軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

前夜

七本目の心臓を動かす前日。

花の台地が騒がしかった。プレイヤーたちが百人以上集まっている。明日何かが起きるという空気が広まっていて、見届けたいというプレイヤーが増えている。

レクトが広場の隅で仲間に指示を出していた。〈白霧の進軍〉のメンバー十五人が、脈道と根の通路の警備に当たっている。

「レクト。警備までやってくれるのか」

「トワさんたちが心臓に集中できるように、周りは俺たちが守ります。釣人の仕事は釣りだけじゃないですから」

「ありがたい」

「あと、根釣りで引き上げた脈動石、余ってるのでタマキさんに渡しておきました。調合に使えるかもって」

「気が利くな」

「釣人は気配りの職業ですから」

「それは初耳だな」

「今つくりました」

ゼクスが柱の回廊を歩いていた。暗殺者のフードを被ったまま、七本の柱の間をゆっくり歩いている。

「ゼクス。何してる」

「下見だ。明日、根の影で移動するルートを確認してる。心臓の周囲の根の配置を頭に入れておきたい」

「根の影で何をする気だ?」

「トワが心臓にエネルギーを注いでる間、何かあったら俺が最速で動く。影の中を通って、どこにでも一瞬で行ける。護衛係だな」

「護衛係。……それは、頼もしいな」

ゼクスが少しだけ笑った。普段は表情を変えない男だが、こういう時だけ笑う。

「お前が頼もしいなって言うの、珍しいな」

「たまには言うさ」

「ああ、たまにでいい。毎回言われたら落ち着かない」

アストレアがハルと一緒に花畑の端で祈りの練習をしていた。第三位階の守る祈りを展開して、結界の範囲を広げたり縮めたりしている。

「アストレアさん、結界の範囲が昨日より広くなってません?」

「根脈共鳴のボーナスが乗ってるからだと思います。根の天蓋に来てから、祈りの精度が上がってるんです」

「すごいですね。アストレアさんの成長を記録したいですが……わたしも準備をしないと……」

「ハルさんは、何を準備するのですか?」

「パーティーメンバー全員のクラスやステータス、レベル、スキル、ダメージ、あとアイテムもメモしています。もしもの時に備えて、最善手を尽くせるようにと記録しています」

「それは……なかなか真似できない芸当ですね。記録は、そのメモ帳で?」

「はい、手帳も新しくしています。これは、明日用の!」

ハルが真新しい手帳を見せた。表紙に「七本目」と書いてある。

「大事なイベントには専用の手帳を用意するんです。深淵レイドの時も、専用手帳でした。戦闘に突出していない分、こういったところでサポートできればなと……」

「へえぇ……いまは、何冊目なのですか?」

「BCO通算で三十二冊目です」

「三十二冊……」

「全部保管してあります。単に、準備というだけでなく……どれも、わたしの宝物ですね」

ダリオが花の台地の端に座って、海の方角を見ていた。地下なので海は見えないが、方角だけは気にしているらしい。

「ダリオ、海が恋しいのか?」

「おお……トワか。いや、マリドゥスに伝言を送ってたんだ。明日、吠えてくれって」

「吠える?」

「マリドゥスの咆哮は海を越えて響く。万獣の咆哮もそうだろう。二頭が同時に吠えたら、地上から世界の根まで、震動が届くかもしれない」

「万獣とマリドゥスの同時咆哮か。考えたな」

「海の男はな、陸の仲間を忘れない。地下の仲間も忘れない。全部繋がってるからな、海も、陸も、地下も」

ダリオの声はいつもよりちょっとだけ小さかった。

それでも普通の人の倍くらいの音量だったが。

タマキがナギの隣で、最後の薬の点検をしていた。

虹の雫。一瓶。姿固定薬の改良版。写空の戦薬。回復薬。全部並べて、品質を確認している。硝子蛙がけろけろ言いながら一本ずつ光り方を変えている。全部合格だ。

「ナギさん。明日の後、しばらくここにいますか」

「いるよ。ここの素材は面白いし、しばらく研究したい」

「じゃあ、また一緒に調合できますね」

「ああ。いつでも」

ナギが薬草を刻みながら言った。

「タマキ。明日は、いい薬師でいろ」

「いい薬師って……どういう意味ですか?」

「必要な時に、必要な薬を、必要な人に渡す。それだけだ、難しいことは何もない」

「必要な人に……はい、必ずそうします!」

夜。根の寝床。

セレスがトワの胸の上で丸くなっている。メブキもセレスのお腹の上で丸くなっている。二段丸まり。

グランが隣の寝床にいた。杖を抱えて横になっているが、眠れていない。目が開いている。

「グラン。眠れないのか」

「眠れない……三度目だ」

「三度目?」

「何千年前に穴の前で待った最初の夜。原初の世界に来た夜。そして今夜……三回とも眠れなかった」

「寝なくても大丈夫なのか?」

「旅人に睡眠は必須ではないが……眠れないのは、落ち着かない」

「何が不安なんだ」

グランが天蓋を見上げた。虹色の膜を通して、原初の世界の空がぼんやり見えている。

「会えることは嬉しい。何千年も待った。でも、会った時にあの人がどんな顔をするのか、想像がつかない。怒るかもしれない。笑うかもしれない。忘れているかもしれない」

「忘れてたら、どうするつもりだ」

「……思い出させる。何千年分の記憶を、全部」

「全部は多いな」

「多くていい……全部話す。最初に出会った日から、ベンチで待った日まで」

トワも同じ天蓋を見つめた。

「グラン。一つ聞いていいか」

「何だ」

「あの人の名前は、知らないんだよな」

「ああ……知らない。二人とも、名前がなかった。名前をつける力を持っているのに、自分たちには名前がない。……おかしな話だ」

「確かにおかしいな。……でも、名前はつけられるだろ」

「つけられるとは……いったい、誰が?」

「俺が」

グランがトワを見た。

「お前が……わたしに名前をつけるのか」

「まだ考えてない。でも、いずれ。必要になったら」

「必要になる、か」

「ああ。たぶんなる」

グランが嬉しそうに笑った。

「じゃあ、待っていよう。今度は、長くは待たないだろうな」

「ああ、待たせないさ」

ログアウトした。

スマホが鳴った。

電話は、宮瀬からだ。

「久坂くん。明日だね」

「ああ。明日」

「わたし、虹の雫をちゃんと渡せるか、ちょっと緊張してる」

「渡すだけだろう。飲むのは俺だ」

「でも、あの薬はわたしが作ったから。もし効果が足りなかったらって考えると……」

「足りる。ナギとメブキと三人で作った薬だ。足りないわけがない」

「……ありがと。久坂くんに信じてもらえると、安心する」

「信じてるんじゃない。知ってるんだ。お前の薬が効くことを。九千回見てきた」

「九千回……数えてたの?」

「根脈共鳴で出た数字だろ。覚えてる」

「久坂くんがわたしの調合回数を覚えてるの、ちょっと嬉しいんだけど」

「システムが表示しただけだぞ」

「でも、覚えてるんでしょ」

「……覚えてる」

「ふふ。おやすみ、久坂くん。明日、頑張ろうね」

「ああ。頑張ろう」

電話を切った。

明日、七本目の心臓を動かす。全員で。

窓の外に星が見えていた。ゲームの世界じゃない、現実の星。

どっちもきれいだ。

それを言えるようになったのは、歩いてきたからだろう。

トワはベッドの中で目を閉じた。