軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九二話 孔明、地図を広げる

それから数日後、我が家を訪れた郭図が、祝賀を述べた。

「孔明どののお家も、これで安泰でございますな」

無事に赤ちゃんは生まれた。健康な男の子だった。

かなりの難産で、丸一日近くかかったけれど、とにかく母子ともに無事でなにより。本当になによりである。

この時代は死産も多いので、時間がかかるにつれて、どんどん不安はふくらんでいった。

纂(さん) の顔はどんどん青ざめていったし、誰にも言わなかったけれど、私もこっそりお腹が痛くなった。こういうとき、男はなんの役にも立たない。

けれど、生まれた子の栄養面や医療面といった生活環境をととのえるのは、私と纂の役目である。

乳幼児の死亡率も高く、成人できるのは半分もいればいいほうなのだが、そこらへんは万全にととのえてみせようではないか。

孫のことはさておき、相変わらず主屋の隅っこに座っている私は、地図を広げた。

荊州を中心に、揚州の西部にまたがったその地図を、郭図が興味深そうに見つめる。

この地図は、許都で荀彧たちと軍議をしたときに見た地図を参考にして、私が作成したものである。

私の記憶力では完全再現とまではいかないが、そこらへんは前世の記憶にある地図を思い出しつつ、うまいこと補正したつもりである。

それもあって、軍議で使用した地図とはだいぶ見た目が変わっている。

もっとも、前世の知識だって、いいかげんなものだ。

中国の地図にせよ、三国志の地図にせよ、正確な形をおぼえているわけもない。

ただ、衛星写真のような俯瞰した地図を見たことがあるぶん、私が作成したもののほうが実際の地形に近い場所だって、部分的にはあるんじゃないかなと思う。

「いま注視すべきは、……奉孝どのと劉備軍の戦でございますな」

江陵から夏口の線上を指でなぞって、郭図が指摘した。

たしかに、曹操側で大きな動きを見せているのは郭嘉の軍だけだから、そこに注目するのは当然だろう。

そもそも、今回の遠征は、荊州の占領が目的だったのだ。

劉備軍を破り、夏口を占領できれば当初の目的は達成される。

「奉孝は進軍を急いでいないようだが?」

つぶやくように、私は疑問を投げかけた。

郭嘉といえば兵貴神速、兵貴神速といえば郭嘉である。

その郭嘉がゆっくり進軍しているのは、なにかしらの考えがあってのことだろう。

「……おそらく、急いだところで、すぐに夏口を落とすことはできない、と奉孝どのは判断したのではないでしょうか」

郭図は白いあごひげを撫でながら答えた。

夏口から見て、漢水の上流にある襄陽、江水の上流にある江陵。

この二大都市を曹操軍が押さえているため、夏口は孤立している。

いや、劉備と孫権の同盟が成立した以上、孤立していたのは過去の話と見なすべきである。

「ふむ、夏口を短期間で落とそうにも、孫権の水軍が邪魔になるということか……」

「さようでございます。江陵と同様、夏口も川に面しております。水軍で優位を取らなければ、すぐに陥落させるのは不可能でございましょう」

おおっ、なんということだろう。

私はすこし感動していた。

まるで……軍師と会話をしているみたいだ!

……まあ、その、なんだ。

郭図が軍師キャラなのは、いちおうわかっている。

わかっちゃいるのだが、助言をどこまで信じていいのかとなると、司馬懿や郭嘉のようにはいかないわけでして。

信頼性に差が生じてしまうのは、いかんともしがたい。

それでも、敵戦力や地形を包括的に分析できる人材は希少である。

後世なんだかんだいわれていた郭図だが、袁紹の信任を得ていたのは伊達じゃないのだ!

「それがしが孫権の立場であれば、劉備軍の後方支援に徹しますな」

「自軍の損耗をおさえ、前面に立たせた劉備軍に、曹操軍を削ってもらう。……ふむ、妥当な作戦であろうな」

「あわよくば、劉備と曹操が共倒れにでもなってくれれば……。とでも、孫権は期待しているのではございませんかな」

「ふふふ、もしそうなれば、孫権は笑いがとまらぬであろう」

私が小さく笑ってみせると、郭図も口もとに笑みを浮かべて、

「ふふふ、まさしく。虫のよい話でございます。そこまでいかなくとも、効果的な作戦ではありましょう。……ただ、その効果にも限度があるのですが」

限度とは? 私は視線で問いかけた。

「劉備が夏口を維持するには、孫権の支援が必須となります。ですが、常に孫権から充分な支援が得られるとは思えませぬ」

「……なるほど。曹操にはその支援を断つ方法がある。廬江郡や呉郡に攻め込めば、孫権は自領の防衛に力を入れねばならない。必然、劉備への支援は手薄になるであろう」

といいながら、私は人差し指で、夏口より東にある廬江を指し示した。

さらに東にある呉郡は、ちょっと距離があるため、縮尺の都合上、この地図には載っていない。

夏口を攻めながら、孫権領をおびやかす。

曹操の兵力ならむずかしいことではない。

二正面作戦は本来であれば下策である。

ただし、孫権がすでに戦争に参加しているとなれば、話は別だ。

敵軍を動かせるというのは、それ自体がけっこうなアドバンテージである。

曹操の思惑を見抜いたところで、孫権としては思惑どおりに動くしかないだろう。

郭図が地図に視線を落としながらいう。

「いずれ夏口が陥落するのはまちがいありませぬ。時間はかかるかもしれませんが、いいかえれば、時間をかければよいだけのことでございます」

「劉備が敗れたなら、孫権は単独で曹操に対抗せねばならない。やはり、孫権にしてみれば、夏口が落ちる前に江陵を落とさねばならないはずだ」

「孔明どののおっしゃるとおりでございますな。劉備軍を支援するだけでは、勝敗はくつがえらないと存じます。ですが、江陵を落とそうにも、曹操本隊が江陵に駐屯していては不可能でございましょう」

ひとまず結論を出すと、郭図は講義をおこなうため学堂へむかった。

私の私塾で非常勤講師をしている郭図だが、講師役も板についてきて、すっかりベテラン講師の風格である。いや、初日から風格はあったけれど。

私も地図を片づけるために書斎へむかう。

私が作成した地図は、一見すると素人仕事にしか見えないはずだが、それでも地図は貴重なものだ。いつまでも広げておくわけにもいかない。

外は冷える。首をすぼめて歩きながら考える。

「……ふむ、曹操の勝利は揺るがない、か」

少なくとも、郭図はまだそう見ているようだった。

赤壁の戦いは、奇妙というか、二面性がある戦いだと思う。

郭図にかぎらず、この時代を生きる人々の目には、曹操の勝利はまちがいないように見えるのだ。

けれど、後世の視点においては逆で、実際に負けたからというのもあるけど、曹操が不利であるように見える。

正史と三国志演義におけるあつかいにおいても、大きなちがいがある。

正史では周瑜が中心になって曹操軍を撃破するが、演義の周瑜は諸葛亮のかませ犬っぽい役どころにされてしまっている。

実際の赤壁の戦いは、曹操軍と周瑜軍の対決が主体だったはずだ。

……だとしたら、曹操と周瑜の戦から、郭嘉と劉備の戦へと主体が変われば、勝敗の行方も変わるのだろうか。

このまま、赤壁の戦いから夏口の戦いへと変化してしまえば、歴史も変わるのかもしれない。

その日の夕刻になって、曹操のそばにいる荀攸から手紙がとどいた。紙の書簡である。

中身に目を通して、私は嘆息した。

そこには郭図の冴えわたる……冴えわたる? 軍略を、前提からくつがえすような情報が記されていたのだった。

夕食の前に、私と郭図はふたたび主屋の隅っこで地図を広げた。

台所から 羹(あつもの) の匂いがただよってくる。

ちょっとばかし空腹を意識させられながらも、私は荀攸から手紙がとどいたことを伝えた。

「ほう、公達どのからの手紙でございますか。して、どのような内容で?」

「曹操が江陵から動いた。正確にいうと、周瑜に動かされたようだ」

「……動かされたとは、穏やかでない口ぶりでございますな」

「うむ。曹操が動いた理由だが……。まず、孫呉水軍による襲撃があげられる」

荀攸の手紙がわかりやすくまとめられていたので、私はそのまま郭図に説明することにした。

曹操の支配地域にある船が、孫呉水軍に襲撃され、 拿捕(だほ) されている。

圧倒的優位にいるはずの曹操側に対して、劣勢なはずの周瑜側が積極的にいやがらせをしている状況である。

江陵と荊南四郡をつなぐ船までもが、くりかえし襲撃されているそうだ。

周瑜側は大船団ではなく、快速船を中心とした少数の船団を編成して動きまわっている。

それを見た曹操は、少数の船団をもって対抗しようとして、あっさり負けてしまった。

で、こざかしい動きをする孫呉水軍を殲滅すべく、一度だけ江陵の大船団を動かした。

その結果、今度はあっさり振り切られてしまったという。

「周瑜とは、たいした人物でございますな。まるで、陸上で指揮をとるかのように、自由自在に船団を動かしている」

郭図が感心したような声でいった。

そう、孫呉水軍の動きは奇をてらったものではない。

戦術の基本のような動きをしているのだが、それを水上でやってみせるのが並大抵の力量ではなかった。

さすが孫呉水軍というべきか。それとも、さすが三国志最高の水軍指揮官、周瑜というべきか。

「次に日食だ。先月、十月にあった日食のことは、公則もおぼえていよう。孫権側は『この日食は、制度を失した曹操に対する、天罰であり、 天禍(てんか) である。天は、曹操による統治を否定したのだ』と、さかんに触れまわっているそうだ」

この時代の人々のあいだでは、為政者が善政を敷けば吉兆があらわれ、悪政をおこなえば災異が起こる、と考えられている。

災害異変は、人界の政治が正しく機能していない証とされているのだ。

非合理な話に思えるが、人心にあたえる影響は小さくない。

もちろん曹操個人は信じていないだろうが、それでも完全に無視できるようなものではないはずである。

「天人相関説でございますか……。曹操にとっては時期が悪かったようですな」

状況を伝え聞いた郭図は、同情とも苦笑ともつかぬ顔で、太い息をはいた。

さもむずかしげな口調で、私はいう。

「そして、これが問題の本質であろう、将兵や荊州で暮らす人々から不平不満の声があがっている。孫呉水軍の襲撃や、日食の影響によって、その声は日に日に強まっているそうだ……」