軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三九話 砂糖

「 藷蔗(しょしょ) (さとうきび)の甘い汁を煮つめて固めると、 石蜜(せきみつ) (黒砂糖)ができるよ」と口で説明するのは簡単だ。けれど、実現させるために越えなければならないハードルは、天を仰ぐほどに高い。

なぜなら、食糧が慢性的に不足しているからだ。さとうきびでは食っていけないからだ。

「美食家たちをよろこばせるために、藷蔗をつくれ! おまえたちは飢えて死んでいいぞ!」なんて命じたら、農民反乱待ったなしである。

統治する側にとっても、農民の数は自身の力そのものだから、餓死者を増やしてプラスになることなんかひとつもない。穀物を優先させるのは、至極当然の話だろう。

甘いものがほしければ、穀物から水飴をつくればいいのだ。砂糖なんて、しょせん 嗜好品(しこうひん) にすぎないのだ。

つまり、砂糖をつくるために必要な条件は、生半可なものではないのだった。

食糧の余剰、大量の労働者を動員する力、なにより、さとうきびを栽培できる温暖な場所……。

この国の南部には、さとうきびが生えている場所もあるにはある。

しかし、さとうきび畑をつくって、砂糖を生産しようという動きにつながるのは、まだまだ先のことだろう。

それまでは、砂糖のすべてを、輸入に依存しつづけなければならない。

息子のお見合いを仲介してもらったとき、そんな話を陳羣にしたことがあった。

自分の店で出す 甘味(かんみ) がイマイチものたりない。

そんな話のついでだったのだが、陳羣は産業をおこすためのアドバイスとして受けとっていたようなのだ。

宝刀のつぎに、木箱を差し出して、郭嘉はいう。

「藷蔗を栽培できる地は、広陵です。それと、こっちはオレの広陵土産っす。いつも、蜂蜜酒をもらってばっかですし」

私が木箱のふたを取ると、独特の匂いがただよってくる。中身は魚の干物だった。

「これは……海の魚か」

徐州南部の広陵は、江水と海に面している。暖流の影響もあってか、暖かいと聞く。曹操領でさとうきびを栽培できる土地があるとしたら、たしかに広陵だろう。

「孔明先輩は、川魚より 海魚(うみざかな) のほうが好きだったでしょ? なかなかいい場所ですよ、広陵は。戦の気配がするところなんか、オレの好みっすね」

戦のありそうな場所を好むのが、なんとも郭嘉らしい。私とは正反対である。

「まだ領内が安定してないんで、当面、着手できそうにないんですけどね。でも、広陵太守の陳登どのも乗り気でしたよ。まあ、その陳登どのも病みあがりで、大変そうだったっすけど」

「陳登どのは、体調が思わしくないのか?」

「なんでも川魚のなますを食べて、虫にあたったとか。運よく、華佗に診察してもらえたおかげで、助かったそうです。一部で神医と呼ばれているだけあって、たいした腕だそうで」

それ、三国志で見たやつだ!

華佗とは、三国志ファンにはおなじみの、伝説の医者である。

さすがに三国志演義で描かれるような、なんでも治せるスーパードクターでこそないが、トップクラスの医者であることにちがいはない。

仲よくしておきたい人物のひとりだし、機会を見つけて、手紙でも書いてみよう。

「いやあ、げっそりした陳登どのの顔を見てたら、オレも川魚のなますは遠慮したくなりましたよ」

「うむ、それがよかろう。火を通せ、火を」

それにしても不思議なのは、なんで郭嘉が動いているのかだった。

陳羣から郭嘉にさとうきびの話が伝わるのは、なにもおかしくはない。

けれど、広陵に行くのは、徐州で暮らしていた陳羣のほうが適任ではないだろうか。陳登との面識だってあるだろうし。

「奉孝は、陳登どのと親交があったか?」

ちなみに、私はない。

「ええ、まあ。孫策暗殺をいっしょに計画して以来、オレと陳登どのは悪友っすから」

「…………」

悪友ってレベルじゃねえよッ!?

……うわあ、とんでもない秘密を聞かされちゃったぞ。

よし、聞き流そう。

はい、この話題やめ! やめやめ!!

「ときに、奉孝。袁紹が、袁譚を跡継ぎに指名したであろう。おぬしはどう見ている?」

「どう、とは?」

郭嘉は怪訝そうに、まばたきした。

「ふむ。なにがどう、とはいえぬのだが……。袁紹が後継者を指名したと聞いたとき、どうにも違和感をおぼえてだな」

「ああ、なるほど。そこは、オレもひっかかりましたね」

郭嘉は得心したように、ひとつふたつうなずいて、するどく目を細める。

「まず、袁譚という人物がどの程度の器なのかを、考えなければいけませんかね。青州での実績を見たところ、一州をおさめられるかどうか、ってところっすか。四州を平定した袁紹からしてみれば、満足できる器量ではないでしょう」

「袁紹は、三男の袁尚をかわいがっている、とも聞いているが……」

「長男と次男の器が、自分には遠くおよばない、と袁紹にはわかってしまった。だから、まだ若い、未知数の三男に期待するしかなかったんでしょうよ」

郭嘉はあきれたように肩をすくめた。もし袁尚が優秀な人物だったら、とっくに評判になっているはずだ、といわんばかりである。

「むっ。期待するしかなかった、とはなかなか手厳しいな」

期待する、と、期待するしかなかった、とでは意味合いがだいぶちがう。可能性にすがろうとした袁紹の判断は、郭嘉の眼には優柔不断に見えるのかもしれない。

郭嘉は一瞬、苦笑をひらめかせてから、

「袁紹がようやく三男の器を見かぎった。見逃してはならないのは、そう決断させた動機でしょう。状況の変化が、袁紹に後継者を指名させた」

「状況の変化か……」

「じつはですね。来年か再来年あたりに、うちの農作物の収穫量が、袁紹領に追いつきそうなんですよ。そこまでは袁紹も知らないでしょうけど、実際に戦ってみて、うちが地力をつけてきたのを痛感したのでは? このままではまずい、と危機感を抱けば、変わろうとするもんでしょう」

なるほど。

たしかに、官渡の曹操は強かった。奇跡でも紙一重でもなく、実力で勝利をつかみとった。その強さが、袁紹の危機意識を刺激したのだろうか。

「ほかに、そうっすねえ……。 継嗣(けいし) が定まっているかどうかで、家臣や領民の心境もちがってくる。領内の動揺、反乱をおさえるためにも、後継者は指名しておいたほうがいい」

なるほど、なるほど。

官渡ショックが史実より大きかったのは、袁紹だけではなかっただろう。跡継ぎ・袁譚の名をわざわざ布告したのは、袁家は健在であるとのアピールにちがいない。そうやって袁紹は、周囲の動揺をしずめようとしたのだ。

「まあ、もっと、 切羽(せっぱ) つまった理由だって考えられるんですが……」

おそらく確信がもてないからだろう、郭嘉は口ごもった。

その袁紹が切羽つまっている理由、郭嘉が勘づいたナニかの正体を、私は知っている。

「袁紹の健康問題、であろう?」

私が指摘すると、郭嘉はニヤリと笑った。

「そういうことっす」

「私はな。袁紹亡きあと、跡目争いが起こるのではないか、とも思っていたのだが……」

私は問いかけるように、口を閉ざした。

郭嘉はあごに手をやって、考えこむ。

「……なるほど。冀州の豪族たちが、袁尚を担ぎあげて 傀儡(かいらい) にする。鄴をうばわれた袁譚が、平原か南皮あたりを拠点にして対峙する、ってことっすね」

「うむ」

郭嘉だから、といえばそれまでかもしれないが、理解力が尋常じゃない。一を聞いて十を知る人は、現実にいるのだ。

数秒の沈黙のあと、どことなく愉快そうに郭嘉はいった。

「……袁紹め、なかなかどうして。動きが鈍ったかと思いきや、 耄碌(もうろく) はしてないみたいっすね」

「うむ。後継者を指名したのは、 妙手(みょうしゅ) であろう」

「ええ。冀州閥への、いい 牽制(けんせい) になっている」

袁譚が後継者に指名され、外からは、曹操がいつ攻めこんでくるかわからない。

この状況で袁尚を担いで、あれこれ策動するのは、あまりにもリスクが大きすぎる。

「袁紹としては、袁譚の支配体制を盤石にしておきたいところでしょう。そのうち、袁譚の代わりに袁尚を、青州に送りこむんじゃないっすかね」

郭嘉は何気ない口調で、近い将来を予言した。

それからの袁紹は、郭嘉の言葉をなぞるかのように動いた。

平原と鄴を往来していた袁譚が鄴にとどまるようになり、袁尚が平原の領主となったのだ。

青州に行ってしまえば、袁尚と冀州の豪族たちとの関係は薄れていく。

反乱を起こそうにも、袁尚はまだ、自前の軍隊をもっていないだろう。徴兵する? 青州の大半は、すでに曹操領だ。平原周辺のわずかな地域だけでは、袁譚に対抗しうる兵力は、とても集められない。

どうやら、袁紹は跡目争いの芽を摘みとるのに成功したようだった。

最後の最後で、史実を超えてくるとは……。お見事というしかなかった。

こうなると、私の予定も、前倒しにしちゃっていいのかもしれない。

袁家の分裂がなくなった。

つまり、分裂する日まで、待つ必要もなくなったのだから。