軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

男爵令嬢アリア その2

スタンピードから三月がたった。

待ちに待ったその日、王宮の応接室でアリアはそわそわしながら待っていた。

王宮の侍女による入室の声が聞こえ、続いて入ってきた女性に、アリアは待ちきれず立ち上がった。

「失礼いたします」

「アイコ様!」

駆け寄ったアリアに、丁寧に礼をしていたアイコは驚いた顔をしていた。

(ああ、いけない、怒られちゃうわ)

男爵令嬢だったアリアは、前世の記憶の影響もあって、貴族的なマナーが圧倒的に足りていない。王宮で過ごすようになって、それが痛いほど分かった。ある程度は聖女という肩書きから目を瞑ってもらっているが、それも限度がある。

今の動きがマナー講師の耳に入れば、あとで叱られてしまうだろう。

それでも、待ちきれない思いがアリアの中にはあった。

「アリア様、どうか落ち着いてください。私は逃げませんよ」

「は、はい。すみません」

アイコに宥められ、二人で部屋のソファーに腰かけた。

アリアには現在、王国唯一の聖女としてたくさんの護衛と使用人がついている。しかし、元聖女であるアイコと面会するにあたって、最低限の護衛を残して人払いをしたため、部屋の中には二人っきりだ。

「この度は、聖女アリア様からの召喚に応じ、参上いたしました。お話があるということでしたが、どのようなものでしょうか?」

落ち着いた声と微笑みは、辺境伯領で初めて会ったときと変わらない。安心する声音にアリアはほっと息をついた。

「あの、アイコ様にお願いがあってお呼びしたんです。すみません、私が辺境伯領に行けたら良かったんですけど、聖女認定されてからは、あまり王宮から出られなくて」

「いいえ、気にしないでください。アリア様は大事な御身ですから、こちらから出向くのは当然のことです」

「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」

あれほど領地を離れたがらなかったアイコだ。今回、呼びつけてしまったことで気を悪くしていないかと心配だったが、柔らかい笑みに、肩の強張りが解けた。

アリアが目覚めるきっかけとなったスタンピードの時に、辺境伯領の瘴気の穴がかなり浄化されて減ったと聞いたので、それによりアイコの負担も減ったのかもしれない。

(良かった。これなら提案しやすいかも)

物腰柔らかなアイコの姿に、アリアは安心して口を開いた。

「アイコ様に、聖女として復帰してほしいんです」

アリアの提案に、アイコが静かに目を瞠った。

「アイコ様が、聖女の秘術を使えないことは知っています。そのせいで聖女の称号を剥奪されたんですよね? でも、今のアイコ様は改心されて、積極的に辺境伯領を守っておられるはずです。この五年、聖石の製造や、領地の浄化でかなりの鍛錬を積まれたのではありませんか? 今ならきっと、出来ると思うんです。私も一緒に鍛錬してコツとか教えますし、聖女の秘術を使える人間が増えたら国のためにもなるし、聖女二人で国を守れたら、私も嬉しいなって思って」

期待が先走って、やや早口になってしまった。

一息に言い切ったアリアは、落ち着くために深呼吸をして改めてアイコを見た。

「アイコ様?」

「……なんでもありません」

一瞬、アイコの笑みに違和感を感じたが、すぐにそれは消え去った。

「せっかくのお話ですが……」

眉尻を下げて、申し訳なさそうな顔をしたアイコに、答えが分かったアリアはきゅっと両手を握った。

「ど、どうしてですか? 大丈夫です。ちょっと鍛錬を頑張れば、アイコ様の力量ならきっとすぐに秘術が使えるようになります。皆を守りたいって強い思いがあれば、聖女に出来ないことはないんです」

必死に言い募るアリアに、しかしアイコはゆっくりと首を横に振るばかりで、縦には振ってくれない。宥めるように優しく背をさすってくれるのに、この手は握ってくれない。

(どうして?)

アイコにも悪くない話のはずが、予想と違う頑なな答えにアリアは狼狽した。

「だって、せっかく聖女として召喚されたのに……」

力なく発したアリアの呟きに、背を撫でていたアイコの手が止まった。

「アリア様は、聖女として認定されたのですよね」

「はい……」

「では、教会から、前任の聖女の日記を見せていただきましたでしょうか?」

アイコの唐突な問いに、アリアは首を傾げた。

「三百年前に現れた聖女様の日記ですか? いえ、まだです。認定式とかでバタバタしてたので、今度お借りすることになっています」

「その日記は、私の国の言葉で書かれているので、この国の方では読むことが出来ませんでした。だから、当時の聖女が何を思い、どうやって聖女の秘術に辿り着いたのか、誰も知ることが出来なかったのです」

(ああ、日本語で書かれているのね)

アイコは、アリアが日記を借りても読めないことを懸念しているのだろう。だが、転生者でもあるアリアには、当然読める。

(アイコ様をどう安心させようかな。いっそ、私も日本からの転生者ですって、打ち明けてみる?)

しかし、アリアの予想とは違い、アイコの伝えたかったことは別だった。

「前の聖女は、この国で幸せになりました。この国に感謝し、どれだけ愛していたかが、日記を読んでみると分かりました。ですから、私は聖女にはなれないのです」

「え?」

アイコの言葉に、アリアは戸惑った。

「日記には、聖女の力の源が書かれていました。それはとても単純で、偉大な力。心の底から国を愛し、人々を愛する聖女だけが、聖女の秘術を使えるのです」

心からの愛情、それが、聖女の秘術のトリガーであることは、アリアも知っていた。セイコイのストーリーでアリアが聖女として覚醒するタイミングは、いつだって仲間や友人、国の人々が危機に陥ったときだ。彼らを守りたい、国を守りたいという強い思いがきっかけとなって聖女の魔力は覚醒する。

「だ、だから、アイコ様も頑張ればきっと」

「いいえ、私には無理です」

「どうして!」

頑なに否定するアイコに、アリアは大きな声で問いかけた。

「私は、この国が嫌いだから」

それは、決して大きな声じゃなかったのに、二人っきりの部屋にいやに響いた。

目を見開いて固まるアリアに、アイコは駄目な子を見るような瞳を向けた。

「私は、召喚によってこの国に呼ばれました。唐突に、何の説明もなく、前触れなく。私にも、家族がいたのに、友人がいたのに、夢があったのに、願いがあったのに、未来があったのに」

「あ……」

アイコの言葉に、アリアは唐突に気が付いた。

アイコは召喚でこの国にやってきた。ということは、それまで普通に日本で生活していたはずだ。かつて、アリアがそこで暮らしていたように。

ゲームでの聖女アイコばかりを思い浮かべて、そのことをすっかり失念していたアリアは、アイコの言わんとしていることを、漸く理解した。

彼女は召喚によって、喚び出されてここに来たのだ。そして、突然国を救ってくれと言われても、それに純粋な愛情をもって答えられる人間がどれだけいるだろうか。

「聖女の秘術には、一点の曇りもない愛情が必要です。ですが、私にはどうしても無理でした。なんのわだかまりもなく、不満もなくこの国を愛せるほど、私の心は広くなかった」

「そ、それは……」

アリアは言葉に詰まった。

アイコの言い分はもっともで、アリアはそれにどう返せばいいのか分からなくなった。

「時間が解決してくれるかもと、思ったこともありました。しかし、七年たってもなくならなかったわだかまりに、先に見切りをつけたのはこの国だったんですよ?」

「えっ」

「それをどうして、今更戻れなどしましょうか。何より、今でも秘術が使えないことは自分が一番よく分かっています。そして、秘術の使えない聖女は聖女ではない」

言い切ったアイコの言葉には、言い知れない迫力があった。

アリアは気圧されまいと必死に言い募った。

「で、でも、アイコ様は、辺境伯領ではあんなに積極的に奉仕されてたではありませんか。あれは、領民を愛しているからこその献身なのではないんですか⁉」

アリアの訴えに、アイコは自嘲的な笑みを浮かべた。

初めて見る、優しい慈愛の籠った微笑み以外の笑みに、アリアは言い知れない不安を抱いた。

「献身、確かに献身でしょうね。私はそのために辺境伯領に嫁いだのですから、領に尽くすのは当然のことです。それが、私の価値なのだから」

「価値……」

不穏な言い方に、アリアは震えそうになる体を必死に抑えた。

「辺境伯領を、王家を、恨んでいるんですか?」

聞いてどうするのかも分からなかったが、アリアは聞かずにはいられなかった。

気丈に立つアリアに、アイコはふっと体の力を抜いた。

「いいえ。恨んでなんかいません。恨む理由もない。特に辺境伯は、こんな私を受け入れ、丁重に扱ってくれました。例え愛し合う夫婦でなかったとしても、確かな信頼があると自負しています。だから、全部が今更なんですよ」

今度こそ、アイコは今まで同様の微笑みを浮かべた。

「私は辺境伯夫人として生きています。今更、聖女として王都に戻ることはありません」

はっきりとした断りに、アリアはぐっと唇をかみしめた。

アイコの胸の内を聞いて、理解は出来るのに納得出来ない自分がいる。

聖女として肩を並べられたはずの同志を失い、アリアの内心は荒れた海のように波打っていた。

(どうして、こうなっちゃうの。聖女二人で国を支えようって素敵な未来があったはずなのに)

諦めきれないアリアは、必死に考えてふと思いついた。

「アイコ様、全てを公表しましょう」

アリアの突然の提案に、アイコは目を瞬かせた。

「聖女の力の源について、日記の話は王家も知らない話ですよね。私も王様や教会の方からそんな話聞いてないですし、知ってたら、聖女召喚なんてしないはずです」

「そうですね。恐らく、日記を読んだ私しか知らないはずです」

「もともと、聖女の秘術を扱えるのは異世界の聖女のみ、という言い伝えがあるせいで、聖女召喚なんてものが行われたんです。でも、その言い伝えはもはや私という存在によって崩れました。今後、何百年後かにまた聖女召喚が行われないよう、聖女の秘術に必要なのは異世界ではなく、純粋な愛だということを公表するんです。そうすれば、無理な召喚でアイコ様のように無理やり連れて来られる女性をなくすことができるかもしれません」

アリアの提案を聞く間、アイコはじっとアリアの目を見ていた。懐かしい黒い瞳の中に、アリアの姿があった。

「アイコ様の負わされた不名誉も、真実が知られれば無理な召喚が原因であると分かるはずです。上手くすれば、王家から慰謝料もとれるかも」

「……慰謝料はどうでしょうね。でも、今後の被害者がなくなるというのは、いいと思います」

「ありがとうございます!」

「ですが、」

喜びの声をあげたアリアに水を差すように、アイコは口を開いた。

「よろしいんですか?」

アイコの問いの意味が分からず、アリアは怪訝な顔をした。

「公表すれば、貴方の周囲は今以上に変化するでしょう」

「そんなことは、覚悟の上です」

不安を振り切るように、意気込んむアリアに、アイコは目を細めた。

「本当に?」

「何が言いたいんですか?」

不穏な問いに、アリアの声音は固くなる。

「人の心は見えないものです。だからこそ、人は言葉や表情、行動でそれを推しはかろうとする。ですが、あなたにはもう、目に見えて分かる基準ができてしまった」

すっと伸ばされた美しい指が、真っすぐにアリアの胸を指す。

「聖女の魔力は、愛する心。ふふっ、素敵なものですね」

うっとりとした声が、まるで甘い毒のようにアリアに注がれる。

「その白金の魔力を失った時が、あなたの愛が目減りしたときだと、全国民にわかってしまうのです」

謳うようなアイコの声が遠くに感じた。

「楽しみですね」