軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

08 グッバイ・メアリー・スー(3)

……いやまあ、本当なら王太子がウィロウに謝るまで──否、たとえウィロウに泣いて縋って謝ったとしても殴るのをやめたくなんてないけどね?

ほら、それだと逃げる暇がなくなって、必然的にウィロウの一番の願い──王太子の手が届かないところまで逃げることが叶わなくなってしまう、という本末転倒な事態を招くだけだ。

だからここは身体強化した拳で一発、横っ面を殴ることでいったん矛をおさめ、王太子が起き上がるまでの隙に逃亡を決行する。

転移魔法の消費魔力が~なんて言ってる余裕はない。

逃亡中の生活に対する備えも何もあったもんじゃないが、今の私に残された方法はもうこれしかないのだ!

……我ながら王太子に対する殺意が高すぎて笑った。

「イグレシアス様」

「!」

「あの……私、イルゼです。お食事をお持ちいたしました」

みなぎる殺意で一周回って落ち着いた時、ドアの向こうから鈴を転がすような、可愛らしい少女の声が聞こえた。

それがイルゼ嬢の声だと理解した瞬間、肩に入っていた余計な力がフッと抜ける。

来客が王太子ではなかった──それだけで大きな安堵を得られるくらい、私にとってアレは害悪な存在だ。

羽虫なんて生ぬるいもんじゃない。

お邪魔虫……害虫……Gから始まるアイツ……いかん、自分で言っておいてなんだけど、ものすごくゾワッとした。

とにかく、今の私にとっての王太子はそんなレベルの存在だということを理解してもらえると助かる。

神出鬼没でどこからでも現れる、その存在を感じられるだけでおぞましいものと言えば、ほかの人にもイメージしてもらいやすいんじゃなかろうか。

……さて、と。

王太子のことはこの辺りにしておこう。

アレよりも、今はイルゼ嬢の来訪について考え、対処しなければいけない。

今日の昼までは、様子見を兼ねて、私の元に食事を運んできてくれたのは女子寮の寮母さんだった。

それが何故、イルゼ嬢に変わっているのだろう?

本人の意思で来たのであれば良い。

だが、王太子の差し金だった場合を考えると、うかつに接するわけにはいかなくて。

……ああでも、私の方からも、いくつか彼女に確認しておきたいことがあるんだよな。

「リターンが欲しいなら、多少のリスクもやむなし──か」

口の中で転がすようにひとりごちる。

望む結果を得るためにも、ここはひとつ、賭けに出てみるとしようか。

「ねぇ、イルゼ嬢。そこにいるのは貴女だけ?」

「? ……は、はい。私だけです」

「そう」

ドア越しに念のための確認を行い、念には念を入れて探知魔法も展開する。

彼女の答えが嘘ではないことと、王太子の存在が探知魔法の網に引っかからなかったことがしっかり確認できたところで、私はゆっくりとドアを開けた。

「イグレシアス様……」

ドアの前には、華奢な女の子が一人、食事を載せたお盆を抱えて立っていた。

あたたかみのあるブラウンの髪に、見る角度によって色味を変えるヘーゼルの瞳を持つ、ちょっぴり童顔気味のカワイ子ちゃん。

ウィロウよりも小柄な体躯で、ちょこまか動く仕草がなんだかハムスターを彷彿とさせる、我らが【純潔の乙女】……イルゼ嬢改め、イルゼちゃんである。

さて──ここがちょうど良いタイミングだと思うので、この機会に、私が知っているイルゼちゃんの情報をいくつか整理しておこう。

教会育ちのみなしごである彼女は、今からおよそ一年ほど前、神様からの祝福であらゆる穢れを打ち払う体質なるものを得た。

イルゼちゃんが祝福を得たことと、その特異で希少で有益な能力はすぐに王室へと報告され、王太子の傍に侍って毒殺を防ぐよう王命をたまわったそうだ。

だがしかし、肝心の王太子は城ではなく、国が運営する学園に生活の拠点を置いていた。

しかもその上、卒業までにまだ一年以上の時間が残されている。

これではイルゼちゃんに王太子を守らせることはできないし、どうしたものかと国の上層部が集まって会議した。

とはいえ、会議で導き出される答えなんてわかりきっている。

学園に在籍する王太子の傍に侍ることができないなら、侍ることができる環境を整えてやればよい──というわけで、本来であれば王侯貴族の子女しか入学を許されない学園にも、小市民のイルゼちゃんは『王太子の護衛』という特例で編入を許される運びとなった。

なお、この情報は学園全体で共有されているので、イルゼちゃんがほかの生徒から嫌がらせやいじめを受けることはない。

祝福持ちという希少で強力な人材が、未来の王を守る。

それはこの国にとって非常に心強く、歓迎すべき事柄であり、決して反対するようなことじゃない。

……少なくとも、内心では何かしら思うところがあったとしても、表立ってああだこうだと文句を言う人はいないかな。

ただでさえ、イルゼちゃんは王様直々の命令を受けているわけだし。

でも、王様の命令で『王太子の護衛』に来たはずが、まさかウィロウの嫉妬を煽る当て馬に使われるなんて思ってもみなかっただろうな……。