軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

《柱の巡礼》

七色の庭を攻略した翌日。

ヒトミが花の台地で待っていた。

「七つの番人を全て味方にしたと聞いた。早いな」

「まあ、仲間が多いからな」

「仲間、か。あの人にはなかったものだ」

ヒトミの目が少しだけ細くなった。相変わらず笑っているのか、真顔なのかわかりにくい。

「七本目の心臓を動かす前に、やってほしいことがある」

「まだあるのか」

「《柱の回廊》を歩いてくれ。七本の柱の根元を全て巡る。各柱の根元に耳を当てると、心臓の記憶の断片が聞こえる。脈動の広場で見た記憶とは別の、もっと個人的な記憶だ」

「個人的な記憶?」

「あの人が各柱の前で独り言を言っていた。その声が根に染み込んでいる。聞けば、あの人が何を考えていたかがわかる。それが、何かの役に立つかもしれない」

一人目の旅人の独り言。何千年も前の、誰にも聞かせるつもりのなかった言葉。

「聞いていいのか。独り言だろう」

「独り言は聞かれるためにあるものだ。——少なくとも、わたしはそう思っている」

「根守にしては詩的だな」

「あの人の独り言を何千年も聞いていたら、少しは感化されるさ」

《柱の回廊》に入った。

ここは、『根の天蓋』の外縁部にある。花の台地を中心に、七色の庭がその周囲を囲み、さらにその外側を七本の巨大な根が取り囲んでいる。七本の柱の根が地面からまっすぐ立ち上がって天蓋の天井を支えている場所で、巨大な根と根の間が回廊のような通路になっている。

全員で歩いた。

トワ、タマキ、グラン、セレス、ルーナ、メブキ、ゼクス、アストレア、ハル、ダリオ、レクト。

一本目の柱の根元に着いた。太い根が、幹のように地面から立ち上がっている。

「トワ、これに耳を当てるのか?」ゼクスが聞いた。

「ああ、根に耳を押しつけてみよう。ヒトミの言うことが正しいのなら、聞こえるくるはずだ」

根に耳を当てた。

声が聞こえた。

小さな声……男の声は、まだ若かった。

『——今日も歩いた。上の世界の東端まで。海があった。海の向こうに何があるか見たいが、泳げない。杖で水面を叩いてみたが、何も起きなかった。グランなら泳げるだろうか。あいつは裸足だから、水の中も歩けるかもしれない。今度聞いてみよう』

声が途切れた。

一人目の旅人の独り言。

海を見て、グランのことを考えている。

泳げない自分と、裸足で何でも歩けるグランを比べている。

「……グランのことを考えてたんだな。一本目の柱で」

グランが柱を見上げていた。何も言わなかった。

二本目の柱。

『——名前をつけるのが面白い。生き物に名前をつけると、そいつが自分の名前を覚えて、呼ぶと振り向く。昨日名前をつけた鳥が、今日もわたしの肩に止まりに来た。名前は力だ。名前があると、忘れられない。名前がないと……忘れられるのだろうか。わたしに名前をつけた者はいない。わたしの名前は……何だったか。思い出せない』

自分の名前を思い出せない。一人目の旅人は、名前をつける力は持っていたが、自分自身の名前を忘れていた。

「名前を忘れてる……」タマキが呟いた。「自分で名前をつけてばかりいて、自分の名前を誰にもつけてもらわなかったから?」

「たぶんな……そしてこれは、ただの推測だが」

トワはグランの方を見た。

「グランもそうなんじゃないか。グランはニックネームで、本名じゃない」

グランはこくりと頷いた。

「これは、始まりの町で得た愛称に過ぎない。自分自身の名前は、わたしにもないんだ」

「二人とも、本名がない……」

そして、三本目の柱。

『——深い場所を見つけた。大地の下に穴がある。覗くと暗い。風が吹いている。何かがいる。見たい。でも、グランに怒られるだろうな。『一人で行くな』と言うだろう。いつもそう言う。うるさいやつだ。でも……うるさいのは嫌いじゃない』

グランの目が赤くなっていた。

泣いてはいないが……でも、赤くなっていた。

「うるさいやつ、か」

グランが言った。

「わたしは確かにうるさかった。何度も止めた。『一人で行くな』と……何度も」

「聞かなかったんだな」

「聞かなかった。あの人は——見たいものがあると、止まれない。わたしの声が届かないくらい、遠くに行ってしまう」

四本目の柱。

『——精霊が生まれた。泉から。銀色の小さい生き物。可愛い。グランが泣いて喜んでいた。グランはわたしよりずっと感情が豊かだ。わたしは見ることが好きなだけだが、グランは触れることが好きだ。触れて、感じて、泣いて、笑う。わたしにはできない。見るだけだ。見るだけで精一杯だ。でも——グランが笑っているのを見るのは好きだ。それだけは、見ていて楽しい』

セレスが泣いていた。角から光の粒がこぼれている。

「このひと……セレスがうまれたとき、うれしかったんだ。グランがないて、よろこんでたんだ……」

「一人目の旅人は、見ることしかできない人だけど、グランが笑うのを見るのは好きだったんだな」

メブキがセレスの涙をちいさな手で拭いていた。

双葉がぺたんと垂れている。悲しい時は双葉が垂れるらしい。

五本目の柱。

『——穴に降りることにした。全部見たい。見えない場所を見たい。グランに言った。帰ると約束した。帰るつもりだった。本当に帰るつもりだった。でも……降りてみたら、見えるものが多すぎた。上からでは見えなかったものが全部見えた。記憶の残骸。忘れられたもの。落ちてきたもの。全部が見える。全部を見なければならないと思った。誰も見ていないものを、わたしが見なければ』

「帰るつもりだったのか……」ダリオが腕を組んでいた。「帰るつもりで降りたのに、見えるものが多すぎて帰れなくなった」

「好奇心が強すぎたんですね」ハルが手帳にメモを取りながら言った。「記録者として気持ちはわかります。記録しなきゃいけないものが山ほどあると、帰れなくなる」

「いや、お前は帰れよ」トワが言った。

「帰りますよ! わたしは師匠と違って、ちゃんと帰ります!」

「それなら、安心して俺も帰れるな」

「ええはい、帰ってください! 絶対に!」

六本目の柱。

『——グランが待っていることは知っている。上で座って、待っている。わたしの足跡を見ている。足跡が消えないように、苔が石を守っている。知っている。全部見えているから。でも——帰れない。まだ見終わっていない。もう少しだけ。もう少しだけ見たい。もう少しだけ——』

帰りたい。でも見たい。帰れない。でもグランが待っている。知っている。見えている。全部見えているのに、帰れない。

――グランが柱に手を触れていた。根を撫でるように。

「知っていたよ。お前が帰りたがっていたことは。でも帰れなかったことも。だから——わたしが迎えに行く」

七本目の柱。

声はなかった。

七本目の心臓は止まっている。根に染み込んだ声もない。

だが——トワの見聞録が反応した。

声ではなく、感情。根に染み込んだ、言葉にならなかった感情。

寂しい。

それだけが、七本目の柱から伝わってきた。

「トワさん? 何か聞こえましたか」

「声じゃない。……感情だ。寂しい、とだけ」

「さみしい……」セレスが繰り返した。「ひとりめのたびびとは、さみしかったの」

「楽しいのと寂しいのは、両立するものだ」

セレスが少し考えた。

「……うん。たのしいけど、さみしい。それ、セレスもわかる。トワがいつもいなくなるとき、セレスもたのしかったけど、さみしかった」

「俺が……ログアウトした時か」

「うん。トワがいないと、せかいはしずかになる。しずかなのは、さみしい」

ルーナが影の中から手を伸ばして、セレスの手を握った。

「わたしも、闇の中にいた時は、静かだった。静かなのは寂しい……わかるよ」

「ルーナ……」

「でも、今はうるさい」

「うるさいのがいいの?」

「……嫌いじゃない」

「うるさくてすまん!」

ダリオがそう叫ぶと、

「いや、今のは叫ぶ場面じゃないだろ」

と、突っ込むゼクス。その様子を観察するハル。

確かに静かで穏やかではないだろうが、この場にいる全員は、確かに笑顔を浮かべていた。

トワは思った。

きっとこの空気が、一人目の旅人が、どこかに置き忘れてしまったものだろう。

だから、思い出させてあげなければならない。絶対に。

柱の回廊を歩き終えた。

【「柱の巡礼」を完了しました】

【根脈共鳴ボーナスが永続強化されました:全ステータス+5%】

【一人目の旅人の記憶の全貌が解放されました】

一人目の旅人のことが、全部わかった。

名前をつけるのが好きだった。見ることが好きだった。グランのことをうるさいと思いながら、グランが笑うのを見るのが好きだった。帰るつもりで穴に降りて、見えすぎて帰れなくなった。寂しかった。ずっと寂しかった。

楽しくて、寂しい。

その人を、これから迎えに行く。

「グラン」

「何だ」

「あの人の独り言、聞いてどう思った」

「……うるさいやつ、と言われたのが一番嬉しかった」

「嬉しかったのか」

「ああ。うるさいと思ってもらえていたなら、わたしの声は届いていたということだから」

レクトが黙って聞いていた。それから、ぽつりと言った。

「グランさんの気持ち、少しだけわかります。釣りも待つ仕事なんで。糸を垂らして、じっと待って、引っかかるのを信じて。何時間でも、何日でも。……でもまあ、俺の待ちは何千年じゃないですけど」

「長さは関係ない」グランが言った。「待つ心は同じだ」

「……ですね」

そうして、花の台地に戻った。

メブキがセレスの頭の上でくるくるしていた。先輩が泣いていたから、心配しているのかもしれない。それとも、ただくるくるしたいだけかもしれない。

いずれにせよ、決戦の時は近かった。