軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第一話 今日から牧場主

三月某日。

「かんぱーい!」

ジョッキがぶつかる音が、安居酒屋の天井に跳ね返った。

大学から徒歩五分。四年間、何度も来た店だ。

「いやあ、とりあえずみんな無事卒業おめでとー」

向かいのイズミが、わざとらしく声を張る。

「それなー。とりあえず皆、就職決まったしなー」

「なー。とりあえずみんな何とかなりそうだもんなー」

俺――桜井朔は、特に深い意味もなくそう返した。

農学部四年。二十二歳。もうすぐ卒業。

やりたいことが明確にあったわけでもないが、なんとなく大学に入り、なんとなく単位を取り、なんとなく就職を決めた。

人生、まあ、大体みんなそんなもんだろう。

「朔のとこも安定企業だしな。商社とか勝ち組だろ」

イズミがニヤニヤしながら言う。

「勝ち組かどうかは知らんけどなー。まあ、給料は悪くないらしい」

「ほらな。勝ち組」

「お前は?」

「俺?起業するぜ!!目指せ年収一千万!!」

「起業するならもっと上目指せよ」

「うるせぇ!!」

「お前は?」

「俺は公務員」

「うっわ、ド安定!」

どうでもいいことで笑い合う。

テーブルの上は唐揚げとポテトと焼き鳥で埋まっている。

ああ、終わるな。大学。

そんなことをぼんやり思いながら、ビールを飲む。

その時だった。

平和だった。

本当に、平和だった。

そんな時、ふとテレビの音が耳に入る。

『――次のニュースです。先程、〇〇商事が突然倒産することになりました』

俺の手が止まる。

「え?」

画面に映る、見覚えのある社名。

『負債総額は――』

テレビは無慈悲に続ける。

「……え?」

隣で、箸が止まる音。

「……〇〇商事って」

「……朔の……」

「……うわぁ」

テレビは次のニュースへ移っていく。

『――次のニュースです』

さっきの出来事が、まるでなかったことみたいに。

俺は、しばらく無言でテレビを見ていた。

「……」

「……」

「……」

気まずい空気。

うわあ、って感じの空気。

イズミはジョッキを持ち上げた。

「よし、今日は朔の分は奢ってやる!!」

こういう時に、こう言ってくれるのはコイツのいいところだ。

「飲むかぁ!!」

「お、おう!? そうだな!」

「そうだな!今日は俺らの奢りだ!!」

「とりあえず飲め!!」

「そうだな!!」

笑い声が戻る。

俺も笑う。

なんか、よく分からないけど笑う。

別に、今すぐ死ぬわけじゃない。

明日も飯は食える。

卒業はできる。

なら、まあ。

なんとかなるだろ。

それから一週間。

「まあ、なんとか、なるか?」

ベッドの上で、天井を見つめる。

カーテンの隙間から、春前の光が差し込んでいる。

内定先は、文字通り消えた。

「うーん……」

やる気が出ない。

焦っているわけでもない。

でも、前向きでもない。

「どーすっかなー」

求人サイトを開いてみる。

閉じる。

動かない。

「どーしたいってのも、特にないんだよなー」

そもそも、やりたいことがあって商社に入ろうとしたわけじゃない。

なんとなく。流れで。

農学部だから、食品関係でいいか、みたいな。

だから、なくなったところで、ショックはあるが、絶望はない。

「……うーん」

スマホをいじる。

就活サイトを開いて、閉じる。

履歴書を書こうとして、やめる。

「……あ」

ふと日付を思い出す。

「今日、ウイニングポスト10の発売日じゃん」

やべぇ、忘れてた。

急にテンションが少し上がる。

パソコンを開く。

Steamを開いて、カートに入れる。

「まあ、これくらいはいいよな」

どうせ暇だし。

購入ボタンにカーソルを合わせた、その瞬間。

電話が鳴った。

画面には「爺さん」。

「……うわ、タイミング」

爺さんからの電話なんて珍しいなーと思いつつ、出る。

「もしもし」

『朔か』

「うん」

『暇だろ』

「は?」

『とりあえず一度帰ってこい』

「え?」

『詳しい話は帰ってきてからだ』

「なんの?」

ツーツーツー。

「……切れた」

画面を見る。

購入ボタンが、そこにある。

数秒。

「……」

ため息。

パソコンを閉じる。

「まあ、いっか」

ウイニングポストは逃げない。

でも、爺さんはいつどうなるかわからない。

そういう年だ。

バスの窓から見える景色は、子供の頃とほとんど変わっていなかった。

バスは、今はもう電車が来ない駅前で止まった。

かつて線路があった場所には、草が伸びている。

俺の地元。

桜と馬の町。

そこから数少ないタクシーで爺さんの牧場へ約20分ちょっと。

門をくぐると、広い草地が見えた。柵。馬房。倉庫。古いトラクター。干し草の匂い。

どこか懐かしい。

「ただいまー」

返事はない。

馬のいななきが、聞こえる。

「爺さん、帰ってきたぞ」

厩舎の奥から、老人が出てくる。

「おう」

桜井牧場。小さな小さな牧場。

昔はもう少し大きかったらしいが、今は数頭の馬と、年老いた爺さんがいるだけだ。

「なんの用さ」

「会社、潰れたんだってな」

「知ってたのか」

「孫の就職先くらい気にするわ」

「そーなんだよ。どーしよっかと思ってさー」

爺さんは、腕を組む。

身内ながら迫力ある。

「継ぐか?」

「え?」

「この牧場だ」

「え?」

さっきから「え?」しか言ってない気がするな。

「昔は、ある程度デカかった。俺が馬主の資格取れるくらいにな」

「へー」

「でも今は何頭かしかいない小さい牧場だ。これくらいならお前でもどうにか出来るだろ」

早い。

展開が。

「いや普通に考えて出来ねぇけど」

「継ぐなら出来るようになるまでみっちり教えてやる。で、継ぐのか?継がないのか?」

「えー……」

「継がないなら普通に売る。その金くらいやる」

「うーん…………」

俺の馬知識なんて、ウイニングポストとダビスタとウマ娘くらいなんだが。

でも。

やりたいことが、あるわけでもない。

けど、ここは、嫌いじゃない。

自信なんて当然ない。

でも、空は広いし、匂いは知ってる。

「……じゃあ、継ぐよ」

やってみるのもアリかな、って思った。

爺さんは、小さくうなずいた。

「わかった」

あっさり決まった。

人生って、案外こんなもんかもしれない。

「継いだ結果、牧場潰しても恨まないでくれよ?」

「お前が継がなきゃ売ってたんだ。早いか遅いかの違いだ」

そう言ってもらえると少し気楽だな。

「まあ、細かいことは明日からみっちり叩き込んでやる。今日は挨拶してこい」

「誰に」

「馬に決まってんだろ」

厩舎に入り、馬房の前に立つ。

鼻息。

干し草と馬糞の匂い。

何頭かの馬が、こちらを見る。

「よろしくな」

そう言った瞬間。

「よろしくな、坊主」

「……え?」

隣の馬が首をかしげる。

「あらー、おっきくなったわねー」

「爺さん!ごはん!」

「……は?」

馬が、こっちを見ている。

口は動いていない。いや、動いてるのか? でも、馬だぞ。喋らないだろ。

振り向く。

「どうした?」

爺さんは普通の顔だ。

「……いや、気のせいだと思う。うん」

俺は、誤魔化すように言った。

聞き間違いだ。

疲れてるんだ。

内定が消えて、急に田舎に戻されて、脳がバグってるだけ。

そうだ。そうに違いない。

「どうした、坊主?」

「あらー、もしかして聞こえてるー?」

「ごはん!!」

…………。

俺は、ゆっくり振り返る。

「……馬たち喋ってね?」

「……何言ってんだ、おまえ?」

爺さんが、心底不思議そうな顔で俺を見ている。

こうして、俺の牧場主としての新たな人生がスタートした。

いや、新たすぎるわ!!