作品タイトル不明
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「ああ、やっと来たんだね。リリが国で良く食べていたという焼き菓子を作ったんだ。君にもおすそ分けだ」
「……ありがとうございます」
疲れた身体を引きずってきたエウシュは得意げに笑うフレルドに笑みを返しながらも、内心深いため息をついた。
王太子妃となるリリメアはお菓子作りなどよりも、覚えるべきことやエウシュが代わりに行っている政務などやるべきことが山のようにあると思うのだが。はるばる隣国から嫁いでくる可憐な王女は王太子との恋人たちの時間に夢中だ。王女に正妃の座を譲って側妃になるエウシュも2人を優しくたしなめても嫌がられるばかりで、時間と気力の無駄だとあきらめた。
エウシュは口の中にべたりと張りつく甘ったるい焼き菓子を嫌々食べながら早く本題を引き出そうとしたが、上機嫌なフレルドは延々と恋人とののろけ話を繰り返す。最後の欠片をむりやり紅茶で流し込むとフレルドは唐突に話題を変えた。
「君はテオのことをどう思う?」
「グラーベン侯爵令息は殿下が一番信頼するお方だと思っています」
なぜか目を輝かせるフレルドに無難な答えを返す。
テオスティール・グラーベン侯爵令息は幼なじみで最も信頼する側近だ。皆、特に女性には優しいためいつも交際の噂が絶えない。しかし、国王夫妻の唯一の子のフレルドに甘い彼はたびたびフレルドの軽率な行いをたしなめるエウシュのことを「殿下の行いにいちいち口を挟む口うるさい悪女」と毛嫌いしている。エウシュもまたフレルドに頼られていることを良いことに自分の意見を押し通す彼が嫌いだ。
思いがけない人物の名前に警戒すると、彼はエウシュを安心させるようににっこりと笑った。
「そうか、それなら良かった。実は君に良い話があるんだ」
「良いお話ですか?」
「ああ、そうだよ。テオと結婚してほしい」
その瞬間、エウシュの頭は真っ白になった。嫌な甘さが残る口からかすれた声が漏れる。
「……それは、殿下との婚約を解消するというご命令でしょうか」
「嫌だな、そんな堅苦しく考えないでくれ。私は君を心配しているんだ。君だって生涯ただ国のために働く側妃になるよりも侯爵家の女主人になれる方が幸せだろう」
昔からわかっているとはいえ暗にエウシュを愛することはないと言われ、ちくりと胸が痛む。
2人の婚約は伝統あるベイリー公爵家が身分の低い王妃から生まれた王太子の後ろ盾となるために結ばれた、政略的なものだ。
幼い頃はお喋りで朗らかな王子が好きだった。しかし、いつからか彼はエウシュを親しい友人ではなくいつも傍に置く部下として扱うようになり、エウシュも男女の愛情はなくとも公爵令嬢の義務として王太子に尽くすことを決めた。
フレルドが自分の名前を呼ばなくなり用事のある時にしか話しかけてこなくなっても。隣国を訪れた時に王女リリメアと恋に落ち王太子妃教育を受けたエウシュに側妃として無邪気な王女を支えるように一方的に命じてきても。10歳の時から7年間の自分の努力と献身はフレルドに伝わっていると信じていた。
「……お気遣いありがとうございます。ですが、王太子妃教育を受けた身として国のために働くことが私の喜びです。私はフレルド王太子殿下と婚約を結んだ時に国に尽くすと女神様に誓いました、その覚悟は今も変わりません」
エウシュが正直な想いを告げるとフレルドは嫌なものを見たかのように顔を歪めた。
「はあ、君はいつもそれだ。国のため王太子のため。さすがは由緒正しい生まれの公爵令嬢、国を背負う王太子妃にふさわしいとね」
「私の評価はすべてフレルド殿下のものですわ」
フレルドが機嫌を損ねるたびに言われる文句にいつものように乾いた声で答える。
エウシュがフレルドよりも教師に褒められ、周りから頼られるたびに彼はエウシュを詰る。だから、エウシュはフレルドを支えると数えきれないぐらい口に出して誓っているのに、どうして信じてもらえないのだろう。
疲れが溜まった身体がますます重く感じて憂鬱になると、唇を尖らせたフレルドはなおも言いつのる。
「君の努力は私のためだと言いたいんだろう。でも、それのどこが私自身の役に立っているんだ?
リリは君を苦手にしているし、テオも理想ばかり語る君とはやっていけないとぼやいている。本当に私を支える側妃になりたいならば、私や私の愛する人々に信頼されるように動くはずだろう。
それなのに慣れない生活に苦労しているリリを放って、いつもリリへの当てつけのように王太子妃の代わりだとあちこち動き回っているじゃないか。
君はただ私を口実に使って王太子の妃になりたいだけなんだろう」
――ああ、それがあなたの本音なのですね。
エウシュは心にぽっかりと大きな穴が開いてフレルドへの情が溢れていくのを感じた。
婚約してから7年間、辛いことも逃げだしたくなることもたくさんあった。それでも踏ん張れたのはほんの気まぐれでもフレルドが「頼りにしている」と言ったから。
でも、それはエウシュの考えていたものとは違った。フレルドにとってエウシュは使い勝手の良い部下であって信頼する人間ではない。
フレルドは険しい顔で告げる。
「私の側妃にははるか遠い異国から嫁いでくるリリメア王女を支え、彼女の心に寄り添える優しい女性を迎えいれる。ベイリー公爵令嬢、残念ながら君にはその資質はないと言わざるを得ない。
だが、長年婚約していた君を見捨てるのも忍びない。私が最も信頼するグラーベン侯爵令息と婚約し、彼とともに国に尽くしてほしい」
「殿下のおっしゃりたいことは承知いたしました。速やかに父に伝えます」
フレルドの婚約解消宣言を受け入れると言うと控えていたエウシュのメイドがそっと離れる。事態を察した王宮のメイドたちも表情が硬い。
張りつめた空気の中、自分の意が通ったことに満面の笑みを浮かべたフレルドだけは鷹揚にうなずく。
エウシュは王太子に心の中で別れを告げると、辞去の挨拶をして立ち去った。