軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八三話 郭嘉の判断、蒯越の判断

孔明と策を練って以来、荊州攻略はそうむずかしいものにはならないだろうと郭嘉は考えていたが、その彼にしても意外なほど、事態は順調に進んでいる。

郭嘉率いる曹操軍五万が襄陽に到着すると、劉琮らは城門を開け放ち、おとなしく恭順の意を 表(ひょう) した。城内の民衆にも抵抗する様子はない。曹操軍はいとも簡単に襄陽を制圧したのであった。

となると、残る問題は劉備軍一万五千である。

劉備はとっくに逃げ去り、樊城の一万は当然のことながら、新野の五千もすでに襄陽を通過して南へむかっていた。

趙儼(ちょうげん) が懸念の声をあげた。

「奉孝、劉備は江陵をめざしているそうだ。江陵は軍事交通の要衝。劉備に入られては、ちとまずいのではないか?」

「郭嘉どの、劉備追撃のご命令を!」

と催促するのは楽進である。

郭嘉は即座に決断した。

「劉備と江陵、まず優先させるべきは江陵っすよ。張遼どの」

「はっ」

「騎兵を率い、江陵に急行してください。劉備とは別の道を使ったほうがいいっす」

新野のみならず、樊城や襄陽の民にまで劉備を追いかける者がいる。

江陵へ急ぐのであれば、彼らをかきわけて進軍するより、別の道を通ったほうが早い。

「劉備を追いかけるわけではないのですな」

張遼の確認に、郭嘉はうなずく。

「ええ、先まわりっす」

「了解いたした。『兵は神速を 貴(たっと) ぶ』ですな。劉備軍の三倍の速度で行軍してみせましょう」

張遼はにやりと笑い、江陵へと急ぐべく退室する。

これで、劉備に江陵を奪われる可能性はなくなった。

仮に劉備が騎兵のみで先行したとしても、せいぜい二、三百騎だ。

その数ではどうすることもできまい。

江陵は落とせないであろうし、落とせたところで維持できなければ意味はない。

「それで、劉備の追撃はどうするので?」

于禁に問われ、郭嘉は質問を返す。

「于禁どのは、これから劉備を追いかけて、捕まえられると思うっすか?」

血気にはやる武将であれば、捕まえてみせると豪語したであろう。

しかし于禁は、

「……いえ。先に退路を封鎖しておかねば、やつを仕留めることはできぬでしょうな」

自信がないのではなく、冷静なのだ。だからこそまかせられる役目がある。

「そういうことっす。まあ、劉備軍の兵力をけずる好機ではあるんで、追撃は出しますよ。指揮は于禁どのにまかせます」

「はっ」

「ただし、荊州の兵を前面に出すように」

「……劉琮の軍ですか?」

「流民をかきわけて進む役っすよ」

劉備を追撃すれば、劉備軍からは脱落者が出るだろうが、流民にも犠牲者が出る。

民に恨まれるような役割は、劉琮軍に押しつけてしまえばいいのである。

「なるほど。……ですが、荊州の民を蹴散らして進む役となると、劉琮軍にも抵抗があるでしょう。……もし彼らがためらうようならば、きびしい刑罰をあたえる、ということでよろしいか?」

「いや。どのような処罰をするかは、曹操さまが決めることっす」

「丞相が?」

「いずれにせよ、劉琮軍は解体しなけりゃいけません。劉琮の家臣たちはそれを受け入れなきゃならないわけですけど、自分たちに瑕疵があるとなれば、納得もしやすいでしょう」

劉琮軍の解体は決定事項である。

劉琮の家臣たちに、それに抗う力はない。

ただし、力がないのと、納得するかは話が別だ。

兵権を取りあげられれば、なかには不満を抱く者も出よう。

彼らにあたえるべきは「言い訳」である。

自分が兵権を失うのはいたしかたない。

そう思えるだけの言い訳を用意してやれば、彼らの多くは現状を追認するために、精神の安寧を得るために、その言い訳に飛びつくであろう。

「任務に励んで、劉備軍を懸命に追いかけるもよし。流民を前にしてためらい、追撃を鈍らせるもよし。どっちでもいいんすよ」

懸命に追いかけたならば、その指揮官だけ引き立ててやればよい。

荊州の民を蹴散らしてまで、曹操への忠誠心をしめしたのだ。

待遇に差をつけられても、他の者は納得がいくだろう。

ためらったならば、劉琮軍全体の失態とすればよい。

任務をまっとうしようとしなければ、兵権を取りあげられるのも当然である。

少なくとも、なんの理由もなく取りあげられるよりは、彼らもいくぶん納得しやすいはずであった。

むろん郭嘉は、劉琮の家臣たちの心情をおもんぱかっているわけではない。

曹操に対する反発を減らし、荊州統治を円滑におこなうための、下地をととのえているのである。

「……どちらでもよいという言葉が、これほどおそろしく聞こえるとは思いませなんだ。……劉備の姿を視界にとらえたなら、我々も前に出ますが、よろしいでしょうか」

戦慄をおぼえたのか、于禁の表情はこわばっている。

「もちろん。功績まで劉琮軍にゆずってやる理由はないっす」

「承知つかまつりました」

于禁は一礼して任務にむかった。

じつは郭嘉の胸中には、さらにもう一歩踏みこんだ算段がある。

流民たちの多くは曹操軍に捕らえられ、 屯田民(とんでんみん) として移住することになろう。

逃散(ちょうさん) をふせぐためにも、里心は不要である。

劉の旗を掲げた、荊州兵に追い立てられる。

この経験が、彼らの郷里への未練を断ち切ってくれることであろう。

「……それで、私の任務は?」

待っていても指示が出なかったので、楽進が尋ねた。

「襄陽で待機っす。……だって、劉備の追撃に参加したところで、劉琮軍のうしろにいなきゃいけないんすよ。楽進どのにとっては、うっぷんが溜まるだけでしょう?」

郭嘉が呆れたようにいうと、趙儼は苦笑を浮かべ、最前線に出たがりの楽進は言葉につまるのだった。

郭嘉たちから遅れることわずか二日、曹操率いる騎兵一万が襄陽に到着した。

曹操はまず劉琮と面会し、次に旧知の間柄である蔡瑁の屋敷に足をはこんだ。

親曹操派の筆頭とはいえ、一豪族の屋敷をわざわざ訪れたのだ。破格の待遇といえよう。

曹操との会談を終えた蔡瑁は、遠目にも上機嫌であった。

「どうやら、蔡瑁どのはうまくやったようだな」

蒯越は皮肉っぽく独語した。

蔡瑁は曹操への臣従を誓う代わりに、自身の既得権益を認めてもらったのだろう。

それを変節と非難するのは筋ちがいというものである。

彼は襄陽の大豪族であり、豪族としての姿勢をつらぬいているだけなのだ。

蒯越にも、ゆずれぬものがある。

劉琮を守ると、彼は劉表に誓ったのだ。

たとえ、これから曹操に仕える身であろうとも、その誓約を 反故(ほご) にするつもりはない。

蔡瑁の次に、曹操と会談することになったのは蒯越である。

彼が室内に歩み入ると、曹操は数名の家臣とともに待ちかまえていた。

「蒯越、参上つかまつりましてございます」

「おお、劉表の 智嚢(ちのう) がやってきたぞ。かねて蒯越の名は天下にひびいておる。深く語りあいたいところだが、その前にひとつ訊きたいことがあってな」

「私に答えられることならば、なんなりと」

「劉琮の処遇についてだ」

それこそまさに蒯越の憂慮するところである。彼は唾を飲みこんで、曹操の言葉を待った。

「劉琮は青州刺史の座を望んでおる。おぬしと相談したうえで決めたそうだが、なぜ主君に格下の地位をすすめたのだ」

たしかに、劉琮は荊州牧・劉表の後継者なのだ。青州刺史では格落ちといわざるをえない。

もとより、あざむくつもりはなかったが、嘘はつけない、と蒯越は判断した。

劉琮がどこまで話したかわからぬ。

話がくいちがえば、彼らを処分する口実を、曹操にあたえるだけであろう。

「劉琮さまは我々の主君でございました。荊州にとどまれば、曹丞相の統治によくない影響をおよぼすでしょう」

「それはそうだ。劉琮は荊州から離したほうがよい、とは余も考えていたが」

「許都も問題がございます。景帝の血を引く劉琮さまがそばにいれば、朝廷の者が接触をはかるでしょう。よからぬ陰謀に巻き込まれるかもしれませぬ」

「ふむ。朝臣もいろいろつまらないことを考えるからな」

さりげなく、曹操は朝臣をこきおろした。

「また、申し上げにくいことなのですが、劉琮さまは戦場に出た経験がございません。兵を指揮する可能性は低いほうがよろしいかと」

広大な曹操領のうち、孫権ら群雄や異民族と接していない、後方と呼べる地は、冀州・兗州・青州の三州である。

このうち冀州には曹操の都ともいうべき鄴があり、兗州は許都と鄴をつなぐ要地である。劉琮にまかせるわけにはいかなかった。

「……なるほど。さらに州刺史であれば、州牧のような兵権もない、か。しかし、青州刺史が格落ちであることに変わりはない。おぬしは劉琮を冷遇させたいのか、それとも厚遇させたいのか」

「むろん厚遇していただきたく存じまする。なにせ、劉琮さまはみずから降伏を選んだのでございます。もし――」

「ははは、みなまでいわずともよい。劉琮に寛容な態度をしめさなければ、今後、余に投降しようとする者はいなくなるであろう」

曹操は笑った。おそらく蒯越の真意をすべて理解したうえで。

荊州や許都から遠ざけ、なおかつ兵権もあたえない。

これでは劉琮を危険視しようがない。

曹操が劉琮を処分する動機をすべて取り除く。

それが青州刺史をすすめた蒯越の真意であった。

「蒯越、おぬしを手に入れたこと、荊州を得たこと以上にうれしく思うぞ」

忠節を曲げようとしない蒯越を気に入ったのだろう、曹操はいたくご満悦であった。

こうして、ひとまず劉琮の安全は保障された。

青州刺史・劉琮は職務に励み、後年、その忠勤ぶりを評価されて、 諫議大夫(かんぎたいふ) 、参同軍事に取り立てられる。特筆するほどの出世ではなかったが、彼は平穏な人生を手に入れたのだ。

戦わずして降伏するのは、恥辱である。

それでも劉琮の人生は、彼が賢明な選択をしたことを証明するものであったろう。

最後まで戦う道を選んだ袁紹の遺児たちは、そろって悲惨な末路をたどったのだから。