作品タイトル不明
名前のない獣
九日目。
昨日の展望台で見た景色が、まだ頭に残っていた。
三つの世界が重なって見えた、あの高台。
今日は踏破率を上げるために、まだ歩いていないエリアを回る予定だった。
集落の南東側――結晶の森を抜けた先の金色の草原が、まだ大きく空白のままだ。
「今日はこっちに行ってみましょう。昨日のプレイヤーさんが、この辺に見たことない花が群生してるって言ってました」
「ああ、命名できそうなものがあれば、片っ端からやっていこう」
草原を歩いていた。
渡空魚が十匹、後ろをぱたぱた泳いでいる。風が穏やかで、天気もいい。
――しかし、そんな散歩みたいな空気が、突然変わった。
「トワ。なにか、くる」
見聞録の振動センサーも反応した。質量が大きい――渡空魚とは桁が違う。
「タマキ。後ろに下がれ」
「モンスターですか」
「大型モンスターだ……来るぞ!」
草原の向こうから、砂埃が上がった。
金色の草が割れて、何かが飛び出す。
……でかい。
全長十メートル――四本脚で、こっちに向かって走っている。
だが……姿がおかしい。
狼のような形をしていたのが、走りながら変わった。
鳥になった――翼が生えて、脚が消えて、空に浮き上がった。
三秒後、また変わった。
蛇になった――空中で長い身体をくねらせて、こっちに落ちてくる。
地面に着く前にまた変わった。
猪になった――四本脚で突進してくる。
「姿が変わるモンスター……!?」
「名前がないからだろう。自分が何であるか、定まっていないんだ」
トワは見聞録でスキャンした。
【名前:なし Lv:なし HP:なし 属性:なし 行動パターン:不定】
全部なし。しかも行動パターンが「不定」。姿が変わるたびにパターンが変わる。分析しても次の瞬間にリセットされる。
【分析率:3%……リセット……0%……2%……リセット……0%】
「分析が追いつかない。姿が変わるたびにデータがリセットされる」
「じゃあ、どうやって戦うんですか!?」
猪が突進してきた。
地面が揺れ、草が吹き飛ぶ。
トワは横に跳んだ。猪がすぐ横を通過した……風圧がすさまじい。
次の瞬間には、猪が狼に変わった。
振り返って、牙を剥いて、跳びかかってくる。
トワは【果ての道標】を剣に切り替えて斬った――手応えはある。でもダメージ表示が出ない。HPが見えないから、どのくらい効いているのかわからない。
今度は、狼が鷹に変わった。空に飛び上がり、急降下――爪を突き立ててくる。
トワは槍に切り替えて迎撃した。鷹の爪を弾いたが、その刹那に鷹が蛇に変わった。
槍に巻きついてくる。
「くそ……こいつ、旅人よりも自由すぎるな」
トワは蛇を振り払った。途端に、蛇が熊に変わった。立ち上がって前脚を振り下ろしてくる。
転がって避ける。熊が猿に変わった。素早い、飛び回る、木の上から石を投げてくる。
これじゃあきりがない。ひたすらにリセットが繰り返されるだけだ。
「トワさん! 一回離れてください!」
見かねてタマキが鞄を開けた。
瓶を二つ手に持って、中身を混ぜて、走りながら調合している。
「タマキ、何を作ってるんだ」
「姿固定薬です! 原初水と写空花の粉で……あと、ナギさんに教わった配合の応用で……!」
猿が猪に戻った。
突進。
トワが弓で矢を放って軌道をずらした。しかし、猪が方向を変える。
「タマキ、あとどのくらいかかる!」
「三十秒です!」
「了解! それまで――時間を稼ぐ!」
三十秒。その間、姿の変わる獣を相手にする。
弓、槍、剣、弓。
武器を切り替えながら、姿に合わせて戦い方を変える。空に飛んだら弓で落とす。突進してきたら槍で受ける。近距離で絡みついてきたら、剣で切り払う。
【万象の構え】――全武器種を扱えるトワだからできる戦い方。姿が何に変わっても対応できる。
「――できました!」
タマキが瓶を投げた。獣の頭上で瓶が割れ、琥珀色の液体が獣にふりかかる。
【タマキ特製「姿固定薬」の効果:30秒間、対象の変身を封じます】
獣の姿が止まり、狼の形で固定された。
「固定しました! 三十秒です!」
三十秒――この間に分析する。
トワは見聞録のセンサー五種を全開にした。
視覚――全長十メートル。牙の長さ三十センチ。毛並みは銀色。目は金色。
聴覚――呼吸音。心拍。速い。怒っている。
振動――四本脚の体重配分。前脚に偏っている。後脚は弱い。
温度――全身の体温分布。胸の中央だけ温度が高い。心臓の位置。
魔力感知――反応なし。属性がないから当然。だが胸の高温部に、微かなエネルギーの集中がある。
【分析率:28%……47%……63%……82%……】
「分析率が上がってます!」
「固定されている間は、データがリセットされない。このまま……!」
【分析率:91%……96%……】
獣が暴れている。固定薬の効果で姿は変わらないが、動きは止まっていない。
変わらず突進してくる。
トワは避けながらスキャンを続けた――あと少し。
【分析率:100%】
【名前のない獣の分析率が100%に到達しました!】
【この存在に名前をつけることができます】
「100%……!」
「名前です! トワさん、直ぐに名前を!」
トワは獣を見た。
狼の姿で固定されているが、本来は何にでもなれる存在。
狼でも、鷹でも、蛇でも、猪でもある。全部の獣を内包している。
「獣の王……いや、まだ王じゃない。全ての獣の始まり――獣が分かれる前の姿」
入力した。
【 原初獣(げんしょじゅう) 】
【命名が完了しました!】
【原初の世界の生物「原初獣」が全プレイヤーに公開されます】
【命名者:トワ】
【性質が確定しました:姿の変化速度が低下。胸部の核が弱点として露出します】
獣の胸に、光が見えた。金色の球体――核、弱点だ。
名前をもらった獣が、一瞬だけ動きを止めた。自分が何であるか、初めて知ったような顔をしていた。
でも、敵対は解けない。変わらず牙を剥いている。
「弱点が見えた――胸の核だ」
「行ってください、トワさん。バフをかけます!」
タマキが二本目の薬を投げた。
【タマキ特製「写空の戦薬」の効果:60秒間、ATK1.5倍】
【果ての道標】を【影銀形態】に切り替えた。
原初獣が突進してくる。姿の変化速度は命名で低下している。狼のまま、動きが読める。
突進を横に躱した。獣の腹の下に滑り込んだ。見上げると、胸の核が光っている。
影銀の刃を突き上げた。
【弱点クリティカルダメージ:186,000!】
獣が吠えて、姿が変わりかけた。
鷹になりかけて、また狼に戻って……変化が遅い。もう、名前がついたから。
二撃目は剣から槍に切り替えて、胸を突いた。
【弱点クリティカルダメージ:142,000!】
三連撃目。
槍から弓に……距離を取って、核に矢を放った。
【弱点クリティカルダメージ:98,000!】
獣が倒れた。
金色の粒子になって消えていく。
【原初獣を撃破しました!】
【ドロップ:「原初の牙」×1、「変幻の毛皮」×1、「獣王の欠片」×1】
【原初の世界 探索進捗が更新されました】
【フィールドボス討伐:0/1 → この個体はフィールドボスではありません。前哨個体です】
「この強さで、フィールドボスじゃなかった……【前哨個体】?」
「もっと、つよいのがいるってことでしょうか」
「たぶん、こいつは原初獣の一個体だ。本体は……もっと大きい」
「もっと、大きい……」
「でも、戦い方はわかった。姿固定薬で止めて、分析して、命名して、弱体化させて、核を叩く。この流れでいけるはずだ」
「姿固定薬、もっと量産しないと……ナギさんに、材料を聞いてきます」
「ああ、頼む」
◇
草原に、プレイヤーたちがいた。
二人の戦闘を遠くから見ていたらしい。
「なあ……今の、見てたんだけどさ」
「ああ……やばいよな」
「何だあれ。姿がころころ変わるモンスターって……あんなの、初めて見たよ」
「原初獣だって、さっき名前をつけてた」
「ちょっと、声かけてみない?」
「恐れ多くね?」
「でも……聞かないと、分からないし……」
プレイヤーたちは、おずおずとトワとタマキに聞きに来た。
「あの……質問、いいですか」
「なんだ?」
「さっきトワさんは、名前をつけて、弱体化して、倒しました。しかも……タマキさんが薬で姿を固定して、それで分析して、命名して、弱点を叩くって……そんな戦い方、あるんですか」
「原初の世界ではあるんだろう。名前がない存在には、名前をつけるのが一番の攻撃になる」
「名前をつけるのが攻撃……ですか」
「僕もいいですか? あの薬、タマキさんが作ったんですか?」
「はい。姿固定薬です! 原初水と写空花の粉から作りました」
「あの……レシピって、公開されてます?」
「まだですけど、簡易版なら公開できますよ! ナギさんのレシピのアレンジですけどね」
「お願いします! あのモンスターに会ったら、俺たちも戦いたいんで!」
「ただし」トワが言った。「姿固定薬だけじゃ足りない。固定している三十秒で分析率を100%にしないと、弱体化しない。固定が切れたら、また姿が変わり始める」
「三十秒で100%……それって、トワさんだからできるんじゃ……」
「薬師がもう一人いれば、分析速度を上げる薬も作れるぞ。詳しくは、タマキに聞いてくれ」
「はい! 写空の霊薬も一緒に渡しますね、分析速度が倍になります!」
「あっ……ありがとうございます!」
アドバイスをひととおりもらうと、プレイヤーたちが走っていった。
「タマキ、人気者だな」
「薬師ですから。道具を作るのが仕事です」
「道具を作る薬師と、道を作る旅人か」
「いいコンビでしょう」
「……悪くないな」
「はい!」
振り返ると、渡空魚が十匹になっていた。
戦闘を見ていた個体が、新しくついてきたらしい。
「また増えた」
「トワさん、もう気にしてないですよね」
「気にしてない」
「慣れって、怖いですね」
「慣れというか……諦めというか、だな……」
セレスが渡空魚の群れの中で泳いでいた。
ぱたぱた、お魚と一緒に。
タマキがそれを見ながら、新しい薬の調合を始めていた。
鞄の中身を広げて、原初水を溶媒にして。
戦って、名前をつけて、薬を作って、歩いて、ぱたぱた。
旅人と薬師の、原初の世界の日常になりつつある。