軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百二十二章 至高の覚悟

地面に落ちて硬直が解けた俺は、すぐに立ち上がった。

「あ、っと。忘れるところだった」

リンゴの反応は心配ではあるが、だからこそその前にやっておかないといけないことがある。

まだ『憤激の化身』の効果は終わっていない。

俺は自身の3倍の速度をいなしながら、ブッチャーのいた場所、そこに落ちたドロップアイテムを確認する。

キングブッチャーが落としたのは、前と同じ二種類のアイテム。

大剣『肉切り包丁』と、ドーピングアイテム『パワーシード』だ。

そして、この小さな種『パワーシード』が、俺がキングブッチャーに挑んだ最後の理由だった。

最終パラメーターが1000を超えるようなこのゲームで、種を使って1や2だけ筋力を上げたって、あまり意味はない。

そんなのは言ってみれば塵も同然で、それがゲームバランスに影響するなんてことはありえない。

だが、もしそれが100、200と、どんどん積み上がっていったらどうだろう。

――塵も積もれば山となる。

その格言の通り、パワーシードによって底上げされた筋力は、俺の大きな大きな武器になるはずだ。

通常、種系のアイテムはボスドロップくらいでしか手に入らず、その入手数は限られている。

しかし、その常識を打ち壊すのがこのキングブッチャーだ。

本来はダンジョンのユニークボスであるこいつは、入手数に限りがあるはずの『パワーシード』を確実に落とす。

そして何より重要なことは、バグによって現れたこいつの出現数に制限がないことだ。

俺はブッチャーを倒し続ける限り、理論上、このパワーシードを無限に入手出来ることになるのだ。

(これは、その第一歩だな)

俺は鞄の中から今までに手に入れた種アイテムを取り出し、あらためて今回のブッチャーが落とした種をうやうやしく丁寧に拾い上げる。

何しろこれが、魔王を倒すための切り札になる予定なのだ。

俺は今回の戦いでの3倍速スキルの習得をあきらめただけで、「これから3倍速以外でスキルを使わない」と言った自分の言を翻すつもりはない。

これからタイムリミットまでに、俺は必ず3倍速でのスキルキャンセルを使えるようになる。

しかし、たとえ3倍の速度を物にしたとして、今のままでは魔王を倒すことは困難だ。

魔王を倒すには、圧倒的な速度だけでなく、圧倒的な攻撃力も必要だ。

だが、その両立の目処は立った。

『憤激の化身』と大量のパワーシードを組み合わせれば、きっと――

(――あ、れ?)

落ちていた種をつまみ上げ、まとめて口に運ぼうとした時だった。

不意に、身体の自由が利かなくなる。

(何だ、これ……)

いや、全く身体が動かせないという訳ではない。

ただ、その動きは驚くほど遅く、身体が鉛のように重く感じる。

着ている服が、鎧が、突然重量を増したような感覚。

まるで自分の身体ではないみたいに、全身の反応が限りなく鈍い。

(な、んで……)

持ち上げようとした手が、満足に動いてはくれない。

あたう限りの力を込めて腕を持ち上げようとしているのに、力負けする。

指一本たりとも満足に動かせない。

明らかな異常事態。

突然のことにパニックになりかけ、ようやく気付いた。

(これ、まさか、『憤激の化身』の反動、か?)

『憤激の化身』は発動させてからの30秒間、プレイヤーの基礎能力値を全て3倍にまで引き上げるが、その後の30秒間は逆にプレイヤーの基礎能力値を100分の1に下げてしまう。

考えてみれば、これは道理だ。

敏捷、つまり動きの速さが100分の1になればまともに身体を動かすことなど出来ないだろうし、筋力が100分の1になれば今まで平気で身につけていた装備の重さが100倍になって降りかかってくる。

(正直、甘く見てた、な……)

これはもう、パラメーターがどうの、という次元を超えている。

VR系のゲームにおいて、プレイヤーの感覚に関わる機能には厳しく監査が入り、特に脳の機能を加速させる技術は未確立な上に現行法では禁じられている。

だから敏捷で変わるのはあくまで身体の動きの速さだけ。

特にコミュニケーション能力に直結する脳や目や口は敏捷の影響を受けないことになっているはずだった。

しかし、だからこそ余計に、その異常さが浮き彫りになる。

(まるで、金縛りだ……)

100分の1の速度というのは、つまり普段1秒で終わる動作に100秒、つまり1分40秒ももかかるということだ。

なまじ脳の感覚が正常に近いだけに、自分の身体が自由にならない恐怖を感じさせられる。

少なくともこんな状況で、敵と戦うなんてことが出来るはずがない。

30秒で必ず敵を倒せる状況以外で『憤激の化身』を使うことは、もはや自殺行為に等しい。

自分の無謀さにあらためてぞっとする。

そして、

(しま、った…!)

原因を自覚したことで緊張の糸が切れた。

持ち上げていた手から力が抜け、そこから種がこぼれそうになって、

「あ……」

その手が、下からそっと支えられた。

ひんやりと冷たい、小さな手。

「リン、ゴ…?」

俺は心なしか回転の悪い舌を動かして、その名を呼んだ。

「…………」

ただ、いつも「…ソーマ」と控えめに自分を呼ぶはずの彼女は無言。

俺が少し屈んだ体勢で固まっているので、リンゴの顔は俺よりも少し上にある。

顔を上げることは出来ないが、かろうじて動かせる目を持ち上げるようにして、俺はリンゴの表情をうかがった。

こんな時でもリンゴの顔は一見無表情で動揺の色は見えない。

ただし、いつもよりもほんの数ミリだけ眉根が寄せられていて、いつもよりも心持ち口元が厳しく引き結ばれていて、そして、いつもと比べてほんの少しだけ、目元が潤んでいるような……。

いや、というか、これって、

「リンゴ。もしかして、泣い……むぐっ!?」

いきなり手にしていた種を全部口に突っ込まれた。

不意打ちに驚いたが、まさか吐き出す訳にもいかない。

もそもそと口を動かして、種をかみ砕く。

ゲームの仕様なら口の動きは減速されていないはずだが、やはり現実となったら多少引っ張られるところがあるのか、その動きは鈍かった。

それでもせめてもの反撃として、もう一度リンゴの顔を見てやろうと、俺は再度目を上に向けようとしたが、

――ぼふっ。

今度はやわらかい何かで、視界ごと封じられた。

一瞬だけ遅れて、リンゴの胸に抱き寄せられたのだと気付く。

(こ、これ…!)

やわらかな感触と伝わる体温に人知れず動揺していると、

「…すごく、しんぱいした」

そんな、小さな声が降ってくる。

申し訳ない、と思っても、口を塞がれた俺には何も言えなかった。

動きの鈍い口を叱咤して、咀嚼する速度を上げる。

「…あせらないで、って、いったのに」

これには口が塞がれていなくても、返す言葉がない。

ずいぶんと気を揉ませた、とは思う。

思えばリンゴは、俺にいつもの調子を取りもどさせるために、俺のほおを引っ張ったり、慣れない冗談を言ったり、色々と苦心してくれていた。

なのに結局、俺はブッチャー相手に焦って無茶をして、リンゴの横やりがなければ死んでいたかもしれない。

今の俺に、何も言えるはずがなかった。

「…わたしたちがいる、って、いったのに」

この言葉も、聞いているようで聞いていなかった。

察しの悪い俺は、この言葉の意味に今になってようやく気付いた。

当時の俺はリンゴのこの励ましを、「こんな時だからこそしっかりしろ」とか、「まだわたしたちがいるんだから頑張れ」とか、そんな風にしか受け取れていなかった。

でも、リンゴが伝えたかったのは、もっとずっと単純なこと。

「つらいならもっとわたしたちを頼って欲しい」と、リンゴはそう言っていたのだ。

「……ごめん」

そこでやっと口に残った種を飲み下して、俺は素直な謝罪の言葉を吐いた。

くぐもったその声は、きっとリンゴの耳にも入った。

しかし、

「…だめ。ゆるさない」

リンゴは俺の精一杯の謝罪を一蹴する。

まるで咎めるように、俺の後頭部に回されたリンゴの手に力が入る。

身動きの出来ない俺に為す術はなく、リンゴの胸で窒息しそうになる。

「…どうして?」

そして、静かな声が、問いかける。

「…どうしてそんなに、いそいでるの?」

「それは……」

俺は言いよどんだ。

それは、とても自分勝手な理由で、誰にも話さずにいようと決めたことだ。

でも、俺のためにここまで心を砕いてくれるリンゴに対して、黙っていることもまた、俺には出来なかった。

「イーナ、が……」

そう話し始めた途端、リンゴの身体が怯えるようにぴくっと震えた。

イーナという名前に反応したのか、俺が話し出したことに反応したのかは、分からない。

分からないままで、続ける。

「イーナが元にもどった時、自分のせいで犠牲者が出たなんて、そんな風に思って欲しくないだろ」

今のイーナは何も気付いてはいないだろうが、いつまでも真相を隠し通せるものじゃない。

もし俺たちが首尾よく魔王を倒しても、自分のせいで誰かが死んでしまったと知ってしまったら、イーナはその責任を感じてしまうだろう。

それは、自分のトレインで死んでしまったプレイヤーに対する反応を見ても明らかだ。

「あいつだって、これまで散々苦労してきたんだからさ。

これ以上、重荷を負わせなくたっていいじゃないか。

……ただ、それだけだよ」

自分勝手な話だが、これが俺の掛け値なしの本心だった。

結局、目に見えない誰かのために命を懸けられるほど、俺の正義感は強くないらしい。

俺はイーナのために魔王の呪いを起こして、イーナのために誰も死なせずに魔王を倒す。

そう決めたのだ。

「……リンゴ?」

俺は出来る限り素直に自分の気持ちを打ち明けた。

しかしその言葉に、リンゴは何も答えなかった。

ただ、それでも。

何も言わなくても、リンゴが呼吸するのが分かる。

大きく息をして、何か大きな重い物を飲み込もうとしているのが分かる。

「おっ!」

そこで、『憤激の化身』の効果が完全に終わった。

身体の自由がもどって、俺はリンゴの胸から抜け出す。

「……ぁ」

俺の身体が離れていって、リンゴの手は一瞬だけ俺の頭を追いかけるように動いたが、すぐに、

「…だ、だめっ」

リンゴは俺からパッと離れると、あわてて後ろを向いた。

よく分からないが、たぶん俺に今の顔を見られたくないのだろう。

その隙に俺も手で顔をあおいで、赤くなったほおを冷やす。

あらためて思うが、敏捷100分の1からの落差は強烈だ。

冗談みたいに身体が速く動く。

いや、むしろさっきまでの方が異常だったのだが、そんな風に感じた。

「…これ」

リンゴが後ろを向いていたのは、そう長い時間ではなかった。

振り向いた時、リンゴの顔はもう無表情にもどっていて、その手にはポーションが握られていた。

「あ、そうか」

そういえば、ブッチャーを倒した後、HPを回復するのをすっかり忘れていた。

まだ光属性特化の指輪はいくつかはめているので、ブラッディスタッブを使えば回復も出来るのだが、せっかくなので受け取っておく。

種の苦い後味をまとめて喉の奥に流し込むように、回復用のポーションをあおる。

「ありがとう、リンゴ。やっぱりリンゴがいないと俺は駄目だな」

俺はそうやって冗談めかして、しかし、冗談ばかりではない想いを伝えた。

けれど、リンゴは、

「…そんなこと、ない」

むしろうつむいて、ぽつりとそう返した。

伏せた顔には、申し訳なさや悔しさがにじんでいるようにも見える。

よく、分からない反応だ。

ただ、

(今日のリンゴは、感情豊かで、饒舌だな)

それを見て俺は、何だか感慨深い物を覚える。

最初に出会った頃に比べると、リンゴは色々な表情を見せるようになった。

それはたぶん、『成長』と呼ぶべき変化だ。

「…ソーマ」

そんな俺の見立てを裏付けるかのように、決然とした表情で、リンゴは顔を上げた。

「…ソーマに、たのみが、ある」

「頼み?」

リンゴの成長は知っていたはずだが、その言葉にはちょっと驚いた。

俺のこと以外では受け身な態度を示すことが多かったリンゴとしてはめずらしい、いや、もしかすると初めての頼みごとだった。

だが、驚くのはまだ早かった。

「…おねがい、します」

そこでたぶん、リンゴは初めて、

「…わたしに、スキルを、おしえてください」

俺に向かって、頭を下げた。

呆然自失の状態がしばらく続いて、俺はやっと、リンゴが俺を不安そうに見ているのに気付いた。

何か返事をしなくてはいけない。

その事実にようやく俺は思い至ったが、しかし、どうだろうか。

リンゴはスキルこそ使えなくても、『雷撃』という遠距離攻撃が使える。

そのあまりの使い勝手の良さのせいで、戦闘中、ほかの役割を担ってもらう機会は少なそうだ。

もちろん覚えて損はないだろうが、スキルや魔法を使えるようになる必然性はあまりない。

それにスキル、特に単発のスキルは、便利な反面大きな隙を残す。

それは、俺がさっき身をもって体験したばかりだ。

俺としては、リンゴには今まで通りに後ろで支援をしてくれた方がありがたい気持ちもある。

リンゴの初めての頼みごとを断るのも気が引けるが、とりあえず説得してみようと口を開いて、

「別にわざわざそんなの覚えなくても、今のままでも充分……」

「だめ…! いまのままじゃ、たりない」

リンゴの思わぬ語気の強さに押されてしまう。

「…だって、きょうも、まにあわなかった」

「あ……」

その言葉に、リンゴがどうしていきなりこんなことを言い始めたのか分かってしまった。

さっき、俺がブッチャーと戦っていた時。

リンゴは、俺の所まで駆けつけられなかったことを、俺を助けに入れなかったことを、気にしているのか。

(いや、それだけじゃ、ないか……)

もっと前、水中都市で真希に速度で負けていると知った時も、やっぱり少し、少しだけだが様子がおかしかったように思う。

もしかすると、その時からずっと、リンゴは悩んで、考えていたのだろうか。

それはあたかも、魔王との戦いを前に、自らの力不足を感じる俺と同じように。

(そういえば……)

俺がブッチャーにやられそうになった時、リンゴは脇差を投げた。

どうして威力も速度も上の『金剛徹し』を使わなかったのだろうと不思議に思っていたが、その考え方は間違っていたのかもしれない。

『金剛徹し』は装備スキル。

対応する装備品を持っていれば、誰でも使えるスキルだ。

しかしそれは、『スキル』という物の使い方を知っていれば、という但し書きがつく。

俺に会うまで、リンゴは『スキル』も『魔法』も知らなかった。

この世界の誰もが普通に使える『スキル』という技術の使用法をリンゴは知らないのだ。

(使わなかった、じゃなくて、使えなかった、のか)

思い返してみれば、『金剛徹し』を主に使っていたのは、リンゴじゃなくてくまだった。

無意識の内にこの世界の誰もがスキルを使えるという前提で考えていたから、そこまで頭が回らなかった。

(待て、よ…?)

そこで俺は、もう一つの事実に思い至った。

リンゴは、スキルの使い方を知らない。

真希がこの世界にやってきたせいで生まれたバグのせいで、この世界の住人なら自然と知っているはずのスキルに関する知識や経験がないからだ。

しかしそれは裏を返せば、余計な予備知識なしに一からスキルの使い方を学べるということにはならないだろうか。

(イーナは、今までのスキルの使い方が身につきすぎていて駄目だった。

だけど、もしかすると、リンゴになら……)

リンゴなら、覚えられるかもしれない。

俺と真希、向こうの世界からやってきた二人をのぞいて唯一、『オーダー』によってスキルを使える可能性を、リンゴは秘めているのかもしれない。

「…ソーマ」

俺が迷っているのが分かったのだろうか。

リンゴが、俺の方に一歩進み出る。

そして、

「…わたしは、ソーマのためなら、なんでもする、から」

前とそっくり同じで、けれど比べ物にならないほどの重みを持ったその言葉をリンゴは口にして、

「だから……その、ため、なら……」

かぼそく震える声で、込み上げる恐怖に必死で堪えるようにきゅっと両目をつぶって、それでもリンゴは言った。

「――わ、わたしは、にんげんだって、やめる!」

その覚悟に、俺はしばらく、何も言えなかった。

だが、その言葉の意味が胸に染み入ってくるにつれ、どうしても黙ってはいられなくなった。

ゆっくりと、言葉を選ぶように、俺は口を開く。

「ありがとう。でも一つだけ、俺からも言わせてほしい」

リンゴの決意は、嬉しい。

だけど、だからこそ、今のような言葉を言わせたままにはしておけなかった。

なぁ、リンゴ……。

――スキルキャンセルは、別に人間やめちゃう技じゃないんだよ?