軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

銀月の草原

トワは草原の真ん中に立ち、しばらく動かなかった。

BGMが変わっている。回廊の不穏な金属音はなく、代わりに草原に合う弦楽器の音が流れていた。BCOの環境音楽は場所ごとに作り込まれているが、ここのBGMは特に美しい。

マップを開いた。【銀月の草原】のエリアは広い。回廊の倍以上ある。その大半がまだ灰色だ。

──全部歩く。

歩き始めた。草を踏む感触がやわらかい。フルダイブVRの触覚フィードバックが、足裏に草の弾力を伝えてくる。夜風が頬に当たる感覚まである。

五分ほど歩いたところで、【見聞録】がモンスター反応を捉えた。

【銀月の鹿 Lv78 ──非敵対型】

非敵対型。こちらから攻撃しない限り襲ってこないモンスターだ。

銀色の毛並みを持つ大きな鹿が、草を食んでいた。角が透き通っていて、月光を通すとプリズムのように虹色に分光する。

──きれいだな。

近づいても逃げない。むしろこちらを見て、首を傾げている。【見聞録】が追加情報を表示した。

【この個体は「銀月の草原」の固有NPC獣です。友好度を一定以上にすると騎乗が可能になります】

騎乗。つまり乗り物だ。BCOでは一定レベル以上で騎乗獣を入手できるが、通常はLv50以降のクエスト報酬だった。

トワは試しに手を伸ばした。鹿が鼻先を押し付けてくる。画面に表示が出た。

【友好度が上昇しました:1/100】

……百回か。

気が長い話だ。だが、冬夜は気にしない。旅人を七千時間やった男に、百回の交流は誤差でしかない。

鹿の首筋を撫でて、先に進んだ。

草原を歩きながら、ふと足元に光るものを見つけた。

草の間に半分埋もれた石碑。表面に旅人のマークが刻まれている。

──旅人の石碑。

【旅人の手記】の素材となる石碑だ。旅人にしか見えない。他のプレイヤーがここを歩いても、ただの草むらにしか映らない。

トワは石碑に触れた。

【旅人の手記を1個回収しました(所持数:389/999)】

四百個以上使って、まだ三百八十九個持っている。旅の中で集めた総数は、もはや本人にも正確にはわからない。

こうして一つずつ拾い集めていく。地図を塗る作業と同じだ。足を止めさえしなければ、自然と手元に溜まっていく。

草原の端に、小さな丘が見えた。その頂上に──建造物がある。崩れかけた石の祠だ。

近づくと、祠の前にNPCが立っていた。

フードを深く被った老人。背は低く、杖をついている。プレイヤーネームは表示されない。固有NPCだ。

「……おや。旅人か」

老人がこちらを見た。

「久しいな、旅人を見るのは。この草原に辿り着いた者は、みな剣士か魔法使いか……旅人は、おらんかった」

トワはチャット欄に文字を打った。

「ここには初めて来た」

「そうだろうとも。ここは長く閉ざされていた。あの竜が道を塞いでいたからな」

老人が祠の中を示した。

「旅人よ、中を見ていくがいい。お前さんの──旅人の旅に、役立つものがあるかもしれん」

祠の中に入ると、石の台座の上に一つのアイテムが置かれていた。

【万象の 腕輪(アクセサリ) を入手しました】

アイテム名:【万象の腕輪】

種別:旅人専用アクセサリ。装備条件:旅人であること。

公式説明文:あらゆる道を歩いた旅人に、世界が応える。

効果:装備中、旅人スキル【万象の構え】の効果を強化する。

万象の腕輪。このアイテムの価値を理解するには、まず【万象の構え】というスキルを知る必要がある。

スキル名:【万象の構え】

公式説明文:あらゆる武器に馴染む旅人の柔軟さ。

真の効果:全武器種を装備可能。さらに、各武器の熟練度がMAXになると、その武器に対応する上位職の基本攻撃モーションをコピーできる。

BCOでは通常、武器は職業ごとに制限されている。剣士は剣、魔法使いは杖、弓使いは弓──だが、旅人だけは制限がない。全ての武器を装備できる。

問題は、旅人の攻撃モーションが貧弱なことだった。どの武器を持っても、旅人の基本モーションは「振る」「突く」の二種類しかない。だから誰も、旅人で武器を使い込もうとは思わない。

だが、熟練度MAXまで使い込めば話は変わる。剣士の「連撃」、魔法使いの「詠唱」、弓使いの「精密射撃」──上位職の攻撃モーションがコピーされ、旅人の身体で再現できるようになるのだ。

冬夜は二年間の旅の中で、拾った武器を片っ端から使ってきた。剣、槍、斧、弓、杖、短剣、鎌、拳──その全てで、熟練度をMAXにしている。

ただの暇つぶしだった。旅の道中、モンスターに出くわすたびに違う武器を試していただけだ。強くなろうとしたわけではない。

そして今、手に入った【万象の腕輪】。この効果は──

【万象の構え・強化】:コピーした上位職モーションに、上位職スキルの付随効果が追加される

つまり。

剣士の「連撃」をコピーしていれば、剣士の「連撃」に付随する追加ダメージ効果まで再現される。魔法使いの「詠唱」なら、属性強化の付随効果。弓使いの「精密射撃」なら、必中効果。

──これまでトワは、【旅立ちの剣】の三連斬のみで戦ってきた。それだけで十分すぎるほど強かった。

だが、この腕輪があれば。

全武器種の上位職モーションを、付随効果ごと使い分けられる。

トワは腕輪を装備した。左手首に淡い光の輪が浮かぶ。

……試してみるか。

祠を出て、草原に戻った。遠くに銀月の鹿とは別のモンスター反応がある。

【草原の巨狼 Lv84】

アイテムストレージから、一本の弓を取り出した。

旅の途中で拾った、何の変哲もないレア度の低い弓だ。だが、熟練度はMAX。弓使いの「精密射撃」モーションがコピー済み。

弓を引き絞る。【万象の腕輪】が光った。

トワの構えが変わった。旅人の不格好なフォームではない。弓使いの洗練された射撃姿勢。

放った。

矢が巨狼の眉間を撃ち抜く。

【 精密射撃(コピー) :必中効果適用】

3,800──クリティカル。

さらに、【初心の心得】。CTゼロ。

二射目。三射目。四射目。

矢の雨が降り注ぐ。巨狼が反応する前に、五射でHPが半分を切った。

距離を詰められる前に、弓をしまい、【旅立ちの剣】に持ち替える。

遠距離は弓。近距離は剣。状況に応じて武器を切り替え、全てのモーションをCTゼロで連打する。

──旅人というクラスの、本当の姿がこれだ。

巨狼を仕留めた。八秒。

トワは剣を鞘に収め、何事もなかったように歩き出した。

一方、現実世界では「トワ」の名前がさらに広がっていた。

レイドから一日が経ち、BCOの公式フォーラムでは旅人スキルの検証スレッドが乱立している。有志プレイヤーがサブキャラで旅人を作り、スキルの検証を始めた──が、結果は散々だった。

フォーラムより抜粋。

──「旅人やってみたけど弱すぎワロタ」

──「初心の心得のCT短縮、確かにLv1だと効果あるけどスキル自体が弱いから意味なくね?」

──「旅立ちの剣の熟練度上げ、苦行すぎる。モーション遅いし火力ないし」

──「結論:トワがおかしいだけで旅人が強いわけじゃない」

──「じゃあなんだ? もしかして、旅人限定の隠しスキルでもあるのか?」

──「旅路の極意……これ、なんか怪しいな」

──「解放条件は?」

──「知らね」

──「極意っていうくらいだから、1000時間くらいやったら分かるはず」

──「今から旅人を1000時間? 無理だろ、無理無理」

──「つまりトワさんは、二年間の一人旅で勝手に最強になってたってコト?」

──「それもう才能とかじゃなくて生き方の問題だろ」

一つだけ、鋭い考察が投稿されていた。

──「ここまでの情報を整理すると、トワの強さは単体のスキルやアイテムじゃなくて『旅人というシステムの組み合わせ』にある。初心の心得(CT消失)×旅立ちの剣(三連斬)×駆け出しの霊薬(ATK倍増)×道具通(さらに倍増)×見聞録(完全情報)×旅路の極意(詳細不明)。個々のパーツは全て初心者向けのゴミ性能。でも全部を極限まで育てて組み合わせると、最前線を超える。これ、運営が意図して仕込んだ隠しビルドなんじゃないか?」

このレスには「目からウロコ」「なるほど」「でも誰がやるんだよそれ」というリアクションが大量についていた。