軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

無音の薬師

湖岸を二十分ほど歩いて、建物に着いた。

石造りの小屋だった。壁に蔦が這っている。入口に木の扉があるが、半分開いている。中から薬草の匂いがした。音のない世界でも、匂いは生きている。

タマキがテキストを打った。

タマキ:「薬草の匂いがします。ここ、薬師の工房かもしれません」

小屋の中に入った。

棚に瓶が並んでいる。乾燥した薬草が天井から吊るされている。調合台がある。乳鉢、フラスコ、蒸留器。薬師の道具が一通り揃っている。ただし全て埃を被っていて、長い間使われていない。

そして調合台の前に、人影があった。

女性型のNPCだ。白衣のような長い上着を着ている。髪は長く、白く、ところどころ緑がかっている。目を閉じている。手に乳鉢を持ったまま、静止している。調合の途中で止まったまま、何年も経ったような姿だ。

ネームプレートが文字化けしている。「▊▊▊▊」。四文字。

タマキの目が輝いた。テキストを連打した。

タマキ:「薬師です! 薬師のNPCです!」

タマキ:「工房も道具も全部揃ってます!」

タマキ:「トワさん早く復元してください!」

トワ:「落ち着け」

タマキ:「落ち着いてます、興奮してるだけです!」

トワ:「それは落ち着いてないぞ」

トワが見聞録を起動した。記憶干渉・第三段階。NPCに向かって発動した。

【記憶干渉を実行中……】

【対象のデータが断片化しています】

【復元率:14%……31%……48%……65%……82%……97%……100%!】

【名前の完全復元:「ミラ」】

【NPCデータの復元が完了しました!】

一回で復元できた。データの構造がシンプルだったのかもしれない。

NPCの目が開いた。深い緑の瞳を持っている。口が動いた。

「──」

だが、音がない。このエリアでは声が出ない。NPCも例外ではないらしい。

ミラが困惑した顔をした。口を動かしているが、音が出ないことに戸惑っている。自分の喉に手を当てて、何度か口を動かした。やはり音はない。

トワがテキストを打った。

トワ:「ミラ。聞こえないと思うが、テキストは読めるか」

ミラがテキストウインドウを見た。頷いた。NPCにもテキスト表示は見えるらしい。ミラが調合台の上の紙を取って、ペンで文字を書き始めた。

『わたしはミラ。薬師です。ここはどうなっているのですか。声が出ません』

紙に手書き。NPCにはテキストチャットのUIがない。セレスと同じだ。だがミラは文字が書ける。

トワがテキストで返した。

トワ:「この湖のエリアは音が全て消えている。リルクトが言うには、お前たちはこの世界が捨てられた時に止まっていたNPCだそうだ。俺たちがいま、この世界の記憶を復元している」

ミラが紙に書いた。

『ええ……わたしはこの世界の薬を研究していました。法則が不安定なこの世界では、普通の調合が通じません。環境に合わせた特殊な調合法が必要です。それを研究していたのですが、世界が捨てられて、途中で止まりました』

タマキがテキストを打った。

タマキ:「わたしも薬師です! お話を聞かせてください!」

ミラが紙に書いた。

『あなたも薬師? 嬉しい。わたしの研究を引き継いでくれる人がいるとは思いませんでした』

【NPC「ミラ」が調合指導機能を開放しました】

【ミラから新しい調合レシピを習得できます】

【現在習得可能なレシピ:「変動耐性の薬」】

【効果:ステータス変動の影響を30分間50%軽減する】

【必要素材:逆根草×2、鏡水晶×1、星花の土壌(根成分・高濃度)×1】

タマキ:「新レシピ……変動耐性の薬! これ、すごく使えますね」

トワ:「ステータス変動を50%軽減か。他のプレイヤーがこの世界に来る時に必要になる」

タマキ:「素材は全部持ってます。逆根草も、鏡水晶も、星花の土壌も」

トワ:「集めておいてよかったな」

タマキ:「トワさんのおかげですよ。一つも無駄がなかったです」

タマキがミラの調合台の前に立った。ミラが紙に手順を書いて、タマキに見せた。二人の薬師が、無音の工房で、紙とテキストだけで調合指導を始めた。

トワは小屋の外に出た。セレスが肩にいる。メブキが足元にいる。

湖を眺めた。鏡のような水面が広がっていて、静まり返っている。

セレスがトワの肩の上で、トワの首を軽く叩いた。一回。

振り返ると、セレスが湖の北の方を指差していた。

トワがテキストを打った。

トワ:「セレス、何か見えるのか」

セレスが頷くと、覚醒形態になった。【月光の目】を発動する。

半径一キロの情報がトワの見聞録に流れ込んできた。

湖の北側に、法則の歪みが集中している場所がある。ほころびだ。湖の水面の下に沈んでいた。

トワがテキストを打った。

トワ:「見つけた。この地域のほころびが、湖の北に沈んでる」

セレスがガッツポーズをした。声が出なくても、やることはやれる。

トワがセレスの頭を撫でた。セレスがトワの手に頬ずりした。

メブキが地面に文字を書いた。

『みずのした? めぶき、すいちゅうは、にがて……』

トワがテキストを打った。

トワ:「メブキは岸で待ってろ。水の中は俺が行く」

『めぶき、おかでまつ。がんばって、トワ』

タマキ:「変動耐性の薬、一本完成しました! ミラさんのレシピ通りに作れました」

トワ:「さすがだな。ほころびが見つかった。湖の北の水中だ」

タマキ:「水中……潜るんですか?」

トワ:「明日だな。今日は薬の準備と、水中用の装備を確認する。ミラに水中で使える薬がないか聞いてみてくれ」

タマキ:「聞いてきます!」

タマキが小屋に戻っていった。

トワは湖を見つめた。鏡の水面の下に、ほころびが沈んでいる。

セレスが肩の上で、トワの首元にもたれかかった。声なしの体温。この世界で唯一、セレスが伝えられるもの。

温かかった。