作品タイトル不明
第二十四話 朝日杯フューチュリティステークス
冬の牧場は、静かそうに見えて、別に静かではない。
雪が積もると、たしかに見た目は静かになる。
地面は白いし、音も少し吸われるし、空気まで「しん……」としている気がする。
でも実際には、
「さくー!なんか白いの降ってるー!」
「雪だよ」
「さくー!さむーい!」
「冬だからな」
「おかあさーん! あいつが僕の雪山壊したー!」
「知らなーい! 自然破壊はロマンだよー!」
「自然破壊をロマンにするな」
普通にうるさい。
当歳たちにとっては、初めての冬だから仕方ないっちゃ仕方ないんだが。
今年の冬は、うるさい存在がもう一頭いた。
「ふっ……」
放牧地の端で、薄く雪が積もった地面を見下ろしながら、いかにも“過去に色々あった男”みたいな顔をしているやつ。
ミスタークラウンである。
実際は元気にデビューして、ちゃんと負けて、ちゃんと勝って、ちゃんとまた帰ってきた男である。
デビュー戦はゴールデンウイングに負けて二着。
その後、もう一回負けたが、その後ちゃんと未勝利戦に勝った。
勢いに乗って500万下――いや、今は呼び方違うんだっけか、とにかく条件戦もなんとか一つ勝って、冬は休養も兼ねて牧場へ戻ってきていた。
これは普通に偉い。
かなり偉い。
デビュー戦で二着した時には「俺の無敗三冠ロードが!」とか喚いていたが、その後ちゃんと勝ち上がっている時点で、十分立派だ。
で、立派なんだけど。
「……なんでお前、ずっと黄昏れてんの?」
俺がそう聞くと、クラウンはゆっくりとこちらを振り向いた。
「朔」
「ん?」
「俺は気づいた」
「何に」
「競馬って、思ったより簡単じゃない」
「今さら!?」
いや、そこに今気づいたのかよ。
もっと早く気づけよ。
「デビュー前は、まあ新馬戦圧勝して、二戦目も楽勝して、そのまま無敗で朝日杯までいく予定だったんだよ」
朝日杯。
ざっくり言うと、二歳牡馬のチャンピオン決定戦でGⅠだ。
「予定が壮大すぎる」
「なのに現実は」
クラウンが大きく息を吐く。
「一回負け、二回負け、未勝利戦でようやく勝ち、次もなんとか勝ち……」
「十分頑張ってるだろ」
「そうなんだけどさぁ!!」
そこで急に声を荒げるな。
静かな冬の空気にクラウンの叫びがべしっと刺さる。
「俺のイメージではもっとこう、競馬場行くたびに『なんだあの馬は!?』ってざわつかれて、実況が毎回俺の名前を絶叫して、牝馬が『クラウンさん素敵……』ってなるはずだったんだよ!!」
「妄想しかない人生設計やめろ」
でもまあ、落ち込んでいるというより、理想と現実の差にいちいち騒いでるだけだから、元気は元気だ。
元気じゃないよりはずっといい。
ストーンなんか、今や繁殖牝馬としての余裕なのか、馬房の中から半眼でクラウンを見ていた。
「クラウン」
「なんだよ姉ちゃん」
「お前、二勝して帰ってきたんだろ」
「そうだよ」
「なら十分えらいじゃないか」
「でもG1はまだだし……」
「G3をギリギリで勝って引退したあたしの前で何言ってんだい」
「それを言われるとぐうの音も出ねぇ」
クラウンが少しだけしょんぼりした顔をした。
いや、こうして見ると、こいつもだいぶ真面目に頑張ってきたんだよな。
岡部さんからも、調教を頑張ってるという話は聞いている。
クラウンはちゃんと悔しがっている。
悔しがるってことは、勝ちたいってことだ。
勝ちたいなら、まだ大丈夫だ。
「ほら」
俺はクラウンの首筋を軽く叩いた。
「今日は朝日杯だ。同年代のチャンピオンが決まるんだ、一緒に見ようぜ」
するとクラウンは耳をぴくっと動かした。
「ふーんだ」
「何その反応」
「本当なら俺が……」
まだブツブツ言ってる。
でも、まあ、気持ちはわかる。
「デビュー戦で一緒に走ったゴールデンウイングも出るんだぞ」
そう言った瞬間、クラウンの目がぎらっとした。
「アイツは俺に勝ったやつだからな!」
「うん」
「きっと今日も勝つ!!」
「そこで“俺が勝てなかった相手だから強いに決まってる”ってなるの、わりと素直だな」
「うるさい!」
でも、その気持ちは少しわかる。
自分を負かした相手には、その後も強くいてほしい。
人間でも、たぶんそういう気持ちはある。
◇
一緒に見るために、厩舎にある小さいテレビを付ける。
我ながらクソ寒いのに何やってんだろうな、と思うけど仕方ない。
当歳たちも寄ってきている。
意味はわかっていないだろうが、なんか大人たちが集まってるから面白そう、くらいのテンションだ。
「さくー、なにみてるのー?」
「じーわんってなーにー!」
「さくー、さむいーー!」
「おなかすいたー」
テレビの中では、ちょうどレースが始まるところであった。
「うわー」
長くて豪華なファンファーレ。
ゲートが開く。
若い馬たちが飛び出していく。
やっぱりGⅠは雰囲気が違う。
画面越しでもわかるくらい、顔つきも客席の熱気も違う。
そして、テレビ実況の声が一段高くなった。
『さあ、直線!! ゴールデンウイング先頭! ゴールデンウイングか!!』
「ほら!!」
クラウンが馬房から半身乗り出す勢いで叫ぶ。
嬉しそうだな、今度一緒に遊んで来いよ。
「勝った!!ほら見ろ!!俺に勝ったやつだからな!!今日も勝つ!!」
その瞬間だった。
『内からテンザンサクラ突っ込んできた!テンザンサクラ!テンザンサクラ!交わして一着!!朝日杯フューチュリティステークスを制したのはテンザンサクラ!!!』
「なにぃ!?」
クラウンが、ものすごく良いリアクションをした。
いや、俺もびっくりしたけど。
ゴールデンウイングが負けた。
じゃあ一着のあの馬は相当強いんだな。
「……あれ?」
画面に映る一着の馬を見て、俺は首を傾げた。
なんか、見覚えがある。
いや、見覚えがあるって言っても、芦毛なんて何頭もいるだろ、って話なんだけど、なんだろう、この妙な引っかかり。
顔か?
雰囲気か?
なんか、“呪い”とかそんな単語が――。
ジリリリリリ。
固定電話が鳴った。
いや、タイミング。
「誰だよこのタイミングで」
俺は母屋まで走っていき、受話器を取る。
「はい、もしもし」
『おや、朔くんかね』
低くて、落ち着いた声。
「あ、天山さん」
『ちょうどいい。レースを見ていたかね?』
えー、何試されてるの、この電話。
「朝日杯でしょうか」
『うむ。君たちの牧場から買った“テンザンサクラ”が見事一着を取ったからね、報告と感謝を兼ねての電話だよ』
「…………あ」
わかった。
テレビに映った顔と、去年買われていった顔が、脳内でぴたりと繋がった。
最後に「……ふふん、牧場に残ったアイツも朔も俺がなぎ倒してやるからな?」とか言ってたあいつか。
あいつだったのか。
『おや、出走が決まった時点でお爺さんにはお伝えしていたのだが、聞いてなかったのかな』
「……はい」
たぶん、爺さんは「知ったら落ち着いて仕事せんだろう」とか思ったんだろうな。
『ははは、まあいい。君たちの牧場で産まれた馬がG1を取ったことを誇ってくれたまえ。では、失礼する』
チン。
電話が切れた。
俺は受話器を置いて、しばらくそのまま固まっていた。
「うわぁ……マジかよ」
朝日杯勝ち馬。
GⅠ馬。
去年、うちの放牧地でクラウンたちと一緒に育ってた芦毛が、今、テレビの向こうで二歳チャンピオンになっている。
すごい。
いや、すごいんだけど。
「セーブアンドロード機能ねぇかな……」
クラウンを残したことを後悔する気はまったくない。
でも、あの芦毛“も”残せた世界が、もしあったなら。
今ごろこの牧場には、G1馬がいたのかもしれない。
もちろん、天山さんに貰われていった結果の環境の変化もあるのはわかってるが。
去年のセリ前に戻って、「お前も残ってみる?」って聞けたら。
そんなもん、考えたって意味ないんだけど。
でも、ついな。
◇
「クラウン」
厩舎に戻ると、馬たちは未だ小さいテレビを眺めていた。
「ん?」
クラウンは、未だゴールデンウイングが負けたことが信じられないのか、少しぼんやりしていた。
「今の朝日杯で勝ったの、去年ここで一緒に育った芦毛のアイツだ」
俺がそう言うと、クラウンは完全に固まった。
耳も、首も、目も。
……。
「…………あぁ!?」
数秒遅れて、完全に理解が追いついたらしい。
「あいつううううううううううう!!!!!!」
当歳どもが一斉にびくっとしてしまったのでクラウンを叱る。
「クラウン、うるさい。みんながびっくりしてる」
「う、ご、ごめん。でもさ!俺、あいつと一緒にココで育ったんだぞ!?」
「そうだな」
俺も不思議な気持ちだ。
「くそぉぉぉ!! あいつ先にGⅠだと!?」
「あっはっは」
笑うしかないよな。
繁殖牝馬たちもざわついている。
「俺も同世代最強争いに混ざるはずだったのに!!」
クラウンは文句を言いながら床をぐるぐる回り始めたので、俺は首筋をぽんと叩いてやる。
少しだけ落ち着いたクラウンが、まだ悔しそうな顔のまま鼻を鳴らした。
「……よし、決めたぞ」
「何が」
「俺、来年は全部勝つ」
「雑すぎる」
「ゴールデンウイングもテンザンサクラも全員なぎ倒してやる!」
「なぎ倒さずにレースで勝ってくれ」
まあ、それが現実になるかはどうかは知らんが。
うちみたいな小さな牧場から出た馬が、G1を勝つ。
それは、たぶん奇跡みたいなことだ。
そして同時に、奇跡だからこそ、一度起きたなら次もゼロじゃないのかもしれない。
「わかった!ダービー取れば俺の勝ちだろ!?」
そんなルールはない。
「クラウン、いい加減静かにしないと晩御飯減らすぞ」
「ごめんなさい」
よろしい。