作品タイトル不明
第二十一話 函館はイカだけじゃなく馬もいる
静内から函館は、遠い。
いや、知ってはいた。地図で見ればわかるし。
でも、高速バスに揺られ、乗り換えて、電車に揺られ。
気づけば六時間近く経っていた。
なんだこの島。広すぎるだろ。
ゲームだと「函館開催です!」で済むやつを、現実では朝から半日近くかけて見に行く。
便利な世の中だと思っていたけど、ゲームの方があまりにも便利すぎる気がする。
「……下手すると東京より遠くないか?」
函館駅に着いて最初に出た感想がそれだった。
でもまあ、海の匂いがして、朝市の看板なんかも見えて、テンションは上がった。
函館。
海鮮とラッキーピエロと夜景の街。
あと、競馬場もある。
「よし」
駅前で軽く伸びをして、俺は気合を入れ直す。
観光に来たわけじゃない。
いや、観光気分もあるけど。
今夜食べる回転ずしのお店は決めてある。
まずは、市電乗り放題きっぷ買おう。
◇
函館競馬場は、思ったより明るい雰囲気の場所だった。
中山とかの“競馬場です!!”って感じとはまた違って、どこか観光地っぽい。
関係者の案内に従って奥へ入り、岡部さんと合流した。
「あ、岡部さん。お世話になります」
相変わらず、人のよさそうな笑顔をしている。
「うんうん。函館まで来るの大変だったよねえ」
「思ったよりだいぶ遠かったです」
「だよねえ。この近くに美味しいソフトクリーム屋さんがあるから、後で連れてってあげる」
「本当ですか、ありがとうございます」
わーい。
「クラウンはどうです?」
俺が聞くと、岡部さんはちょっとだけ困ったように笑った。
「元気だよ。元気すぎるくらい」
「想像できます」
想像がつく。
というか、脳内で映像化できる。
知らない場所に来てテンションが上がり、関係者を見回しては「ふっ」とかやっているクラウンの姿が。
「まあでも、気持ちが折れてるよりはずっといいよ」
「そんなもんですか」
「今日は初戦だしね。元気なく“僕もう無理です……”みたいな顔されるよりは、だいぶやりやすい」
たしかに。
岡部さんに案内されて、馬たちがいる方へ向かうと、聞き覚えのある、やたらと自信満々な声が飛んできた。
「来たな、朔!」
「来たよ。遠かったぞ」
「ここから始まる俺のビクトリーロード第二章!!」
「いや、第一章だろ。まだデビュー前だぞ」
「細けぇことはいいんだよ!」
こいつ、初めての競馬場なのに全然物怖じしてないな。
岡部さんが横で笑っている。
「ね、元気でしょ?」
「元気なまま育ててくれてありがとうございます」
なんか幼稚園とかに預けた親みたいなことを言ってしまう。
「前向きだし、馬は食べるし寝るし動くし、元気なのはいいことだから」
岡部さんの評価はだいぶ優しい。
いや、優しいというか、プロなんだろうな。
これくらいでいちいち目くじら立ててたら、競走馬なんかやってられないんだろう。
クラウンはそんな俺たちの会話を気にもせず、さらに得意げに言った。
「今日の相手は誰でもいい。全員まとめて俺の引き立て役だ」
「調子に乗るな」
「乗ってない。王者の当然の視点だ」
「まだ走ってもいないのに」
ほら、周りの馬たちは割と大人しいだろと思って見回した時だった。
「おにーさん、おにーさん」
少し後ろの方から、妙に軽い声が聞こえた。
「ん?」
最初、俺に向けられた声だと気づかなかった。
「おにーさん、おにーさん、僕の声聞こえてるんでしょ?」
え、と思ってそっちを向く。
鹿毛の馬が、いかにも人懐っこい顔でこっちを見ていた。
その横には、妙に手入れの行き届いた雰囲気の厩務員さん?が立っている。
「えっと……どちらさまでしたっけ?」
俺が正直に聞くと、その鹿毛の馬は「あ、やっぱり」と嬉しそうに耳を動かした。
「僕ゴールデンウイング。去年、牧場でお腹痛かったの助けてもらったの」
「あー…………あ」
思い出した。
去年、ゴールドファームに見学に行った時、たまたま腹痛を訴えていたあの仔馬だ。
あの時はまだ小さかったのに、ちゃんと競走馬っぽくなってる。
「思い出した?」
「思い出した。お前か」
「そうそう。あの時はありがとねー」
「うん、良くなったならよかった」
「うん。あの後ね、すぐお医者さんが見てくれたの!」
良かった。
気にしていた、と言うと嘘になるけど、素直に嬉しい。
すると、ゴールデンウイングの後ろについていた厩務員さんらしき男性が、少し驚いた顔で近づいてきた。
「もしかして坊ちゃんのお友達ですか?」
坊ちゃん、という言い方でだいたい察する。
ゴールドファームの関係者だ。
「お友達……たぶん、はい」
俺がそう答えると、その人は妙に嬉しそうな、でもまだ半信半疑みたいな顔になった。
「本当にいたんですね……」
「何がです?」
「いえ……牧場にいる同僚に聞いてはいたんですが、怪談みたいな噂になってまして」
「どういう扱いなんですか……」
俺はいつの間にか怪談になっていたらしい。
厩務員さんは、困ったように笑った。
「いえ……まあ、坊ちゃん、学生時代から空いた時間全部牧場の勉強に使ってましたから」
「へえ」
えらいな。
「お友達が本当にいないんですよ」
「そんなに!?」
「そんなにです」
ちょっとびっくりした。
「本当は今日も来たかったらしいんですけど、阪神の方に用事があって」
「忙しいんですね……」
ゴールデンウイングのデビュー戦なら見たかっただろうに。
「まあ、その、今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
なんか、変なところでちゃんと挨拶してしまった。
ゴールデンウイングは相変わらずにこにこしている。
で、その会話を横で聞いていたクラウンが、露骨に胸を張った。
「お前が今日の俺のライバルか!!」
お前、初対面でそれ言うのか。
ゴールデンウイングは少し首を傾げ、それからふわっと笑うような声で返した。
「よろしくねー」
「俺の伝説の始まりを見せつけてやるぜ!」
「うん、がんばろーねー」
温度差がすごい。
クラウンが全力で少年漫画を始めているのに、ゴールデンウイングは昼下がりの縁側みたいなテンションだ。
「おい、もっとこう、ライバルっぽく来いよ!」
「えー?だって今日一緒に走るんでしょ?なら、がんばろーねー、でよくない?」
「よくない!もっとバチバチしろ!」
「僕、あんまりそういうの得意じゃないんだよねー」
クラウン、お前ちょっと相性悪いかもしれんな。
この会話、周りの人間には全部ブヒブヒ鳴き合ってるだけに聞こえてるんだろうな。
そう思うとちょっと面白い。
「朔!笑うな!」
「いや、だってさ」
「だってじゃない!」
クラウンはまだ何か言いたそうにしていたが、向こうの厩務員さんが「そろそろ行こうか」と声をかけると、ゴールデンウイングは素直に頷いた。
「じゃあ、おにーさん、またねー」
「うん、またな」
「クラウン君も、伝説がんばってねー」
「言われなくてもな!」
岡部さんが、少しだけ感心したように言った。
「ゴールデンウイング、いい雰囲気してるね」
「知ってるんですか?」
「ゴールドファームの期待馬だよ。まあ、今日の相手はみんなそれぞれいいところがあるけどね」
期待馬。
だろうな。
クラウンが、やたら気合いの入った顔で低く言う。
「いいじゃねぇか」
「ん?」
「相手に不足なしってやつだ」
「その言い方、なんかベタだな」
「主人公だからな」
ドヤ顔で胸を張るクラウン。
……クラウンはなんか金持と相性良さそうだな。
岡部さんが、そんなクラウンの首筋をぽんと叩いた。
「よし。じゃあ、クラウンも行こうか」
「うむ」
クラウンが、やたら偉そうに頷く。
俺も、クラウンの首筋を撫でる。
「ケガすんなよ」
「当然だ」
「あと」
「ん?」
「主人公らしく行ってこい」
「任せろ!」
そう言って、ミスタークラウンは引かれていった。
こいつがどういう競走馬になるのか、まだ全然わからない。
本当にG1を勝つのかもしれないし、未勝利戦を一つ勝つだけかもしれない。
でも。
それは、どっちだとしても、たぶん悪いことじゃない。
とりあえず、ちゃんと見届けてやろう。
……あと、函館まで来たんだから、レースが終わったら美味いもんも食べる。
だから、できれば勝ってほしい。
勝って美味い飯を食うと、なんか更に美味しい気がするから。