作品タイトル不明
61.十一年の時を経て
『──、──』
私だ。
私の、せいだ。
私、のせいで。
空はあっという間に暗くなり、宵闇に包まれている。
雨は止むことがなく、次から次に、頬に雨粒が打ち付ける。
私はもう、何も言えなかった。
だって、私のせいなのだから。
私が、自分勝手に行動した結果がこれだ。
何の関係もないヴェリュアンをまきこんで。
私が、大人しく家にいれば。
私が、お父様の言うように、淑女らしく、淑やかにしていれば。
家を飛び出すような娘でなければ。
考えたらキリがなくて、今更後悔しても遅くて。
でも悔しくて、悲しくて、怖くて。
誰かに助けて欲しくて。
私は力の限り、男の手を振り払おうとやたらめたらに腕を振り回しながら叫んだ。
『嫌!!やだ!!お願い、せめて彼だけは、彼だけは放して!!私はついていくから。何でもするから……!』
『こっの……大人しくしろ!』
男の手が振り上げられた時だった。
その時、天から、獣のような咆哮が聞こえたのだ。
「ヴォアアーー!」
みな、驚いて空を見る。
どこかで、雷が落ちた。
空がほんの一瞬、白む。
その刹那の間に、大きな影を見た。
それは、大きな鉤爪と、立派な髭。
空を搔いて滑空する、未知の生き物だった。
誰かが、「竜……」と呟く。
私も呆然とそれを見ていたが、男の手が緩んだことに気がつくと、とっさに立ち上がり、走り出していた。
足首は、じくじくと熱を持っていたが、もう痛みは感じなかった。
男が後ろでなにか叫んだが、私は構わず、ヴェリュアンのそばに行く。
ヴェリュアンは、やはり意識がもうないのか、ぐったりとしていた。
彼のそばに膝をつき、彼の名を何度も呼ぶ。
反応はない。
『ヴェリュアン!ヴェリュアン……!!』
死んでしまったのかもしれない。
もう、目を開けないかも。
そう思うと、足の先が冷たくなって、ぼろぼろと次から次に、涙が零れた。
『ヴェリュアン!ヴェリュアン!!』
悲鳴のように彼の名を呼んだ。
何度も何度も呼んでいるうち、背後でまた大きな竜の咆哮と、男たちの悲鳴が聞こえた。
ハッとして振り返ると、男たちが腰を抜かしていた。
そして──崖先の上には、竜。
竜は、全身が白かった。
宵闇の中にあってなお、発光しているかのようその姿は白く輝いて見えた。
竜は、鮮やかな緑の瞳を──じっと、こちらに向けていた。
竜の足元は、焦げたように草むらが消失している。
先程の咆哮と、男たちの悲鳴を考えるに竜がやったことなのだろう。
「……助けて、くれるの?」
私の、ちいさな声は、その竜には聞こえたようだった。答えるように、また、白い竜が鳴く。
『ヴォア……ヴオオオ───!』
竜の咆哮に度肝を抜かれたのは、男たちだ。
男たちは大慌てで、竜の逆鱗から逃れるように散り散りに走っていった。
私はそれを、信じられないような思いでみた。
……助けてくれた。
助け、られた。
その時、遠くから私を呼ぶ声も聞こえてきた。
「お嬢様!!ご無事ですか!!」
見れば、暗闇の向こうにたくさんのひとが見える。応援が駆けつけたのだ。
私はそれを見て、涙で視界が滲んだ。
安心して。心から、ホッとして。
そのまま──私は、ヴェリュアンを抱きしめたまま、気を失ってしまった。
それが、夏の日の、最後の記憶。
目が覚めた時、私は王都の自邸のベッドの上だった。
足首と、頭が酷く痛んだ。
なぜ、怪我をしているのか分からなかった。
それを思い出そうとすると──酷く、頭が痛む。
思い出そうとすればするほど、頭痛が酷くなり、頭は割れんばかりの痛みを覚えた。
そうして、私は思い出そうとすることを諦めた。
アンナが部屋にやってきて、私の目が覚めたことを泣いて喜んだ。
私は彼女が分からなかったので酷く困惑した。
戸惑うばかりの私を見て、アンナが眉を寄せる。
そして──私の記憶がないこと。
私が過去の記憶を一切持たないことをハンナに伝えると、彼女は大慌てでお父様を呼びに行った。
お医者様に見てもらい、私の記憶喪失は、事件によるものだと診断された。
物盗りに襲われた時、転倒して頭を打ったのが原因だろう、と。記憶はそのうち、自然に戻るものだから、無理に思い出そうとするのは良くない。
そう言われて、私は頷いて答えた。
今思うとあれは、リラントでの記憶を思い出さないようにするための、お父様とお医者様の気遣いだったのだろう。
私の記憶喪失は、おそらく内因性に依るものだ。私はあの時、酷くショックを受けたから、それで記憶を失ってしまった可能性が高い。
どうりで、お父様は、私が記憶を取り戻すことを快く思っていなかったわけだ。
全ての謎が解けて、そして、過去の記憶を取り戻して。
私がため息を吐いた時だった。
扉が控えめにノックされて、返事をする間もなく、扉が開かれた。
驚いてそちらを見ていると──部屋に入ってきたのは、ヴェリュアンだった。
記憶の彼よりも、ずっと大きくなった。
十一年の月日が経過しているのだ。
ひとが成長するのは当たり前だが、私は今、初めて十七の彼と出会ったような気持ちになった。
驚いて目を見開いていると、ヴェリュアンもまた、私が起きていることに驚いたのだろう。
息を飲んで──大股で、私のところまで歩いてくる。
その手には、花束が。
「もう起きて大丈夫なの?気分は悪くない?……昨日のことは……覚えてる?」
控えめに尋ねられて、私は自分が倒れたのは昨日のことなのか、と知った。
ヴェリュアンはとても心配そうに、眉を寄せて私を見ていた。手にしていた花束をサイドテーブルの上に置いて、彼はベッドに腰掛けた。
そのまま、彼は手を伸ばして私の額に触れる。
彼は自身の額にも同じように触れて、確かめるように言った。
「……うん、熱はなさそう……だけど」
私は、とっさに彼の手を掴んだ。
あの頃は、もっと柔らかくてふくふくしていた。
それが今では、ゴツゴツとして──手も、私より大きい。
大きくなったんだな……と、今更ながら、思う。
確認するように手を揉んでいると、ヴェリュアンが困惑した声を出した。
「シドローネ……?」
「背が、伸びたのね」
「え……」
彼が、困惑したような、驚いたような、そんな声を出す。
私は、変わらずそのまま彼の手を握りながら言葉を続けた。
「昔は女の子みたいに可愛い顔をしていたのに……。髪も、赤くなった。昔は、ツツジのような色をしていたのに。顔つきも凛として、背も高くなって。……カッコよくなったわ、ヴェリュアン」
ようやく──今になって、六歳の頃に出会った少年と、十七歳の青年の姿が重なった。
どちらもヴェリュアンであることには変わりないけど、今、それを実感した。
ツツジ色の髪は、緋色の髪に染まった。
柔らかかった頬は、鋭くなった。
群青の、星が瞬くような瞳は変わらずだけど、少年のような可愛さはもうない。
細かった肩幅は広くなり、小さかった手も、大きくなった。
高かった声も、低くなった。
まるで、別人のようだ。
でも、ヴェリュアンであることに変わりない。
私はヴェリュアンをじっと見つめた。
その面影に、六歳の少年の姿を探して。
「……思い出すのが、遅くなって……。ごめんなさい」
呟いた声は、涙が滲んでしまった。