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作品タイトル不明

第一七九話 反乱勃発

「我が君、お久しゅうございます」

「おお、孔明。到着したか」

成都(せいと) に着いた諸葛亮を、劉備はよろこんで迎えた。

「なにやらお困りと聞きましたが?」

諸葛亮が気づかわしげに問うと、劉備は渋面で語りだす。

「うむ。……じつはだな」

劉備は部下に約束していた。成都を攻略したら、その府庫から自由に恩賞を取らせる、と。

成都が陥落すると、その言葉どおりに劉備軍の将兵は蔵に押し寄せた。そして、彼らが立ち去ったあと、蔵のなかはすっかり空っぽになっていたのである。

「それは困りましたな」

「そう、困っているのだ」

諸葛亮と劉備は困り顔をつきあわせた。

冗談のような話だが、笑っていられる状況ではない。

なぜそんな約束をしてしまったのか。

さすがの劉備も悪いと思っているのか、ため息まじりに、

「 劉璋(りゅうしょう) が 士燮(ししょう) のように財宝をためこんでいれば、余裕はあったのだろうが……」

劉璋は蓄財にはげんでいなかったのだ。

ある意味、民衆に誠実であったともいえる。

それでいて、巨額の私財をたくわえていた士燮のほうが、民衆から支持を得ていたのだから興味深い。

私欲とは関係なく、民を富ませるのに士燮は成功し、劉璋は失敗したのである。

「当てが外れましたか」

「うむ……。部下や民衆に払ってしまったものを取りあげることなど、私にはできぬ。なにか良案はないだろうか?」

露骨な期待をこめて、劉備は頼みこんだ。

龐統(ほうとう) や 法正(ほうせい) は、劉備は気前がよすぎる、とへそを曲げているそうだ。

といっても、解決策があるのなら、彼らとて上申しているはずである。

見つからないのであろう、そう簡単に見つかるはずがない。

そもそも、なにをするにしても金がかかる。その金が不足しているのだ。

「打つ手がまったくないわけでもございません」

諸葛亮は眉をひそめたまま答えた。

「なにっ、本当か!? どのような手だ」

「我が君は、 直百五銖銭(ちょくひゃくごしゅせん) なる貨幣をご存じでしょうか? 陸渾(りくこん) の胡先生と 零陵(れいりょう) の 劉巴(りゅうは) なる人物が提唱したという新貨幣です」

「曹操が鋳造させている百銭貨幣のことだな。八十五銭を持ちこめば百銭に交換してもらえる、と商人がうれしそうに話していた」

「民衆からすれば、八十五銭を百銭に交換してもらえる。曹操からすれば、一枚の大貨幣の代わりに、小貨幣八十五枚分の原料銅を得られる。そういう仕組みでございます」

劉備は目を丸くして驚いた。

「どちらも得しているではないか。なぜ、曹操以外の者はしようと思わなかったのだ?」

「大貨幣には偽造がつきものでございますから」

「それなら、直百五銖銭の私鋳銭が出まわり、物価が高騰してしまうのではないか?」

「いまのところ物価高騰のきざしは見えませぬ」

じつのところ、劉備と同様の懸念を諸葛亮も抱き、彼なりに直百五銖銭制度を分析していた。

おそらく、直百五銖銭の私鋳銭は 出まわっている(・・・・・・・) 。

それが物価高騰につながっていないのは、粗悪なものは排除され、本物と同等以上の価値があると見なされる、精巧な私鋳銭しか流通していないからだ。

つまり、直百五銖銭の価値がほとんど棄損されていないのである。

また、正規のものであれ、精巧な私鋳銭であれ、直百五銖銭の原料となっているのは、市中に流通している粗悪な五銖銭である。

貨幣価値を棄損し、物価の高騰を招いていた粗悪な私鋳銭が、市中から減少していけば、これも物価上昇の圧力をおさえる要因となる。

もうひとつ。

市場取引高に対して、貨幣の供給が不足しているのも、直百五銖銭制度がうまく機能している要因であろう。

市場の需要に対して、貨幣の発行量が圧倒的に足りていないのだ。

その不足分を補う形で流通しているから、民衆は直百五銖銭という新貨幣を受け入れているのである。

この仕組みを理解したとき、諸葛亮は驚嘆と戦慄を禁じえなかった。

貨幣の価値棄損による、物価の高騰。

市場の需要に対する、貨幣の供給不足。

どちらも長年にわたって漢朝を悩ませてきた問題であるが、このふたつをうまく噛みあわせることによって、結果的に、民衆も曹操も得をしているのだ。

「物価の高騰はさておき、我々も直百五銖銭を発行するのです」

細かい説明をしようとはせず、諸葛亮は提言した。

「するとどうなる?」

「大量の五銖銭が集まり、空の倉庫を満たすでしょう」

「ほう、それはよい」

劉備は目を輝かせ、こぼれんばかりの笑みを浮かべた。

「集まる五銖銭の大半は粗悪な私鋳銭でしょうが、一銭は一銭、銅銭は銅銭でございます。蔵のなかに山と積まれた銅銭を見れば、我々の財政事情に疑念を抱く者はいなくなります。劉璋に仕えていた兵士や役人も、安心して我が君に仕えられるというものです。いわば見せ金ですな」

「見せ金か……。実際の効果はうすいのか?」

「しょせんは銅銭でございますれば。ですが、金があると見せかけるのは重要でございます。金がなければ、逆らう者、離反する者も出てきます。 士元(しげん) たちが機嫌を悪くしているのも、それを警戒しているからでしょう」

たしなめるように諸葛亮はいった。彼も、心情としては龐統たちに近いのである。

益州北部の漢中郡に、曹操がいる。曹操本軍が間近にせまっているのだ。

張魯(ちょうろ) も抗戦するかまえを見せているが、曹操軍を撃退できるとは思われない。じきに張魯は攻めほろぼされ、漢中郡を占領した曹操軍は、その矛先を蜀郡の劉備へとむけるであろう。

それまでに、劉璋の家臣と成都の民の心をつかんでおかなければ、戦うどころではない。

「わかった。さっそく、直百五銖銭をつくらせよう」

口元をひきしめて、劉備はうなずいた。

「さいわい、益州には銅鉱山がありますゆえ、直百五銖銭の原料には困らないかと」

「うむ。それにしても、このような解決策があろうとは。さすが、 我が孔明(・・・・) だ」

劉備は目元に笑みを浮かべ、諸葛亮を称賛した。

陸渾の胡孔明になぞらえた、このうえない賛辞であった。

「直百五銖銭という先例を利用したまでのこと。過分なお言葉でございます」

龐統や法正が見つけられなかった解決策を見いだしたからといって、諸葛亮はうぬぼれなかった。

彼は認識していた。そこにあるのは才の差ではなく、かねてより直百五銖銭に着目していたか否かの差であろう。

「益州は銅だけでなく、鉄や塩の産出地でもあります。これらを適切に運営していけば、長期的な財政懸念もありませぬ」

白羽扇を手に一礼しながら、諸葛亮は思う。

もしこの直百五銖銭制度が、曹操の頭脳から生まれたものであったら、諸葛亮は敵のあまりに巨大な才の前に、打ちひしがれていたかもしれなかった。

だが、あの孔明が関与しているのならば、さもありなん。

孔明のことである。民衆を苦しめている物価の高騰を抑制しようと考え、その元凶である粗悪な私鋳銭を排除するための策を編みだし、劉巴を 介(かい) して曹操をも動かしたにちがいなかった。

「一度お会いして、教えを 乞(こ) いたかったものだが」

諸葛亮は心のなかでつぶやいた。

書生時代の彼であれば、陸渾に足をはこぶことも不可能ではなかったろうが、それはもはや叶わぬ願いであった。

建安二十年冬。

漢中郡を奪われ、巴郡で抵抗をつづけていた張魯が、曹操に降伏を申し出た。

独立勢力として生き残ることが不可能だと悟った張魯は、劉璋とは反対に、劉備ではなく曹操に降伏する道を選んだのである。

これを曹操は受け入れた。

漢中から逃亡する際、張魯は蔵に火を放たず、封印するにとどめた。蔵の物資は張魯個人の物ではなく、国家の物であり、民のために使われるべきだという理由からであったが、その判断を曹操は高く評価していたのであった。

ちなみに、弟の 張衛(ちょうえい) は陽平関が陥落したときに捕らえられ、すでに降伏している。

「女は奪われ、子は殺される。敗者とはかくあるものか」

曹操がそう評した相手は、張魯ではなく馬超であった。

漢中を制圧した曹操は、ひと組の母子を手に入れた。

馬超の 妾(めかけ) であった 董氏(とうし) と、子の 馬秋(ばしゅう) である。

馬超は張魯のもとを去る前に、馬秋は自分の子ではないと主張し、名をあらためるようにいい残していたようだ。董氏はその言葉にしたがおうとせず、我が子は馬超の子だといって名をあらためようとしなかった。なかなか気の強い女であるらしい。

敵の妻や娘を自分のものとすることは、勝利を誇示して支配権を確立させるありふれた手法であり、曹操は気の強い女も嫌いではなかった。

だが、しょせん妾であったし、身の危険を感じるような女と寝所をともにする気にはなれず、情熱も興味もわかなかった彼は、張魯の軍師であった 閻圃(えんほ) に董氏をあたえ、張魯に馬秋のあつかいを一任した。

もちろん、馬超の子の身柄をあずけたのは、張魯の忠誠心を試すためであり、彼は恭順の意を示すために、自分の手で 幼子(おさなご) を殺害したのであった。

「馬超も先の見えぬ男だ。 潼関(どうかん) で敗れた直後に降伏していれば、余は受け入れてやったというものを」

「馬超は劉備の 麾下(きか) に加わったそうだ」

そう 夏侯惇(かこうとん) が応じると、 曹洪(そうこう) が意気軒高に、

「劉備と馬超か、ちょうどいい。このままさらに南下し、 鯨(くじら) が細かい網を破るかのごとく、やつらを討ちほろぼしてくれよう」

曹操は、ちらりと幕僚を見やって、

「どう思う?」

まっさきに口をひらいたのは 司馬懿(しばい) である。慎重な彼にしては、めずらしく積極的な姿勢であった。

「曹洪どのに賛同いたします。劉備の配下は多士済々。それが交州と益州に、確たる勢力圏を築こうとしているのです。この機に滅ぼしておかなければ、かならずや将来の禍根となるでしょう」

発言の中身も積極的である。

つづいて 劉曄(りゅうよう) が、

「同じく。この機を逃せば、次の機会はいつめぐってくるか。曹操さまが漢中にいる、いまこそ好機かと存じます」

彼らの主張の正しさを認めながらも、曹操は首を縦に振らなかった。

「光武帝にならい、 隴(ろう) を得て蜀を望むも一興である。だが、劉備ごときの首よりも、優先させねばならぬことがある」

いまの曹操の敵は、巨大な漢朝そのものである。

その歴史と威光を打破しなければならない曹操にしてみれば、劉備など小物にすぎなかった。

「この漢中には、数えきれぬほどの流民がいる。関中から流れてきた民衆だ。まずは、彼らを郷里に帰してやらねばなるまい。それこそが王者のおこないであり、徳である」

漢の施政下にあって干からび、ひび割れた民衆の心を、曹操の徳政によってうるおしてやれば、おのずと天下の流れは定まろう。

「それに、おまえたちも知っていよう。流罪となった皇子たちの周辺に、怪しい動きがある。 烏丸(うがん) と連絡を取りあい、なにやら画策しているようだが……」

そういって、曹操は諸将の顔を見まわした。

集まっているのは、曹操軍の中核を担う人材ばかりである。

彼らはあらかじめ、北の地で反乱が起こる可能性を、曹操から知らされていた。

ただし、それが曹操によって仕組まれた反乱であり、 荀彧(じゅんいく) と孔明の発案であることを知っているのは、この場では 賈詡(かく) といまひとり、腹心の夏侯惇のみである。孔明当人の口から伝わっていなければ、弟子の司馬懿ですら知りえぬであろう。

荀彧と孔明が漢朝を見かぎっていることは、いまはまだ秘しておかなければならなかった。彼らの旗色が判明すれば、彼らに反発し、敵対する者があらわれる。

許都(きょと) の荀彧は朝臣たちに命を狙われるであろうし、陸渾の孔明にいたっては、兵士に守られてすらいない、無防備な身であった。

「余が遠い漢中にいるのを好機と判断して、皇子たちが蜂起するかもしれん。だとしたら、南の劉備を攻める準備ではなく、北へ引き揚げる準備をしておいたほうがよい」

含みのある笑みを浮かべ、曹操は予言した。

それから数日後、早馬によって、反乱勃発の報がもたらされた。

場所は、冀州に併合された旧幽州の 代郡(だいぐん) 。皇子たちが決起し、それに呼応するように、烏丸の一部が動きだしたのである。

曹操の予言を聞いた者が、主君の先見性を称賛し、感嘆するなか、司馬懿はなんの感銘も受けなかった。

皇子たちの反乱が曹操陣営によって誘発されたものであることを、司馬懿は知っていた。

この前、孔明が軍営に立ち寄ったときのことである。

「このまま黙っていて、あとでバレたら気を悪くするかもしれない。それなら、いまのうちに伝えといたほうがいいんじゃなかろうか?」

と保身をはかった孔明が、余人を排してひそかに伝えていたのであった。

司馬懿からしてみれば、全面的に弟子を信頼しているからこその内談にほかならない。師の内心はどうあれ。

引き揚げの準備を急ぐ兵士たちを眺めながら、司馬懿はひとりごちる。

「皇子たちか、それとも劉備か」

司馬懿が出した結論は、曹操とは異なる。

優先すべきは、劉備の討伐である。

険阻(けんそ) かつ資源に恵まれた益州の地、交州の財力、すぐれた家臣団。

これに時まであたえてしまえば、劉備は国防を充実させ、容易には滅ぼせぬ勢力となる。

老いと戦わねばならぬ曹操にとって、劉備を滅ぼす機会は、おそらくこれが最後となろう。

では、皇子たちの反乱にはどう対処すべきか。

鄴(ぎょう) 周辺の曹操軍にまかせればよい。

鄴には、出陣できぬとはいえ 程昱(ていいく) がいる。

敵が 大兵(たいへい) であれば防衛に徹し、 寡兵(かへい) であれば迅速に鎮圧する。

老練な程昱であれば、的確に対応してくれよう。

そもそも、漢の皇子たちが挙兵したからといって、異民族の烏丸を招き入れている時点で、民衆の支持を得られるはずがない。乱は広がらぬであろうし、その烏丸にしても、かつての勢威があるわけではない。たいした脅威ではないように思われる。

万が一、鄴や許都が陥落したならば、たしかに一大事ではあるが、それがどうしたというのだ。曹操本軍は健在であり、これに対抗できる敵はいないのだ。

劉備を滅ぼしたあと江水を下り、荊州の江陵から北上して、許都や鄴を奪い返せばよいだけのことである。

郭奉孝(かくほうこう) が健在であったなら、かならずやそう進言し、曹操を 翻意(ほんい) させたにちがいなかった。

主君と志を共有していた 郭嘉(かくか) だからこそできる芸当であり、残念ながら、司馬懿にそれは不可能である。

結局のところ、これが曹操の限界であるようだった。

乱世の奸雄は、覇者に徹しきれなかった。危険をかえりみずに進まなければならなかったはずが、最後の最後で安全な道を選んでしまった。

漢朝を主敵にすえ、外ではなく内の敵を見てしまった時点で、思考までもが内向きになってしまったのであろう。

失望を隠しきれず、司馬懿は天を仰いでつぶやいた。

「乱世はおさまらず、か」

曹操は天下を統一する器にあらず。

本心は、口に出せるものではなかった。