をしていた。

敗北した。

つまりは、帝国軍入りしなくてはならなくなったわけだが。しかし、今はそんなことはどうでも良かった。

今はこの、初めての未知の感覚だけを噛み締めていたい。

また、首筋に剣の腹を当てながら、ガオンの言葉を聞いたユイは喜びの笑みを溢した。

十数秒の沈黙の末、試合の結果が拡声器を用い、伝えられる。

『なな、なんと……帝国の英雄ガオンの敗北の宣言により、この試合……謎の剣士ナナシ、もとい、Sランク冒険者ユイの勝利!』

会場に吹き荒れる歓喜と拍手の嵐。

開催以前より期待されていたガオンとムラサキの試合を前に、彼女は突如現れた剣士との戦いで敗北を決したのだった。