軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六二話 北征

私は書斎にこもって椅子に腰掛けていた。

腕を組んで、目を閉じて、全集中のかまえである。

冀州を失った袁譚は、弟の 袁煕(エンキ) が治める幽州に逃げこんだ。その幽州でも曹操に寝返る者が続出し、袁譚・袁煕兄弟は幽州西部を放棄。東部は 遼西郡(リョウセイグン) の奥地にある、 柳城(リュウジョウ) という地に落ちのびている。

柳城……。その地名が、前世の記憶を 喚起(かんき) させる。

たしか、郭嘉が病没したのが、柳城遠征の帰路……だったような。うろ覚えだけど。

郭嘉生存のための、ここが勝負どころだと思う。

なお、郭図もいまだ健在なもよう。よきよき。

私はまっさらな紙をとりだして、筆を手にする。

手紙をしたためる相手は、郭嘉と荀攸である。

郭嘉への手紙は、要約すると、だいたいこんな感じ。

「ちゃんと食事をとれよっ。手洗いとうがいを忘れんなよっ。夜更かししないでさっさと寝ろよっ! あと、郭図を生け捕りにする件も頼んだぞ! できるできる、おまえならできるっ!」

そして、荀攸へ送る手紙はこんな感じ。

「つぎの戦で袁家との抗争も終わるでしょう。郭図を死なせずにすめばよいのですが……。それと、辺境への遠征はいままでにない苛酷なものになるでしょうから、体の弱い郭嘉が気がかりです。彼の健康面を気にかけてやってください」

差がありすぎぃ! 内容は同じなのにっ!

……しかたない、しかたないのだ。

じつのところ、私は荀攸という人物に対して少しばかり苦手意識がある。

嫌いというわけではない。むしろ、性格は温厚だし、頭は切れるし、いざというときは頼らせてもらうつもりだし、悪感情は一切ないと断言しちゃってもいい。

でもね……。

世代が上で、人格的にも頭脳的にも一片の隙もないとなると、どうにも格上として認識してしまうというか。……ぶっちゃけ、とっつきにくいのである!

私は……格上の人物相手に堂々と渡りあえるタイプではありませんッ!!

同じ年上でも、これが郭図や鍾繇なら話は別だ。

郭図の場合、それはちょっとどうなのよ、という言動がたまにある。

隙というかツッコミどころがあるので、格上相手の気おくれみたいなものは感じずにすむ。

鍾繇にいたっては、気おくれなんかしていられない。

唯々諾々(いいだくだく) と従っていたら、私が所蔵していたはずの貴重な書物が、いつの間にやら鍾繇邸に保管されている!? なんてイリュージョンが起きかねない。あの人ならマジでやりかねない。そうはさせん。遠慮なんかしていられる相手ではないのである。

それはともかく、郭嘉を監督できるとしたら、陳羣、荀彧、荀攸くらいしか思い当たる人物はいない。

郭嘉のことを頼めるのは、遠征に帯同するであろう荀攸をおいてほかにいないのであった。

*****

かつて曹操軍によって占領されたとき、大都市・鄴の食料庫は空っぽで、ねずみ一匹いなかった。餓えた人々は、ねずみの肉すら奪いあわねばならなかったのである。

それから二年が経ち、秋の収穫をむかえて、食糧庫のなかにはうずたかく 粟(あわ) が積まれている。沃野にめぐまれた鄴は、本来の姿をとりもどしたようであった。

郭嘉と荀攸は備蓄の確認をすませると、食糧庫をあとにした。

司空府へと歩いてもどる途中で、荀攸が口をひらく。

「……そういえば、孔明が 奉孝(ホウコウ) の体を気づかっていたぞ」

「あはは、いつにも増して心配されてるみたいっすね」

「……柳城は遠い。補給の準備は万端に整えるつもりだが……」

「いくら準備したところで、距離と風土はどうにもならない。って、伝えたいんでしょうよ、孔明先輩は」

「……うむ」

曹操軍は運河を掘って、河川をつなぐ大工事をおこなっていた。船舶を利用して海まで補給物資を運搬する予定だが、それでも孔明は不充分とみているのだろう。彼らはそう受けとめていたが、むろん孔明当人は郭嘉を心配しているだけである。

「遠征に反対する意見が多かったのも無理はないっす」

「…………」

兵站の重要性を知る者は、柳城遠征がかつてない苛酷な大遠征になることを知っている。それゆえ諸将のなかには、遠征そのものに反対する者が多かった。

「袁譚が身を寄せた柳城は、 烏丸(ウガン) の 単于(ゼンウ) ・ 蹋頓(トウトン) が治める地である。袁譚は領土を失ったのだ。もはや脅威とはなるまい」

「しかり。袁譚につきしたがう兵は、すでに一万を下まわっているとも聞く。おそれるほどのものではなかろう」

「流浪の将を討つのに、大軍勢を動員して数千里の遠征をおこなおうというのか。それはさすがに、労力に見合わないのではないか」

「もう袁譚など捨ておけばよい。そんなことより、許都を狙っている劉備と劉表を警戒すべきであろう」

それに対して遠征を推す少数派は、袁譚ではなく、騎馬遊牧民の烏丸こそが脅威なのだと説いた。

「烏丸と袁家とは長らく友好関係にある。われわれが劉備・劉表と戦っているあいだに、袁譚が烏丸の大軍勢とともに侵略してきたらどうするのだ」

たしかにその言葉が実現すれば、破滅的な脅威が訪れよう。

しかし、それは杞憂であろう、と諸将の多くは思った。

袁譚にとって都合のよい、妄想のなかにしか存在しえない話である、と。

そもそも袁譚のために、烏丸が大量の血を流す必要がどこにあるというのか。

友好関係にあるといっても、血盟を結んでいるわけではないのだ。

ましてや烏丸は残暴なる蛮族である。かくまっていても利益にならないと判断したら、手のひらを返すように、袁譚の首を送りとどけてくるであろう。

そうした意見が大勢を占めるなか、もっとも強硬に袁譚討伐を主張したのは、ほかならぬ郭嘉であった。

「劉備が許都に攻めてくることはないっす。動けるのなら、さきの反乱に乗じて動いていたはず」

憶測ではなく、郭嘉は知っていた。

劉備と劉表が一枚岩になることはない。

彼に荊州の内情を伝えたのは、陳羣である。

臥龍鳳雛(がりょうほうすう) と呼ばれる若者たちについて孔明と話をして以来、陳羣は荊州の学士・士大夫たちと頻繁に連絡をとるようになっていた。

工作をしていたわけではないのだが、文のやりとりを密にするうちに、彼は自然と荊州の内情に詳しくなっていたのだった。

「ここで後顧の憂いを断っておかないと、いままでの戦果がすべて吹き飛びかねないっすよ」

郭嘉は頑として袁譚討伐を訴え、その理由を説明した。

烏丸が袁譚と命運を同じくすることなどありえない。しかし、牛馬羊皮の交易によって栄えている烏丸が、袁譚に資金を貸しあたえて支援することは充分に考えられるのだ。

曹操が南に軍勢をむければ、袁譚は烏丸の資金を背景に、反撃の狼煙をあげるであろう。そうなれば曹操に鞍替えしたばかりの幽州西部は、簡単にくつがえされる。

その勢いは、河北全土へと波及するにちがいなかった。

幽州西部をとりもどした袁譚は、烏丸からさらに資金を引き出すであろうし、烏丸としても成果を得られたのなら、支援を打ち切る理由はないのだ。

なんといっても、曹操が河北を支配してからまだ日が浅く、袁家の統治は長くつづいていた。袁譚に味方しようとする勢力は、潜在的に少なくないはずであった。

「烏丸の資金力が袁家の 残滓(ざんし) を呼び起こさぬよう、袁譚・袁煕兄弟を討ちとっておかねばなるまい」

曹操は決断したが、現実として 険阻(けんそ) な道のりが大きな壁となって立ちはだかっている。

距離という克服しようがない問題は、まだ準備段階であるにもかかわらず、百戦錬磨かつ 不逞(ふてい) な曹操軍の勇将たちをも 暗澹(あんたん) とさせた。

強硬に遠征を主張しておいてなんだが、郭嘉とて彼らと同じ心境である。

やらねばならぬからやるだけであって、地図も当てにならない不明瞭な戦など、できればさけたかった。

「まったく、厄介な場所に逃げやがって……」

槐(えんじゅ) が植わった通りを歩きながら、郭嘉は心の底から嫌そうに顔をゆがめた。

しばらくして、荀攸がぼそりとつぶやく。

「……人員の半数を、兵站にあてるべきか」

「そりゃまた大胆なことで。……けどまあ、大胆なくらいでちょうどいいかもしれないっすね。二百万 斛(ごく) 近い糧食が必要になりそうですし」

口にしただけで、めまいがしそうな数字である。

郭嘉はかるく頭をふると、気をとりなおすようにうそぶいた。

「袁譚軍の兵数はせいぜい一万、こちらの動員予定数は八万を上まわる。徐晃、張遼、張郃といったすぐれた指揮官がそろい、将の質でも圧倒的。これはもう、わが軍の勝利に疑いの余地はないっすね」

ことさら有利な条件だけを数えてみせたのだが、そううまくはいかないことを、彼らは誰よりもよく理解していた。

半数を兵站にまわせば、前線で敵と対峙する数は四万に減ってしまうし、柳城に攻めこむのだから、烏丸とも戦うことになろう。

烏丸が袁譚と柳城一城のためにどれほどの大軍を動員するかはわからないが、最悪の場合、その兵力は十万に達するかもしれなかった。

最良の展開はいうまでもない。戦わずして烏丸が軍門に下り、袁譚の首を差し出してくることである。

幾多(いくた) の戦場に従軍して、曹操軍を勝利に導いてきた郭嘉と荀攸であるが、これほど敵戦力の予測がつかないのは、はじめての経験だった。

とにもかくにも不分明な要素が多すぎる。見通しが立たないとは、まさにこのことであった。

建安十二年(二〇七年)四月、漢王朝の司空曹操は八万三千の将兵をひきいて、北限の 患(わずら) いをとりのぞく征旅についた。

後世において、曹操軍史上、もっとも長く苛酷な行軍として知られる柳城遠征の、これがはじまりであった。