軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

グランがいない

この日BCOにログインしたプレイヤーは、ある異変に気づいていた。

BCO公式フォーラム。午前十時。

——「始まりの町のグランの扉が消えてるんだが」

——「は?」

——「マジで消えてる。いつもの場所に扉がない、壁だけだ」

——「バグか?」

——「運営に報告した方がいいんじゃないか」

——「待て……グランの姿もない。扉だけじゃなくて、NPC自体がいなくなってる」

——「BCO開始から三年間、一度も動かなかったNPCが消えた?」

——「他のNPCは全員いる。グランだけ消えてる」

——「何これ。イベント? バグ?」

三十分でスレッドが千レスを超えた。

——「旅人職のプレイヤー集合。グランの扉が消えたってことは、旅人専用クエストに影響あるかもしれない」

——「影響あったぞ。グランから受注するクエストが全部『NPC不在』で受けられない」

——「まずいぞ。初心者の旅人がグランから羅針盤もらえなくなる」

——「ストーリーは個別だから初心者は大丈夫だろ」

——「あっ、そうか……中途半端に進めてる俺とかが影響あるのか」

——「旅人の羅針盤って……ああ、トワが原初の世界で使ってたやつか」

——「トワに聞けよ。あいつが何か知ってるだろ」

——「トワは原初の世界にいるはず。誰か行ける奴いないか」

トワは知らなかった。

星渡りで原初の世界に来て、グランと一緒に歩いていた。フォーラムは見ていない。始まりの町がどうなっているかも知らない。

グランと一緒に未踏エリアを歩いていた。

星降りの高台の裏手、まだ誰も足を踏み入れていない場所。

グランが裸足で草を踏むと、草が揺れて、道ができる。トワの光の足跡とは違う。草が左右に分かれて、自然な小道になる。

「グラン。あんたが歩くと道ができるな。俺のとは違う道だ」

「わたしの足跡は『場所を作る』力があるが、お前さんの足跡は『道を示す』力……昔もそうだったな。あの人が道を示して、わたしが場所を作った」

草が分かれた先に、新しい景色があった。

花畑。

一面の花畑が、グランが歩いた瞬間に出現した。さっきまで何もなかった草原に、透明な花が一斉に咲いた。写空花に似ているが、もっと大きい。色がある。虹色ではなく——金色。

「この花、グランさんが歩いたから咲いたんですか」タマキが目を丸くしていた。

「昔、ここに花畑があった。わたしが歩くと、昔あったものが戻ってくる」

「昔あったものが、戻る——」

グランの足跡は、失われた景色を復元する力を持っている。何千年も前の原初の世界の姿が、グランが歩くたびに蘇る。

【隠しエリア「記憶の花畑」が出現しました!】

【このエリアはグランの足跡によって復元されました】

【エリア踏破率:5/7 → 6/7】

「エリアが増えた……グランが歩くだけで」

「歩くだけで世界が変わるのは、お前と同じだろう」

「俺は足跡が光るだけだぞ、花畑は咲かない」

「咲かなくても、道はできる。同じことだ」

花畑の中を歩いた。金色の花が膝の高さまで咲いている。花粉が光の粒になって空気中を漂っている。息を吸うと、甘い匂い。

タマキが膝をついて花を見ていた。

「この花……写空花の上位種みたいです。成分構造が似てるけど、純度が桁違い。グランさんの力で復元されたから、何千年前の状態のまま咲いてるんです」

「名前はあるか?」

「ないです。分析率は……あ、もう始まってる」

タマキが花に触れているだけで分析率が上がっていく。写空花の命名経験がデータベースにあるから、上位種の分析が速い。

【名前のない花(上位種):分析率62%……78%……91%……100%】

「早い。もうタマキの分析速度は俺と変わらないな」

「写空花を命名した経験があるからですよ。同系統は速いんです」

タマキが入力した。

【 陽華(ようか) 】

【命名が完了しました!】

【命名者:タマキ】

【性質が確定しました:花粉に強力な治癒効果。吸入するだけでHPが緩やかに回復します】

「吸うだけでHP回復……! この花畑にいるだけで、全員が回復し続けますよ!」

命名数十六。もう十五を超えていた。

花畑を歩いていると、声が聞こえた。

「トワさーーーん!!」

レクトだった。息を切らして走ってきた。〈白霧の進軍〉のメンバーが五人ほどついてきている。

「レクト。どうした」

「どうしたじゃないですよ! 始まりの町のグランさんが消えたんです! 扉ごと! フォーラムが大騒ぎで——」

レクトがグランを見た。

足が止まった。

「……え」

「……グラン、さん?」

「おい……グランさんが、なぜここに——?」

目に見えて動揺するプレイヤーたち。

「おや、また新しい旅人たちか」グランが杖をついたまま微笑んだ。

「グランさんが、原初の世界にいる——? 始まりの町から、ここに……?」

「始まりの町には用がなくなったからな、こっちに来たんだ」

「用がなくなったって——三年間、ずっとあそこにいたじゃないですか——!」

「三年じゃない。何千年だ」

「何千年——」

レクトのメンバーが固まっている。始まりの町の動かないNPCが、原初の世界で裸足で歩いている。しかもトワの横で普通に会話している。

「トワさん。これ……どういう状況ですか」

レクトが聞いた。

「グランは二人目の旅人だ。原初の世界を最初に歩いた二人のうちの一人。ここが本来の場所だ」

「二人目の……旅人……」

「メインクエストに関わるNPCだ。一人目の旅人を迎えに行くのに、グランが必要になる」

レクトが座り込んだ。情報量が多すぎたらしい。

「ちょっと……整理させてください。グランさんが二人目の旅人で、始まりの町から原初の世界に来て、トワさんと一緒に一人目の旅人を迎えに行く。……合ってますか」

「合ってる」

「合ってるのか……」

レクトのメンバーの一人がすでにフォーラムに書き込んでいた。

——「速報。グラン、原初の世界にいた」

——「は?」

——「トワさんの横にいる。裸足で歩いてる」

——「裸足?」

——「グランが二人目の旅人だった」

——「二人目の旅人——石碑の? 壁画の?」

——「そう。トワさんが三人目で、グランが二人目。一人目を迎えに行くらしい」

——「ちょっと待って、情報量が多い」

——「グランが歩いた場所に花畑が出現してる。何千年前の景色が復元されるらしい」

——「何言ってるかわからない」

——「俺もわからない。でも目の前で起きてる」

グランがフォーラムの騒ぎを知ってか知らずか、花畑を歩き続けていた。通った場所に次々と新しい花が咲いていく。

「グランさん。始まりの町でプレイヤーが困ってるらしいですよ。旅人の依頼が受けられなくなって」

「ああ。……すまないな。だが、戻る気はない」

「依頼の受注先はどうなるんですか?」

「そのうち、何とかなるだろう。わたしが一人いなくなったくらいで止まるものではないはずだ」

NPCが運営に丸投げした。前代未聞だった。

「あと、グランさんが歩くと花畑が出てくるんですけど、他のプレイヤーが入ってもいいですか」

「好きにしろ。花は誰のものでもない」

「ありがとうございます! ……トワさん、グランさんの足跡もマップにしていいですか!」

「グランに聞け。俺の足跡じゃない」

「グランさん、足跡マップに——」

「好きにしろ」

「ありがとうございます!」

レクトたちが走っていった。花畑の探索と、フォーラムへの報告に。

グランとトワとタマキだけになった。

花畑の奥に、小さな丘があった。丘の上に石がある。平たい石。座れる石。

精霊の泉のそばにあった石と同じだ。グランが座っていた石だ。

「ここにも座る場所があったのか」

「あちこちに作った。座って待つのが、わたしの旅だったからな」

「いくつ作ったんだ」

「覚えていない。百か、二百か。……全部に座って、全部で待った」

タマキが花畑の花を摘んでいた。陽華の花びらを瓶に詰めている。治癒効果のある花粉を保存するために。

セレスが花畑で転がっていた。花粉まみれになって金色に光っている。渡空魚が花の上をぱたぱた泳いでいる。花粉が舞い上がる。きれいだが、くしゃみが出そうな光景だった。

「トワ」グランが言った。

「何だ?」

「あと一つだ」

「あと一つ?」

「踏破していないエリアが、あと一つ。……【世界の根】だ」

「世界の根――七本の柱の根元、穴の先か」

「ああ……そこにあの人がいる。……そこに行けば、全てが終わる」

「終わる、か」

「いや、終わるのではないな——始まるのかもしれない。何千年も止まっていたものが、やっと動き出すのだからな」

風が吹いて、金色の花粉が舞い上がった。

「準備ができたら、言ってくれ。わたしはいつでも行ける。何千年も待ったんだ。もう一日二日は誤差のようなものだ」

「……明日、とは言わない。でも——近いうちに」

「ああ……近いうちに」

花畑に座って、二人で空を見ていた。虹色の空に、金色の花粉が漂っている。

セレスが花粉まみれでくしゃみした。ちゅん。小さいくしゃみだった。

「セレス、花粉症か」

「かふんしょーじゃない。はなに、はながはいった」

「それを花粉症と言うんだ」

「ちがう。はなに、はなだから。はなはな」

「……はなはな?」

「ほら、トワも、はなはな」

「やらない」

「ダメ、はなはな」

「絶対に、やらない」

「じゃあ、ぱたぱた」

「それもダメだ」

「むー……トワ、さいきんけち」

「けちでいい。はなはなとぱたぱたより、けちの方がましだ」

グランが笑っていた。何千年ぶりに誰かと一緒に座っているような顔だった。