作品タイトル不明
ジャネット:自然に内から溢れた、ひとつの願い
人間は、常に進歩する。
そう思い込んでいるのは自分だけで、その全てが本質的には『変化』と呼ぶ方が正しいのかもしれない。
改良している、と実感できるかは分からない。癖がついて悪化している可能性を考えないことはない。
エミーもヴィンスも、矯正しないと弱点が大きくなっている場面だって多かった。ラセルだって、全くなかったわけじゃない。
それほどまでに、良い変化というものは難しいものだ。
その点、知識は楽でいい。
ないものを増やす、その変化にマイナス要素はないのだから。
……だけど、それは同じ軸での進歩でしかない。極めて直線的で狭い視野の成長なのだ。
時には、思い切った変化を必要とする場面もあるだろう。
ただの一歩。
その一歩が、自分の人生を飛び越えるほどの大きな進歩に感じられるほどのものであることも、あるだろう。
それが今なのかもしれない。
「あっ、うん。ラセルがキッチンに立つのは、もう大丈夫なんだ」
エミーの言葉は、僕にとって『よく知る親友のエミー』というものの根幹を揺るがすほどの、大事件だった。
ラセルがキッチンに立たなかった理由。それは、エミーがラセルの怪我を極度に嫌がったから。
あの頃の印象のまま、エミーはラセルを怪我させないように必死にダンジョンでも動いてきた。むしろ、自分がラセルの代わりに怪我することを好んでいるとさえ思うほど。
あの日。僕達の全てが変わった日。
ラセルを怪我させたのが自分だと分かると、エミーは完全に変質してしまった。
悪化という言葉では言い表せないほど、もう僕の知るエミーはそこにいなかった。
あれから一体、何があったのか。
再び僕の前に現れたエミーは、間違いなく良い変化をしていた。
それは、幼い頃から一緒に育ってきた、変化しない幼さの殻を脱ぎ捨てて、羽化して飛び立つ蝶になったような感覚。
そう……羽化だ。成長だ。エミーは……完全に、『子供』から『大人』へと成長した。
ラセルも、大きく変わっていた。
だが、昔のラセルの優しさは、剣を持つ者にとっては弱さにもなり得ると思っていた。
その全てが裏返ったように、あの白いローブが黒くなっていた。
何だろう……漆黒ではない、 紫黒(しこく) 、 黒檀(こくたん) ……黒鳶、ぐらいだろうか。
兎角、その色は美しく印象的で、元々そのようなローブだったのではないかと錯覚するほどであった。
性格も、白くて弱々しいラセルはそこにはなく、黒く力強い意思と、どこか乱暴さすら感じるほどの言葉遣い。
シビラという見知って短いであろう人のことを容赦なく叩くようなこと、かつては絶対にしなかっただろう。
だが……そのような変化をもたらしたのが僕なのに。
なのに、ラセルは……温かかった。全てを受け入れてくれた。
いや、受け入れるだけでは足りなかった。僕が負い目を感じて、遠慮していると思われないぐらいに、ラセルは僕の行為も思惑も、全て肯定してくれた。
完敗だ。
こんな人がずっと傍にいたのだ。僕は聖女には、元々なれなかったのだ。
……なりたい、とは思った。思ったけど……今はもう違う。
今は『ラセルがいるなら、僕が聖女になる必要はない』とはっきり思える。
そこまで二人を振り返って、感じたこと。
——置いて行かれている。
皆で一緒に歩くとき、僕はヴィンスの隣に、エミーはラセルの隣にいて二列で歩くことが多かった。
その理由は簡単だ。三人とも剣士として身体を鍛えていたから、僕はぼーっとしていると簡単に置いて行かれてしまうのだ。
だから先頭側に立った。そうしないと……三人とも、先に行ってしまいそうな気がしたから。
知識はあった。成長はした。
でも、僕は進歩していなかった、
前に進むだけで、上の段に行くことができなかったのだ。
食卓で少しぼーっと空を見ていると、隣にあの女性が座った。
「えっと……引き続き、シビラさん、で、いいでしょうか」
「うんうん、いいわよー。ジャネットちゃん」
椅子に座ったと思ったら、椅子ごと寄せてこちらに触れそうな位置までやってきた。
エミーの言ったとおり、本当に気易い人だ。
「何か、用ですか?」
「ないこともないけど、用がなくちゃ来ちゃ駄目かな?」
「いえ……。ん? 用はあるのですか?」
話を聞くと、ラセルとエミーが模擬戦をやるらしい。
何故そのことを教えてきたのか分からなかったが、僕は折角だからと覗き見しに行った。
二人の戦いは、今まで見てきたどの模擬戦とも違っていた。
ラセルが本気だ。エミーも……本気だ。
そして勝負は、エミーの勝ちで終わった。何が驚いたかって、エミーがラセルの手を狙ったことだ。
実はエミーは、ラセルが痛がることを極力避けるため、積極的に身体を打ちにいくことはなかった。
それがあの勢いで剣を吹き飛ばしたのだ。ラセルは当然痛がっている。
それから、エミーとラセルの会話があって。
僕はその会話を聞きながら、前に進み続ける眩しい幼馴染み二人を見て、余計に思ったのだ。
——親友の、役に立ちたい。
その願いを持ったと同時に、ラセルに声を掛けられた。
まったく、捜しものに関してはさすが幼馴染み随一。何でもすぐに探し当ててしまうね。
僕の望みも含めて探し当てたのかな。
ならば、僕からも……ラセル達が捜している情報を自分から提供しよう。
それで今までの分の恩返しになるのであれば……こんな僕でも、少しは勇気を出せる。
その後、二人を見守りながら、かつての日々のように幾つかのアドバイスをして。
時間通りに昼食を皆で食べて。
僕は、食後に三人を呼ぶと、話を切り出した。
「勇者パーティーで起こったことについて、話したい」