軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第一六三話 馬鈞を訪ねて

「うちの子を……弟子にッ!?」

ふくよかな 馬鈞(ばきん) の母が、甲高い声を発し、口元に両手を当てて驚いた。

お宅の子を弟子にしたいと申し入れたら、この反応である。

私は鄧艾と石苞をともない、 茂陵県(もりょうけん) にある馬鈞少年の家を訪れた。

馬鈞の家は、代々小役人の家柄なのだが、現在、馬鈞の父は農家をしている。

董卓の乱に際して官職を失い、そのまま復職が叶わずに、農業に従事しているそうである。

馬鈞本人が留守にしていたので、私たちは家にあげてもらい、彼の両親と対座していた。

恰幅(かっぷく) のいい妻とは対照的に、 痩身(そうしん) の馬鈞の父が、恐縮した様子で後頭部をかきながら、

「ね、願ってもないことでございます。ですが、うちのバカ息子で本当によろしいのでございましょうか?」

「あんた、孔明先生の前でなにいってんだい!」

「でもよぅ、あまり出来がいいとはいえないだろぅ。鈞は」

「オホホ、いやだわ、この人ったら」

馬鈞の母はそういって、夫の肩をこづいた。

その勢いがけっこう強かったのか、馬鈞の父が正座したままぐらりと傾いて、なにごともなかったかのようにもとの体勢にもどった。

まるで起き上がり 小法師(こぼし) のような動きを見せた夫には視線もくれずに、馬鈞の母はよそ行きの声で、

「孔明先生、ちがうんでございますのよ。うちの鈞はやればできる子なんですの。つい最近も、近所の塀の修繕を手伝ったばかりでございますの」

「いや、それはこづかい欲しさに――」

妻にギロリとにらまれると、馬鈞の父は身を縮めて押し黙った。

「ご両親から色よい返事をいただけて安心いたした。……あとは本人の気持ち次第だが」

私が穏やかな笑顔でいうと、馬鈞の父は目を見ひらいて、あわてたように、

「とんでもございません! 孔明先生に弟子入りできるだなんて、これほど栄誉なことはございません!」

「この人のいうとおりでございますわ。……もう、あの子ったら、こんな大事なときに、どこをほっつき歩いているのやら」

あまり長居して、ご両親に気を遣わせるのも悪いので、私たちは早々に馬鈞の家を去ることにした。

「鈞が帰ってきたら、すぐに孔明先生のお宿にごあいさつに行かせますので」

と馬鈞の父が申し出たが、私は首を振って、

「いや、それにはおよばぬ。こちらから出向くのが礼儀であろう。また明日、あらためておうかがいいたす」

呼びつけるなんて、とんでもない。

用事があるのは私のほうなのだから、こちらが足をはこぶべきである。

もとから茂陵県で宿泊する予定だったので、すでに宿は押さえている。

なにも不都合はないはずだった。

翌朝、馬鈞の父が、息せき切って宿に走りこんできた。

私の姿を見つけると、滑りこむように土下座して、

「孔明先生ッ!」

と、床に頭を押しつけた。

「申し訳ございませんッ! どうかひらに、ひらにご容赦くださいませッ!」

あきらかにただごとではなかった。

「なにがあったのだ?」

と私が訊ねると、馬鈞の父はぐりぐりと床に頭をこすりつけながら、

「ちょっと目をはなしたすきに、うちのバカ息子がいなくなりまして」

……なん……だと!?

「このような書き置きが残っておりまして」

床に頭をくっつけたまま、馬鈞の父は両手でうやうやしく竹簡を差しだした。

『俺は孔明先生の弟子がつとまるほど立派な人間ではありません。探さないでください』

その文に目を通した瞬間、私は呆然とした。

あやうく天を仰ぐところだった。

弟子入りを断られる可能性は考えていたが、まさか逃げだすとは想定外である。

「先生、なんと書かれていたのですか?」

問いかけてきた石苞に竹簡を渡す。

書き置きを読んだ石苞は、首をかしげると、

「探さないでください、ということは、探せば見つかる場所にいるのでは?」

「は、はい。鈞はふらふらしたやつかもしれませんが、ひとりで遠出する危険性がわからないやつではありません。きっと県城内にいると思うのですが……」

馬鈞の父が 叩頭(こうとう) したまま答えたので、私は彼に立ちあがるようにうながした。

さて、どうしたものか。

せっかく茂陵県まで来たのだ。

できればあきらめたくはない。

しかし、弟子入りを無理強いするわけにもいかない。

悩ましいところである。むむむ。

思案していると、石苞がこんな提案をした。

「それならば、私と 士載(しさい) で探してみましょう」

たしかに、茂陵県城内にいるなら、見つけだすのは不可能ではない。

城外に逃げていたとしても、遠出していないなら、なんとかなるかもしれない。

コミュニケーション能力に難がある鄧艾はともかく、石苞ならうまく人に 訊(き) いてまわって、馬鈞を見つけてくれそうではある。

「……うむ。頼んだぞ、 仲容(ちゅうよう) 、士載」

ここは石苞の提案に甘えるとしよう。

私は、馬鈞の父には普段どおりの生活にもどるように、石苞と鄧艾には馬鈞を見つけたら自宅に連れ帰るようにいいふくめた。

◆◆◆

宿を出たところで、鄧艾は石苞に問いかけた。

「ど、どうする、つもりだ?」

茂陵県は小さな集落ではない。れっきとした県であり、県城内に限定しても、身をひそめるのに適した場所は、いくらでもありそうだ。

顔も知らない少年を探しあてるのは、そう簡単ではないだろう。

まして、この地をはじめて訪れた鄧艾と石苞には、土地勘すらないのである。

「なんとかなるさ。まあ、見てな」

石苞は自信ありげな笑みをひらめかせると、辻で立ち話をしている三人組の女に近づいていった。

「ひとつお 訊(たず) ねしてもよろしいでしょうか?」

「まあ、なにかしら?」

石苞の端正な顔を見て、女たちは目を輝かせた。

「馬鈞という少年を 捜(さが) しているのですが……」

二言三言(ふたことみこと) しゃべったあと、石苞は女たちに手を振りながらもどってきた。

「今日は見かけてないそうだ。次を当たるぞ」

「…………」

鄧艾は無言で嘆息した。

自分が役に立たないことを痛感させられたのだ。

鄧艾とて、馬鈞の居場所を人に訊ねてまわる必要性は感じていたのだが、 吃音(きつおん) の彼は、こうした情報収集を苦手としている。

それに対して、世の女性の九割は自分の味方だ、と、うそぶくのが石苞である。

「……ちゅ、仲容、ひとりで、十分、じゃないか?」

鄧艾が疑問を発すると、石苞は笑顔をおさめて真顔で答える。

「馬鈞を見つけたとしても、また逃げだしたら面倒だろう?」

「そ、そういう、ことか」

鄧艾の足から逃げ切れる者はまずいない。

石苞も鍛錬しているだけあって、人並み以上の走力はあるのだが、鄧艾は天資ともいうべき身体能力に恵まれていた。

追いかけっこがはじまったら、鄧艾の出番ということだ。

辻を歩く女に話しかけること、九人目。

ようやく、馬鈞の姿を 賭場(とば) の近くで目撃した、という情報が得られた。

「と、賭場、か……」

賭場にむかいながら、鄧艾は顔をしかめる。

両親の話と、街行く人々の噂話を勘案すると、馬鈞という少年の取柄は、手先が器用という一点のみのようだ。

それ以外では、ふらふら遊び歩いているだの、なまけ者だの、ろくな噂を聞かなかった。

「逃げだしたのも、自分の素行がよくないことを自覚しているからだろうな」

石苞の顔にも困惑の色が浮かんでいた。

馬鈞が孔明の弟子になれば、鄧艾と石苞にとって、はじめての弟弟子ということになる。

もちろん、彼らのほかにも弟子はいるし、鄧艾と石苞のあとから門下に入った者もいるのだが、特別あつかいを受ける弟子としては、はじめての後輩になるのだ。

孔明は、鄧艾と石苞に特段目をかけている。

それをやっかむ者はいないし、いたとしても表に出す者はいない。

なぜかといえば、このふたりが、ほかの弟子たちとは比較にならぬほど努力しているのが、誰の目にもあきらかだからである。

だが、馬鈞という少年は、なまけ者らしい。

孔明が彼に目をかけたら、ほかの弟子たちはそれに不満をつのらせ、反発するかもしれない。

鄧艾は、先行きに懸念を抱かずにはいられなかった。

「ば、馬鈞を、どう、思う?」

言葉足らずな質問であったが、石苞はその意図するところを正確に受けとったようで、

「弟子にするのに反対か?」

「い、いや。不満は、ない。だが、不安は、ある」

「……まあな。いきなり逃げだすようなやつだ。ちょっとしごかれただけで、すぐに音をあげるかもしれない」

「…………」

「でも、孔明先生が俺たちをみっちり指導してくれるのは、俺たちがそう望んでいるからだ。馬鈞にやる気がなければ、別のやりかたを選ぶんじゃないか?」

「そ、それも、そうだ」

鄧艾はあっさりと懸念を手放した。

そもそも、鄧艾と石苞がきびしい指導を受けているのは、彼らの個性と望みに、孔明があわせているからなのだ。

馬鈞が弟子になれば、馬鈞にあわせた形で指導するにちがいなかった。

辻の一角に、人が集まっていた。

三十人ほどの集団である。

体格のよい犬が首輪でつながれ、その縄を握る男が、堂々と腕を組んでいる。

今日は賭場で闘犬がおこなわれるそうだ。このあたりが賭場なのだろう。

その一角から、五人組の若者が、鄧艾たちに近づいてくる。

中央を歩く腕っぷしの強そうな青年は、いかにも不良たちのまとめ役といった印象で、その目に 剣呑(けんのん) な光をたたえている。

獲物を見つけた肉食獣のような目つきだった。

「あっ」

石苞の口から驚愕の声がもれた。

そのかすかな声を耳にして、鄧艾も気づいた。

五人の若者の内訳は、男が四人で、女がひとりなのだが、うろたえている女の顔に見覚えがあった。

先ほど、馬鈞の居場所を訊ねた女のひとりである。

「おうおう、色男さんよぉ。俺の女に手を出そうとしたそうじゃねえか」

鄧艾は横目で石苞を見やった。

一瞬、片手で顔をおおって天を仰ぐ石苞の姿が頭をよぎったが、現実の石苞は鄧艾の予想とは異なる反応を見せた。

ひるむどころか敵意に反応すら示さず、石苞は輝かしい 面差(おもざ) しに満面の笑みを浮かべて、

「私たちは、馬鈞という少年の居場所を訊ねてまわっているだけです」

親しげに軽く両手を広げ、男に歩み寄っていく。

「察するに、あなたはこのあたりの若者たちの顔役のようだ。あなたなら、馬鈞の居場所もご存じなのではありませんか?」

石苞は無邪気な笑顔を見せているが、じつは、邪気が皆無だったとはいいがたい。

彼が男に訊いてまわらなかったのは、女のほうが積極的に協力してくれるだろう、と考えたからである。

下心はなくとも、打算はあったのだ。

そんなことはおくびにも出さず、石苞のまなざしには一点の曇りもなかった。

調子が狂ったのか、それとも毒気を抜かれたのか、男が頬をひきつらせる。

その背後で、

「だから、いったろう。口説かれてたわけじゃないって」

と女が口をとがらせた。

「ちっ。……まあいい」

男は舌打ちして、両手を腰に当てた。

荒事にそなえ、つま先側に重心をうつしていた鄧艾は、男から猛々しい気配が消え去ったのを見て、警戒をゆるめた。

その動きに気づいた様子もなく、男は渋面をつくって、ある建物の裏を親指で指し示した。

「馬鈞なら、まだ賭場の裏手にいるだろうよ」