作品タイトル不明
48.ようやく実感したから
ブランとの会話は成功に終わった……とは言いにくかった。
私は適切な質問ができなかった自分に落ち込んでいたが、ヴェリュアンに呼び止められて足を止めた。
不思議に思って振り返ると、彼がジャッケットのポケットから、皮の小物入れを取り出した。
深い青色のそれを取り出すと、彼がその口を開けた。
「……色々、考えたんだけど」
「……はい」
彼の声色に、真剣な内容の話であることを知る。
私もまた、居住まいを正して彼を見る。
ヴェリュアンはどこか思い悩むような──いや、なにか思い出しているような、遠くを見つめる瞳をしていた。
まつ毛が伏せられて、群青の瞳が見え隠れする。
「これは、きみに持っていてほしい」
彼は、皮の小物入れに指を差し込み──青の、リボンを取り出した。
それはいつも、彼が身につけていたものなはずだ。
思わぬ代物が出てきて、私は目を瞬いた。
それを見て、ヴェリュアンがまた、苦笑する。
「きっと覚えてないよね」
「……これは、私が……。私の過去に、関係しているものなのですか?」
尋ねると、彼がまつ毛を伏せ、頷いた。
青空のように真っ青な色合いだ。
私の髪の色に良く似ている。
まさか、彼がいつも身につけていたリボンが、私の過去に関わりがあるものだとは思いもしなかった。
なにか思い出せるだろうか、とそのリボンを改めて、まじまじと見つめる。
長く使われているのか、端は綻んでいるが、その度に修繕されたような跡が見受けられた。
それでも、生地自体がもうだいぶくたびれている。
私がまじまじと見ていると、彼が答えを教えてくれた。
「きみがくれたんだ。……髪には、魔力が宿るから、と。俺がほんとうに聖竜騎士を目指すのなら、これをあげる、って言って」
「え?髪?魔力……?」
確かに髪には魔力が宿るとされている。
ラスザランに住む人間なら誰もが聞いている言葉だ。
私はふたたび、じっと青のリボンを見つめた。
しかし、残念なことに青の色味に誘われて記憶を思い出す──ということにはならなかった。
思い出せなかったことにちいさくため息を吐く。
諦念の思いで私は顔を上げた。
「その頃から、あなたは聖竜騎士を目指していたの?」
「その頃から……というか、それがきっかけというか。説明が難しいな」
ヴェリュアンが苦笑する。
彼は、鮮やかな緋色の髪をしているが、青が良く似合うひとだと思う。
青色が持つ静かな空気が、彼に馴染んでいる。
私はふと、彼が持つ青色のリボンにまた、視線を落とした。
そして──思いついたことを、口にする。
「あなたが良ければ、そのリボン……私に貸してくれないかしら。なにか思い出せるかもしれないし……」
全く覚えがないし、なにか思い出せそうな気配もない。
だけど、思い出の品に触れれば私もほんの少しは過去に思いを馳せられるのではないか。
そう思って彼に尋ねると、彼は少し驚いた顔をしたものの、快諾してくれた。
彼から青のリボンを受け取る。
やはり、見覚えもなければ懐かしさを覚えることもない。
もしかしたら、なにか思い出せるかもしれない、と思っていた私はそれに少しがっかりしたけれど、すぐに自身の髪留めに触れた。
「シドローネ?」
彼が不思議そうに私を呼ぶが、私は構わず髪留めを外す。
花を象った髪留めは、簡単に留めただけなので私にも外すことが出来る。
これが夜会仕様であったなら、こうはいかなかっただろう。
私は髪留めを外すと、次に、手に持った青のリボンで髪を結んでみた。
過去に、私が彼にあげたというリボン。
過去の私も、こうしてこのリボンに触れていたはずだ。
身につけたらなにか変わるかも、と思って髪を結んでみたが、やはり、というべきか。
期待していたようなことは起こらなかった。
残念に思いながら、私は自身の髪に触れた。
青の髪に青のリボンは、同系色だからあまり目立たないだろう。
私は彼の感想を聞いてみることにした。
「……どうかしら?やっぱり、色が同じだと目立たないわよね」
「──……」
「ヴェリュアン?」
尋ねると、彼はようやく気がついたようにハッとした。
そして、何か言おうとして、失敗したように口を手で覆う。
私から視線を逸らし驚いたように──目を見開いている。
「……?どうかした?……あの、もしかして、とんでもなく似合ってなかったり……?」
それであるなら、とても恥ずかしい。
私はすぐにでもリボンを外すべきかと手を持ちあげた。
その時、ヴェリュアンが勢いよく首を横に振る。
「いや、そうじゃない。……そうじゃ、なくて」
「……?」
「……ごめん。自分でも、思ったより……」
「……どうかした?」
彼の様子が気になって、私は背中で手を組みながら彼の顔を覗き込んだ。
そして、息を飲む。
彼は──今にも泣きそうな、そんな顔をしていたからだ。
それに慌てたのは私だ。
なにか、彼を泣かせるようなことがあったのだろうか。
私がなにかしてしまった?
「あ、あのヴェリュアン」
「違います。違いますから」
彼は、あの告白の夜以来、私に対して取り繕って話すことをやめた。
それが元々の彼の話し方なのか、それとも昔、彼が私にそう話していたからなのか。
理由は定かではないが、あれ以来砕けた話し方をするようになったのは事実。
その彼が、狼狽えて以前のような畏まった口調に戻っている。
これはよっぽど、彼も動揺しているのだろう。
彼は、下唇を噛み──目尻に残る涙を指先で拭った。
しかし、次から次に涙の粒が浮かび、ついに彼の頬を滑り落ちた。
私はそれを見て、静かに驚いていた。
男性が──大人の男性が、涙を流すところを、私は初めて見た。
そして、彼は泣く時──こんなにも綺麗に、美しく泣くのか、と。
あまりにじっと見つめていたからか、ヴェリュアンが恥ずかしそうにちいさく苦笑する。
「……ごめん。なんだか、いろいろ……感極まっちゃってさ。……ほんとうにシドローネに……アリアドネに……。彼女、に会えたんだと思うと……。俺は、ようやく会えたのだと思うと……」
その先は、涙に飲まれ、声にはならなかった。
次から次に、ぽろぽろ、ぽろぽろと彼が涙を流す。
綺麗な、群青の瞳から。
まるで、泉から水がこぼれるように。
きらきらとした涙の飛沫が白い頬を滑り、彼の首元を濡らしてゆく。
白い襟が、彼の涙を吸い込んだ分だけ、色を変える。
私は、ドレスのチェーンに提げた巾着からハンカチを取り出すと、彼の頬に押し当てた。
彼が私を見て、笑う。
それはいつものような優しいだけのものではなく、どこか縋るような──へにゃりとした、笑い方だった。