作品タイトル不明
③④
「それに、もうあんな思いをさせたくはないんだ」
「クラレンス殿下……」
思い出すのはサシャバル伯爵夫人とシャルルの顔。
何一つ変わらないあの二人を見て、カトリーナは自分を抱きしめるようにして腕を回した。
(……あんな場所に戻りたくない)
ナルティスナ邸で暮らしはじめてから強くそう思うようになる。
カトリーナの様子を見てか、クラレンスは静かに口を開いた。
「先程、父上と母上に相談してカトリーナをサシャバル伯爵家から籍を抜くように話してきた」
「……籍?」
「カトリーナは今、サシャバル伯爵家の娘として登録されている」
「え……?」
「まさか、それすらも知らなかったのか?」
クラレンスの言葉にカトリーナは唖然としていた。
カトリーナはただシャルルの身代わりとしてナルティスナ領にきたと思っていたからだ。
「……俺は最初にカトリーナと出会った時に、カトリーナをシャルル・サシャバルだと勘違いしていた。あの時は噂に振り回されてカトリーナにひどいことを言ってすまなかった」
「いえ、私は……」
「己の未熟さを恥ずかしく思う。それからあの後、カトリーナのことを詳しく調べさせてもらった」
「はい」
「そして色々と知ったのだ。カトリーナの境遇を……」
クラレンスはそう言ってカトリーナを抱きしめた。
背に回された手は小さく震えている。
「今から話すことはカトリーナにとって辛いことかもしれない」
カトリーナはクラレンスの言葉にゆっくりと頷いた。
シャルルがベル公爵家の娘、アリーリエにパーティーで怪我をさせたことでベル公爵が怒り、その他の令嬢達の被害報告を受けて王命によって『サシャバル伯爵家の娘』であるシャルルをナルティスナ邸の行儀見習いとして親元から離そうとしたこと。
それを防ぐためにシャルルの身代わりにカトリーナをサシャバル伯爵家の籍に入れて『サシャバル伯爵家の娘』としてナルティスナ邸に送った。
王命に背くことなくシャルルを守るために……。
自分がナルティスナ邸に向かうようになった理由を聞いたカトリーナは驚いていた。
真実はとても残酷だったが、それ以上に本当のことを知れてよかったと思っていた。
カトリーナよりも辛い表情のクラレンスを見て、ゆっくりと彼の手を握る。
「ありがとうございます。真実を知った後もクラレンス殿下は私を見捨てないでいてくれたのですね」
「カトリーナ……俺は」
「最初の態度は関係ありません。クラレンス殿下は〝私〟を見てくださいました」
「…………っ」
クラレンスがいなければ、カトリーナは幸せを知らないままだった。
温かくて美味しいご飯も、綺麗で明るい部屋で暮らせるありがたさも、皆で笑い合って話す時間も、クラレンスを特別に思う気持ちも……ずっと知らないままだった。
クラレンスはこの事実を知った上でカトリーナを受け入れてくれたのだ。
それが何よりも嬉しいと感じた。
クラレンスのディープブルーの瞳は真っ直ぐにカトリーナを見つめている。
「俺はカトリーナの本当の気持ちが知りたい。今からの質問に答えてほしい」
「はい」
「これは俺がカトリーナを守るために必要なことなんだ」
カトリーナはクラレンスの言葉を待つように見つめ返す。
「カトリーナはサシャバル伯爵家に戻りたいと思うか?あの家に未練はあるだろうか?」
カトリーナはギュッと唇を噛み締めながら首を横に振った。
サシャバル伯爵家に戻りたいかと問われたら『絶対に嫌』だと、そう答えるだろう。
「ありません」
「…………そうか」
クラレンスはホッとしたように瞼を閉じた。
握っている手が、徐々に温かくなっていくような気がした。
「あの……」
「どうした?」
「カトリーナ、言ってくれ」
「……っ」
しかし今まで奴隷のように暮らしていたカトリーナと、第一王子としての身分もそうだが国の国境を強大な力で守っているクラレンスと自分が釣り合うはずがない……そんな気持ちから口をつぐんでしまう。
「今は二人しかいない。カトリーナがどう思っているのか、本当の気持ちが知りたいんだ」
クラレンスの力強い言葉にカトリーナは自分の気持ちを話そうと決意する。
今はクラレンスと二人きり。
もし今、カトリーナがクラレンスに気持ちを伝えてもいいのなら……たとえ許されなくてもクラレンスがそう言ってくれるのならば、カトリーナは震える唇を開いた。
「私は……私は、皆様と一緒にナルティスナ邸で暮らしたいです」
「……そうか」
「もし我儘を言って許されるのならば、ずっとクラレンス殿下のお側にいたい……そう思っております」
緊張から声が震えてしまうが、これが今のカトリーナの本当の気持ちだった。
カトリーナはクラレンスの顔を見ることが怖くて俯いてしまう。
「俺も、カトリーナとずっと一緒にいたいと思っている」
「……!」
カトリーナはクラレンスの言葉を聞いて目を丸くした。
「俺はカトリーナを幸せにしたい」
「……え?」
クラレンスはカトリーナにそう言って手の甲に口づける。
カトリーナは驚き、肩を揺らした。
「こうして共に過ごして、心安らぐ女性ははじめてだ。俺はカトリーナのことを愛している」
「……!?」
カトリーナはクラレンスの想いを聞いて衝撃を受けていた。
「わ、私をですか……!?」
「ああ」
いつもと変わらない表情でカトリーナを見ているクラレンスを見て、次第に顔に熱が集まってくる。
「クラレンス、殿下が……?」
「ああ」
突然の告白に混乱していた。
「カトリーナの気持ち次第では、結婚して欲しいと思っている」
「けっ、結婚……!?」
「ああ、すぐにでも」
カトリーナは混乱から手を左右に動かしていた。
全てを持っているクラレンスがカトリーナを選ぶ理由がわからなかった。
「な、なっ……なんで、私を?」
「カトリーナは俺を恐れずに手を取ってくれた。どんな時も真っ直ぐで純粋で裏表がない……その純真さに心を惹かれた」
「~~~っ!」
真っ赤になるカトリーナの顔を見て、クラレンスはそっと頬を撫でた。