作品タイトル不明
①⑨
何日経っても状況は変わらない。
「クラレンス殿下、私はそろそろ働きたいのですが」
「……ダメだ」
カトリーナがそう言うと、クラレンスはいつもこう言った。
「ですが私は行儀見習いとしてここに来ました」
「本来はシャルル・サシャバルが罰を受けるべきだった。きちんと反省すれば猶予を与える予定で、もし反省が見られなければ……」
「……?」
「だが、お前はシャルル・サシャバルではないだろう?」
カトリーナが予想外だったことは、シャルルじゃないとわかってもすぐに追い出されなかったことだ。
今までとは違った生活をしているからか違和感は拭えない。
食事も入浴も許されているのだが、それはシャルルやサシャバル伯爵夫人達だけのものだった。
それなのにニナ達はカトリーナをシャルルのように扱ってくれる。
「何かしたいことはあるか?食べたいものは?」
クラレンスの問いかけにいつもは首を横に振るカトリーナだったが、いつも何も言わないとクラレンスが少し悲しそうな顔をしてしまう。
そんな顔をさせることが申し訳なくて、カトリーナは窓の外を指差した。
「外の白い絨毯を近くで見たいです」
「白い、絨毯……?」
「ここに来た時には空から降っていました。冷たくて、綺麗で……」
カトリーナが手のひらを見ていた。
今も触れたら消えて、また触れては消えてとあの感覚は手のひらに残っている。
「まさか〝雪〟のことを言っているのか?」
「……雪。それは吹雪と同じですか?」
「吹雪とは激しい風を伴って激しく降る雪のことだ。あれは…………雪だ」
「なるほど。そうなのですね」
「気分転換にもいいか。外に行こう」
「いいのですか?」
「……。見たいから言ったのではないのか?」
「はい。そうです」
「…………はぁ」
クラレンスが「カトリーナと外に行く」と言うとニナが急いでコートを持ってくる。
しかしニナの服もサイズが合わずにブカブカだった。
ニナがクラレンスに向かって「早くカトリーナ様のものを買い揃えましょう!」と、訴えかけている。
難しい顔をしているクラレンスにニナは「久しぶりに王都で買い物もいいですね」と喜んでいる。
「おい、勝手に決めるな」
「たまにはお顔を見せた方がいいですよ?王妃陛下も国王陛下もオリバー殿下も、クラレンス殿下を心配していらっしゃいます」
「だがニナ……」
「クラレンス殿下も、そろそろお召し物を新調致しましょう」
「……わかった」
カトリーナが見ている中、二人は王都に行くための話し合いをしているようだ。
そしてニナが「ゴーンさんに知らせていきます!」と言って元気よく去って行った。
部屋に取り残されたクラレンスは肩を落としている。
「王都は、お嫌いなのですか?」
「人混みはきらいだ。だが皆を家族に会わせてやりたい。これを機に好きなものも買ってやりたいと思っている」
「……クラレンス殿下は、お優しいのですね」
「…………」
「気に障りましたでしょうか?」
「いや、そうではない」
クラレンスは何故か顔を背けてしまった。
ナルスティナ邸で暮らしてわかったことは、クラレンスは皆に慕われて信頼されているということ。
この邸の人達は皆、家族のように支え合っている。
そしてクラレンスも屋敷の人達を大切にしている。
(あの場所とは全然違う……みんな温かい)
サシャバル伯爵邸では、皆を恐怖で支配していた。
殺伐とした屋敷の中では、いつも罰に怯えている。
全く違う関係性に、カトリーナは不思議な気持ちになった。
だけど、こちらの方が笑顔が多くてずっといいと思った。
「……この話はいい。そろそろ外に向かう」
「はい」
カトリーナはクラレンスの手を取って腕に手を回す。
こうしてクラレンスがカトリーナを令嬢として扱ってくれるのにも少しずつなれてきた。
ここに来る前に厳しくマナーを教え込まれたカトリーナだったが、今ではマナーを少しでも学んでいてよかったと思った。
サシャバル伯爵家から持ち込んだ本はどれも古いものらしく、クラレンスが全て新しい本を買い替えてくれるそうだ。
そしてゴーンやニナ、トーマスに色々と教えてもらうことになっている。
クラレンスのエスコートでカトリーナは外に出る。
玄関の扉が開くと冷たい空気がスッと肌を撫でた。
カトリーナは一面に真っ白に広がる景色を見つめていた。
「綺麗……」
「そうか」
一歩踏み出そうとしたが、かなり深かったようで足を取られてカトリーナはそのまま前に倒れ込んでしまう。
ボスッという静かな音と共に顔面から雪の中に沈んでいったカトリーナは、体をゆっくりと起こして呆然としていた。
すると上から吹き出すような笑い声が聞こえてくる。
見上げるとクラレンスが体を縮めて笑っているようだ。
そして起き上がった拍子に真っ黒なローブのフードがハラリと取れる。
明るい空のような髪と深い青の瞳、真っ白な肌は白い雪のようだ。
はじめてクラレンスの笑っているところを見たカトリーナはその表情に釘付けになっていた。
(とても綺麗……)
どこが呪われているのかわからないほどに美しく若々しいクラレンスの姿に見入っていた。
カトリーナの視線に気がついたのかすぐにフードを被り直してしまう。
クラレンスは後ろ手でカトリーナの腕を引く。
目の前にはいつもと同じ真っ黒なローブを被ったクラレンスの姿。
「どうして隠すのですか?」
「……それは」
「雪みたいで、とても綺麗なのに……」
カトリーナがそう言うと。クラレンスはそのまま動かなくなってしまう。
暫くの沈黙の後、クラレンスは誤魔化すようにカトリーナの雪に埋もれた跡を指差していた。
自分がこんな格好をして雪に埋もれていたのだとしたら確かに面白いかもしれない。
カトリーナもクスリと小さく笑った。
こうして笑顔になったのは何年振りだろうか。
もう覚えていないくらい笑顔など作っていないことに気づく。