軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【2巻発売記念SS③】ロックウェル博士のありふれた一日(後)

マイクの後ろについていくと、政務の中心である中央殿に入り込んだ。たまにすれ違う皆様はおそらく全て国の高官で、みんな私とサラを「なんだコイツら?」と訝しげに眺める。

「この場にこの格好はまずかったね」

そう言いながら階段を上ると、二階のフロアはシーンとしていた。

「……これはこれで、イヤな感じだね」

「絶対私どもが入り込んではいけないスペースですわね」

思わずサラと、手を繋ぐ。

「ここからは限られた人間の個室ですので、ご安心ください。宰相閣下はじめ大臣クラスはこのさらに上の階にいらっしゃいます」

「マイク、全く安心できないよ」

えんじ色の絨毯の敷き詰められた廊下をしばらく歩くと、マイクが立ち止まり、目の前のドアをコンコン、と叩いてドアを開けた。中の返事を待たずして入り、私たちを手招きする。

中にはデスクが二台あって無人だった。

「ここは前室で、日頃補佐官が二人働いています。今日は休日ですのでいませんね。この奥が宰相補佐のスペースです」

専門書や資料の並ぶ本棚がグルリと囲んだこの部屋は、思った以上に実用的だった。補佐官の机も若干散らかっていて、忙しさが伺える。

そして奥に一枚の焦げ茶の木の扉。

「あの向こうにルーファス様が?」

「はい。じゃあそっと開けますね」

マイクが手招きするので、私は足音を忍ばせて忍び寄り、両膝をついてしゃがみマイクに頷く。

マイクが音を立てずに5cmほどドアを開いた。

もう日が落ちて真っ暗になった大きな窓を背に、ルーファス様が机に向かっていた。スーツの上着は脱いでいて、シャツ姿でランプの光を頼りに真剣な表情で書物をしている。手元を見ると、私のプレゼントした琥珀色のペン。使ってくれている……嬉しい。

サラも私の上からしばらく覗いていたけれど、もう満足したのか後ろに下がった。私は仕事に立ち向かうルーファス様をひたすら見つめて堪能する。

幼い頃、スタン領の書斎で、領地の案件に取り組むルーファス様を見ながら拙い地図を描いていたときのことを思い出す。仕事に没頭するルーファス様の姿は、私にやる気を起こさせる。私もルーファス様に負けないように頑張ろうと。あの頃も、今も。

「そろそろ入っておいで、ピア」

え? 思わず目を見開いた!

ルーファスが顔を上げて、私を真っ直ぐ見つめていた。

「いつから気づいていたのですか?」

「最初からだよ」

ルーファス様は優雅に椅子から離れてこちらにやってきて、私の手を取って立ち上がらせた。

「マイクから帰りによると、連絡を受けていたからね」

「えー! 秘密じゃなかったのー!」

マイクに文句を言おうと振り向くと、前室はいつのまにか無人になっていた。

「あれ?」

「マイクはサラを食堂に連れていったよ。案外美味しいんだ。食事をしたら先に戻るように言っておいた」

「さすがルーファス様! さりげなく部下のデートのお膳立てだなんて!」

「いや? そのほうが都合がいいだけだ。我々もお茶でも淹れようか?」

「ええ? ルーファス様が?」

「私だってお茶くらい淹れるよ。今日のように部下がいない日は自分で淹れなきゃ喉がカラカラだ」

ルーファス様にいざなわれて応接セットのソファーに座ると、彼は前室に行き、しばらくして湯気のたったカップを二つ持ってきてくれた。

「ソーサーも何もないけど、はい」

私は手渡しでそのままカップを受け取った。ルーファス様は自分の分をテーブルに置いて、私の隣に座る。

私はフーっと冷ましてから、そっと一口飲む。これは……。

「結構濃いですね。論文書くときは、私もこのくらいの濃さです。なのになんで私が淹れるよりも美味しいんだろう? 香りもたってる」

「茶葉はピアの研究室に置いてるのと一緒だよ? 単純に人が淹れてくれたお茶だからじゃないか? 私もピアが淹れてくれるお茶が一番口に合う」

「……なるほど」

大好きな人が淹れてくれたから、美味しいんだ……。私は味わいながら、もう一口飲んだ。

「ふふ、ルーファス様にお茶を淹れてもらえるなんて、いい一日になりました。ところでルーファス様、お願いがあるんですけれど?」

「何?」

「無理にとは言いませんが……私、宰相補佐の椅子に座ってみたいです!」

ルーファス様は目をまんまるにされたあと、破顔した。

「……くくっ! 時代の最先端を行く研究をしているくせに、たまに子どもみたいなことを言うよね? ピアは」

いや、前世でいえば、総理大臣の次席……つまり副総理の椅子と一緒だよ? 庶民は絶対に出会わないお人だ! そんな偉い人の椅子、どれだけゴージャスな座り心地なのか、そりゃあ試したい!

「どうぞ、好きなだけ座って」

ルーファス様の許可を得て、私はいそいそとルーファス様のデスクをまわり、茶色い皮張りの椅子に深く座る。足がつま先しかつかないことに、ちょっと傷つく。……あら?

「どう?」

「ううん……思ったほど、しっくりこない。もっとふわふわしてて、体を包み込むようで、疲れにくいイメージだったのに、硬いです」

ルーファス様も立ち上がり、ニコニコと私の様子を伺いにこちらに来た。

「ピアが言うような座り心地もよいものだと、仕事が進まないだろうね。ちょっと不満があるほうが、さっさと仕事を終わらせて帰ろう! という気分になる」

「ほーう」

そういうものらしい。

私は、デスクの上にある、〈ピア〉と彫られたペンを持ち、仕事をしている真似をする。

「どーです? 賢そうに見えますか?」

「ははっ! 見える見える」

その適当な相槌に、私は少し口を尖らせて、

「もう、絶対そんなこと思ってないでしょう? 今のルーファス様の目、お子ちゃまを温かく見守っている保護者、って感じです!」

「そうかな……お子ちゃまに、こんなことしないだろう?」

ルーファス様は、ふっと目を細め、椅子ごと私を後ろにずらした。私が何事かと思っているうちに彼はその空いたスペースに体を滑らせて、私のメガネを取り、シャツの胸ポケットに入れた。

私の両脇の肘置きに、目の前に立った彼の手がそれぞれやってきて、足もろくについていない私は、完全にルーファス様に囚われた。

ゆっくりとルーファス様が体を倒し、顔を斜めに傾けて、キスをする。

「……ルーファス様……ここ、職場です……」

薄暗い部屋でよかった。私の顔はきっと真っ赤だ。

「私の部屋で、時間外勤務中だ。飢えてる私のところに飛び込んできたピアが悪いよ。ちゃんと顔を見せて?」

ルーファス様は掠れた声でそう言うと、右手で私の顎を持ち上げてさらにキスを深め、私は唇から広がる熱で、ルーファス様にしがみつくしかできなくなった。

「ピア……私に会いたかった?」

「はい……寂しかった……あ……」

親指で私の唇をなぞられる。

「だから、こんなに切なそうな顔になってるの?」

「……わかんない……」

何も考えられないのに、自分の状態などわかるはずがない。逃げるように目を閉じる。

「……かわいい。ピア、ずっと私の腕の中にいて?」

◇◇◇

結局、腰の抜けた私は、ルーファス様に抱き上げられて、帰宅した。

ルーファス様の腕の中は、私の好きな晩白柚に似た香りがして、世界で一番優しい場所だ。