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契約は大事です

作者: 海川そら

本文

王立学園に入学したら、一年前から学園に通っている婚約者は、隣に見知らぬ男爵令嬢をぶらさげていた。

事情を聞こうと、何度も当家の茶会に誘ったが、断りの返事が続き、ついには返信すらなくなった。

この段階で、ゼーラント伯爵である父に報告をあげたところ、「好きにしなさい」と一任されてしまった。

「どうなさいますか?」

護衛、兼、従者のレンが問いかける。

「そうね。確認はしないといけないわよね」

あまりに面倒で、思わずため息が出た。

◇◇◇

学園のカフェテラスで隣り合って座り、楽しそうに笑い合っている二人の前に、音もなく立つ。

レンが椅子を引いてくれるので、遠慮なく腰を下ろした。

「ご機嫌よう、フリック・エドバート伯爵令息様」

名指しでかけられた声に、フリックはようやく、視線を向ける。うろんげにこちらを見たフリックの表情が不機嫌に歪む。

「セシリア……」

「お話があります」

「私にはない」

吐き捨てるように投げられた言葉に、にっこりと微笑む。

「あなたにはなくても、私にはあります」

「ミリィ、行こう」

隣の男爵令嬢の手を取って、立ち上がったフリックを温度の消えた目で眺める。

「まだ逃げるんですか?」

「逃げてなど!」

「茶会に誘っても来ない。返信もない。エドバート伯爵にお許しいただいて、家まで訪ねても、外出中と言われる。これで逃げていないと言われても、ね」

「――私は忙しいんだ!」

「婚約者でない方と食事をする時間はあるようですから、今なら構わないでしょう?」

冷たい笑みは変えないまま、椅子を手で指した。

「どうぞ、座ってください?」

男爵令嬢の手をつかんだまま、フリックは苛立たしげに吐き捨てる。

「君のそういうところが、嫌いなんだ!」

「そうですか。それで話というのはですね、私との婚約を継続する意志があるか、お聞きしたいと思いまして」

「あ、あの! セシリア様!」

他人の婚約者に手を掴まれたままの男爵令嬢が声をあげる。

黙殺。視線すら向けない。

男爵令嬢は一度も紹介されたことがないので、知り合いではない。ましてや、名前呼びする仲でもない。ゆえに、この令嬢が呼んでいるセシリアは私ではない。

「あの、セシリア様?」

「で? どうなのです、フリック・エドバート伯爵令息様」

外野は黙殺一択。

じっとフリックを見つめていると、ようやく口を開いた。

「……婚約をやめるつもりはない」

「そうなんですか?」

驚きについ瞬きが多くなる。てっきり『真実の愛』とやらで、婚約を解消したいのかと思っていた。

「それなら、婚約者の義務を果たしていただかないと。私にも立場というものがあります」

「君とは結婚する。これは決定事項だ。だが、学園にいる間くらいは、好きにさせてもらってもいいだろう?」

「……はい?」

言葉が理解できなくて、こてりと首を傾げる。

フリックが憎々しげに、こちらを見ながら続けた。

「どうせ、君と結婚するんだ。学生の間は本当に好きな人と自由に過ごしたい」

「……なるほど?」

傾げていた首をまっすぐに戻す。

あまり頭のよい男ではないと思っていたが、ここまでとは思わなかった。

「その自由とは、どこまでですか? ただの恋愛ごっこだけ? それとも、肉体関係まで含みますか?」

とたん、フリックの顔が赤く染まった。

「君には慎みというものがないのか!」

「あなたに言われたくありませんね。ご自身の欲望を抑えきれないからこその、提案でしょう?」

「なっ」

「それで、どこまで想定しているのですか?」

さらに問うと、フリックはふいと視線をそらした。

「愛しい女性に取り返しのつかない傷をつけるつもりはない」

その言葉に思わず笑みがもれた。

「ふ。ふふふ」

「何がおかしい!?」

「いえ、別に?」

隣の男爵令嬢の表情は、目には入っていないらしい。色を失ったそれを横目に見ながら、続けた。

「あなたの考えはわかりました。それでは、私も自由にします」

「――は?」

「当然ですよね。あなたが自由に過ごすなら、私も自由に過ごします。本当に好きな人と」

「……君は、私が好きなのではないのか?」

「冗談でもやめてください。あなたとの婚約は純然たる政略です」

父がエドバート伯爵領からほしいものがあると言ったから、結ばれた婚約だ。エドバート伯爵領に住む職人が持つ、宝飾の加工技術。領主に保護されたその技術を、宝石の産地である我がゼーラント領に取り入れたいと思っての政略なのだ。

私たちの婚約とともに、技術提供の協定が結ばれている。我が領からは、宝石を相場より安く譲る約束だ。

ショックを受けたような表情のフリックに呆れる。なにを、どう勘違いしたら、そんな考えに陥るのか。この男の思考は、本当に理解できない。

「もちろん、事情は王家および関係各家には届けておきますね。でないと、社交界での私の評判に関わりますから。次期伯爵として、侮られるわけにはいきません」

レンが用意してくれていた茶にようやく口をつける。

音もなく茶器を戻すと、フリックの苦いものを噛み潰したような顔が目に入った。

「それでは、後日、お互いの父同席のもと、契約を交わしましょう」

「父の、同席……?」

「婚約も婚姻も、家同士の契約ですよ? 家長を抜きに決められません。 あなたのお父様(エドバート伯爵) には、あなたから話を通しておいてください」

すっと席から立つと、何も気づいていないフリックをしげしげと眺めた。

「ところで、学生時代に付き合う相手はすべて遊びで、結婚するつもりはないと暴露されたわけですけど。――そんなあなたと付き合う奇特なご令嬢が、この学園にいると思います?」

愕然としたフリックに、冷笑がこぼれた。初めて男爵令嬢に視線を向ける。

「ねえ、どうかしら? コナー男爵令嬢?」

真っ青になった顔で、見知らぬ男爵令嬢はフリックの手を振り解くと、がたんと大きな音を立てて立ち上がり、急ぎ足でカフェテラスを出ていく。

呆然とそれを見送る男に、黙礼だけを送ると、その場を離れた。

婚約者のいる男性と懇意になったあげく、その男性からただの遊びだと切り捨てられるなど、貴族令嬢としては終わったようなものだ。もうまともな縁談は望めまい。

「取り返しのつかない傷をつける気はないなんて、どの口が言うのかしら」

歩きながらこぼれた言葉を、学園に吹く初冬の風がさらっていった。

◇◇◇

両家の話し合いの結果、婚約は破棄された。やり手の父は向こうの有責にして、かなりのものをもぎ取ったらしい。

父は婚約破棄の経緯を他言しないと約したそうだが、学園での出来事は知れ渡っている。だいたい、伯爵家が他言しないとは約束していない。つまり、私と母は喋り放題だ。

「どこまでも、詰めの甘い家ねえ」

レンの淹れてくれた茶を、ゆっくり味わう。体調に合わせて用意される茶は、いつも美味しい。今日は私の好きな柑橘のフレーバーティだ。

すました顔で控えているレンに視線を向ける。

「で?」

「で、とは?」

「お父様が婚約破棄を了承するだなんて、何をしたの?」

狙ったものは逃さないあの父が、エドバート伯爵領の宝飾技術が手に入る前に撤退するなんてありえない。 あんな男(フリック) でも、ゼーラントとエドバート伯爵の血を引く子どもを作るくらいはできる。

レンは怜悧な容貌に、笑みを浮かべた。

「知りたいですか?」

「知っておくべきだと思うわ」

私は次の伯爵となるのだから、仕える人間がどう行動したのか、把握しておく必要がある。

「では、お伝えしておきます。宝飾職人の次男に、ゼーラント伯爵領の女性を紹介しました。宝石を扱っている商人の娘です。先日婚姻が成立し、商人の後押しで、次男はゼーラント伯爵領で工房を持つことになりました」

「……合意の上よね?」

「もちろん。お互い気があったようですよ。次男は跡を継げませんからね。長男より腕は上でも」

レンはさらに続けた。

「別の職人の孫娘は、咳をよくしていましてね。朝方になると息が苦しくなるそうです。そこで、一家での転地療養をすすめました。ゼーラント伯爵領には有名な保養地がありますから。工房付きの家を安価で用意しました。こちらは、職人もそうそうに引退して、一家で移ってくるそうです」

移住してきた職人には、職人学校の指導員にならないかと打診するらしい。

領の財産ともなる職人には領主との契約があり、おいそれと他領に移住することはできない。いままで庇護された恩もある。

だが、その子どもの移住や、すでに引退した職人の生活までは縛られていない。

とくに、あの詰めの甘いエドバート伯爵なら、その契約は穴だらけだっただろう。

「あとは、セシリア様とあの男の仲が冷え切っていると情報を流したり、いくつかの出版社に、下位貴族の令嬢が高位貴族と恋をして、その妻に成り上がる物語を流行らせさせたりしましたね」

思わず開いてしまった口を、慌てて閉じた。

「あなた、いくつだっけ」

「十四歳です」

「そうよね。同い年だものね。――お金はどこから出たの?」

「ゼーラント伯爵様に上申して、予算をいただきました」

「お父様……」

「伯爵夫人に相談したところ、『やっちゃえ』とおっしゃったので、遠慮なくやらせていただきました」

「お母様!?」

娘付きの雇い人とはいえ、成年もしていない子どもに何をさせているのだ。

「そういえば、職人との契約内容を知るのに、元実家の侯爵家の伝手も使いました」

さらっと言われた言葉に、痛む頭を押さえていた手を下げて、レンを見つめる。

「あなた、子爵令息じゃなかった?」

「今はそうですね。元はハウザー侯爵家の三男です」

「あの有名な?」

ハウザー侯爵とその奥様である元子爵令嬢の身分をこえた恋の話は、社交界では有名な話だ。元子爵令嬢はもともと体が丈夫ではなかったらしく、すでに病気でお亡くなりになっている。ハウザー侯爵は後添えも断り、忘れ形見の息子たちを慈しんで育てているともっぱらの評判だ。

亡くなった妻を一途に想うその姿は、『真実の愛』として、貴族令嬢たちの憧れになっている。

美談にあふれた侯爵家。なのに、その三男だというレンから漂う、この冷んやりとしたものは、なんだろう。

「母方の実家の養子になったってことよね。でも、どうして? 子爵家には確か跡取りの方が、すでにおられたはずよね?」

だいたい子爵家とはいえ、家を継ぐ人間が他家で奉公しているわけがない。そんなことを許す当主はいない。

感情を窺わせない綺麗な笑顔で、レンが微笑む。その顔を見て、問いただすのを諦めた。こうなったら、レンは絶対、口を割らない。

「わかったわ。それについては聞かない。元婚約者の件、説明ありがとう。確認だけど。 人死(ひとじ) には出していないわね?」

「貴重な技術者を失うことはしませんよ」

返された言葉に、苦笑がもれる。それでは、貴重でなければ死んでもいいと言っているようなものだ。

「領民は減らさないようにしてね」

「承知しております」

その答えに、ふたたび茶に口をつける。

子爵令息であるはずの少年を、父が連れてきたのは、二年前だ。学園に護衛の騎士は連れていけないから、同い年ならちょうどよいと思ったのか。

それ以来、レンは実家にも養家にも帰らず、我が家にいる。爵位を継がない貴族の末路は、平民だ。だから、他家に仕えて職を得るのは、ある意味正しい。そのため、今まで気にしたことはなかったのだが。

どうやら父は、護衛としてだけでなく、私の執務の助けになるように鍛えたようだ。

詳しいことは、そのうち父に酒でも盛って、聞き出すことにしよう。

「成年にも達していないのに、権謀術数に長けてるって、どうなの?」

「けっこう頑張りましたよ。伯爵は希望のものが手に入らないと、婚約を取り止めにはしないでしょうから」

独り言のつもりでぽつりと呟いた言葉に、ほがらかな声が返ってきた。

「婚約、なくなってほしかったの?」

「ええ、もちろん。あの男にセシリア様はもったいなさすぎる」

「そうはいっても、また、領の利益になる男と婚約させられるだけよ」

父に愛されていないとは思わない。できるなら、娘に幸せになってもらいたいのが、親心というものだろう。だが、父は親である前に、伯爵領をおさめる領主だ。領のために、最大限の利益を生み出す義務がある。

そして、そのために婚姻を結ぶのが、貴族として生まれた令嬢の勤めだ。優雅な生活も、日々の贅沢も、令嬢としての価値を高めて、利益をもたらす誰かに高く売りつけるためにある。

貴族令嬢として生まれたことに後悔はないが、つい吐息がこぼれてしまった。

「聞いてもいいですか」

「答えるかは、質問の内容によるわ」

「本当に好きな人って、誰ですか?」

レンの問いに、瞬きを繰り返す。

そういえば、元婚約者との会話で、そんなことを言った気がする。

「いないわよ。そんな人。ちょっと思い知らせようと言ってみただけ」

肩をすくめると、真面目な声が返る。

「じゃあ、私が立候補してもいいですか」

「――え?」

「あなたに好きな人がいるなら、その人と結ばれるよう努力するつもりでした。あなたには幸せになってもらいたいから。でも、そんな人がいないなら、私でもいいですか?」

「えー、あー、いいけど。……決めるのは、お父様よ?」

にっこりとレンが笑う。

「大丈夫です。持参金がありますから」

「持参金?」

「侯爵家を離れるときに、もらった鉱山があるんです。もともと水晶がとれていたんですが、最近、緑玉が見つかりまして」

「緑玉!?」

青玉や紅玉の上をいく希少な宝石だ。高位貴族から王族まで、取引をしたがる有力者は、引きも切らないだろう。

「え、待って。レン、あなた、鉱山を持ってるの?」

「持っていますね」

「土地持ちの領主が、どうして、私の護衛なんてやってるの!?」

「領主といっても、鉱山と小さな村ひとつくらいですからね。爵位もありません。まだ未成年ですし、普段の管理は別の人間にしてもらってます」

「土地持ちの領主が、その土地ごと婿にくるっていうの!?」

「ゼーラント伯爵様なら、断らない案件でしょう?」

「それは、絶対に、断らない、でしょうね……!」

父ならこんな好条件を、絶対に断らない。しかも、これから宝石の原石だけでなく、宝飾品にまで仕立て上げて、事業に押し上げようとしているところだ。希少な宝石は、とても価値がある。

この国は貴族が商売をすることに好意的ではないけれど、芸術作品としての流通なら、売る方も、買う方もいくらでも言い訳が立つのだ。

「だから、あとはあなたを落とすだけなんです」

なにか不思議な言葉を聞いた気がして、思考が止まる。

「あなたには、きちんと好きになった人と結婚してほしいんです。幸せになってもらいたいから」

「……それが、私を落とすと、どう関係するか聞いても。――いえ、やっぱり、いい。やめておくわ」

にこにこと笑った顔が怖い。

レンが私の耳元に口を寄せると、囁いた。

「早く私を好きになってくださいね。愛していますよ、セシリア様」

耳元を押さえて、体を捻り、レンから距離を取る。顔が熱い。

「き、聞かないって、言ったのに!」

「欲しいものは、自分で手に入れろと言われたので」

「お父様、なに言ってくれちゃってるの!」

「いえ、あなたにですよ」

「はい?」

そんなことを言ったことがあっただろうか。まるっきり覚えていない。

「いつ?」

「いいですよ。覚えていないなら、それで。大したことではないので、忘れてください」

唇にほんのり浮かぶ笑みが、やっぱり怖い。身を引いたまま、レンを睨みつけていると、綺麗な笑顔でにこりと笑った。

「とりあえず、抱きしめても?」

「いや、だめに決まってるでしょう。――そういうことは、ちゃんと婚約者の契約が成立してからよ」

「契約が成立したら、いいんだ」

「あたりまえでしょう。契約は大事なの。私を甘やかすのは、婚約者になってからにして」

一瞬驚きに目を見開いた後、レンは肩を震わせる。

「どうして笑うのよ?」

「あなたがあまりに可愛いことを言うからです」

「可愛いことなんて言ってないけど?」

「 契約が終われば(婚約者になったら) 、どれだけ抱きしめて、甘やかしてもいいんでしょう?」

「――契約が終わればね」

「はい。楽しみにしています」

笑うのをやめて、眩しいものを見るようにレンは目を細める。その顔に一瞬見惚れたことは、絶対に教えない。

◇◇◇ ◇◇◇

僕は生まれた時から罪人だった。少なくとも侯爵家の中ではそうだった。母が僕を産んだ後、回復することなく死んだから。その後も侯爵領でタチの悪い病気が流行り、祖父も祖母も死んだという。

それからの僕は、人殺しで疫病神だった。ものごころがついた頃には、王都にあるというタウンハウスの小さな部屋だけが、自分の世界だった。

部屋にやってくるのは勉強を教える教師だけで、質問に答えられなかったり間違うと、容赦無くムチが飛んできた。皮膚が破け血が滲んだけれども、手当てをされることは一度もなかった。机の上には、こなすべき課題と読むよう命じられた本だけが積み上がっていた。

一年に数回訪れる兄という人たちには、「人殺し」「疫病神」と罵られながら、殴られ蹴られた。兄たちが大きくなると、魔法の実験台にもされた。兄たちの扱う『火』魔法に、皮膚を焼かれた。教師が、ハウザー侯爵家は『火』魔法を扱うのに長けた人物が多いと言っていた。だとすれば、『火』魔法の使えない僕は、やはりこの侯爵家にふさわしい人間ではなかったのかもしれない。

ワゴンにのせられ廊下に置かれる食事が、腐っていたり、カビが生えていたりすることはなかった。わざわざ、そのような食事を用意する手間をかけることさえ、面倒だったのだろう。ただ、余り物を並べたような食事では、量があまりに少なくて、いつもお腹を空かせていた。

魔力というものが自分になく、魔法が使えなければ、きっともう随分前に死んでいた。そうなっても、病死として片付けられたはずだ。

そんなふうに育った僕が、父を初めて見たのは、八歳の時だった。

この国の貴族は、八歳になれば全員、王族と顔を合わせることが義務づけられている。プレデビュタントのようなもので、以降、王宮や他家で行われる茶会に参加することができるようになる。

王族との顔合わせとはいえ、王宮でのガーデンパーティーに参加して、軽く挨拶をするだけだと教師が言っていた。

王宮に僕を連れていく父は、ただ僕を見て軽くうなずいただけだった。その表情からはなにを考えているのかは、わからなかった。

王宮では、庭に設けられたガゼボに陣取る王太子夫妻に父とともに挨拶をした。そのあと、父はどこかへ案内されていった。

僕はガゼボから見渡せる庭で、好きに過ごすようにうながされた。

生垣に囲まれた庭園は、端のほうに軽食が準備され、その近くにテーブルと椅子が並べられている。すでに十名近くの子どもが集まっていて、テーブルについてお菓子を食べたり、近くの子ども同士でぎこちなく会話したりしている。

初めてふれた外の世界は、僕には難題すぎた。教師しか知らない僕は、同年代の子どもとどんな話をしたらいいかも思いつかない。誰とも話したくなかった僕は、人気のないほうを選んで足を運んだ。

「女のくせに、家を継げると思ってんのか?」

茂みの向こうから聞こえてきた声に足を止める。

声の方角をそっとのぞくと、ひとりの少女を三人の少年が取り囲んでいるのが見えた。

「生意気なんだよ、おまえ!」

強く肩をおされた少女が地面に倒れ込む。

弱いとみなした存在をいじめないと気が済まない生き物がここにもいることに、うんざりした。

だいたい王宮で騒ぎを起こすなど、頭の悪い人間だと宣言しているようなものだ。親と引き離された意味をわかっていない。あのガゼボから王族は、じっと僕たちの資質を測っている。

少年たちのことなどどうでもいいが、地面に座り込んだ少女を放っておくわけにもいかない。

わざと音を立てて、姿を現す。

「おい、まずいぞ。あいつ、侯爵家の」

「ちっ」

小さく舌打ちして、少年たちはあわててその場を去っていく。

少女のほうに目を向けると、一度ぎゅっとドレスを握ってから立ち上がると、僕に向けて綺麗な膝折礼をした。

「助けていただき、ありがとうございます」

「……僕はなにもしていない」

「いいえ。あなた様がそこにいてくださったから、彼らは引き下がりました。本当にありがとうございます」

存在そのものに感謝されたのは、初めてだった。なんと返したらいいのかわからず、目に入ったことを、ただ言葉にした。

「汚れてる」

「……ああ」

土のついたドレスを一瞬泣きそうな顔で見てから、少女はなんでもないような表情を作る。

「このような格好で王族の前に出るわけにはいきませんから、今日はこれで失礼いたします。後日お礼に伺いたいのですが、お名前をうかがっても、よろしいですか?」

「……名前」

誰かに名前を訊かれたのも初めてだった。

「レンドリック」

「レンドリック様」

大切なもののように僕の名をくり返す彼女に、落ち着かない気持ちになる。それを誤魔化すように、言葉をついだ。

「帰る必要はないよ」

「え?」

「『 復元(リカバリー) 』」

僕の魔法で、少女のドレスがみるみる元の綺麗なものに変わっていく。ムチで傷つけられても、『火』魔法で焼かれても、生きていられたのは、この魔法があったからだ。

少女は目をまん丸に見開いて、それを見ていた。

「もう魔法が使えるのですか! すごいわ!」

てらいのない笑顔に息が止まる。手放しで褒められたのも初めてだった。

そのとき、すごい勢いで、僕のお腹が鳴った。思わず赤面した僕に、少女は明るく笑った。

「あっちのお菓子は好きに食べていいそうですよ。一緒に食べにいきませんか?」

うなずくと、菓子が並べられているところに連れていかれた。お仕着せを着た女性が、菓子を取り分け、綺麗に皿に盛って渡してくれる。

それをあたりまえのように受け取った少女とともに、僕も皿を受け取り、手近なテーブルに座った。

「うーん、美味しい! さすが王宮の職人ねえ」

クッキーを口に運んだ少女が、頬を押さえて、足をばたばたと動かした。僕の視線に気づいて、その頬がほんのり染まる。

「はしたなくてすみません。あまりに美味しくて」

「気にしなくていいよ。同じ年だし、敬語は止めない?」

「いいの? じゃあ、遠慮なく」

すぱっと割り切ったように、敬語なしで話し出す彼女に、小さく笑った。こんなふうに笑ったのも初めてかもしれない。

遠慮がちにクッキーをかじる僕を、少女はしげしげと見つめる。

「王宮にくるのに緊張して、あまり食べられなかったの?」

「ああ、いや。その、ふだんから、あまり食べられていないんだ」

「どういうこと?」

「母が僕を産んで死んだせいで、僕は家族から嫌われているから」

「……どういうこと?」

僕を産んで母が死んだこと。食事がきちんと用意されないこと。屋敷を出たのも、父と会ったのも今日が初めてのこと。教師や兄から暴力を振るわれること。僕の日常を話していくと、怪訝そうだった少女の表情が、だんだん不機嫌に彩られていく。

僕が話し終わる頃には、彼女の眉がきつく寄せられていた。

「……あなたの家族は、あなたのお母様が、自分が命がけで産んだ子を虐げるのを、喜ぶ人だと思っているってこと?」

「――え?」

「命がけで産んだ我が子を、虐めてくれてありがとう、って言う人間だと思われてるの? うわ。むちゃくちゃ嫌なんだけど」

少女は言葉通り、すごく嫌そうな顔をした。鼻の頭には完全にシワが寄っている。

「え、いや、僕はだから、人殺しで。僕のせいで母は死んだんだ」

「ええ? だって、あなた、産まれるのを自分の意志で止めれたの? お腹の中の胎児の分際で、流産させることができたってこと?」

「胎児の、分際」

ぼんやりと繰り返す僕に構わず、少女は続けた。

「だいたい、子種を仕込んだのは父で、受け入れたのは母で、止めなかったのは兄たちでしょうに」

赤裸々な言葉に、少女から視線をそらす。

「ええと、詳しいんだね」

「お母様の教育方針よ。自分の身を守るために知っていなさいって」

「そうなんだ」

思わず遠い目になるが、彼女が母に愛され、大事にされているのは間違いない。

「……母もたぶん愛されていたんだね。母を奪った僕を憎まざるをえないほどに」

「ああ、なるほど。自分の感情を自分で処理できないお子ちゃまばかりということね」

つぶやいた僕に、遠慮なくぶった切る言葉が返ってきた。その容赦のなさが、なんだか笑えてしまって、僕は肩をゆらす。

少女にかかれば、父も兄も所詮『お子ちゃま』なのだ。そして、僕も。

笑いすぎて涙の出てきた目をこすっていると、少女がじっとこちらを見てきた。

「なに?」

「その境遇に、いつまでいるの?」

「……いつまで?」

「その状態で、まだいたいの?」

「それは、どういう」

「ほしいものは、自分で掴みにいかなくちゃ。幸い、ここには王族がいるんだし」

「それは、王族に訴えろという意味?」

「それがいちばん、早いと思うのよねえ。やっちゃっていい?」

よくわかっていないまま、なんとなくうなずいた僕に、少女はにんまりとした笑みを浮かべてから、両手で顔をおおった。

「ひどい! ひどいわ!」

「え?」

「そんなの、レンドリックが可哀想よ!」

急に大声をあげて泣き出した少女に、慌ててお仕着せを着た女性や騎士の格好をした男性が駆け寄ってくる。

事情を聞こうとするも、泣いて言葉にならない様子の少女に、こちらに向く目が冷たい。

「やめて! レンドリックを責めないで! つらい思いをしているのは彼なのに!」

そう言って身も世もなく泣く少女に、とうとう主催者である王太子殿下が近寄ってきた。

「ゼーラント伯爵令嬢。泣かないでくれないか。なにがあったか教えてほしい」

「王太子殿下。レンドリックが、レンドリックがあまりに可哀想で。ご飯もろくに食べさせてもらえないって。兄弟や家庭教師からは、体に傷が残るほどの体罰を受けるって」

涙ながらの訴えに、王太子殿下の表情が引き締まる。僕に視線を向けた。

「それは本当のこと?」

「すみません。彼女がこんなに動揺するとは思わなくて。ただの世間話のつもりだったんです。僕には普通のことだったから」

「レンドリックはなんにも悪くないわ!」

こんなときなのに。王太子殿下の前でさえ、僕は悪くないと言い切る彼女が、眩しく見えてしょうがない。殿下の向こうに、あわててやってくる彼女の両親らしい人たちの姿が見えた。

母らしい人が、少女をひしと抱きしめる。父らしい人の鋭い視線が僕を見た。

彼女が母らしい女性の耳元になにかささやく。その女性は一瞬あきれた表情を浮かべ、すぐに感情をうかがわせない澄ました顔になった。扇で少女の父らしい男性の腕をぽんとたたいた。振り返る男性に首を振る。男性は息を吐くと、視線を和らげた。

少女が女性の腕から抜け出て、近寄ってくる。泣き濡れた目で僕を見て、にこりと笑う。

「君の名前を教えて」

君の名前が知りたい。君の名前が呼びたいと思ったんだ。

「セシリアよ。セシリア・ゼーラント。――お礼になった?」

「うん。ありがとう」

「よかった」と笑った顔が綺麗で、可愛くて、離れたくなかった。

彼女の向こうに、戸惑ったような顔をした、僕の父だと名乗る男性の顔が見える。いままで大人しく反抗もしたことのない僕が、まさか王宮でこんな騒ぎを起こすとは予想もしていなかっただろう。――うん、僕も思っていなかった。

これから事情を聞かれたりとか、いろいろあるんだろう。あの部屋を出られるかもしれないし、あの部屋に閉じ込められたまま、死ぬかもしれない。

どんな結果になったとしても、君が僕にしてくれたことは、絶対に忘れない。

◇◇◇

僕は、侯爵邸に帰されることはなく、王宮で保護された。医者だという人から、身体検査を受ける。体に傷が残っていない理由を聞かれ、『復元』魔法のおかげだと答えた。数日して、魔法の研究員だという人たちが、僕に会いにきた。

『復元』魔法を使ってみせると、彼らはずいぶん驚いていた。そのうちの一人が、僕の魔法は『復元』というよりも、『生成』に近いものだろうと教えてくれた。構成する材料を僕が理解していれば、そのモノを作り出せるのだと。

そのあと、母方の子爵家に引き取られた僕は、レンと名前を変えた。侯爵家で僕の扱いがひどかったことは、家内のことでもあり、公的に咎められることはなかったらしい。

侯爵家のことなんて、どうでも良かった。もともと血が繋がっているだけの他人だ。僕にとって大事だったのは、僕を救ってくれた、 あの少女(セシリア) のことだけ。

祖父母に頼み込み、対人関係の経験が少ない僕は、人と会う機会を多く作ってもらった。それから、死に物狂いで、体と魔法を鍛えた。その甲斐があって、それなりに剣も扱えるようになったし、土でも水でも氷でも、自由に好きな形が作れるようになった。これで、盾も武器も魔法で作れる。

侯爵家での扱いの対価として贈られた小さな鉱山でも、魔法の実験を行った。

青玉、赤玉、緑玉。なんだって合成できたけど、やっぱり君の瞳の色と同じ、緑玉がいいと思ったんだ。

これなら君の役に立てるだろうか。君のそばにいても、いいだろうか。

子爵家に移って一年。ようやく人並みの振る舞いが、少しは身についた頃。僕は、ゼーラント伯爵家の扉を叩いた。